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vol.02:八回目に起き上がるための思想史へ・後篇

日本のプラグマティズム / 荒木優太

本連載は、『貧しい出版者』『これからのエリック・ホッファーのために』で、在野で研究することの価値と重要性を鮮やかに照らし出した、気鋭の在野研究者・荒木優太が新たに取り組む、日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく野心的な試みです。市井の民たるわれわれのための、在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)、第2回目はいよいよプラグマティズムの卓抜した紹介者、鶴見俊輔の登場です。

 

 

鶴見俊輔の出発点

さてさて、そんなプラグマ(以降、プラグマティズムをメンドーなので略記してプラグマと記すことがある、よろしくね)だが、我々日本人にとって、その思潮には、ハイ、そうですか、と素朴に受け止められない難問が横たわっているようにみえる。
鶴見俊輔は、パースの伝記から始まる『アメリカ哲学』という名の一書を残している。鶴見の処女作だ。アメリカのハーヴァード大学に留学し、クワインに師事しながら、当地でFBIに逮捕されて刑務所にブチ込まれるというエリートなんだかどうだかよく分からない、ある意味、筋金入りのこの思想家の出発点にはプラグマティズムがあった。我々にとって懸案の可謬主義は、「マチガイ主義」[1991/28]と訳されている。

 

日本には根づかない?

そんな鶴見が、対談本『たまたま、この世界に生まれて』で、「戦後、USAがあれだけの権力を行使して、日本人もよく受け入れたにもかかわらず、この社会にはプラグマティズムが根づいたという感じがまったくない。インテリのなかでもそれをよく勉強した形跡がない、それはなぜかな」[2007/141]と問題提起するとき、具体的にどのような状況を指しているのか、またその認識が本当に正しいのかどうかは一先ず措いて、一考に値することは確かだろう。
勿論、アメリカ産のプラグマティズムを積極的に学び、咀嚼し、日本への紹介に尽力した知識人がいなかったわけではない。鶴見自身言及しているように、戦前の時点でも、内閣総理大臣の座についた石橋湛山や、彼の師でもあった田中王堂などは、日本的プラグマティストの祖型になるような仕事を残している。
が、鶴見は「根づかなかった」と評価する。どういうことか。大学に二〇年以上務めた鶴見は、アカデミズムにおいて高い点をとって出世しようとする哲学部の学者候補は、字面の上でプラグマの文句を引用することはできても真の理解や実践には至らない、と考える。
鶴見の言葉を補う黒川創の言葉を借りれば「講壇哲学としてのありかたをいま一度壊して、暮らしのなかの方法としてプラグマティズムが生きればいい」[2007/194]ということが学者にはできない。
どうやら鶴見にとってプラグマは日本において在野の学としてあった。「哲学と言えばカントだろう、カントをもっと前に進めたのはヘーゲルだろうと、そうなったらもう、しょうがないね。アメリカ流のプラグマティストが入り込む余地がないんだよ。だけど大学の外に求めればあったんだ」[2007/195]。在野に追い出されたというべきか、在野だから生き延びたというべきか。ともかく、日本のアカデミズムはプラグマティズムをまともに受容できなかった……ようにみえる。

 

失敗と失敗を結びつける……失敗?

試行錯誤思想の試行的受容は結局は失敗に終わったのかもしれない。野良犬みたいに追いやられてきたのかもしれない。
元々の目的を忘れる前にぐぐぐっと戻ってこよう。思想史におけるこの不安は、試行錯誤のアンチノミーに縛られ八回目にうまくトライできない私たちとアナロジカルである。やってみたって、失敗したんでしょ? で、どーせ失敗するんでしょ?

うん、よく似ている……お気づきだろうか? 聡明な読者諸賢のことだ、きっとお気づきだろう。じゃ、いっせーの、で答え合わせ。

いっせーの、ア・ブ・ダ・ク・ショ・ン!

然り。私は正しくここで仮説形成の力を借りて、まともにプラグマを受け止めてこなかった日本的な知の世界と意気地のないこの私を、失敗の成れの果てがよく似ているという仕方で、結びつけている。帰納でもなければ演繹でもない仕方で、結びつけている。だから、この推論が間違っている可能性は大いにある。

 

間違ってる方がずっと正解だ

何をやっているのだろう? 要するに、こういうこと。
日本のプラグマティズムが間違った(または偏狭な)プラグマティズムなのだとしても、ものは考えよう、八回目の間違えに怯える我々にとっては間違っていない純正品よりも、ヘンテコな海賊版の方がずっと使い勝手がよく、ずっと都合がいいのではないか。
プラグマティズムの思想が真にプラグマティックに使えるのならば、プラグマティズムの成功譚よりも失敗談の方がずっとプラグマティズムの本質にかなうものなのではないか。
その場合、失敗つづきの我々は先行する失敗の歴史という大きなアドバンテージをプラグマティックな仕方で手に入れていることになる。「根づかなかった」と評されたとしても、在野であれなんであれ、確かにプラグマを受け止め、そして生きようとしてきた連中がいた。彼らはどう間違えてきたのか、あるいはまた、彼らの声を我々はどう聴き違えてきたのか。
ここで指針を一つ。不出来な思想史に存在理由があるのだとすれば、不出来な我々に対するその効用によって測られなければならない。本論の前のお膳立ては次回もつづく。

 

[引用]
[1991]鶴見俊輔『アメリカ哲学』、『鶴見俊輔集』第一巻収、筑摩書房。
[2007]鶴見俊輔『たまたま、この世界に生まれて――半世紀後の『アメリカ哲学』講義』、編集グループSURE。

 

(第2回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年5月10日(木)掲載

貧しい出版者
政治と文学と紙の屑

荒木優太=著

発売日:2017年12月22日

四六版・上製|312 頁|本体:2,800円+税|ISBN 978-4-8459-1705-1