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生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅 「仕事について」

ためし読み / ローマン・クルツナリック, 加賀山卓朗, 横山啓明

「歴史」という魔法の箱(ワンダーボックス)を開ければ、たちまち好奇心が刺激され、私たちの生活に、新しいアイデアが見つかります。愛、家族、感情移入、仕事、時間、お金、感覚、旅、自然、信念、創造性、死生観など、誰もが人生でぶつかる問題に、「歴史」が答えてくれます。本書『生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅』を読み、異なる時代や文化のなかで人々がどのように生きてきたのかを知れば、日々の生活を自分らしく豊かに過ごすためのヒントを得ることができるかもしれません。
今回の「ためし読み」では、誰もが一度は悩んだことのある(はずの)「仕事について」を公開いたします。

 

仕事について

 

就職説明会を訪れたり、一般的な求人誌を眺めたりすると、まず希望に満たされるが、すぐに茫然となり、さまざまな可能性の迷路に入りこんで混乱しはじめるのではないだろうか。会計士になるための勉強をすべきだろうか。それとも、子どもを救う慈善団体の職を探したほうがいいか。地方自治体の堅実な仕事を選ぶのがいちばんいいことなのか。いっそ危険を冒してでも、いつも夢見ていたヨガ・カフェを開くべきか。仕事を選ぶ難しさというのは、現代になって浮上してきた難問だが、ふだん私たちはそのことを忘れがちだ。何世紀ものあいだ、人は仕事を選ぶことなどほとんどできなかった。日々の糧を得る方法は、主に運命、つまり外部からの強制力によって決められていた。運命から、選び取ることへと歴史的に大きく変わった時期について知ることは、職業生活の将来について考えるうえで理想的な一歩となるだろう。

中世のヨーロッパに生まれたとしたら、騎士道的愛の物語に登場する騎士や貴婦人、彩色写本を食い入るように読みふける修道士になることはまずなかっただろう。大多数の人は、農奴だった。領主に与えられた田舎の土地に縛りつけられ、封建制のなかで領主に隷属し、その気まぐれにさらされていた。18世紀と19世紀には、産業革命と都市への人口流入が起こり、封建制度のほとんど静的な社会秩序から人々は解放されたが、いい面ばかりではなく、悪い面も多々あった。ギルドの足かせや農奴という身分からは自由になったが、ブルジョア階級の囚人となったのだ。

「ブルジョアは、血も脳みそも吸いとる吸血鬼で、人々を資本という錬金術師の大釜のなかに放りこむ」カール・マルクスは巧みにこう表現した。望む相手に賃金労働を売る自由を手に入れたが、せっかくの機会を活かそうとしても、仕事といえば、たいてい単調で搾取の行なわれる工場労働に限られていた―さもなければ、〝ピュア・ファインダー〞(犬の排泄物を集めてなめし革工場に売る人)になったり、酢漬けのエンバイ貝を通りで売るなど、活気あふれる都市経済のなかで起業するかだ。

19世紀、ヨーロッパは人々が仕事を選べる新しい時代に突入した、と大方の歴史の教科書には書かれている。それは主に、家柄や金の力によらず、才能があり努力した人が優遇される、能力主義(メリトクラシー)という考えが生まれ、教育が一般に普及したことによる。「才能ある者に出世の道を開く」いう理想を掲げたナポレオンは、それだけでも称讃に値する。コネや縁故などなくとも、優秀な兵士でありさえすれば軍で昇進できるという考え方だ。イギリスとフランスでは、公務員になるために競争試験を受けさせるようになったが、中国では何世紀も前からこうした機会均等の試みがあった。とはいえ、こうした新たな試みの成果に浴することができたのは、ふつうは高い教育を受けた者たちだけだった。

教育がさらに普及して、西洋に生まれた人の多くがさまざまな職業を選択できるようになり、社会的な地位をあげる機会が増えたのも、ようやく20世紀に入ってからだった。給料をもらって働く女性も増えていった。これは参政権を勝ち取る運動の成果でもあり、ふたつの世界大戦のあいだ、女性が工場労働者として貢献した結果でもあった。1960年代にピルが登場し、子どもを産むかどうか、あるいはいつ産むか、コントロールできるようになったため、女性がわが道を進むことがさらに容易になった。移民労働者は徐々に偏見や差別に反抗するようになり、子どもたちの世代になると、もともとその国の人たちが占めていた職業にも就くようになった。

