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vol.10:選挙行かない奴しばき隊。石橋湛山・中篇

日本のプラグマティズム / 荒木優太

本連載は、『貧しい出版者』『これからのエリック・ホッファーのために』で、在野で研究することの価値と重要性を鮮やかに照らし出した気鋭の在野研究者・荒木優太が新たに取り組む、日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく野心的な試みです。市井の民たるわれわれのための、在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)、第10回目は、石橋湛山がプラグマティズムを極めていくに至る、可謬主義的政治観についてです。

 

 

夢みる普通選挙

湛山は有料というフィルタリングを用いることで秩序だった討議空間を実現しようとした。ただ、彼の普通選挙への情熱はより民主的な理想に燃えていた。市民が制限されない広い参加のかたちを夢みるのだ。
思えば、王堂は具体理想主義の政治的バージョンとして、代議制を考えていた。世の中いろんな欲望があるよね、整理しないと台無しだよね、代表いっちょヨロシク。例のアレである。
基本的には同じことを弟子の湛山も継承している。独裁制を否定し、日本の間接民主主義を充実させる。具体的には貴族やお金持ちじゃなくっても投票権をもてる普通選挙制の一層の実現を目標にしていた。

 

バイバイ師匠

ただし、王堂にはエリーティズムとみられても仕方ない哲人政治への期待があったことを忘れてはならない。いま一度引用してみれば、「賢人の一票も、愚人の一票も、一票である以上は其の間に価値の相違を全然認めまいとする信仰ぐらゐ、経験に反し、理屈に反した態度はない」[1918/285]。が、これはみな平しく投票権をもつべきだとする湛山のリベラル感覚からするとカチンとくる提言だったに違いない。というのも、難癖つけて投票に制限をかけようとする連中こそ、政治を我が物顔で独り占めする勘違い野郎どもだったからだ。
一票は一票なんで、エコヒイキなんてしません。たとえば、「最も自由の思想を抱けりと称せらるる人士さえ、尚十分に民衆主義の意義を暁らず、哲人主義ならぬも、少なくも賢人政治位の夢を抱けり」[1971a/347]のような文の一節には師・王堂へのあてこすりを読んでもいいのかもしれない。
弟子は師匠を超えていくもの。お前の背中は見飽きたんだよ。あのアナキン・スカイウォーカーだってダースベイダーになるのだ(ネタバレだぞ)。山口正が「対照的な見地」[2013/68]を読むように、ここには師弟といえども譲れない画された一線がある。

 

ダークサイドに堕つ

たとえば。大正元年、湛山は激昂していた。激おこの相手は、ロシアの『デスノート』こと、ドストエフスキー『罪と罰』を訳したことで有名な文筆家の内田魯庵。彼は、投票のための認印を忘れてきてしまったために、面倒だから投票せずに帰宅した小話をエッセイに書いていた。
そして、激おこ。これだから文学者ふぜいは困る。こういう連中の「超然として」「何か世の中を冷眼で見るという風な態度」にアコガレる心性、いわゆる冷笑家という奴に先手をうって、「呆れかえって、ものがいえない所存」とピシャリ。でもって、ものがいえないと書いた直後につづくは「若し日本国民に少しでも立憲的精神があるならば、正に氏の如きはリンチすべきものである」[1971a/227]
選挙行かないと、湛山にボコられる、ボッコボッコである。目の前の若者が選挙行かないとか言い出したら、行かないとぶっ飛ばすぞ、と脅してみよう。すぐにお縄頂戴で、ブタ箱にご厄介だ。
ようこそ、ダークサイドへ。ライトセーバーが赤くなるぞ(観たことないけどそれくらい知っているよ)。

 

