脚本を作らず現場でキャストやスタッフとともに物語を生み出し、自身の作品の中で子供たちに別の映画を作らせるなど、映画の制度に挑戦する作品を制作してきた諏訪敦彦監督。そんな諏訪監督の書き下ろしエッセイや過去に行なわれたインタビュー、同時代の作品に対する映画評などを収録した『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために──制作・教育・批評』が現在、発売中だ。今回、同書の補足資料として諏訪監督の商業デビュー作『2/デュオ』で好演を見せ、次作『M/OTHER』で主演を務め、監督最新作となる『風の電話』にも出演している渡辺真起子のインタビューを掲載。諏訪監督との出会いや協働の様子、撮影の現場で何を考えていたかなどを語ってもらった。また『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために』を読んでの思いや、渡辺にとっての映画という存在の価値などについても尋ねた。
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――『2/デュオ』が渡辺さんと諏訪監督の初めての仕事かと思います。この作品は脚本がなく、俳優が即興によってシーンを作り上げています。渡辺さんがオファーを受けたタイミングで既に、即興で演技を行うことが決まっていたのでしょうか?
渡辺真起子:私がオファーを受けたタイミングでは脚本がありました。
そもそもこの作品に出演するきっかけとなったのが、音楽家の梅林茂さんが監督された『Mogura』という作品で。この作品は、『2/デュオ』や『M/OTHER』を手掛けられた仙頭武則さんがプロデューサーで、配給が『2/デュオ』と同じビターズ・エンドなんです。『Mogura』をやった後、この人たちとまた仕事をしたいと思ったんです。
ずっと俳優を職業にしたいと思っていたんですが、美術大学で映画を専門的に学んだわけでも、演技の勉強をどこかでしてきたわけでもなく、モデルの仕事をしていること以外、自分が頼れるものがなくて。それで、自主的にビターズ・エンドの事務所に顔を出すようになって、ただ顔を出すのもなんだか手持ち無沙汰で、読ませてもらえる脚本ありませんかって聞いてみたんですね。そこでもらったのが『2/デュオ』の脚本だったんです。
――諏訪監督から声をかけられる前に、脚本を読んでいたということですね。
渡辺:そうです。でも脚本を貸してもらった場に諏訪さんもいらっしゃいました。脚本はとても面白く読みました。読ませていただいたので、感想を伝えなければと思いつつ、脚本を返すためにビターズ・エンドに行ったんです。なんだかんだ話しているうちに仙頭さんやエグゼクティブプロデューサーで美術の磯見俊裕さんたちに「出る気はある?」って聞かれて。もちろん「やります!」って答えました。後から聞いたら、私が戻ってきたらキャスティングするって決まっていたみたいで。
――諏訪監督はビターズ・エンドの事務所で渡辺さんのことを見て、印象に残っていたということなのでしょうか?
渡辺:どうなんでしょうね? ただ、諏訪さんとはその時が初対面ではなくて。企画が流れてしまったんですが、実は福岡芳穂監督の作品のオーディションで会っていたんです。諏訪さんは、その作品で助監督をやる予定で。オーディションでは、諏訪さんが相手役をやってくれました。行儀が悪い話なんですが、台本に書かれているセリフが恥ずかしくて、笑い転げちゃってお芝居どころじゃありませんでした。驚くことに結果は合格でしたが、残念なことに作品は流れてしまいました。ただ、諏訪さんはそのことをよく覚えていたみたいです。
――『2/デュオ』以前に接点があったことは知りませんでした。正式に出演が決まった後は、どのように進んでいったんですか?
渡辺:スタッフもキャストも皆いたので、顔合わせか打ち合わせの時だと思うんですが、撮影に入るまであまり日にちがない中で、「脚本はなしでいきますが、いいですか」と告げられたんです。そこで初めて即興で演じることになったんですが、私個人としてはとても楽しみで。私、10代の後半からモデルの仕事をしていたのですが、ドキュメンタリー的な撮影をする現場もあったんですね。「じゃあ、撮ります」ってキメる前や後を撮るようなものです。その現場のドライブ感が好きで、自分が自由に動けるもののほうが、表現が強いのではないかと感じていました。あと当時、コマーシャルの仕事もたくさんいただいていて、自由にやってくださいって言われることが多くて。作り込まれたものよりも俳優にとって自由度が高いもの、即興で演技できる機会があったらいいなと思っていました。あと、ドキュメンタリー作品に興味がありましたし。よく考えると「ドキュメンタリーに出たい俳優」という、つまり俳優じゃなくてもいいじゃない私みたいな、感じなんですが(笑)。そんな私に、やりたいと思っていた即興での演技をやらせてもらえる場が与えられたわけなので、「やった、ラッキー!」って思いました。
――では、即興で演じるということに恐怖心はなかった?
