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vol.13:シラーを訳してくれたよ。田制佐重・前篇

日本のプラグマティズム / 荒木優太

(イラスト/カワイハルナ)

本連載は、『貧しい出版者』『これからのエリック・ホッファーのために』で、在野で研究することの価値と重要性を鮮やかに照らし出した気鋭の在野研究者・荒木優太が新たに取り組む、日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく野心的な試みです。市井の民たるわれわれのための、在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)、第13回目は、本場プラグマティズム思想を翻訳し広めた在野人、田制佐重についてです。

 

 

あんた誰?

新たに構えた自宅に訪れた来訪者たちを、石橋湛山の妻、石橋梅子が、次のように回想している。「大杉潤作、田制佐重、波多野精一さんなどもたびたびこられた」[1972/7]。この真ん中に出て来るのが今回の主役、田制佐重である。
これでスケシゲと読む。が、色々な著書でのルビには「さぢゆう」とふってあるから、サジュウでもOKという説もある。タカアキでもリュウメイでもどっちでもいい系男子である。
が、しょっぱなから暗礁の予感。というのも、この田制という男、マイナーすぎてほとんどろくすっぽ研究されていないのだ。
稀有な報告の一つ、竹村英樹「田制佐重の教育社会学」によれば、一八八六年一一月二五日に山形県で誕生した田制は、新潟の中学教諭を経て、最初は翻訳家として、つづいて著述家として東京にて生業を立てる。戦後は早稲田大学の講師になって、主にアメリカの教育社会学を教えた。一九五四年一〇月三〇日、脳貧血で倒れ逝去。
ちなみに、竹村は田制研究貧弱の原因として、「田制は戦前において、在野の研究者であった。戦後になって早稲田大学で教鞭をとるが非常勤講師であり、大学人としてのキャリアのウェイトは少なかった」[1994/49]ことを挙げている。またも在野だ。

 

デューイに先行するシラー翻訳

プラグマ文脈で田制を眺めたとき、まず第一にデューイ的新教育論輸入に尽力したことを挙げるのが本筋だと思われるかもしれない。実際、田制は『民主主義と教育』を、一九一八年、『民本主義の教育』というタイトルで日本で最初に訳した翻訳者であった。トとノでずいぶん違う気もするが、分かりやすくしたかったのだろう。
勿論、デューイは田制教育論において大きなウェイトを占めている。が、それだけならば、もっとずっと有名人であるところの、教育学界のホアッシーこと、帆足理一郎を取り上げろよ、という声も聞こえてくる。或いは、現代日本プラグマティストの一人、河村望の熱心な読者ならば成瀬仁蔵とか(知らなかったらググってください)。
教育学徒たちがするだろう親切なアドバイスを華麗にスルーして、田制になおのこと注目するのは、彼がフェルディナンド・カンニング・スコット・シラーの文章を――独自に編纂した『プラグマティズム』という一九一六年の本で――やはり日本ではじめて翻訳出版していることにある。
シラーは本連載vol.05で一瞬登場した。ジェイムズのプラグマティズムをヒューマニズムと理解したイギリスの哲学者で、王堂のライバル、桑木厳翼が参照していた論者である。
田制にはデューイに限定されない豊かな翻訳の業績がある。だが、その多くはアメリカの教育学に関するものであり、シラー『プラグマティズム』は、読めば一目瞭然、教育学と直接の関係をもたない哲学的論文のアンソロジーである。このことが意味しているのは、田制の問題意識の底には、単なるデューイ屋さんという以上の、本場プラグマティズム思想の摂取と実践への意気込みがある、ということだ。
教育論に入る前に、田制訳シラーをしらを切らずに通っておくのが吉。

 

人間という巻尺

シラーはプラグマティズムをヒューマニズムと理解する。今日、ヒューマニズムというと、人道主義、要するに他人に優しくしましょう、といった道徳の標語として用いられることが多いが、シラー流ヒューマニズムにはこのような含意はない。
「ヒウマニズムは、あらゆる哲学上の立脚点中最も簡単なもの、即ちそは哲学問題は、人間の心意によつて人間の経験世界を理解せんと努める人間に関係するものなることを認知するに外ならぬ」[1916/19-20]
ある個人にとってはなにごともその個人を離れて存在するはずがないのだからそのことを肝に銘じおくべし、というのが、要は彼のいいたいことだ。
この特徴をよく表しているのが、古代ギリシャの論客プロタゴラスの持ち上げ方だ。
プロタゴラスは人間尺度説を唱えたことで有名。《人間は万物の尺度である》と聞けば、思い出す人も多いだろう。この言葉で表現されているのは、シラーに従えば認識の「主観的要素を力説」[1916/93]したことにほかならない。たとえ幻覚であっても、それを見た人にとっては実際に見たという事実は決して覆らない。ジェイムズの真理論にも共鳴する。
なのに頭の悪いプラトンは、プロタゴラスを、まことの真理ってものを理解せずいたずらに人を混乱させるソフィストだと括り、あまつさえソクラテスを一方にイイモノにした対話篇というスタイルのお話を書いてプロタゴラスを論破したつもりになっている。バーカ、バーカって言ってる。バカなのはお前だ!

