ニューヨークに暮らし始めた頃、おいしい店といえば、<ダニエル>や<ザ・フォー・シーズンズ>だった。もちろん高いレストランには行けなかった。たまに、上司が<オイスター・バー>に連れて行ってくれた。けれど、お金がなくても楽しめる場所もあった。<ハラル・ガイズ>の屋台の前にできる長い列に並び、シシカバブやチキンライスを注文して、列ができる理由を実感した。
ニューヨークの食のレベルは、この10年くらいでずいぶんあがった。繊細な味、新鮮な食材、きめ細やかなサービス――それまでのニューヨークには、ほとんど存在しなかったエレメントが、それほど珍しくなくなった。<モモフク>が帝国を築き、<ブルーリボン>が店舗の数を増やし、<スシ・ナカザワ>で日本で楽しめるのと同等のレベルの鮨を楽しめるようになった。<レッドファーム>は、ファーム・トゥ・テーブルの要素と中華料理をマッチングした。にそしてその下には、老舗のレストランが築いた土台があった。
どこの店に行こう? と考える作業が楽しくなった。<ルヴァン・ベーカリー>のびっくりするほど美味しいペストリーを噛み締めながら、「どうやったらこんなに美味しく焼けるのだろう?」と、その味を作るためにどれだけの努力がなされているのかを想像するようになった。<ル・バーナディン>のような店では、完璧なタイミングで出てくるアントレに、厨房の奥でどんなプロダクションが行われているのかを考えるようになった。
『NYの「食べる」を支える人々』は、ニューヨークの食のドキュメンタリーである。
けれどそれ以上に、私たちの「おいしい」を演出してくれる人々のドラマである。日本からやってくる人たちが楽しみにする<ピーター・ルーガー>のことは、素っ気のないサービスがむしろ気持ちの良い、老舗の熟成肉のステーキハウスである、というくらいのことしか知らなかった。経営者が女性たちで、どんな哲学にもとづいてあの店が運営されているかを知ったら、また違う楽しみ方ができる。
クロワッサンとドーナッツをマッチングした「クロナッツ」のドミニク・アンセルのひとり語りを聞いたら、列に並ぶ必然性を理解できる。
「おいしい」「まずい」の価値観で片付けられがちな食の世界が、いかに複雑な要素で構成されているかを垣間見ることができる。ニューヨークという世界の頂点を目指してやってきた移民たちが、競争率の高い食の世界でどうやって成功を手にしたのかを知れば、口にする味が、また格段違うものとして楽しめるようになる。
レストランのオープニングの知らせは、ほぼ日常的に届く。けれど生き残るのは、ほぼ半数だと聞いたことがある。開く店と同じくらい、潰れていく店もある。ニューヨーカーたちに愛されながら、リースが切れるのと同時に、家賃が跳ね上がり、扉を締める道を選ぶ店もある。
この本は、今しか見えない食のシーンに、飽くなき好奇心をもって接近したアイナ・イエロフが記録した「今のニューヨーク」の貴重なスナップショットなのだ。