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2019.06.20

vol.25:お姉ちゃん力炸裂。『思想の科学』の周辺A。

日本のプラグマティズム / 荒木優太

気鋭の在野研究者・荒木優太が日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく連載「日本のプラグマティズム」、お待たせしました、約3ヵ月の執筆期間を経て待望の再開です。いよいよ大トリ・鶴見俊輔に照準を合わせていざ進め。市井の民たるわれわれのための、在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)、第25回目からは雑誌『思想の科学』周辺を検証する新シリーズがスタートです!

 

名前が重苦しい人に学ぶ

さて、鶴見俊輔の「マチガイ主義」から出発したこの連載も少しずつ終着駅が見えてきた。最初に断っておくが、トリは鶴見に担当してもらう。小難しいことを言い出したのだからぜひともその責任くらいはとってもらうべきだ。ピヨピヨ(トリだからピヨピヨいってるのである)。
が、そんな鶴見も決してたった一人で一人前のプラグマティストとして屹立していたわけではなかった。静かな水面に石を投げるとそこを中心に同心円状の波紋が幾重にも描かれる。鶴見の周りにはプラグマっぽいのがぐるぐる彼を取り巻いていた。
その紋の形状を『思想の科学』系と名づけてもいいかもしれない。というのも、戦後、鶴見が思想家として出発して己の地歩を固めていくホームベースとなったのがまさしく『思想の科学』という雑誌であり、戦前にアカデミズムのなかで馬鹿にされていたアメリカ思想を見直し、積極的に紹介するつとめを果たしたのもその誌面上でのことだったからだ。
もともと、鶴見とプラグマティズムとの出会いは、アメリカ留学以前の一六歳のとき、古在由重『現代哲学』でのプラグマ解説を読んだことにさかのぼる。
古在はその本のなかで、ドイツ的なものと呼べるような学風に触れ、日本のアカデミズムがそれを無批判的に引き継いでいると考えた。反対にアメリカ的なものは浅薄と斥けられ、学外にポイッ。捨てておかれた。アメリカ的なものを受け取ろうとしたのは学者ではなくむしろ市民の方。「哲学者の頭脳のうちに『ドイツ的なもの』が支配してゐるときに、市民の生活様式のうへには『アメリカ的なもの』が蔓延している!」[1946a/101]という言葉には、後の、日本人はプラグマティズムをきちんと受け取ってこなかったという鶴見的総括の雛形がある。ピヨピヨ(雛だからピヨピヨいってるのである)。

 

姉ちゃんと思想誌

アメリカでパースやジェイムズのプラグマティズムを学びとった鶴見が、日本に帰ってきて第一に取り組むことになったのが、雑誌『思想の科学』の創刊であった。
『思想の科学』は、英米系の思想紹介と大衆文化の再評価を主たる路線として立ち上がり、以後、相異なる立場を擁して互いにぶつかり合う多元主義の媒体として多くの言論を戦後の世に送り届けた。『芽』という後継誌だと気づかせない不親切タイトルになったこともある紆余、中央公論社という大会社から出ていたこともあったのに天皇制特集号という政治的にアブナイ橋を渡ったすえ出版関係決裂に至った曲折、そんなジグザグ走行を経て一九四六年から一九九六年までつづいた長寿誌へと成長した。
ちなみに、第八次まである。すごい。『新思潮』(そういう文芸誌がかつてあったのである)とかもそうだけど、途中で仕切り直したくなったりしなかったんだろうか。三号雑誌の諸君は三顧の礼を尽くすべし。
ただし、この雑誌計画は、鶴見俊輔の姉である鶴見和子が弟にもちかけたものだった。もともと鶴見一家は祖父が政治家の後藤新平、父が政治家で作家としても有名な鶴見祐輔という超エリートの血筋。カネもあればコネもある。カネコネ。和子は弟とともにアメリカに留学し、マルクス主義に関心を寄せつつデューイに関する修士論文で卒業していた。
その内容は簡単にいうと、デューイもいいとこまで行ったけどマルクス主義的にいうとマダマダだよね、というデューイ批判だった。『思想の科学』創刊号に発表した「デューヰ社会哲学批判の覚書(1)」では、デューイ哲学が「社会改良主義」[1946b/33]であることに少しばかりケチをつけている。
改良で何が悪いか、と思わず反射しがちだが、筋もののマルクス主義者からすれば大いに悪い。敵をやっつけろの階級闘争もなければ一発逆転の革命もない。ガチの政治主義からすれば、あくびがでちゃうしろものだ。

 

IT社長かよ

続篇になる「覚書」でも、和子はデューイ平和論における経済問題への慧眼を認めつつも、その制度変革という解決において、歴史のなかに法則性を求めない「歴史不確定論」、これにもとづく道徳的な「個人の意志」を頼みにしすぎる甘さを鋭く衝いている。曰く、「方法論の中に個人起業家の資本投資に於ける心理的過程を彷彿とするものがある」[1946c/82-83]
社会変えるとか息巻いてっけど、ちょっとしか変わってねーじゃん、IT社長かよ、みたいな話である。
利得を重んじるプラグマティストが儲け主義によって批判されるのは、ジェイムズからつづくちょっとした伝統芸のようなものだ。とりわけ、マルクス主義との相性はすこぶる悪い。修正だとか日和見だとか改良だとか、プラグマティズムが大事とする価値観は、ことごとくマルクス主義者がその生半可な志のもと斥けてきた革命の敵であった。
プラグマティズムの改良は、マルクス主義の革命のように社会のゲームボードをひっくり返したりしない。むかし将棋やオセロで負けが見えてくると、盤をひっくり返して、気分転換に外行こうぜ、とか言い出す友人がいたが、マルクス主義者はああいう手合いと同じくらいタチが悪い。少しずつ修繕し、しかもその担い手は自由な(とされる)個人にたくされるのがプラグマ。思想界の優等生だ。が、個人に裁量権があるのは結構なことかもしれないけど、意識だけ高められても困りもの。その単位だと確実に捨て置かれる大きな問題、たとえば国家や経済の諸制度をどう変えていくか、に関してだいたいのプラグマティストは不得手というほかない。

 

[引用]
[1946a]古在重人『現代哲学』、三笠書房。
[1946b]鶴見和子「デューヰ社会哲学批判の覚書(1)」、『思想の科学』五月号(創刊号)。
[1946c]鶴見和子「デューヰ社会哲学批判の覚書(2)」、『思想の科学』八月号(第二号)。

 

(第25回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年6月27日(木)掲載