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vol.18:フィードバック・トゥ・ザ・フューチャー。三隅一成・中篇

日本のプラグマティズム / 荒木優太

本連載は、『貧しい出版者』『これからのエリック・ホッファーのために』で、在野で研究することの価値と重要性を鮮やかに照らし出した気鋭の在野研究者・荒木優太が新たに取り組む、日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく野心的な試みです。市井の民たるわれわれのための、在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)、第18回目は、試行錯誤では終わらない三隅一成流・フィードバックについて。

 

 

現代チックな衣替え

アウトプット(結果)を鑑みてインプット(やり方)を変えるという、フィードバックの方法は、間違えながら前進する可謬主義の現代風の衣装替えだともいえる。三隅が知性の最初の段階として「試行錯誤」[1971/14]を読むのも道理である。
もう少し詳しく。三隅は自身の信奉する行動科学を、「例外」に出会って挫折し、そして試行錯誤のすえに突如としてでてくる「創発」(解決)という順序で理解している。これまでの方法が通用しなくなった例外に出会ったとき、どうしても人はアタフタしてしまう。ご愛用の流儀にしがみつくのも分からんじゃない。が、「一度、例外に逢えば、それ迄の解決は一応その道具性を喪う。役にたたなくなって、真理でなくなる」[1971/13-14]
そんなときに必要なのは、まずは資料蒐集、解決のために何が有効で何が無駄になっているのか……を知るためのデータ集めであり、すなわちこれが試行錯誤の段階に相当する。

 

創発とは何か?

が、三隅流フィードバックの場合、試行錯誤だけでは終わらない。次のように述べている。
「解決は科学の場合でも、単なる資料の堆積から生れるものではない。解決は一面においてエマージする(emerge)もの、創発するものである。創造されるものといっても差し支えない。このエマージェンシイの考は、英国の生物学者で哲学者のロイド・モルガンがその「創発的進化」(Emergent Evolution)で創唱したものである。これを米国のプラグマチスト(実用主義哲学者)が知性の観方に利用したものである。プラグマチスト達は協力して、一九一六年に「創造的知性」(“Creative Intelligence”)というアンソロジーを出版して、ドイツのカント流の認識論の再組織を叫んだ」[1971/14]
難しい言葉の解説から。創発とは、AとBが合わさったときにA+B以上のなにかが発生しちゃう、という不思議理論のキーワードだ。ダーウィンの進化論を背景として一九二〇年代のイギリスで提唱・継承されてきた創発理論は、功利主義論や自由主義論で有名なジョン・スチュアート・ミルの異結果惹起的法則に起源をもつとされる。ミルは事物の合成の法則を解説するさい、同質のもの同士では説明できないものができちゃう法則をこう名づけた。以降、多くの論者たちは、創発概念のプロトタイプをミルに求める。
こういった歴史を経て、『創造的知性』という本が刊行された。日本では一九四一年、清水幾太郎が、デューイ「哲学復興の必要」、アディソン・ムーア「論理学の改革」、そしてミード「科学的方法と個人としての思想家」という三篇を選んで訳出したバージョンを出している。
デューイはここで「知性は知性として生来的に前方注視の性質を持つてゐる」として、プラグマティズムの知性を、既存の(機械のように)拘束された目的性から解き放つ未来志向の知性、「創造的知性」と呼んでいる[1941/85]

 

錯誤のすえのブレイクスルー

迂回した。
いままで試行錯誤(トライアル・アンド・エラー)の方法を、間違いのポイント制、ポイント貯めて解決をゲットだぜ、といったような誤りの累積的なイメージで捉えていた。三隅にとっても、これはこれでリアリズムとしては大事。
が、三隅のいう行動科学には、この地味な作業を重ねるなかで次元を異にする解決がズババと到来するブレイクスルーの契機がある。それが創発だ。
不思議理論であるが、そう構えることはない。似たようなことを我々は既にパースから学んでいる。そう、前提を無視してアイディアがピカーンとヒラメいてくる、アブダクションである。アブダクションは知性における創発現象といっていい。
おそらく、創発的アブダクションの一瞬とデータ蒐集的試行錯誤の過程は、相互に支え合って成り立ってる。なんにもしないでデカい一発が来るわけではなく、細々と繰り返すトライアルの先にこそ正解が暗示的に現れる。なんとなく分かっちゃう。反対に、暗示された正解が本当に正しいかどうかは確証に乏しく、これもまたテストのなかでその有効性を見定めなければならない。

 

弁証法に非ず

正反合で進む「弁証法では、この例外に相当するものをチクリとお腹を刺す獅子児と考える」[1971/10]と三隅が書くとき、行動科学がもっている間違いに優しい性格が透かしてみえる。
弁証法は、ご愛用の方法が通用しない例外に対して、すぐさまアンチ、敵認定して、そいつをやっつけようとする。自分の軍門に下れ、と言う。それが進歩だと考える。こんなんだから革命理論にも利用される——ちなみに同じプラグマティストでも上山春平の著作『弁証法の系譜』は、実践の視点から論理を眺めるという点で弁証法(マルクス主義論理学)との近さを指摘したりするのだが、これはまた別のお話——。
けれども、行動科学は例外というものを、試行錯誤のプロセスのなかで受け止めて、創発のための糧として再利用する。自分を改め、再び世界に対峙する。「自己再組織〔セルフ・リオーガニゼーション〕」[1975/31]の機会に開かれている。
ちなみに、三隅はこんなことも書いている。
「日本の役人は前例のないことは恐くて何事をするにも石橋をたたく。これは例外を歓迎どころか嫌悪し排撃するものである。米国の銀行家は日本の銀行家とは逆に全く新しい事業の最初の年に喜んで投資する。これは例外を恐れないどころか、たのしむ訳である」[1971/10]
例外ウェルカムの態度は、三隅が憧れたアメリカの姿でもあったようだ。

 

[引用]
[1941]デューイ「哲学復興の必要」、『創造的知性』収、清水幾太郎編訳、河出書房。
[1971]三隅一成『芸術とスポーツと行動科学』、産業能率大学出版部。
[1975]三隅一成『行動科学と心理学』、産業能率短期大学出版部。

(第18回・了)

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年1月10日(木)掲載

貧しい出版者
政治と文学と紙の屑

荒木優太=著

発売日:2017年12月22日

四六版・上製|312 頁|本体:2,800円+税|ISBN 978-4-8459-1705-1