結果を棄てたところに徹底なし

湛山が普通選挙にこだわったのは、代議政治が多数政治であり、「国民全階級の利害を代表せしむる」稀有な手段だと考えていたからだ。機会さえ与えられているのならば、仮に社会的公正を欠く選択をしたとしても、「直ちに之を自覚すると同時に、直ちに之を改善し得ること」が期待できる[1971a/319]
この可謬主義的政治観は、「議会政治は総ての場合に「総てか、然らずんば無か」の態度を許さぬ。常に妥協であり、譲歩であり、漸進」[1971b/196]という性格にも及んでいる。
湛山は戦前の好戦的論者に対して一貫して反対、または慎重の立場をとっていたが、社会主義者や文芸家に人気な一部の絶対平和論の夢想にも賛同しなかった。「世の中には何事も徹底と言うので、実際に実現し得ぬような改革意見を立て、それに合わぬと直ちに排撃する人達がある」が、彼らはそれでなにをしたいのだろう。正論で飾り立ててイイ子になったからって現実が改善されるわけでもない。それは本当の「徹底」ではない。「仮令形式は折衷でも、妥協でも、歩一歩或る目的に向って堅実に進む議論乃至運動こそ、真に徹底したもの」[1971c/110]なのではないか。
このプラグマティズム、もっといえば王堂の徹底個人主義が変奏された湛山版「徹底」は、改めて確認するまでもなく、漸進しか許さない代議政治への評価と正確に軌を一にしている。
とはいえ、晩年回想するところによると、「どうも僕の考えることは、世間の実際を知らずに勝手なことをいって、みずからの議論のすさびにしていたふうがあった」[1994/52]と、その血気盛んな若気の至りを反省することもあったようだが。

 

評論は象牙の塔説

湛山は政治評論を発表するだけでなく、一九四六年、実際に日本自由党の政治家として立候補した。結果は落選。が、第一次吉田内閣の大蔵大臣に就任する。……いまさらだけど、選挙負けてんのに大臣になれるってなんか不思議だよね。
いや、それだけではない。その一〇年後には、岸信介とライバルになるかたちで自民党総裁選に挑み、みごと勝利。総裁、内閣総理大臣の座にまで登りつめたのだ。プラグマ道も極めると総理大臣になれるのかも。
では、そもそもなぜ評論家が政治家になろうとしたのか。当時の文章では次のように述べている。
「私が実際政界に飛出して行っても、どれ程の事が出来るか、恐らく失望することが多いかと思いますが、何か自分の国民としての義務、若くは多年政治経済その他の問題を論じて来た立場として単に評論の、謂わば象牙の塔に籠って居るだけでは相済まない、及ばずながらもこの際政治の第一線に出て、国家、国民の為に微力を尽す必要があるのではなかろうか、という感じにだんだん強く襲れて参りました」[1970a/174]
なんてことはない、いかにも政治家が言いそうな面白みのない出馬宣言だが、評論を「象牙の塔」と述べているところに、少なからぬ驚きを覚える。というのも、師匠の王堂にとって評論とは「理論と実行との統一」であったからだ。
もはや湛山にとって評論なるものは、実行成分が薄い、水でのばしすぎたカルピスみたいなものだ。むしろ、白い水だろ的な。だからこそ、「批評のしっぱなしをやらずに建設的な議論もしていただきたい」[1970b/33]と、テレビのコメンテーターからどっかの市長になって調子のってる奴みたいなことも言い出す。よくもわるくもルビコン川を越えた者は、言いっぱなし、書きっぱなしの放言で満足することは許されないのだ。

 

[引用]

[1918]田中王堂『徹底個人主義』、天佑社。
[1970a]石橋湛山「衆議院議員立候補に際して」、『石橋湛山全集』第一三巻、東洋経済新報社。
[1970b]石橋湛山「日本再建の方途」、『石橋湛山全集』第一四巻、東洋経済新報社。
[1971a]石橋湛山「選挙権拡張の要義」、「唾棄すべき文士の態度」、「桂公の位地と政党政治の将来」、『石橋湛山全集』第一巻、東洋経済新報社。
[1971b]石橋湛山「政友民政以外の議員は大同団結せよ」、『石橋湛山全集』第六巻、東洋経済新報社。
[1971c]石橋湛山「世界平和同盟私案」、『石橋湛山全集』第二巻、東洋経済新報社。
[1994]石橋湛山『湛山座談』、岩波書店。
[2013]山口正「田中王堂の哲人主義――石橋湛山の民衆主義との比較」、『自由思想』131(11月)号、石橋湛山記念財団。

(第10回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年9月6日(木)掲載

貧しい出版者
政治と文学と紙の屑

荒木優太=著

発売日:2017年12月22日

四六版・上製|312 頁|本体:2,800円+税|ISBN 978-4-8459-1705-1