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vol.27:意味の迎合。『思想の科学』の周辺C。

日本のプラグマティズム / 荒木優太

(イラスト/カワイハルナ)

気鋭の在野研究者・荒木優太が日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく連載「日本のプラグマティズム」。市井の民たるわれわれのための在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)第27回目、今回も『思想の科学』の周辺から、「ただある、ということに耐えられない」わたしたち人間がややもすると陥ってしまうブラック・プラグマの危険性まで。

 

三段階だから似たようなもの説

敗戦直後の鶴見和子にとって、プラグマティズムとマルクス主義は水と油のような関係をもっていた。龍と虎でもいいし、トムとジェリーでもいい。とまれ和子だけではなく、まあ普通はそう考える。が、やや違う思考の筋道を発見した学者もいた。『思想の科学』でもたびたび健筆をふるうことになる上山春平である。
上山の主著の一つ『弁証法の系譜』は、特にパースのプラグマティズムとヘーゲルの哲学から派生したマルクス主義に重要な共通点を見いだす。どちらも「弁証法的方法」を引き継ぐ兄弟である、というのがその骨子だ。「弁証法的方法」とは、「直観的方法と分析的方法を統一する方法」[1996/178]のことである。
うん、なに言ってんだお前。
こういうふうに理解すればおおよそ間違っていないだろう。直観とは、そのまま観るということ、よくよく考えてたどり着いた認識ではなく、普段通りの認識のことだ。対して、分析とは、ここでいう「よくよく考えて」みることだ。反省して吟味することだ。
ぎりぎり終電に間に合い、夜もふけた帰宅途中。街角の煙草屋には今日も婆さんが座っている。結構なことだ(直観)……ん、いや、待てよ、あの婆さんおととし死んで葬式も挙げたじゃないか……しかもこんな時間……あいつ誰だ?(分析)……まさかの怖い話である。
さて、「弁証法的方法」とは、ここにおいて恐怖に負けずに、あの幻のような婆さんの正体がなんだったのか実際に確かめてみる、という方法を指す。その結果、幽霊だったことが分かるかもしれないし、まさかの双子の姉だったことが分かるかもしれないし、そもそも煙草屋なんて現実にはなくて単にブラック勤めで疲れ切った自分の脳内が生み出した幻覚だったことが分かるかもしれない(これが一番怖い)。とまれ、これにて「直観」と「分析」が「統一」される。
この三段階を上山は、マルクス主義の場合では正(テーゼ)・反(アンチテーゼ)・合(ジンテーゼ)と解するが、これと並行するようにパースの論理学にも仮説・推論・検証という三つのステップがあって大まかにいってそれぞれ対応しているよ、と考える。

 

鬼畜★人間魚雷

これがマルクス主義の、またプラグマティズムの正当な読みなのかどうかは知らない(なんだかアヤシイ気もする)。
上山は鶴見俊輔の『アメリカ哲学』を読んでパースを知ったという。これに後続する上山パース論や、並行するプラグマティズム関連の翻訳仕事も重要だが、それ以上に、プラグマティズムの格率は上山の実人生にとって大きな基準を与えたようにみえる。
一九二一年、日本の植民地だった台湾で生まれた春平少年は、一六歳のときに西田幾多郎の『善の研究』に出会い、哲学に魅せられていく。一九歳のときにカント『純粋理性批判』のなかにあるカテゴリー論──難しすぎるので解説は諦めた、各人頑張ってくれ──と格闘し、情緒不安定になった結果、首吊り自殺を試みる。なんとか未遂に終わった。翌年、京都帝国大学の哲学科に入学するが、戦争の影がすでに忍び寄っていた卒業後は海軍に入隊、特攻隊に配属され、九死に一生を得る。回天という人間魚雷として自爆必至で突撃する悪夢のような任務だった。
上山は『深層文化論序説』のなかで次のように述べている。
「当時、戦局がしだいに急迫し、学生も兵隊として召集されはじめた。しかも学徒兵は、もっとも戦況の厳しいところに立たざるをえないような状態であった。それは、日常の生活の中から突然そういう死を決したところへ、なにかのイデオロギーの力を借りて飛び込むというふうな形ではなかった。ずるずると、底なしのすり鉢へずり落ちていくように、しかも、自分で決断したような恰好で落ちていく。そして、いよいよ自分がはっきり死を賭した行動にはいる前に、なんとかその行為の意義をみつけたいという強い気持ちが湧いてくる」[1995/303]