仕事が運命や必要性で決まっていたときから、自由に選択できるようになった現代まで、社会は何世紀にもわたって進化してきたが、みずからの情熱を傾け、才能を発揮できる仕事を探す人の前には、今もまだ大きな壁が立ちはだかっている。ほとんどひとりで子育てをしている女性が、多国籍企業の社長になったり、出世しつづけたりすることが、どのくらい簡単だろうか。トルコ系の人がドイツの地方警察で昇進しようとしたら、どれほどの偏見に立ち向かわなければならないだろう。さらに貧困によって、下層階級の人たちはいつまでもそこから抜け出せず、仕事といえばサービス業の退屈な低賃金労働に限られてしまう。

今日、多くの人たちは、仕事を選択する困難に直面し、押しつぶされんばかりの重圧に苦しんでいる。世にあふれている職業選択に関する手引書やウェブサイトでは、何百という職業がリストアップされ、それを突きつけられた私たちはどうしていいのかわからずに不安に駆られてしまう。私たちが獲得した自由は、図らずも重荷となってしまった。西洋の歴史のなかで、ほとんど誰も気づくことのなかった不運である。

この問題はここ30年でますます深刻化している。労働市場の〝柔軟性〞を見かけ上作り出すために、人員削減、短期間契約、臨時雇いが増え、〝生涯の仕事〞という考え方が廃れたことが主な原因だ。今日、ひとつの仕事に就く期間は平均わずか4年であり、私たちは職業人生において何度も難しい選択を迫られることになる。1908年にボストンで〝職業案内所〞が設立されたのが専門の職業相談の始まりといわれており、こうした専門家からアドバイスを受ければ、矛盾に満ちた選択肢を突きつけられたときに参考にはなるだろう。しかし、職業相談の専門家はたいてい、よりよい仕事を的確に推薦することではなく、現在の仕事が向いていない理由を指摘することに長けている。相談員が自由に使える道具が限られていることもその原因のひとつだ。たとえばMBTI[ユングの心理学的類型論をもとに、ブリックスとマイヤーズによって研究開発された検査]といった自己理解メソッドがあって、その人の顕著な性格特性と具体的な仕事とのマッチングを図るのだが、残念ながら、こうしたメソッドが親友からのアドバイス以上に役立つことを実証するデータはほとんど見当たらない。

どのような仕事に就くべきか、職業のための進路をどう決定すべきか―こうした難問を乗り越える方法について考えてみたい。歴史上類を見ないほど大きな変革が起こり、人々が自由に職業を選べるようになったにもかかわらず、満足することができず、仕事はつまらないと考える人が大勢いる。この皮肉が問題をますます難しくしている。〝ワーク・ファウンデーション〞などの団体が行なう調査では、必ずと言っていいほど、今日、ヨーロッパでは仕事をしている人の3分の2が満足しておらず、今の職業では目標を達成することができないと思っているという結果が出る。どうしてこうなるのだろう。過去からなにを学べば、自分という人間、あるいは、なりたいと思っている人間にぴったりの仕事を見つけることができるのだろう。これを考えるために、オルガン奏者、庭師、バレエ・ダンサー、死の収容所を生き残った人々と会ってみよう。だが、まずはポケットに手を突っこんで財布を取り出すことから。

ピン製造工場から逃げる

現代の長時間労働の元凶が、1990年代末から20ポンド紙幣の絵柄として使われ、褒めたたえられてきたのだから驚きである。ロマン派の作曲家エドワード・エルガーの肖像画から、哲学者、政治経済学者のアダム・スミスが、ピン製造工場でこつこつ働く人たちを覚めた目で眺めている図に置き換わった。この紙幣には次のような説明が印刷されている。
「ピン製造工場での分業(その結果、大量の仕事をこなせるようになった)」

産業の生産性を上げ、経済を発展させるためには、複雑な仕事をいくつかの小工程に分割することだとアダム・スミスは説いた。その著書『国富論』(1776年)で、ピンを製造する際に18の工程があることを詳述している。ひとりの労働者ですべての仕事をするとしたら、「精一杯努力しても、せいぜい一日一本のピンしか作れないのではなかろうか」。しかし、作業を分割すると、ひとりの労働者は一工程か二工程だけに専念すればよく、ひとりあたり1日5000本近くのピンを作ることができるのだ。

分業の奇跡のような効果は資本主義経済のスローガンとなり、産業界であっという間に実践されたが、それはまた、単純労働の時代をも切り開いた。アダム・スミスによるピン製造工場の描写は、まるでユートピアとは言いがたい。

ひとりがワイヤーを引っ張りだし、もうひとりが真っ直ぐにのばす。3人目の労働者はそれを切断し、4人目が先を尖らせ、5人目が頭部をつけるために針金の先端を研ぐ。頭部を作るには、二、三の独立した工程が必要であり、それを取り付けるのも特別な作業である。ピンを白く塗るのもちがった仕事だし、紙に包むのもまた別だ。

