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vol.31:不良、測量の国へ。鶴見俊輔・前篇

日本のプラグマティズム / 荒木優太

気鋭の在野研究者・荒木優太が日本のプラグマティズム受容を歴史的にたどり直していく連載「日本のプラグマティズム」。市井の民たるわれわれのための在野の方法論追求の遥かなる道(脱線あり)。第31回目は、いよいよ真打ち・鶴見俊輔の登場です。鶴見はパースの哲学を愛したが、在野研究者であったパースが生業としていたのが測量士という仕事で、そのキャリアが実は鶴見にいろいろなものを与えていた、というお話から。
(荒木さんの新編著『在野研究ビギナーズ──勝手にはじめる研究生活』(明石書店)は好評発売中!)

 

 

不良アコガレ

面倒くさい先輩類型の一つに、オレも昔は悪かったんだぜ式の武勇伝之助がいる。地元じゃ負け知らずとか、一人で十人を相手に喧嘩したとか、勢い余って学校の窓ガラスを割ったとか、要するに、盗んだバイクで走り出したはいいけれど、そのままハロワに行って無事就職、結婚して子供も二人できました、みたいな連中がもっている、不良=個性と勘違いした見栄を多分にふくんだノスタルジーのことである。不良マウンティング。
鶴見俊輔という思想家には、伝之助のきらいがある。鶴見の種々の回想録のどれをめくってみても、十代の自分がいかに悪かったのか、不良少年だったのかの話に終始している。劣等生で落ちこぼれだったやら万引きを繰り返したやら。年上女性との不純異性交遊ほのめかし、自殺未遂等々、なかなかのツワモノである。
鶴見は一五歳のときにアメリカに留学するが、その理由というのが余りに非行を繰り返すので、勘当されたに等しい(と本人が自覚している)ものだったため、伝記の話の都合上、避けて通るとなぜわざわざアメリカに行ったか意味不明になってしまうのだ。

 

総理大臣の名前を貰う

だから、自然、不良話に花が咲く。後年、学校で一番をとること、時局の変化という抜き打ちテストに応じて我先にリベラルになったり熱烈な愛国者になったりする節操のなさに、日本的インテリの限界を読んだ鶴見は、これを「一番病」[2004/19]と名づけて痛烈に批判する。不良の過去の吹聴はこれへの反発から来ていると解釈することもできるだろう。
勿論、鶴見がただの伝之助だったとは思われない。そもそも祖父・後藤新平、父・鶴見祐輔の超エリート一家のご子息だ。名前だって、初代総理大臣・伊藤博文の改名以前の名「伊藤俊輔」[2004/29]から採っているのである。プレッシャーがすぎる。いまでいうと、筆者が荒木晋三になるようなものだ。プレッシャーがすぎる、というか、最悪である。
吹聴以前に、品行不良の数々の振る舞い自体が、ある種の反動であるかのようだ。母親の厳しい愛ある教育もあって、もうちょっと限界っす、という気持ちは分からんではない。だから、鶴見の伝之助が喋り出すとき、そこには不良話で威圧してやろうという魂胆よりも、両親の期待に応えられなかった情けなさとエリート主義から抜け出せたほのかな自信が混ざり合ったアンビバレントな調子があるように思われる。
それ以上に上野俊哉は、アンビバレントな伝之助に可謬主義、鶴見が訳すところの「マチガイ主義」に通じる性格を読んでいる。つまり、「ワルぶっている者」とは自分の悪に対する自覚をしているのであり、「意志的に偽悪を通して生きなおす」ことで「マチガイ主義は裏切りや転向に対して寛容にな」り、「単に許容するのではなく、その意味を探り、次の動きに活かそうとする」姿勢に通じているのだ[2013/35]。転向とはマルクス主義を信じて革命のために頑張っていた運動家が色々あってヤーメタとなる転機のこと。一貫してるのがカッコイイとされた非転向英雄観から距離をとって、様々な曲折の経緯をまとめた鶴見の有名な仕事に『共同研究 転向』がある。
その可謬主義は、勿論、アメリカのプラグマティズムによって理論化されたものだった。少年はアメリカに渡る。

 

パースの門

都留重人という経済学者のすすめもあって、鶴見はプラグマティズムの門を敲く。チャールズ・W・モリスのプラグマティズムの講義を受け、さらにはクワインという、知る人は知っている有名な哲学者との一対一の個人講義のなかでパースを読んだ。卒論にはジェイムズを選ぶ。プラグマ三昧だ。が、前にも述べたように敵性外国人として留置所にぶち込まれてしまう。いわゆる臭い飯である。といっても、「おもにスパゲッティか、マカロニで、私が牢獄の外で食べていたものより良質だった」[1971/11]らいしいが。
捕虜交換船で還ってきた日本は、戦争のまっただなか。海軍に志望し、翻訳仕事をこなすなかで書き進めたのが、初めての著書になる小著『哲学の反省』であり、終戦後、『思想の科学』創刊、京大人文研への就職を経てまとめられた初期代表作であるところの『アメリカ哲学』である。ちなみに、初期鶴見の文章は日本語がヘンだ。《パースは~》と書くところはだいたい《パースわ~》となっている。自分でもコンプレックスに感じていたようだ。
『アメリカ哲学』はパースを厚く扱っている。これは画期的なことだ。というのも、日本でのプラグマティズムの研究は、難しいパースを回避してわりあい理解しやすいジェイムズやデューイから始まるのが常であったからだ。「プラグマティズムについての真面目な勉強は、なんとしても、まずパースの門をくぐらなくてはならない」[1991/15]となかなかの意気込み。
鶴見がパースを愛するのは決してその主張内容に限ったことではなかったはずだ。パースは哲学を自身の職業にしなかった、というよりも、できなかった在野研究者だ。では、なにで食ってたかというと、アメリカの海岸の測量士という技術者として働いた。
このキャリアが鶴見に与えたものは思いのほか大きい。鶴見はインテリの「一番病」を批判する代わりに、大衆の知性を擁護し、『思想の科学』でも上坂冬子や佐藤忠男や加太こうじといったアマチュア評論家を輩出できたことを誇りにしている。その背後には、たとえば働きながら自分の研究活動をやめなかったパースの人生への深い畏敬の念があったに違いない。「もし彼が大学に職を与えられて、五十年もぶっつづけに学生たちに向かって哲学史の講義ばかりしていたとしたなら、横紙破りの哲学は彼から生れなかったかも知れぬ」[1991/20]。ビリビリ(紙を破っている)。