渡辺:セリフに関しては、現場に入る前「即興でしゃべるのはいいんですけど、その言葉の責任は誰がとるんですか? 私がしゃべった言葉によって、私が裁かれてしまうことはあるんでしょうか?」と諏訪さんに聞いたんです。表現としての私の言葉を、私の本心だととられてしまう可能性もありますよね? だから、その責任は誰がとるのか知りたかったんです。そうしたら諏訪さんは「責任は僕がとります」と言い切ったんです。それで不安も解消されました。
――その言葉によって、俳優と監督との間に信頼関係が結べたわけですね。『2/デュオ』は、柳愛里さん演じるユウと、西島秀俊さん扮するケイというカップルの関係が変容していく様子を描いた作品ですが、とにかく個々のシーンの緊張感に驚かされます。
渡辺:現場もずっと緊張感がありました。まず初日にフィルム全体の三分の一が回っちゃって、出来上がるのか?という緊張感が現場に走りました。フィルム足りるのかって。
初日にフィルムがかなり回っちゃったのは、俳優もスタッフも即興で進めることは納得したものの、何がOKなのか判断できなかったからだと思うんです。諏訪さんも、初めから即興で撮る予定ではなかったので混迷していて。でも、初日の出来事で緊張感が良い方向へ向かい、関係者全員の「作品を完成させたいという思い」が強くなったように思います。その緊張感のある現場と、そこで過ごす日々が、映画に強度を与えたんじゃないかな。
――渡辺さんは、柳さん演じるユウの友人役を演じられています。ユウの精神が不安定になっていることが外在化するユウとケイの家での食事会の場面などに出られていますね。
渡辺:あそこは、柳愛里さんが刃物を持っているという点で、緊張感がありますよね(笑)。という冗談はさておき、先ほども言った通り、あのシーンに限らず現場はいい意味での緊張感がずっとありました。
あの場面で私は、ふたりの時間とは無関係な時間を持った人であるということを意識しました。ふたりの緊張感に飲まれてしまうと、あのシーンが単に不安に包まれた場所になってしまうのではないかと思って。ふたりの演技に引っ張られて、自分の役割を見失ってはいけないと思っていました。だから諏訪さんに撮影の前に、「私はこのふたりの現在の状況を知らないんですよね?」とか「久しぶりに会うんですよね?」といった質問をしていました。
――お話を伺っていると、渡辺さんは冷静な態度で現場にいらっしゃったんですね。ご希望されていた即興での演技を実際にやってみていかがでしたか?
渡辺:冷静だったかどうかはわかりませんが、楽しんでいました。ただ、アンサンブルは難しかったです。先ほどのシーンでいえば、ふたりの現在の関係が徐々に見えてくるわけなので、私は帰るに帰れなくなっちゃうんですよね。だって、友達が不安定な状態になっていたら、普通帰れないじゃないですか。柳さんの芝居が狂気に向かっていけばいくほど、その場から帰れないという気持ちになってしまいました。その場面でも、諏訪さんや共演者との話し合いがあって。確か、柳さんが「じゃあ、もう少し私が演技を抑えればいいってことね」と納得されて、最終的にその場をつくる条件が整い、あのような場面になっていったと記憶しています。
いろんな即興のやり方があると思いますが、諏訪さんの作品では、関係性の中で生まれてくる感覚を大切にしていました。キャストやスタッフ、そして撮影しているシーンとの関係性を掴んでいない中で演じると浮いてしまう。だから、自分のやりたい芝居をただ出すだけでは駄目で。いくつもあるアイデアの中から、目の前の状況を考えながら、選択していかないといけない。俳優にとっては、自分の感情を解放していいのか悪いのか常に判断しなくちゃいけない状況で、その判断が難しかったです。ただ、少なくとも俳優陣は、台本がないぶん、解放しすぎちゃったらマズいという認識を持っていたように記憶しています。なんでもできるからこそ、解放しすぎちゃうと、お客さんから遠い話になってしまうかもしれないと思いました。私は今だからこそ、こうやって言葉にできますが、諏訪さんの中には撮影している当初から、そのような考えがあったように思います。
――元々即興で行う予定はなく撮影の初日は混迷していたという諏訪監督ですが、撮影が進むことで冷静にジャッジを行えるようになっていったということでしょうか?