『国富論』の最後のページでアダム・スミスは、働く者の気持ちを推し量り、たとえば一日中針金をのばす仕事をしていると、国家としては大いなる利益ではあるが、「精神が麻痺」し「思いやりのある心」が失われてしまうと認めている。「人間は毎日いくつかの単純作業ばかりやっていると……理解し、創意工夫する機会がなくなってしまう」

現代では、スミスの言わんとしたことを、多くの人が身をもって知っているだろう。われわれは労働の分割を引き継ぎ、それまでの産業史の遺産を完膚なきまで叩きつぶした。工場だろうが事務所だろうが、賃金労働者として雇われるのなら、特化された単調な仕事を二、三任されるだけだ。意気盛んな子どもの頃、雑誌記事の原稿整理や、契約書の下書き、あるいは薬売りだけをして一日過ごすような大人になりたいと夢見ただろうか。それぞれの技術を利用し、初めから仕上げまで全工程に責任を持つ仕事に就くことができる人はほとんどいないだろう。たとえば、椅子職人が仕事をとおして得る満足感は私たちから奪われてしまっている。その仕事は木を切るところから始まるだろう。樹皮を剥ぎ、横桟[椅子の脚のあいだなどに水平に渡す補強用の桟]の形を整え、蒸気を当てて脚にカーブをつけ、ほぞ穴をあけていく。それぞれの部品を組み立て、座部を編み、最後に蜜みつろう蝋で磨きをかける。

「仕事は避けるべき必要悪だ」とマーク・トウェインは書いている。たしかに、わずか数十年前まで、仕事といえば退屈なものと決まっており、これは避けられないこととして広く受け入れられていた。しかし、今ではそうとはかぎらない。現代文化における変革のなかでも無視できないほど重要なのは、仕事が個人的な欲求を満たせるようになってきたことである。アダム・スミスには想像すらできなかっただろう。今日私たちは、楽しめるだけでなく、人生を豊かにしてくれる仕事を探し求めている。仕事によってみずからの限界を押し広げ、理想を形にし、学ぶ機会を手に入れ、好奇心を刺激し、友情から愛まで育んでいくのだ。

第二次世界大戦以後の西洋で、このように仕事に対する態度が変わった理由としては、物質的に豊かになったことが大きい。生活に最低限必要なものはたいてい手に入るので、人それぞれ個人的な満足を深めていきたいという欲求が出てきた。自分自身の成長を願い、倫理的な生活を送ることを望む傾向を、社会学者は「脱物質的価値」の出現と呼んでいる。その結果、ローンの返済のみならず、精神の豊かさをももたらす仕事を見つけたいと多くの人が思うようになった。ヨーロッパと北アメリカじゅうで労働時間が徐々に増え、仕事と余暇とのバランスが変わるという最近の変化によって、こうした傾向に拍車がかかった。この20年ほどのあいだに、仕事にとられる時間がますます増えたせいで、もし仕事から満足を得られなければ、一日のうちに豊かな人生を送る時間はほとんど残されていないという状態になっている。

残念ながら、期待が大きくなったぶん、私たちは新たにふたつの問題のあいだで板挟みになってしまった。ピン製造工場での負の遺産をいまだに重荷として背負いながら、もっとやる価値のある仕事に就きたいという切実な思いを満たすには、どうしたらいいのか。ひとつのありふれた答えは、働く意味と動機を金銭の追求に見出すことだ。仕事を、本質的に価値のあるものというより、目的を達成するための手段と考える立場である。だから仕事の退屈さや精神的なストレスは、必要経費としてがまんしようとする。金銭は、請求書の支払いだけでなく、生活の質を向上させるために使うことができると考える。

金銭や財産といった富に対する欲望は、長い年月をかけて形づくられた強い感情だ。1504年、スペイン人征服者(コンキスタドール)エルナン・コルテスは、西インド諸島サント・ドミンゴへやってきたときにこう言った。
「金を手に入れるためにやってきた。農民のように土を耕すためではない」
まもなく侵略者たちは、黄金の都市(エ ルドラド)を探し出すことに取り憑かれた。アマゾン川上流奥地にあると夢想したこの黄金郷は、全身を金粉で覆った首長が治めていると噂されていた。2世紀以上にわたり、黄金の都市を探しに密林に分け入った冒険者たち数百人が、病気や飢えで命を落とした。エルドラドを探し求める冒険は、現代社会に蔓延している富への無謀な欲望を象徴するようになった。

