「歴史」という魔法の箱(ワンダーボックス)を開ければ、たちまち好奇心が刺激され、私たちの生活に、新しいアイデアが見つかります。愛、家族、感情移入、仕事、時間、お金、感覚、旅、自然、信念、創造性、死生観など、誰もが人生でぶつかる問題に、「歴史」が答えてくれます。本書『生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅』を読み、異なる時代や文化のなかで人々がどのように生きてきたのかを知れば、日々の生活や人生がよりよくなるための教訓を引き出すことができるでしょう。
刊行後、各誌から絶賛のレビューが相次ぎ、世界9カ国で翻訳されているベストセラーが、待望の邦訳!!
今回の「ためし読み」では、本書の「序文」を公開いたします。
序文
どのように生きるべきなのか――大昔から繰り返されてきたこの問いは、現代社会にあっても喫緊の課題である。裕福な西洋では、私たちが順応するよりも速く社会は変化している。オンライン文化は、恋愛のきっかけのつかみ方や、友情を育んでいくやり方を変えてきた。終身雇用に終止符が打たれ、生活費を稼ぐだけではなく私たちの視野を広げてくれる仕事を探す可能性が増す一方で、適職を見つけ出そうとして途方に暮れてしまうことも多くなった。医学の進歩によって、これまでよりも長生きできるようになったが、こうして得た貴重な年月をどのように過ごしたらよいのかわからずに思い悩む。環境問題は深刻さを増し、倫理的な生活を新たに模索していかなければならなくなった。それは、たとえば、どこで休暇を過ごすかということから、子どもたちの未来についてどのように考えていくべきかという問題にいたるまで多岐にわたる。それだけではない。二十世紀のあいだ、私たちは取り憑かれたように消費の快楽や物質的な豊かさを追い求めたが、その結果、さらに深い満足と意義を渇望するようになった。今私たちは、生きるすべをいかにして探っていくかという問題に直面して茫然自失のていである。
答えを探し求める手がかりは数多くある。人生、宇宙、ありとあらゆる問題と格闘してきた哲学者の叡智に学ぶこともできるだろう。宗教や精神世界の求道者の教えに耳を傾けることがあってもいいかもしれない。心理学者は幸福について科学的な論考を深く展開しているので、古い習慣を振り払い、人生を前向きにとらえていくにはどうすればよいのか手がかりを与えてくれるはずだ。さらに自己啓発の道の専門家の助言というのもあるが、それはさまざまな生きるすべを手際よくまとめ、五段階プランとして提示したものが多い。
とはいえ、いかに生きるかという悩みに答えを見出そうとするときに、ほとんど誰も触れていない領域がひとつだけある――歴史だ。生きるための秘訣を新たに探し求めるなら、過去を振り返ることだと私は思っている。ほかの時代、文化のなかで人々がどのように生きてきたか探し求めていけば、日々生活していくなかで意欲を燃やし、よりよい人生の好機をつかみとるための教訓を引き出すことができるのではないか。情熱を持って生きていくための秘訣が、中世の死の受け止め方、あるいは、産業革命のときのピン製造工場のなかに隠されている。中国の明王朝時代や中央アフリカ固有の文化を学ぶと、子育てと親の介護に対する私たちの考え方が大きく変わるかもしれない。驚くべきことだが、私たちはこれまで過去に叡智を求める努力をまったくといっていいほどしてこなかった。こうした努力は、将来、起こりうる出来事を夢想するのではなく、人々がどのように生きてきたのかという確固たる事実に基づいて考えていくことである。
歴史は魔法の箱(ワンダーボックス)だと思う。ルネサンス期に作られた〝驚異の部屋〞と同じだ――ドイツ人は〝不思議の部屋(ヴンダーカンマー)〞と呼んだ。人の目を奪う珍品を集めて並べた陳列室のことで、どの収集物にもそれぞれ物語がある。たとえば、トルコのミニチュアの計算器具や日本の象牙細工などだ。家族のあいだで代々受け継がれ、教訓が付され、鑑賞され、ともに旅をし、家宝となった物。歴史もまた文化の宝庫から、興味深い物語や考え方を私たちに差し出してくれる。歴史は人類共通の財産であり、往々にして断片的なものであるが、私たちの好奇心を刺激してくれる遺物の集積だ。しかも私たちはその異物を意のままに掘り起こすことができ、驚異の念に打ち震えながらじっくり観察することができるのだ。私たちの旅を導いてくれるのは、有名ではあるが、時として忘れ去られた人たちだ。たとえば、十七世紀の天文学者からクー・クラックス・クランの元指導者まで。あるいは初期のフェミニスト運動で先頭になって活躍した女性から焼身自殺したベトナム人の僧まで。こうした人たちが私たちに付き添って、デパートの発明、あるいは五感の神話、といった馴染みのない珍しい土地へと導いてくれる。人間は、仕事、時間、創造性、共感などきわめて重要な問題について考えをめぐらせてきた。その際に採られたさまざまな非凡な方法を明らかにしてくれるのが、こうした導き手なのだ。彼らのおかげで私たちは今の生き方を疑い、驚異的でしかも現実的な考え方を知り、新しいほうへ向かって歩み出すことができるようになる。
