はじめに
感情のパワー
成功を収めている小説には、ジャンルを間わず、ひとつの共通点がある。それが《感情》だ。感情はすべてのキャラクターの意思決定、行動、言動の核となり、物語を引っ張っていく。感情がなければ、キャラクターが歩む旅路にも意味がなくなってしまう。支えを失ったプロットは、どうでもよい出来事が続く「水のない河」と化し、当然、読んでくれる人はいなくなる。
なぜだろうか? それは、読者が何よりも感情的な体験を求めて本を手に取るからだ。読者はキャラクターと心を通わせたいと考えている。単に楽しませてくれるだけでなく、キャラクターの立ち向かう試練がときに自分自身の人生の旅路にも意味を与えてくれるような、そんな体験と出会うためにページをめくっているのだ。
人間とは「感情の生き物」であり、それゆえに感情は私たちを駆り立てる。感情が私たちの選択を左右し、私たちが一緒に過ごす相手を決め、私たちの価値を決定するのだ。それだけでなく、感情はコミュニケーションを刺激し、人と重要な情報や信念をシェアすることを可能にしてくれる。
こうしたことはほぼ会話を通じて行なわれていると思いきや、ある調査によれば全コミュニケーションの実に93パーセントは非言語的なものだという。つまり、気持ちを表に出さないように努めている場面でさえ、私たちはボディランゲージを通じてなんらかのメッセージを発信し続けているのだ。ということは、人間には、言葉を交わさなくても相手の様子を読み取る力が備わっている、ともいえるだろう。
小説家として、私たちは観察力という生まれもったスキルを用いて、感情を文字に起こさなければならない。読者の期待は高い。彼らはキャラクターが今どんな気持ちでいるかを文字通りに教えられることなど求めていない。そうではなく、むしろ自分でその感情を体験したいと思っているのだ。そのためには、読者にわかりやすく、かつ続きを読み進めたくなるような方法で、キャラクターたちの感情の表れを描くことがカギとなる。
言語化された感情情報、非言語的な感情情報
セリフはキャラクターの考えや信念、意見などを表現する確かな手段である。だが、それだけにすべての感情的体験を盛り込むことはできない。
キャラクターの気持ちを上手に伝えるためには、セリフと同時に「非言語的な感情情報」を活用することが重要だ。これは、「外的なシグナル(ボディランゲージなどの動作)」「内的な感覚(本能的、生理的な反応)」「精神的な反応(思考)」の三つの要素にわけられる。
「外的なシグナル」は、人間が感情を体験したときに体が引き起こす反応のことである。気持ちが強ければ強いほど、体の反応も高まって、その動きは意識的にコントロールできるレベルを超えていく。キャラクターはそれぞれがユニークな存在であるから、一人ひとり、異なるスタイルで自分を表現するだろう。そんな各キャラクターの性質を、膨大な数に及ぶ「外的なシグナル」と融合させてみよう。そうすれば、ボディランゲージや行動を通じて、感情を無限に表現することができる。
「精神的な反応」は、思考プロセスの中継地点の役割を果たし、感情的体験とぴったり一致している。思考はつねに理にかなっているわけではなく、またものすごいスピードでひとつの話題から次の話題へ飛んでいく。感情を表現するひとつの手段として思考を用いるのは、キャラクターがどのように世界を捉えているのかを読者に知ってもらうにはうってつけのやり方だ。思考を通じて周りの登場人物、場所、出来事がキャラクターの視点に与える影響を描けば、ストーリーに厚みがもたらされる。また、キャラクターの考えをはっきり提示したいときにも有効な手段だろう。
「内的な感覚」は、非言語的な感情情報においてもっともパワフルな反応であり、同時に細心の注意を払って使うべきである。こうした生理的反応(呼吸、心拍、浮遊感、アドレナリンの急上昇など)は、むきだしで制御されておらず、闘争・逃避反応の引き金になる。体が引き起こす衝動的な反応であり、人間は誰しもこれを体験している。だからこそ、読者は根本的なレベルで理解することができるし、キャラクターと通じ合えるのだ。
