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ファン・ジョンミンのがにまたは東洋一である
もっと韓国を楽しむ名作案内/斎藤真理子
第1回 韓国の映画と文学のお話

ファン・ジョンミンのがにまたは東洋一である もっと韓国を楽しむ名作案内 / 斎藤真理子

韓国の映画と文学のお話――重箱の中を縦横無尽に

私は1980年から韓国語を勉強しはじめました。そう言うと、「先見の明がありましたね」なんて、いわれたものです。2003年以降、韓流ブームが始まったころのことですね。ところがそれは全然違ってて、私は韓流ブームでは一文も儲けることができませんでした。1990年から1年半ほどソウルに留学し、帰国後はしばらく在日系の新聞社で働いていたので、その気になれば乗っかれたのかもしれません。でも韓流ブームまっただ中のころは子育てと会社の仕事でそれどころじゃなく、「冬のソナタ」が大流行してることすら気づきませんでした。

それから2年ぐらいたったころでしょうか。テレビを見てたらヨン様が日本に来て、インタビューを受けてました。そのころはさすがにヨン様人気のことぐらいは知ってましたよ。彼はファンにぎっしり取り巻かれ、ものすごい歓声の中、満面に微笑みをたたえて言いました――「私のモットーは、ベストを尽くすことです」

ほおおー、そうなんだ。ベストを尽くすんだヨン様は。なんて普通のことを普通でない笑顔で言うんだろうこの人は、と思いながら私はテレビを消しました。ところがその後何時間か後、ふと思ったんです。ヨン様ができるんなら、私もやってみようかな? って。

そしてその日から、私は雑誌の進行にベストを尽くしてみました。ふだんなら絶対翌日に回すメールの返信を当日中に済ませる。ふだんならぎりぎりまで読まない資料に前倒しできっちり目を通す。しかも付箋を貼って要点をチェックしながら。報告連絡相談もきちんきちんと、原稿依頼も原稿チェックもいつもの2倍丁寧に。するとどうでしょう、ふだんの3倍くらいのペースで仕事が進んでしまい、校了日の1週間前にほとんどやることがなくなってしまいました。

単にベストを尽くしてみただけなのに! 私は韓流の力に仰天しました。でも疲れちゃってね、次号にはもうベストを尽くす力が残っていませんでした。私のヨン様効果はたった2ヵ月しか続きませんでしたが、そのとき、ヨン様に代表される韓流のパワーを垣間見た気がしました。つまり、ヨン様の正論バリバリの笑顔に代表される道徳、倫理、正しさの感覚みたいなものが日本のテレビには足りなくて、それがまっすぐに吸収されていったんじゃないのかなと。『冬ソナ』のヒーロー、ヒロインたちは直球で正論で語ってました。自分が信じる「正しさ」に沿って相手の行為を定義しまくり、決めつけ、感情たっぷりで正論を怒鳴ってました。例えば「それは愛じゃないわ、執着よ!」(『冬のソナタ』でパク・ソルミがヨン様に言い放った言葉)みたいに。正しさの奔流があり、その対極として悪どさの奔流もある。それが韓流の魅力だったと思います。こんなことはいろんな人が言ってきたことでしょうが……。

そして今や、韓流という言葉ももはやレトロな気がするほど時間が経ちました。ドラマはそんなに見ていないけれど、韓国映画は浴びるほど見ています。70年代・80年代に比べたら本当に、えーっというほど韓国映画は面白くなりました(それって、韓国っぽさが薄れて平準化したということなのかもしれないんですが……)。その背景にはもちろん国策の影響もありましたけど、役者の身体表現能力の高さ、めっちゃ絶望的なのにまだまだ絶望したりないようなパワー、冷や水を浴びせても浴びせても損なわれないロマンティシズム、男も女もやたらと弁が立つ丁々発止の脚本、いろんな原因があると思います。

一方で私は今、韓国文学の翻訳をしています。もともとは古い小説が好きで読んでいたのですが、昨今は30-40代の作家たちの小説もとっても面白くなってきました。長いこと韓国文学は、面白さよりは正しさを追求してきたといっていい状況だったと思います。植民地時代を経て軍事独裁政権と戦ってきたこの国、しかも南北分断を克服していないこの国では、文学は「正しさ」を盛る器であり、作家一人ひとりが考える正しさについて苦悩煩悶するのが仕事で、そのバリエーションが小説の個性だったような気がします(だからエンタテイメントはあんまり発達しなかった)。でも最近、徐々に変化が起きています。いや、本質は変わってないと思うのですが、例えば第1回日本翻訳大賞の受賞作だったパク・ミンギュ氏の短編集『カステラ』は、八方ふさがりの中で何とか生きていこうとする普通の人々の姿を、ぶっ飛んだ物語性でくるんでぬっと目の前に突きだしてくれるような、奇想天外な面白さに溢れていました。

それでもやっぱり韓国文学は韓国文学。歴史の中に折りたたまれてきた父母の世代、祖父母の世代の情緒がわーっと吹き出す瞬間があります。そこには、韓流が垣間見せた正しさの感覚みたいなものもちゃんと刻印されていると思います。韓国映画は多様化の時代、文学はいまが飛躍の時代で、これからどんどん面白くなっていくと思います。

私はすみっこが大好きで、重箱のすみっこに金や宝石を見つけて大喜びするタイプです。これからの連載では韓国映画と文学のお話をしていきますが、映画についてはどんな隅っこに着目すると二倍三倍面白いかをぜひご紹介したい。でも、韓国文学についてお話するときには、重箱のまん中に立って大声出さないとわかってもらえないこともあるんですよね。重箱の隅とまん中を往復しながら、できるだけ面白いお話を紹介していきたいと思います。

 

バナー・イラスト…浅妻健司

 

プロフィール
斎藤真理子さいとう・まりこ

翻訳者、ライター。1960年新潟市生まれ。明治大学考古学科卒業。1980年から大学のサークルで韓国語を勉強、91年からソウル延世大学語学堂に留学。92年から96年まで沖縄で暮らす。訳書に『カステラ』(パク・ミンギュ著、ヒョン・ジェフンとの共訳、クレイン)、『こびとが打ち上げた小さなボール』(チョ・セヒ著、河出書房新社)、『ピンポン』(パク・ミンギュ著、白水社)など。『カステラ』で第一回日本翻訳大賞受賞。

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