イラストレーター、デザイナーなどのクリエイターたちの発想・想像力に影響を与える可能性のある絵本の世界。絵本に対する解釈と表現は今どうなっているのでしょうか 。『絵本の冒険 「絵」と「ことば」で楽しむ』は本邦初となる五味太郎さんと荒井良二さんの対談のほか、tupera tuperaさんのインタビュー、梨木香歩さん(作家)、穂村弘さん(歌人)ら、絵本以外の分野で活躍する著名人の絵本に関するエッセイを収録。発想と創作について、また絵本の魅力について語っています。また「絵」と「ことば」の解釈方法を、絵本作家にとどまらず、分野を超えた多角的視野から探ります。現在、注目を集めている作家とその作品世界が与える影響、潮流、思想、今後の展望を一冊でコンパクトにまとめました。
今回の「ためし読み」では本書の編者の小野明さんによる「Introduction」全文を公開いたします。
絵本再発見 より広く遠く深く
はじめに言葉ありき。この〈言葉〉はたぶん、声の言葉ですね。宗教的なことでなくとも、太古の人類は、言葉で猛獣の危険を伝えたり、愛をささやき合ったりしたでしょう。そしてそのあとに絵がやってくる。地面に棒で描いたり、洞窟の岩に顔料をなすったり。やがてそれらに遅れて、文字が発明された。この文字によって〈よんで理解する〉という行為が生まれた。これは画期的なことだったでしょう。知性が大きく前進したと思います。でも知性の獲得が進むにつれ、原初的な、存在を揺さぶるような感覚が徐々におさえ込まれていったとも言えるのではないでしょうか。
これは絵本のうけとり方にも当てはまりますね。幼い頃は、よんでくれる人の声で言葉・物語を聞きながら、絵をジーッと見る。つまり、言葉と絵を同時にうけとる。原初の表現ふたつと出会う。しかしやがて長じると、自分で文字をよみながら絵を見るようになる。絵本のうけとり方がやや複雑になるのです。目が文字と絵を行ったり来たりするわけですから。
もしかしたら、この文字を自分でよむという絵本のうけとり方が、大人を絵本から遠ざける要因のひとつかもしれません。よんでくれないから、こちらから能動的に絵本に近づかなければいけない。自分で文字をよみ、絵も見なくちゃいけない。ちょっと面倒くさい。
あるいは面倒とは思わなくても、文字をよむと理解できるから、それで絵本を理解した気になって、絵はサッと見るだけで次のページにいってしまう。能動的ゆえに内容の理解という成果、知性の喜びだけで満足してしまう。そういう理解の範囲で判断すると、物語の内容がシンプルすぎて物足りなく思う可能性もあります。ああやっぱり絵本て子どものためのものだな、と。
でも絵本には絵があります。〈絵をよむ〉喜びがあります。絵をじっくり見れば感じられることがたくさんある。それが〈絵本をよむ〉大きな喜びだと思います。しかも〈絵本て子どものためのもの〉の〈子ども〉は、単に子どもを人間の成長段階の初期の存在としてとらえて、〈幼い〉とか〈未熟〉としているのではないでしょうか。でも、子どもって人間の基本、はじめに子どもありき、です。で、この〈基本の子ども〉は大人になってもずっと残っていく。残るというか〈大人の私の素〉みたいなものとして、しっかり根を張っているものと考えたらどうか。そう考えて、絵本の言葉と絵を同時にうけとっていた当時の原初的で直接的な感覚、それを〈基本の子ども〉と呼びたいのです。
この〈基本の子ども〉は、実際に幼時によみ聞かせをしてもらったかどうかは関係ありません。言葉と絵を同時にうけとったという記憶や事実がなくてもいいのです。かく言う私がそうです。幼い頃に絵本をよんでもらったり自分でよんだ記憶がまったくない。忘れただけかもしれませんが、思い出せないのだから仕方がない。ではそれなのになぜ、〈原初的で直接的な感覚=基本の子ども〉を奨励できるのか。それは私が絵本を浴びたからです。大人になってから絵本に出会い、たくさんの絵本をよんだからです。大人よみですから当然、文字をよんだり絵を見たりの行ったり来たりです。でも気持ちを集中して絵を見ました。見続けました。すると文字をよんだあとでも同時的な感覚が出てきました。原初的で直接的な感覚を感じました。〈基本の子ども〉に会えた気がしました。なんだかとてもリフレッシュしました。
絵本とじっくりつきあうこと。絵をゆっくりよむこと。それによってこころが、からだが揺さぶられるのです。とにかく絵本の文章をよんでからゆっくり絵を味わう。文字で書かれた内容が、その画面の絵とどう反応し合っているか。文章にないこと/ものが、いかにその画面の世界をふくよかにしているかをうけとる。
絵本をよむことの醍醐味は、〈基本の子ども〉と連れ立って未知の世界に入り込むこと、原初から現在にいたるまでずっと続いている感覚に出会い、ふれること、だと思います。経験豊富な大人ならば、〈基本の子ども〉と〈大人〉の二頭立てで、その感覚世界をより広く遠く深くまで旅することができるのです。
その旅のガイドになればと思い、私はこの本にかかわりました。本文でもふれていますが、現代の絵本には、すでにスタート時点で、さまざまな分野のすぐれた才能が結集していました。その多彩な本気の結晶として、あまたの傑作、名作、痛快作、あるいは怪作が生まれ、脈々と現在まで続いてきたのです。子どもにも大人にも、つまりオールエイジに伝わるものとして。
そして今私は、その多分野の才能の新たな結晶を実感しています。継承しつつの新たな展開を感じています。絵本は、たしかに、豊かに、前進している。その手ごたえをお伝えしたくて、本書をつくりました。どうぞ、その豊かな世界にかかわっている、絵本のすぐれたつくり手とよみ手の饗宴をじっくりお楽しみください。
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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