渡辺:『2/デュオ』の時は、毎日頭を抱えていたように記憶しています。作品をどこに着地させればいいのかを考える、怒涛の日々の中にいたように思います。私も含め、全員がそうだったわけですが。
ただ、私と西島くんのふたりだけで演じる後半の喫茶店の場面では、キャストもスタッフもみんな、自分が何をやるべきか自分自身で考える『2/デュオ』の作り方に馴染んでいたように思います。
あの場面では、諏訪さんと西島くんが共犯関係をもっていて、私が仕掛けられる側でした。この本(『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性ために──制作・教育・批評』)の中にも書いていますが、「一回お店を出て、お金を置きに戻ってくるっていうのはどうですかね?」って諏訪さんから提案されて。「その気持わかります」と伝えて、その提案に乗っかったんですね。私の役がどんな人なのか観客に伝わると思って。
これは本には書かれていませんが、その場面でカメラマンのたむら(まさき)さんに、「マッキー(渡辺)は、お店に戻ろうとして、どこに立つんですか?」って聞かれたんです。どういう意味なのかわからなかったんですが、「あそこですかね」って答えると、西島くんの奥で、ふと考えを変えて財布を探っている私の姿が映るような位置にカメラ置いたんですね。「面白―い」と素直に思うと同時に、なんだか映画的な空間に感じられ、感動しました。皆が怒涛の日々を過ごす中でも、たむらさんは冷静に客観的に楽しみながらこの映画に関わっていたんだって思いました。
たむらさんや助監督だった大崎(章)さんなど、スタッフの方々も本当に積極的に作品と向き合っていました。だから撮影が進むと、みんな「これは、私たちの映画です」って言うような状況になっていきましたね。基本的に映画って監督や主演の人以外、「私の映画」って言いにくいというか、言えないことがほとんどだと思うんです。でも、諏訪組では言えるのかもしれないって思えて。「私たちの映画」だからこそ持ちうる表現力があると信じられますし、それは今でも変わりません。
――たむらさんのお話、初めて聞きました。『2/デュオ』の後、渡辺さんは『M/OTHER』で再度、諏訪さんとタッグを組みます。諏訪さんは自著『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性ために』の中で、「『次の映画もまた一緒にやろう』と約束した渡辺真起子を主演とすることから始まった」と述べています。
渡辺:諏訪さんがどう思っているかはわからないんですが、『2/デュオ』は本当に幸運な映画で。多くの映画祭に招待されましたし、私たちも皆で映画祭に参加したりしました。そんな状況の中で、「もう少し、諏訪さんの側で映画を作るということが知りたい」と思い始めて。
『2/デュオ』に参加する以前から、俳優以外で映画に関わるあらゆることをもっと知りたいと考えていたんです。諏訪さんたちと映画を作る前に、ロッテルダム国際映画祭を訪れたことがあって、映画は作る人と見る人だけで成立しているんじゃなくて、紹介する人や評論する人たちがいて、映画を作ることや上映することにはいろんな可能性があることを知りました。いろんな関わり方があり、俳優とは違うかたちで自分の好きな映画と関われるかもしれないと思えて。そんな思いがあったので「諏訪さん、次の作品、スタッフでもいいんで、ご一緒させていただけません?」と確か電車の中で伝えたんです。やると決めていた俳優という方向ではなく、漠然とではあるけど興味のある場所へと向ってみるのもいいのではないか?と感じて。そうしたら諏訪さんも受け入れてくれて。今思えば、私は気が弱くて「主演にしてください」とは言えなかったんでしょうね(笑)。
――(笑)。結果的に渡辺さんが主演になるわけですが、撮影までどのように進んでいったのでしょうか?
渡辺:台本を書くかどうかなど、『2/デュオ』とどのように距離をとるのかという部分で、諏訪さんはいろいろと考えることがあったんだと思うんですよね。そんな状況の中で私は、諏訪さんと2週間に1回ぐらいお茶をするというようなことを1年ぐらい繰り返していて。正直に言って「諏訪さんの中でことが動いていないな」というふうに感じていたんです。それは、私にとっても辛い時間で。物語を想起させるような何かが私にはないのかな?と思ってしまって。もちろん、そのことは諏訪さんには伝えてはいません。
最終的に「これから1カ月でことが動かなかったら、この企画はなしで」と、確か仙頭さんに言われたんです。その後、諏訪さんの中でどんな変化があったのかはわかりませんが、企画が動き出して。そこからはスムーズに進んでいきました。