 

武将の血が流れている?

上山と同じ隊に和田稔という男がいた。訓練中に行方不明となり二三歳の若さで逝去。軍隊生活中の日記をまとめた『わだつみのこえ消えることなく』という本がのちに出版された。
上山は残された日記の記述から、和田が自由主義や個人主義にシンパシーを抱きつつも、自分の家が楠木正成──鎌倉時代末に活躍した名将──の血筋を引いているために、その子孫として恥ずかしくない死に様を望んでいたことに注目している。この手の話はだいたい嘘くさい。家系図があったとしても、果たして信用に足るものかどうか。が、上山はその疑念コミコミで、彼の信念がその行動を支えていたことを無碍にできない。
「いよいよ死を覚悟しなければならない状況に追いつめられたときには、「軍国主義者」とか「国家主義者」といわれた人々のアイドルであった楠正成に自分を同一化することで、心の安らぎをえようとしている。その態度を、戦後的な観点から冷笑的に扱おうと思えば、いともたやすく扱えるけれども、少なくとも私には、そのようなことはできない」[1995/306]
一見、頭が悪い、つまりは事実に適していないようにみえる言葉にも、そこにはなんらかの実益にかなった意味がある。ここで働いているのは、正しく言葉の意味を結果=効果に求める、プラグマティズムの格率ではないだろうか。
自分を(半信半疑ではあるが)楠木正成の血族のなかに位置づける……すると決死の状況のなかでも「安らぎ」が得られる。そういう状況性を離れて一方的に審判して得られた正しさに、果たして誰が救われるというのか。

 

ブラック・プラグマの予感

が、にも拘らず、やはり和田の例を批判的に考えることは避けられない。とりわけ、日本のプラグマを捉えようとする上では。
プラグマティズムでは、そもそも人間魚雷などという馬鹿げた作戦を実行するのは止めよう、という根本的なツッコミが出ない。《そうはいっても~》とか《現実問題~》とかにけおされて、その種の提案が理想論扱いされてしまうからだ。石橋湛山のときに既に学んだ。いや、それ以上にプラグマは使い方次第では、理不尽な状況に慰安を与えて、テキトーな意味をでっちあげて、反抗の牙をことごとく折っていくブラック体制強化の方便にもなりえてしまう。
意味がないのに結果だけがある、単にある。人間はそう考えたがらないという習性を、プラグマは忘れがちなのではないか?
人間、意味がないとやってけない。ただある、ということに耐えられない。自分の仕事がなにか大きな世界につながっているのだと信じたい。が、その「信じたい」が先走れば、意味の方が言葉に迎合して、空疎なようにみえるスローガンが周囲の人間や自分自身に過酷な命令を科してくる。
戦時中の《八紘一宇》はどうだったか。アルバイト紹介サイトにある《本当のキミに出会える》は。政権が発する《再チャレンジ》は。そして「楠正成」は?
鶴見和子が警戒していた大きな歴史や構造からの視点の欠如は、彼女の反省に反して、やはりクリティカルだったといわざるをえない。

 

[引用]
[1995]上山春平『深層文化論序説』、『上山春平著作集』第六巻収、法蔵館。
[1996]上山春平『弁証法の系譜』、『上山春平著作集』第一巻収、法蔵館。

(第27回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年7月25日(木)掲載