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『映画の言葉を聞く 早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録』

ためし読み / 是枝裕和

最新作『万引き家族』が2018年カンヌ国際映画祭にてパルム・ドールを受賞した是枝裕和監督。この受賞と本作の劇場公開を記念し、2018年3月刊行の『映画の言葉を聞く 早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録』より、是枝裕和監督による単独での講義回2年分をもとに構成した「是枝裕和監督に聞く 学生たちの対話」、その抜粋版を特別掲載いたします。書籍『映画の言葉を聞く』にはこの記録の完全版はもちろん、是枝監督が聞き手を務めた細田守監督、西川美和監督、俳優の井浦新さん、写真家の瀧本幹也さんとの講義回も掲載。ぜひ『万引き家族』のご鑑賞と合わせてお読み下さい。

 

◇映画それ自体のリアルをつくる演出

学生:『そして父になる』以降、素朴に作風が少し変わったように思えたのですが、映画をつくることの楽しさや喜びというのはどこにあるのでしょうか。

是枝:やっぱりそれは集団作業の現場で何かを発見することかな。僕は自分自身で監督・脚本・編集を兼ねることが多くて、ときにはプロデューサーも兼ねることがあるんだけど、撮影中でも早く編集室に戻って作品を自分の手に取り戻したい、というようなことを考えていた時期があった。今はそういうことからは離れたかな。現場でいろんな意見を聞くことで、自分の中にあるものが更新されてくる感じが楽しいって感じにようやくなってきた。

学生:映画におけるリアリティとはなんなんでしょうか。現実に映画を近づけていくことで生み出すことができるものなんでしょうか。

是枝:現実に近い……それはちょっと違うかな。リアリティを持たせるためにはいろんな工夫をしてますが、たとえば『歩いても 歩いても』だとさ、東宝の撮影所に新しく作ったセットがあって、そこにあたかも何十年も暮らしているようにあの母親を見せるためにはどうしたらいいかってことを考えるのが、リアリティを持たせるべく考えることなんだよね。
ただ、よく「台詞を読んでいるんじゃなくて、フリーで喋ってるように見える」って言われることがあるんだけど、本当にフリーで喋ったらあんなふうにはならない。皆さんの暮らしを隠しカメラで撮ってもあんなふうになるわけじゃない。映画はだいたい二時間で見せなければならないものなので、現実の通りにするわけじゃないからね。

学生:もうひとつの現実を理論立ててつくるという感じでしょうか。

是枝:そうだね、そっちの方が近いかもしれない。理想としては、たとえば『海よりもまだ深く』なら、映画が終わった後もあの家であの母親が暮らしているだろうなって見た人が思ってくれること。たとえば台所の場面で、希林さんは冷蔵庫の前にある台所のテーブルの椅子に座ったとき、ポットはテーブルのどの位置にあって、振り返ったときに冷蔵庫の取っ手がどこにあるかを確認して、それらに見ないでも触れるような位置関係を微調整してきちんと把握しておくんですよ。やっぱり役者ってのはそういう身体感覚の一つひとつが大事なんだなと。

学生:『海よりもまだ深く』の台詞の中で「あれ」という指示代名詞が多く使われている印象を受けました。こういう言葉遣いはあまり他の映画では感じたことがないような気がします。

是枝:普通の日常での会話に寄せようとするとこのくらい増えるってことです。でも、これは僕だけじゃなくて、たとえば向田邦子さんの脚本とかにもよくあるよ。向田さんがすごいのは言い間違いまでもが脚本に書かれてることだよね。日常会話の中で先に何かを話題にしていて、別の話題に移ったときに、ついさっきまでの会話の断片が紛れ込むことってあるよね。たとえば先に靴下の話をしていて、次に食べ物の話に移ったときに「……で、靴下がさ、ああいやそうじゃなくて……」みたいな。向田さんはこういうものまで脚本化している。こういう脚本書きたいなって思う。
小説だと何かの描写をするときは、そのものの固有名詞を一度は書く必要がどうしても出てくると思うんだけど、映像の場合なら、たとえばコップならコップを映してさえしまえば「あれ」とか「それ」を使って会話することができる。僕は現場に入ったとき、脚本を見ながらそこにあるものを確認して、もし「コップ」だとか「茶碗」って台詞があったらそれを「あれ」とか「それ」に置き換えるようなことをしたりしています。そうすると皆さんが普段喋っている日常会話に少しずつ近づいていくんじゃないかな。

