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vol.12:日和見主義と呼ばないで。石橋湛山・完結篇

日本のプラグマティズム / 荒木優太

本連載は、『貧しい出版者』『これからのエリック・ホッファーのために』で、在野で研究することの価値と重要性を鮮やかに照らし出した気鋭の在野研究者・荒木優太が新たに取り組む、日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく野心的な試みです。市井の民たるわれわれのための、在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)、第12回目はいよいよ石橋湛山篇ラスト。プラグマの長所であると同時に弱点にもなる特性に迫ります。

 

 

躓きの石

鶴見は湛山の小日本主義をプラグマ的に評価した。この指摘が、いささかピンとこない気がするのは、きっとプラグマがもっていた経験立脚的な実直さに反して、湛山の高邁な世界平和への理想が先立っているようにみえるからだ。いやいや、理想としてはまったくもって同意するんだけど、当時の連中にそれがプラグマティックな最適解だと理解させようとしても、
──(世界の列強国は)みんなやってるじゃん。
とか、
──もう始めちゃってるから後戻りできないよ。
みたいに言われて、理想家のレッテルを貼られてしまうのではないか。実際、湛山の提言は当時まったく受け入れられず、日本は歴史的な敗戦に向けてひた走っていった。
ここには、もしかしたらプラグマの大きな躓きの石があるのかもしれない。

 

給湯室でダメ出しするヤツ

プラグマティズムは決して理想(イデア)先導的に計画を立てるわけではないが、いまある現実の模倣反復、日常の単なる延長を促すわけでもない。間違えてもいい主義は少しづつ間違えを修正して正しさに近づこうとする。反対にいえば現状に対して確実に漸進のための変更を要求せねばならない。ハナっからダメ出しOKの姿勢で構えることが求められている。
怒りを、どっかーんと爆発させる大目玉雷親父と、給湯室にて皮肉なお小言で時間をつぶすお局様とでいったら、断然後者の方がプラグマっぽい。一発の爆発で怒りゲージを消費させることで早く帰りたい系部下のきみにはプラグマティズムはきっと向いてない。そして、ピーチクパーチクうるせーダメ出しができるためには、いまある現実から一歩二歩遊離して、到達すべき未来の視点からものを考えねばならない。

 

プラグマのアキレス?

けれども、その落差を衝かれたとき、プラグマティストは理想主義者のレッテルを貼られ、確固たる経験に立脚していた現実主義というお株は、自称リアリストの有象無象に奪われてしまうのではないか。
湛山の思考の背後には、向かうべき正しさへの強い信念があり、それは坊さんの息子という宗教的帰属が大いに関係しているようにみえる。が、そんなもの知らんがな、という自称リアリストが雨後のタケノコのようにわらわらと現れたとき、プラグマティストは果たして彼らに勝てるのだろうか。
少なくとも、間違えてもいい主義者ならば、
──たしかに、そうかもね。
と、自分の信念を点検するフェーズに入るはずだ。が、それは結局のところ外見だけみれば、過去の因習にずるずるべったりの体制順応派や日和見主義者と大差がなくなってしまうのかもしれない。この優柔不断、柔軟性、決めきれなさは、プラグマティズムの長所であると同時に弱点もにもなる諸刃の剣だ。

 

プラグマ総理短命の象徴性

石橋湛山は、一九五六年一二月二三日、内閣総理大臣に指名されたが、翌年、以前から行っていた全国への遊説行脚が体に障り、緊急入院。結果、そのとき総理大臣の座を争っていた岸信介に席を譲ることになった。在任期間はたったの六五日だった。
鶴見俊輔は、王堂や湛山といった例外を除いて、日本にプラグマが根づかなかったと憂いた。
湛山が内閣総理大臣にまでなったことをもって、それに反駁することは或いは可能かもしれない。ただ、それと同じくらい、結局は(健康上の都合とはいえ)長居できなかったプラグマ総理の存在は鶴見の主張を象徴的に補強しているようにも感じる。いいとこまでいくんだけど結局そこまでのやつだよね。イイ人なんだけどね、恋愛対象ってなるとね……。そんな声が聴こえてくるようだ。
が、いいとこなしだって、雑草のように生えているのが思想というもの。プラグマティズムも然り。次回からは有名人の湛山とはうってかわって、どマイナーなプラグマ教育評論家・田制佐重にフォーカスしてみよう。

(第12回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年10月4日(木)掲載

貧しい出版者
政治と文学と紙の屑

荒木優太=著

発売日:2017年12月22日

四六版・上製|312 頁|本体:2,800円+税|ISBN 978-4-8459-1705-1