十七世紀の思想家トマス・ホッブズはこう書いている。「歴史というもののもっとも重要でしかるべき働きというのは、過去の出来事を知ることによって、将来に配慮しながら現在を賢明に生きていけるようになることである」。「歴史を応用する」という考えを指針とし社会、経済、文化を研究している歴史学者、人類学者、社会学者の著作を徹底的に読みこみ、今日の西洋世界で生きていくうえで直面するさまざまな苦しみを乗り越えるため、もっとも役に立つ考えはなんであるか、私は深く探究してきた。学究的な著作は、実利的な問題に対処することを念頭に書かれたものはほとんどないのだが、勇気を持って新たな地平を切り開き、意義ある人生を送りたいと心の底から願っている人たちにとっては、鋭い指摘に満ち満ちている。ルネサンスが古代ギリシャ、ローマ時代の失われた知識を再発見し、その結果、科学と芸術の分野に革命を起こしたように、よりよい生活を送るためには、長い年月のあいだに過去のなかに埋もれてしまった考えを掘り起こし、みずからを
理解する力に革命をもたらす必要がある。
歴史を学ぶことは、ある意味、祖先の生き方のなかでこれ以上ないというほど圧倒的な一面を確認し、それを私たちに応用していくことだ。また、過去から―たいていの場合は知らないうちに――引き継いだ多くの考え方や姿勢を確認することでもある。こうした過去の遺産のなかには積極的に評価すべきものもあり、私たちの生き方のなかに取り入れていくべきだ。たとえば、余暇を「勤務時間中」ではなく「勤務時間外」と考える、働くことに対する倫理観、あるいは、才能を活かすいちばんの方法は限定的な分野でのスペシャリストになること―博学多識であるよりもその道で秀でた者になること、という考え方だ。知らず知らずのうちに生活のなかに浸透し、密かに私たちの世界観を形づくっている過去からの遺産の根源を、歴史的にさかのぼっていくことも必要だ。こうした遺産があるからこそ自分というものを理解できるのだと受け入れることもあるだろうし、役に立たないものとして否定し、そこからわが身を切り離して自由になり、新たな考え方や姿勢を創り出していこうと覚悟を決めることもあるだろう。つまり、歴史を掌中におさめれば、この上ない力を操ることができる。
どのような歴史も、それを記した作者の目を通したものであり、取捨選択がなされ、解釈がほどこされている。本書もその例外ではない。愛、金銭、ほかにも生活していくうえで必要なものはいくらでもあるが、本書はこうしたすべてのものの歴史を考察した本ではない。私たちが日々の生活のなかでたいてい直面する人生の問題のなかでも、ぜひとも解明すべきだと思われる話題を取り上げた。たとえば家族という章では、主夫と家族の会話の歴史に的を絞った。その理由のひとつは、私自身が人生で直面してきた難題について考察を加えることになるからだ。しかし、まったくの個人的な興味から歴史のいくつかの分野に焦点を絞りこんだわけではない。いかに生きるべきか真剣に考え、生き方を変えようとする姿勢を持ち、そのための機会をうかがっている人たちにとって、もっとも役立つと判断した分野を選んだつもりである。
ゲーテの「三千年の歴史から学ぶことができない者は、その日暮らしの生活を送っているにすぎない」という信条への敬意から本書を執筆した。そこで古代ギリシャから今日にいたるまで、人間の三千年の歴史に検討を加えた。扱ったのは主にヨーロッパと北アメリカの歴史であるが、よりよい生き方を模索するヒントを求めて、アジアや中東などほかの地域の歴史にまで視野を広げ、さらにその地に住む人たちの今の文化が、古代の息吹を伝えている場合、こうした人たちにも注目した。
本書でめざしたことは、過去と現在に関係を見い出し、人と人との絆を深めるために想像上の橋を架け、生活を築いていく方法を再考し、世界と私たち自身を探究していくうえでの新しい道を切り開くことである。さて、そろそろ魔法の箱の蓋を開ける頃合いだ。今、どのように生きたらよいのかという問題に、歴史がなんと答えてくれるのか明らかにしていこう。
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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