学生:映画監督には現場で怒鳴ったり、暴力を振るうことで役者から演技を引き出すようなタイプの方もいると伺っています。是枝監督はどのように振舞われるんでしょうか。

是枝:僕は怒らないけど、でも監督ってのは基本的にわがままなんですよ。そのわがままをどう通すかなんじゃないですか。そのために怒る監督もいれば、ごめんねって言いながら無理を押し通してしまう監督もいる。どっちもわがままには変わりないからね、良い悪いじゃないと思う。僕は殴ったりも怒鳴ったりもしませんが、ただ、自分が通そうとしているわがままがあくまで自分自身にしか関わらないようなものであれば、自然と人は離れてしまうと思う。その作品を良いものにしたいと考えてやるものでなければダメで、その上でそれが周りに負担をかけていることを自覚しておかないと。もちろん今でも役者に圧をかけて怒鳴っていじめて寝かさないで、普段と違うテンションの何かを引き出すような人はいる。それを否定はしないけど、僕はやらない。

学生:そうしたわがままを通すときに、少なからず現場が停滞することもあると思うのですが、そうしたときにはどのような解決策を採られますか?

是枝:それは知らないふりをするしかない。どうしても撮りたいんなら、自分のやりたいやり方を知らんふりして突き通すしかないよ。でも、人って殴られたり怒鳴られたりすると、殴られたくないし怒鳴られたくないってことしか考えなくなると思うんだよね。僕がアシスタントの時代はそういうことが普通だったんだけど、そうされると作品のことなんかどうでもよくなってしまう。こういう体育会系的なつながりを嫌悪していたので、自分が監督になったときに殴りもしないし怒鳴りもしないことを決めたんですよ。それは僕が人間的に良くできているという話じゃなくて、ただたんに人を怒鳴れないってことでもある。そういうことをやめて、いろんな人が僕に意見を言いやすい関係を作ってきたつもりなんです。そういうやり方のほうが映画を集団で作る意味があるなって気がしています。

 

◇社会性と映画祭

学生:最近の映画サークルとか学生映画界隈では、是枝監督の映画っぽく撮れば賞が狙えるという風潮が少なからずあるんですが、そのことについてどう思われますか。

是枝:どうすると是枝みたいだって言われるんだろうな……。君は評価されたい?

学生:いえ、僕はそうでもありません。ただ、賞などの絡む場では、ある種のアカデミズムというのか、こういう作品が良いという基準がなんとなくできあがってしまっている空気があって、それに疑問を持っているんです。そうした基準と作り手はどう向き合えばよいのか、そうしたことについてどうお考えでしょうか。

是枝:うーん、アカデミズムという言葉はちょっと違う気がするけど、いい質問かもしれないな。映画祭で評価される作品の傾向というのは確実にあると思いますが、僕の映画はむしろそういうことから遠いと思いますよ。もし海外映画祭とかで賞を狙うんなら、日本の社会とか政治とか歴史的な状況を、積極的にシリアスに取り込むほうがいい。二〇〇〇年以降、「今の日本映画には社会と政治がない」と言われることが多かった。その比較対象になっていたのはたとえば韓国映画だった。同時代の世界の作品と比べたときにそうした面が弱いってことは、自分が海外映画祭に行って感じたことでもある。ただ、実際の社会問題を扱うことだけが社会を描くことではないとも思うんだよね。僕なんかはそういうふうに批判されると天邪鬼になって違うものをつくりたくなる。やっぱりカンヌとかでストレートに評価される作品って、女性の権利の問題だったり、民族差別の問題だったり、ホロコーストの問題だったり、歴史的な重要性のあるものを題材にしたものだと思うんだけど、それ自体は悪いことじゃないと考えつつ、それが映画の今を更新するかどうかっていうことに、僕はむしろ疑問を持っている。