 

ソクラテスだってソフィスト

ソフィストとは、よく詭弁家と訳される、ディベート大好きのロンパニヨンのことだ。ロンパニヨンとは、説得の論理だけが上手くって、何が本当に正しいのか実は大して興味をもっていないお喋りのことを指す、私の造語である。
汝自身を知りまくりの哲学の祖・ソクラテスと対照されることの多いソフィストは、なにかにつけて悪者にみなされがちだ。やれ説得ばかりに躍起になって真理の追究をおろそかにしているだとか、やれ自分の国(ポリス)に愛着をもたず方々で授業料という名目での金儲けをしているだとか。散々である。
そういう怪しいヤカラとは一線を画す(とプラトンによって描写された)ソクラテスは、しかし、考えてみれば、そもそも、若者たちをたぶらかして嘘っぱちをまことしやかに吹き込むソフィストとして都市アテナイで処刑されたのだった。お前も同じ穴のムジナじゃん? オナアナである。
だから当時のギリシャ人からしてみれば、ソクラテスがソフィストじゃないなんて思いもよらない見解に違いない。プラトンの筆のなせるわざ。というよりも、ソフィストを否定することで正統な《哲学》なるものが立ち上がったのかもしれないね、とは納富信留という学者の『ソフィストとは誰か?』って本の主張だった。

 

ソフィストの在野精神?

これと関係するかどうかは分からないし、田制がどこまでまともに受け取っていたのかも不明だが、シラーは次のような面白いことを書いている。
「ソフィスト一派は所謂教授兼記者であり、又一層現代的に形容すれば、『何づれの大学よりも羈束されざる大学教育普及講師』とも言ふべきもので、彼等は自から此の処世成功の要訣を伝授するものと公言した」[1916/89]
プラトンはアカデメイアと呼ばれる学園を創設した。おそらくは、これぞ軽薄なソフィストの金儲け授業とは異なる、正真正銘の正統な学校、と自負を固めていただろう。門構えができるころには一人ニヤニヤしてた、かなり危ない男だったに違いない。美少年も大好きだし。
しかし、ソフィストたちは学園に属さず、にも拘らずアカデミシャンたりうる。しかも、ジャーナリストを兼任する……え、これって正に、鶴見がささやかながら発掘し、王堂が学術論文からみると破格の格好とならざるをえない評論=試論の営為に見出した、在野の精神そのものなんじゃないか。
田制の初期翻訳は、大日本文明協会から始まった。これは早稲田大学総長の大隈重信によって一九〇八年に設立された民間の啓蒙的翻訳出版業団体で、ここから数多くの訳本が世に送り出されていった。田制がこういった在野性にどれほど自覚的だったかは分からない。が、プラグマにはたしかに在野の学問に通じる道筋がある。
デューイもまたソフィストという「出張教師」をその社会性において評価していたことを思い出してもいい[1918/381]
ちなみに、シラーを連想させる「人本主義」の語は、田制の昭和初期の著作『フアシズムと教育』のなかでも物心二元論の克服という方向の意味合いで用いられている[1932/144]。脳裏のどっかにずっとあったのかもね。

 

[引用]
[1916]シラー『プラグマティズム』、田制佐重編訳、早稲田大学出版部。
[1918]デューイ『民本主義の教育』、田制佐重訳、隆文館図書株式会社。
[1927]石橋梅子「思い出の記」、『石橋湛山全集月報』第一五巻、東洋経済新報社。
[1932]田制佐重『フアシズムと教育――厳正批判』、南光社。
[1994]竹村英樹「田制佐重の教育社会学――研究史および生活史から」、『日本教育社会学会大会発表要旨集録』46(10月)号。

 

(第13回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2018年10月18日(木)掲載

 

 


 

貧しい出版者 政治と文学と紙の屑
荒木優太=著
発売日:2017年12月22日
四六版・上製|312 頁|ISBN 978-4-8459-1705-1|本体 2,800円+税

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