わたしは、インターネットをホームグラウンドにしている言語学者だ。オンラインでわたしの前を通り過ぎていくインターネット言語の果てしない創造性を見るたび、その成り立ちを理解したくてうずうずしてくる。なぜ絵文字はこんなにあっという間に市民権を得たのだろう? 年代によって電子メールやテキストメッセージでの句読記号の使い方がこんなにちがう理由は? どうしてミームに使われる言語はこんなにも不可思議なことが多いのだろう?
同じ疑問を持っているのは、わたしだけではない。オンラインでインターネット言語学について書きはじめたとき、簡単な記事ひとつでは答えきれないような質問が読者からどんどん押し寄せた。そこで、わたしは四方八方のカンファレンス(学会)に顔を出し、研究論文を読みあさって、自分でもいくつか調査をしてみた。そうして、多くの疑問には答えがあることに気づいた。その答えは、たったひとりのインターネットのネイティブ・スピーカーが握っているわけでも、どこかひとつの場所にまとまっているわけでもない。そして、あなたがどれだけ言語学に造詣が深いとしても、楽しく読めるような形式にはなっていない。そう、だからこそ、わたしはこの本を書いたわけだ。
言語学者は、わたしたちが日常的に生み出す言語の背景にある無意識のパターンに興味を持っている。ところが、ふつう、言語学では書き言葉はあまり分析の対象にならない。分析しようとしているのが、ある言語の歴史に関する疑問であり、手元にあるのが文書による記録だけ、というなら話は別だけれど。最大の問題は、書き言葉というのはあまりにも計画的で、何人もの手が加わっていることが多いので、ひとりの人物のある時点での言語的直感へと帰結させるのが難しすぎる、という点にある。でも、インターネットの書き言葉はちがう。それは未編集で、ありのままで、見事なくらい日常的だ。そして、わたし自身、本書の一つひとつの章を書き終えるたびに再発見させられたように、インターネットの書き言葉に潜むパターンを分析していくと、人間の言語全般についての理解まで深められるのだ。