大金を手に入れたいと思っても、当時のように命がけの苦労もいとわない人など今ではまれだろう。しかし、働くことの主な目的を金銭に置く人は、大金を手にしても心から満たされることはめったにないと気づくべきだ。この50年間で先進工業国の実質所得はかなり上昇したが、「生活上の満足」や「幸福」という点では、北アメリカやヨーロッパのほとんどの国々で横ばいが続いている。ジョンズ・ホプキンズ大学の大規模な調査によると、米国経済でもっとも報酬の高い職業である弁護士が、全職業のなかでもっともうつ病の発症率が高く、その割合は平均的な労働者の3倍以上におよぶ。

したがって、多くの人々が結局は、より強い目的意識を得られる仕事を求めることは、驚くには当たらない。仕事は目的に達する手段というより、それ自体が目的なのであり、自分の人生が無駄ではないと感じる手助けをしてくれる。

人にやる気を起こさせる最重要の目的とは何か? 仕事の歴史では次の4つが際立っている――自分の価値観を原動力とする仕事、有意義な目標を追求する仕事、尊敬を得る仕事、そして己の才能を申し分なく発揮できる仕事である。これらはみな、ピン製造工場での分業から受け継がれたつまらない仕事を克服する手助けとなる。そして、自分が引きつけられるのはどれかを考えることが、仕事を選ぶ際の混乱状態を乗り切って、しっかりと進むための指針となるのだ。

 

(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
※掲載しているすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。

 


 

生活の発見 場所と時代をめぐる驚くべき歴史の旅
ローマン・クルツナリック=著|横山啓明・加賀山卓朗=訳
発売日:2018年01月26日
四六版並製|464頁|本体:2,300+税|ISBN 978-4-8459-1604-7

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プロフィール
ローマン・クルツナリックRoman Krznaric

文化思想家で、日々の暮らしの重大な問題について指導するロンドンのスクール・オブ・ライフの設立メンバー、教師である。オックスファムや国連などの組織に、感情移入と会話を使って社会を変えるよう助言し、イギリスの傑出したライフスタイルの哲学者のひとりとして、オブザーバー紙にも名前が挙げられた。
シドニーと香港で育ち、オックスフォード大学、ロンドン大学、エセックス大学で学んで、博士号を取得した。ケンブリッジ大学とシティ大学ロンドンで社会学と政治学を教え、中央アメリカで難民や現地の人々と人権活動に携わった。数年間、オックスフォード・ミューズ―個人的、専門的、文化的な生活において勇気と創意を刺激することをめざす前衛的組織―でプロジェクトの責任者を務めた。ふだんは公のイベントで感情移入、愛の歴史、仕事の未来、生き方などをテーマに講演を行なっている。最近では、エディンバラ国際フェスティバル、ラティテュード・フェスティバル、ロンドン・デザイン・フェスティバルに登場した。
ローマンは、アラン・ド・ボトンが編集したスクール・オブ・ライフの実用哲学シリーズの一冊、『仕事の不安がなくなる哲学』の著者である。また、The First Beautiful Game: Stories of Obsession in Real Tennisでスポーツが人生に与えるものについて書き、歴史家セオドア・ゼルディンと共同でGuide to an Unknown Universityも編集した。彼の著作は十カ国以上で翻訳され、感情移入のみに集中したブログwww.outrospection.orgは世界中のメディアに取り上げられている。
ローマンは熱狂的なテニスプレーヤーで、園芸家としても働き、家具作りに情熱を注いでいる。詳細はウェブサイトwww.romankrznaric.com.を参照されたい。
©Kate Raworth

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プロフィール
加賀山卓朗かがやま・たくろう

1962年生。東京大学法学部卒。英米文学翻訳家。主な訳書に、ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』、『二都物語』(以上新潮社)、ジョン・ル・カレ『地下道の鳩』、グレアム・グリーン『ヒューマン・ファクター』、デニス・ルヘイン『夜に生きる』(以上早川書房)、マーカス・バッキンガム『最高のリーダー、マネジャーがいつも考えているたったひとつのこと』(日本経済新聞出版社)、他多数。

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プロフィール
横山啓明よこやま・ひろあき

1956年生。早稲田大学第一文学部演劇学科卒。英米文学翻訳家。主な訳書に、ミステリーのジョン・ダニング『愛書家の死』、マイケル バー=ゾウハー『ベルリン・コンスピラシー』、チャールズ・カミング『甦ったスパイ』、マーク・ヘンショウ『レッドセル』、ジョージ・P.ペレケーノス『変わらぬ哀しみは』、スティーヴ・キャヴァナー『弁護士の血』、ジョン・コラピント『無実』 、またノンフィクションにスティーヴン・ウォーカー『カウントダウン・ヒロシマ』( 以上早川書房)、ジュディ・ダットン『理系の子』(文藝春秋)、他多数

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