学生 やはり賞を獲るために作られた映画はダサいと思いますか。

是枝:いや、それは思いません。賞を獲ろうと狙って作ったのに獲れなかったらダサいかもしれないけど。なぜなら、現在はそういう狙いでしか映画をつくれない国がたくさんあるからです。国内のマーケットだけではお金を集められない監督がアジアにはけっこういて、そういう人たちはヨーロッパで外国のプロデューサーを見つけることで、国際映画祭で賞を獲れるような映画をつくっている。日本はいろいろありますが、少なくとも国内のマーケットがきちんと成立している国なんですよ。そこで撮らせてもらっている一人である以上、賞を狙って映画を撮る方々をそれだけで批判することはなかなかできないな。
僕の映画は世界中で興行として成立してはいるけど、大ヒットしているかといえば難しい。たとえば北米圏だと日本語の映画を見るっていう習慣がもはや根付いていないからね。韓国のパク・チャヌクとかポン・ジュノはもうアメリカ映画として自分の作品を撮っているけど、日本の監督でそういう形で成功している人はほとんどいない。自分も含めて、もっとチャレンジしてもいいんじゃないかな。たまに外国の大学に呼ばれて授業することがありますけど、そういうところの生徒のほとんど中国、韓国、東南アジアの方で、日本人はまったくいない。海外で学んで、海外で映像の仕事をしようとしている日本人は、ここ十年で激減してると思う。
そこには明確な理由があると思うんだよね。さっきも少し言ったことだけど、日本は世界でも珍しく自国のマーケットだけで映画の製作費をペイできる環境があるから。だから無理して海外に行かなくてもいいって思ってる人が多い。一方で韓国や中国はどうやって海外のマーケットに進出して、どうやって自国の映画産業を成長させるかってことに自覚的。こういう状況を見ると、おそらく十年後は市場が日本も含めて大きく変わると思いますよ。僕はそういう状況を外から見る機会もあるのでそのことに危機感を持ってる。でも映画業界のほとんどの人はそうじゃないからね。

 

◇映画に何を求めるか/映画で何をすべきか

学生:映画を通じて伝えたいことというのは、映画をつくる段階でどこまで意図して、どこまでを観客に委ねるのでしょうか。

是枝:難しいところだな。曖昧にしてるつもりはないんだけど、何か強烈なメッセージを届けるために映画を撮ってるかと言われたらそうでもない。映画に何を求めるかっていう話ですよね。やっぱり皆さんは人生の教訓を求めますかね?
いつも答え方に悩むんだけど、「この作品を通して伝えたかったメッセージとは何ですか」って質問がよくあるよね。実はほとんど日本でしか聞かれないことで、いちおう頑張って答えるんだけど、なかなかうまく伝わらない。たとえば『海よりもまだ深く』で、映画を観た後にどういう後味が残るかを目指したかというと、台風が過ぎた後に団地の芝生が綺麗だなと思ってくれたらいいなとは考えてた。映画館を出たら今までの風景がちょっと違って見えるようなものであればと。これってけっこうきっちりしたメッセージだと思うんだけどね。
どんな話であっても、人に興味を持ってもらうためにはうまく伝えられないといけない。それはテーマの重さとか、パーソナルな問題であるかどうかとは関係ないんじゃないですかね。日常生活と変わらない。その上でテーマ選びというのは、僕はテレビドキュメンタリー出身なので、『誰も知らない』くらいまでは社会的な関心事をどうやって作品に落とし込むのかというやり方で考えていたんですよ。でもこの作品以降、自分の母親が亡くなったことをきっかけに、個人的な問題や切実さといったものを、そのまま作品にするようになったような気がします。それが思ったよりも多くの人に伝わるんだなって実感したんですよね。

学生:是枝監督はテレビドキュメンタリーを出自にされていますが、今もしドキュメンタリーを撮るのであればどんな作品をつくろうと思いますか。近年では世の中の様々な動きに対して意見を述べられる機会も多くあるようにお見受けします。

是枝:社会的なことについて発言そんなにしてるかな……。憲法改正とか共謀罪とかね、責任のある大人として態度表明をする必要があればするスタンスではありますけどね。
いまドキュメンタリーをつくるとしたら……喋っちゃうと実現しないことが多いんで話したくないんだけど、ずっと調べているのは戦前の日本の映画人たちがどのように戦争に加担していたかってことなんですよね。どういう状況になると作り手というのは翼賛体制に埋没してしまうのか、そういう作り手の弱さを調べてみたいとは思ってる。誰かを吊るし上げるつもりはなくて、今ってそういう時代だからね。そういうことは学んでおかないと繰り返してしまうから。