 

測りながら考える

もう一つ、パースの仕事が測量であったことは、鶴見のプラグマ観にちょっとしたヒネリをもたらした。プラグマティズムのよくいえば柔軟性や臨機応変、悪くいえば節操なさや非体系性は、「ものさし」として使うための必須の特徴であるという理解だ。コレがデカいといえるのはアレに対してデカいからで、この「対して」というのがなくなってしまえば絶対不変の基準が屹立するが、プラグマはそんなのは認めない。
「アメリカ大陸というものに渡ってきたとき、ものすごくでかいところだから、イギリス人はとても困ったんだ。そうすると、まず測ることがビジネスになるわけ。大陸を測ることが、何十年もつづく国家的事業になる。パースの親父はそれのボスで、息子のパースもそれで食っていたんだ。解雇されたけど。ミードも測量で食っていた。ヘンリー・デイヴィッド・ソローだってそうだ。測り屋なんだ」[2007/132]
ソローとは、大自然のなかでアウトドア生活はじめちゃいました系の古典である『森の生活』の著者だ。彼ともう一人の有名な先行者にエマソンというのがいる超越主義は、プラグマと相通じるアメリカ発の思潮である。ソローもミードも、測量士として働いていたことがある。
測るという動詞は、すこぶるアメリカ的だと鶴見は考える。というのも、アメリカとは発見の遅れた新大陸であり、大きすぎてその全貌が測りかねるところだったからだ。だからこそ、開拓精神(フロンティア・スピリット)を鼓吹するところでもある。
プラグマはそういった歴史の浅い──鶴見和子がマルクス主義に劣るプラグマの弱点として大きな歴史観のなさを挙げていたことを思い出そう──大陸的条件のなかで求められ、つちかわれてきた思想だ。ものの意味をそれ自体としてあると考えるのではなく、測ることを通じて出てくると捉える。実験主義も同様で、「これが真理だとすれば、どういう実験でそれを確かめられるのか」という問いの立て方は「もともとは測量の計画」なのだ[2007/132]。「目安」や「物差し」にプラグマの本髄を求める[2002/28-29]

 

心のフロンティア再び

鶴見は、なぜプラグマが日本に根づかなかったのか、と問うた人だった。ある意味、彼は自分でその答えを出してしまっている。即ち、島国日本とアメリカとでは地理的条件が違うから。マッチポンプ完了である。
プラグマが自身の存在理由を見つけるには、測量が求められるような未知なる土地(テラ・インコグニタ)が必要。だから日本には向かないのでは? けれども、鶴見が卒論に選んだジェイムズは一見測量と関係ない。が、それでも測量的なのだと彼はいう。これはジェイムズが心理学者でもあったことと関係している。つまり、「それは“self”の測り方なんだよ。自分の内部の測り方に非常に関心を持っている」[2007/132]
えっ、そんなこと言い出せばもうなんでもいいのでは……とツッコミをする手をぐっとおさえて、ここは鶴見に従おう。清水幾太郎も述べていたことだが、内面という未開地によってもプラグマが起動する。ならば、ランキング好きな日本人にできないはずはない。ふるくから細密な日本地図だってこしらえてきたのだ。伊能忠敬サマサマである。測ることにかけちゃ負けちゃいない。それなのに、どうしてプラグマに希望が見出せないのだろう。考えを深めるためにはもう少し鶴見の思索を追っていく必要がある。

 

引用文献
[1971]鶴見俊輔『北米体験再考』、岩波新書。
[1991]鶴見俊輔『アメリカ哲学』、『鶴見俊輔集』第一巻収、筑摩書房。
[2002]鶴見俊輔『読んだ本はどこへいったか』、潮出版社。
[2004]鶴見俊輔『戦争が遺したもの──鶴見俊輔に戦後世代が聞く』、新曜社。
[2007]鶴見俊輔『たまたま、この世界に生まれて──半世紀後の『アメリカ哲学』講義』、編集グループSURE。
[2013]上野俊哉『思想の不良たち──1950年代 もう一つの精神史』、岩波書店。

 

(第31回・了)

 

この連載は月2回更新でお届けします。
次回2019年9月26日(木)掲載