内的な感覚の本質を取り扱うには、非常に気をつけなければならない。あまりにこればかりに頼ってしまうと、メロドラマができあがってしまうからだ。さらに、本能的反応には限りがあるため、文章にしながらうっかりお約束の言い回しを使ってしまうかもしれない。このタイプの非言語コミュニケーションは、わずかな使用でも効果が高いため、軽いタッチで書くことが必要とされる。
バランスをとること
さて、感情のパワーと、それが読者とストーリー及びキャラクターをいかにつないでくれるのかを理解するのは簡単だ。大変なのは、実際にうまく書き起こすことではないだろうか? どの場面も、気持ちを抑えすぎず、かといって過度に表現しすぎないバランスが必要になってくる。何より、感情の描写はフレッシュで、読者を引きつけるものでなければならない。つい同じ感情サインを繰り返し用いてしまいがちな書き手にとって、これは非常に難しい注文だろう。
『感情類語辞典』は、キャラクターの感情状態を表現するときに、新たなアイデアを引きだす助けとなってくれる一冊である。しかし、感情を描くときに陥りやすい、他の落とし穴についてはどうだろう? 次のテキストでは、ありがちな問題点に目を通し、克服していくテクニックを紹介しよう。
(略)
感情の書き方
よくある失敗につまづかないために
型にはまった感情表現をやめよう
満面の笑み
目にたまった涙が一粒頬を伝う
膝がガクガクする
文学におけるお決まりの表現というものは、非難されても仕方がない。なぜならそれは、なにか新しい言い回しを考えるのが面倒だからと楽な方を選んだ結果であり、惰性によってできあがった文章だと宣言しているようなものだからだ。しかし書き手は、定型表現が効果的だとわかっているため、ついそれに頼ってしまう。なにせ、満面の笑みが幸せをほのめかしているのは明らかだし、膝の震えが恐怖を表わしていることも確かだからだ。だが残念なことに、こうした表現は感情の幅まで考慮したものではないため、深みに欠けてしまう。一粒の涙から人物が悲しんでいることはわかるが、ではいったいどれくらいの悲しみを抱えているのだろうか? 鳴咽するほど? 叫び声を上げるほど? それとも倒れ込むほど? 五分後も泣き止まずにいるだろうか? 読者がキャラクターに共感できるように持っていくには、体験する感情の激しさまで伝えることが大事になってくる。
ある感情を書き起こしたいときは、自分がその感情を体験したらどう反応するか、自分の体で考えてみるのがよいだろう。たとえば興奮について描くとしよう。心臓がドキドキして、脈が速くなる。足どりは弾むし、普段よりも言葉がとめどなく溢れてきて早口になる。声は高く、大きくなる。このように、どんな感情でも、体の内側・外側にありとあらゆる変化が巻き起こる。それを表現すれば、キャラクターが感じていることが読者に伝わりやすくなるのだ。
本書に掲載したリストは、アイデアをもたらすのにぴったりの素材だが、書き手自身の観察力も同じくらい役立つ。だから、ショッピングモールで人間観察をしてみるのもよし、あるいは映画のキャラクターに注目してみるのもよし、とにかく人々を見てほしい。そして、困惑したとき、圧倒されたとき、イライラしているとき、人がどのように行動するのかメモをとろう。どうしても顔の表情にばかり目がいきがちだが、体のほかの部分からも読み取れることがあるはずだ。その人の声や話し方、態度や姿勢も見逃さないように。
もう一点、自分が描くキャラクターについて熟知しておくこと。歯磨き、運転、夕飯の支度といった平凡な行為ひとつとっても、人それぞれ取り組み方が違う。感情となればなおさらだ。怒っているときに、誰もが叫んだり、物を投げたりするわけではないだろう。中には冷静に口を開く人もいれば、完全に黙りこくってしまう人もいる。あるいはさまざまな理由から怒りを隠し、うろたえてなどいないそぶりを見せる人も多いのではないだろうか? キャラクターがどのような気持ちでいようと、その人らしさが出る感情表現を心がけよう。そうすれば、これまでに見たこともないような心揺さぶる文章が、自然とできあがるはずだ。
(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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