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柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記

ためし読み / 柳家喬太郎

 

成田空港の出発ロビー

 

二〇一七年十一月十四日。
僕、柳家喬太郎にとって初めての海外。
出発の朝、不安だらけな気持ちです。
まさか自分がヨーロッパにまで行くことになろうとは。
この旅、うまく行くのだろうか。
海外で僕の落語は受け入れられるのか。

気がかりがもうひとつ。
とても大事な仕事。
帰国後、半年しないで初日を迎えるお芝居。
井上ひさし作、ラサール石井演出の『たいこどんどん』。
この僕が井上ひさし先生の代表作に出るのです。
しかもW主演のひとりとして。

この二つの案じ事を抱きながらの出発なのです。

ところが、なんでしょう、自宅に近い池袋から成田まで、せがれとかみさんと一緒で、ちょっとした小旅行気分。初めて成田空港に行くということにちょっぴり楽しさを覚えている。おかげで少しだけヨーロッパへの旅の不安が薄らいできたような……。
いやいや、気のせいだ。この感情の揺れ動き、やはりいろいろ心配なんです。
そんな気持ちで成田空港の出発ロビーに着きました。

旅の仲間は、二ツ目の春風亭正太郎くん、長年ヨーロッパの落語公演をコーディネートしている通訳業のドイツ人クララさん、いろんな落語会を企画しているざぶとん亭ババさん、写真家のムーチョこと武藤さん。
僕以外はみんな海外の旅には慣れている。
頼りにしてますよ、皆さん。
まずは出発の記念写真をと、出国直前にムーチョの撮ったその写真を見たら、意外 や、僕の顔が笑って写ってるんですよ。
笑ってるとは言っても、〝もうこれジタバタしてもしょうがねえや〟って、そんな顔なんです。
高座に上がる前、どんなに落語が未完成で、〝稽古が足りねえよ〟という状態でも、 出囃子が鳴ってしまうと、〝しょうがない、出なくちゃな〟ということがよくある。
この時もそういう笑顔。
ムーチョの写真は、ウソつかない。

出発間近の落語会では、この噺を聞いて入門しようと思った、うちの師匠さん喬の『井戸の茶碗』もかけたし、思い残すことはない。

そんなこんなで始まったヨーロッパへの旅。
揺れる気持ちのままです。

でもふと横を歩く正太郎くんを見たら、気分が変わり始めました。彼が自分の手荷物のほかに、ちょっと大きめの鞄を抱えていたんです。
その中身は、座布団、緋毛氈と、めくり一式。
紛失すると落語会ができないからと、機内に持ち込むのだそうです。偉い! おかげで僕も少しずつ前向きに……。彼を相手に会話をしていると、普段の気持ちに戻れます。

出国前の手荷物検査とボディチェック後、出した手荷物を鞄に詰めるテーブルで、

「 正太郎、なんかこの机、スーパーでレジを通って袋に買った物を入れる机みてぇだな」
「 まあ、そのようなもんです」
「 地方の落語会なんかで高座にする机な」
「 脚をしばってつなげてね」

次の出国審査の列に並びながらも、

「 正太郎、あれだろ、あそこの〝吉原大門〟のところでもって、髭をはやしたおじさん が『あの野郎たち五人で入ったのに、帰りが三人とはおかしい』とか調べてんのか?」
「 まあ、そのようなもんです」

春風亭正太郎くん、ノリが良くって助かります。

出国審査を済ませたら、もはや国外みたいなもんなんですね。免税ショップの煙草の安いこと安いこと。ムーチョがさっそく買っている。
僕が初めて免税ショップで買ったのは、腕時計。
普段使っている懐中時計を忘れちゃいましてね。成田に着いたら旅の仲間全員が腕時計をしているのに気がついた。そう言えば、持ち物リストにも書いてあったし、腕時計は必要だよって教えられていたことを思い出した。旅慣れぬ初心者として、ここはルール通りに準備せねばと思った次第。
腕時計を免税店で買ったなんて言うと、何万円もするブランド? なんて思ってらっしゃいません?
残念でした、千五百円也。
立派に動く。これで充分。

そうこうしてたら出発時刻。
僕らを乗せたスカンジナビア航空は飛び立つのです。
不安な時は、とっとと寝ちゃおう。
さらば、日本よ。待ってろ、ヨーロッパ。

構成=馬場憲一 写真=武藤奈緒美

(このつづきは、本編でお楽しみ下さい)
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柳家喬太郎のヨーロッパ落語道中記
柳家喬太郎=著
発売日:2019年03月26日
四六判|248頁|定価 1,900円+税|ISBN 978-4-8459-1816-4
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プロフィール
柳家喬太郎やなぎや・きょうたろう

落語家。1963年東京生まれ。
日本大学商学部卒業後、書店勤務を経て89年に柳家さん喬に入門。前座名は「さん坊」。93年、二ツ目に昇進し、喬太郎と改名。2000年、真打昇進。
01年彩の国落語大賞、05〜07年国立演芸場花形演芸会大賞、06年芸術選奨文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)ほか。

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