『男らしさの終焉』 | かみのたね
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2020.04.02

男性性の危機

現代の男性は常に危機にある。なぜなら、他人よりも上回っていたいという男性の衝動は、啓蒙主義以降の現代世界の中心的な概念、すなわち人間はみな平等であるという思想にそぐわないからだ。やっかいである。

このアイロニーは男性性が不安定になる状況をよく示している。平等と技術の進歩と人権に関する現代の取り組みは、昔から男性が肉体で行ってきた物理的な支配を狙い打ちにしている。人類がうまく生き抜くために必要だった脳には、だいぶ前にあるプロセス(現代性と民主主義)が設定されたが、それは古い男性性と合わないものなのかもしれない。男性支配とそれが生み出す文化は、肉体的な強さが知恵や感性や知性を打ち負かす太古の時代に始まった。人間が大きくそして強くなろうと進化した結果は、現代というコンピュータや自動化した工場やロボット戦争の時代になっても見られる。この世界のことを思うなら、何十万年にもわたる進化の結果について、立ち止まって考えた方がいい。私たちが向かっているのは、そういう時代なのだ。体が小さくても繊細な男性を増やさなくてはいけない。ギャレス・マローン〔イギリスの合唱団指揮者、テレビ番組が有名〕を今すぐ精子バンクに連れて行こう。

ここで繰り返しておきたい。男性は、変化にメリットがありそうな場合、ジェンダーの問題に参加する。うまく力のバランスを取ろうとすると、さまざまな人がさまざまな感情を抱くことになる。ある人はフェアだと感じても、剥奪だと感じる人もいる。社会は男性を励ましながら、「ずっと苦しかったですよね。あなたは男性の大きな体で、支配したり守ったり与えたり、立派にやってきましたけど、時代は変化しています。みんなは今でもあなたを愛していますが、もうあんなことはやめてください。他のことをして楽しみましょう」と言わなくてはならない。こう提案しても、サッカーファンにサッカーより編み物を楽しもうと言う場合のように、拒絶されるかもしれない。男性性の大部分は時代に合っていないが、だからと言って簡単にお払い箱にはできない(したいが)。私たちには男性の絶えず動き続けるエネルギーをうまく利用する創造的な方法が必要なのだ。

ハンナ・ロージンによれば、アメリカでは職業を15種類に分類したうち、男性が大きな割合を占めるカテゴリーは、コンピュータエンジニアと用務員の二つだけで、その割合は今後十年でさらに増えるという。中国では、2015年に女の子100人に対して男の子は118人生まれた。発展途上国では女の子より男の子が生まれるのを望む古い考えが廃れつつあるし、経済が現代化し発展するにつれて、女性のスキルの方が今の時代の経済に望ましいことが明らかになっている。子供であれ大人であれ、男性は変わらなくてはいけない。平等な社会やメンタルヘルスのために、そしてデジタル時代を生き抜くために。

男性性の危機を叫ぶ議論には、今後も続き、どの時代にも妥当な「自然な」男性の権利を主張する声がある。気高い獣が、現代という時代に困惑している男性からは程遠いターザンのような叫び声をあげ、女性化した男性たちを救いよみがえらせる気でいるのだ。このような男性のビジョンは、冒険家のベア・グリルスやサバイバルの達人のレイ・ミアーズらのテレビ番組に登場する。彼らは野生の世界で生きる術を教えてくれる。鹿の死骸の皮を剥いだり、枝で小屋をつくる方法を教えてくれるのだ。私は彼らがロンドンで手頃なフラットを探し回ったり、子供たちのために立派な公立学校の手続きをしている姿を見てみたい。これらこそ、21世紀のサバイバルスキルである。

大惨事への準備や、自給自足の生活への回帰は、新しいことではない。男性は昔から、極限の状況に備えるかのように過剰な装備をする。昔であれば、振りかざすわけでもないのに凝った剣や、胸壁に囲まれた風格のある家。現代であれば、5秒で時速100マイルに加速できるくせに乗り心地が悪く荷物の収納スペースのない車や、15キロは痩せられそうなビール腹の男が乗る7キロ(価格は1万ポンド)の自転車だ。こうした商品からわかるのは、それを買ったのは、生命を脅かす危険とハイレベルな競争に直面しているような男だということだ。

私はタンザニアのような場所を車で走っているところを想像する。そこは、現代の男性たちが、進化で必要とされた本能(プライド、テリトリーを守る執念、狩のスリル)のカスを使い切るアリーナだ。車を運転するとき、他のドライバーは見えなくなる。どう運転しようとしているかわからない。車に何かされた場合、私たちはそのドライバーの判断に怒りを向ける。怒れる男は他のドライバーに怒りを向け、続いてテリトリーの攻防が起こり、最終的にはクラクションや喧嘩という、いくらか独断的に自分のラインを維持する行為が行われる。

男性性が危機にあるという考えは少しも新しくない。歴史を見ればわかる通り、男性のあり方に疑問を呈し、それが受け入れられるというサイクルは、何度も起きている。第一次大戦中、集団的な「シェル・ショック」が発生したことで、メンタルヘルスの専門家たちは、自然に精神を回復する能力を男性は生まれつきもっているという考えを再考しなくてはいけなくなった。それより前には、機械の普及と産業革命のせいで白人男性は身体的に弱くなったと言われた時代があった。それから二百年後、今度はその産業が衰退したことで弱くなったと思われている。17世紀の後半という昔でも、男性性の概念は、内戦、資本主義と植民地主義の拡大、初期の女性解放運動により打撃を受けた。男性の性役割とは条件づけられた感情と振る舞いの組み合わせであるため、男性の性役割を定義する特徴や範囲がずっと変化してきたことは、驚くことではない。男性性の概念が社会と技術の進歩に逆行する点は、昔も今もおそらく変わらない。男性性はノスタルジーとつながっているようだ。これについては後で述べる。

では、男性はどこへ向かうのだろう? どこへ向かうべきなのか? 知人の男性の多くは、自分たちのことをフェミニストだと言うと思う。ただ、私のマッチョな懐疑心が、フェミニズムはあらゆる政治思想と同じく、男性がすべてにおいて正しくなれる新たな機会を与えてしまうと言っている。とりわけ、別の男性をこき下ろすことにつながるとしたら、男性は惹かれるのではあるまいか。男性はリーダーだと思われることを好むが、今の女性にとって、そういう考えは最もどうでもいいものである。男性がフェミニストになりたいならば、ジャーナリストのヘレン・ルイスが『ガーディアン』紙に書いた記事を読むべきだ――

「簡単だ、モップを手に取ればいい」

 

(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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男らしさの終焉

グレイソン・ペリー=著|小磯洋光=訳

発売日:2019年12月25日

四六判|208頁|本体:2,000+税|ISBN 978-4-8459-1830-0