学生:映画というのはやはり反権力的なものだと考えられていますか。

是枝:うーん、考えたこともないな。でも、たとえば今みんな国益って言うじゃん。安倍なんかは文化外交だって言い始めてるけど、はっきり言って非常に不愉快なんだよ。政治とか国家の地位を国際的に高めるために文化を利用する、そのためなら金出すよってスタンスって、要するに国益というものを映画や文化の上に置くって発想でしょ。本来的には文化行政ってどうしたら文化が豊かになるかを考えるものです。結果的にそれが国に利益をもたらすかもしれないけど、そのこと自体が目的になるわけじゃない。国益を第一にして作品を作ろうとすると、どうしても作り手は不自由になる。その不自由さとは戦っていく必要があると思うんだよね。
これって映画の話だからちょっと難しいところもあるんだけど、たとえばテレビはどうだろうか。今のテレビを見ていると、ほんとにどうしちゃったんだろなって思わざるを得ない。ほとんど政府の広報機関に成り下がってる。放送法ってあるでしょう。作り手でも読んだことない人がほとんどで、なんとなく放送の作り手たちを縛り付けるものだって思い込んでる人も多いんだけど、そこにはね、「報道は公権力と結託せず真実を追究しろ」ってことが書いてあるんだ。それが放送の第一義的な目的なんだよ。

 

◇映画監督にとって観客とは何か

学生:是枝監督にとって、観客というものはどのような存在なのでしょうか。映画を作る人のなかには、純粋に美学的な目的を有して作品を手がけている人もいれば、ビジネスとして割り切っている人もいると思います。そうした態度によって、観客の存在というのは作り手の方それぞれに異なったものになると思えるのですが。

是枝:僕は自分の作りたいものが作れれば誰も見なくてもいいとはまったく考えてません。映画はお金を払って見てもらうことで初めて成立するものなので、観客はすごく大事な存在です。ただ、どう意識するかってのは非常に難しい。僕が他人の映画を見たときに腹が立つのは、「これ、誰がつくりたくてつくってるんだ?」ってものを見たとき。もちろんそういう映画にはそれなりの需要があって、お客が来るからって理由だけでつくられてることもあると思うよ。でも、誰かが切実にその作品をつくりたいと思っているものに僕は感動する。だから自分もそういうものをつくりたい。

※全文は『映画の言葉を聞く 早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録』に収録されています。

映画の言葉を聞く
早稲田大学「マスターズ・オブ・シネマ」講義録

安藤紘平、岡室美奈子、是枝裕和、谷昌親、土田環、長谷正人、元村直樹=編

発売日:2018年03月24日

A5版・並製|472頁|本体:2,800円+税|ISBN 978-4-8459-1710-5


プロフィール
是枝裕和これえだ・ひろかず

1962年生まれ。映画監督、早稲田大学理工学術院教授。早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、1987年にテレビマンユニオンに参加。主にドキュメンタリー番組を演出。主なテレビ作品に『しかし…』(1991/CX/ギャラクシー賞優秀作品賞)、『もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~』(1991/CX/ATP賞優秀賞)など。1995年に初の劇映画長編『幻の光』を発表。第52回ヴェネツィア国際映画祭で「金のオゼッラ賞」を受賞。続く『ワンダフルライフ』(1998)も各国で高い評価を受け、インディペンデント映画としては異例のヒットとなった。2004年には『誰も知らない』がカンヌ国際映画祭公式コンペティション部門に出品され、同映画祭史上最年少の最優秀男優賞(柳楽優弥)を受賞。同映画祭同部門では2013年に『そして父になる』が審査員賞を受賞、そして2018年に『万引き家族』が最高賞パルム・ドールを受賞した。著書に『映画を撮りながら考えたこと』(ミシマ社)、『雲は答えなかった 高級官僚 その生と死』(PHP文庫)、『歩くような速さで』(ポプラ社)、対談集に『世界といまを考える 1/2/3』(PHP文庫)などがある。

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