インターネットの書き言葉を分析するのが便利な理由は、もうひとつある。話し言葉の分析なんて、悪夢そのものだからだ。第一に、話し言葉は口から出たとたんに消滅してしまう。注意して聞いていても、記憶違いはあるし、聞き漏らしだってある。それなら音声として録音すればいいのでは? ここにも、第二の問題がある。相手を録音室まで物理的に連れてくるか、レコーダーを常に携帯しておく必要があるのだ。録音に成功したとしても、第三の問題が立ちはだかる。音声の処理だ。会話を言語分析に使える形へと文字起こしするのに、1分間の音声記録につき、訓練を積んだ人でも1時間はかかる。全体的な主旨を書き起こし、また最初に戻って詳細な音声情報をつけ加え、部分部分を抽出して、その音の周波数や文章構造を分析しようと思うと、それだけ長い時間がかかるわけだ。言語学を研究する大学院生の多くは、ほんのいくつかの具体的な疑問に答えるためだけに、何年間も苦労してその作業を行なっている。それを大規模に行なうなんてとんでもない。そして、ここに第四の難問が立ちはだかる。被験者は学者のインタビュアーに、友達といるときのようなしゃべり方をしてはくれないのだ。話し言葉ではなく、ジェスチャーの分析がしてみたいとしたら? そうなると、1次元の音声ではなく2次元の映像と向き合うはめになる。面倒なステップは飛ばして、もともとある映像を使えばいいんじゃない? どうぞご自由に。ほとんどの場合は、ニュースや芝居など、形式ばった題材を使うはめになるけれど……。
インターネットの登場前は、カジュアルな書き言葉の分析にも難があった。カジュアルな書き言葉は、手紙、日記、葉書という形では存在していたけれど、こうした書類が資料として寄贈されるころには、その多くが何十年と書類箱のなかにしまわれて劣化していたし、当然、分析のためには処理が必要になる。ボロボロの紙に残った古い筆跡を解読するのは、音声の書き起こしとそう変わらないくらいの重労働だ。ビクトリア時代の書簡や中世の原稿を分析してみると、ある単語がわたしたちの思っていたよりも古くから使われていることがわかったり、奇妙な綴りを介して発音が変化した証拠が見つかったりすることがある。一方で、現代の言語について研究するのに、たまたま資料として寄贈されたほんの一握りの有名人の50年前の文書だけを分析するわけにもいかない。かといって、もっと最近の資料を手に入れたいと思えば、やっぱり先ほどと同じような実務的問題が生じる。たとえば、研究者に読まれることを過度に意識せずに、研究用のサンプルの葉書を書いてもらわないといけない。
幸い、インターネット言語は、それと比べればずっと扱いやすい。文章はすでにデジタル化されているし、ツイート、ブログ、動画という形で公開済みなので、誰かに見られる不安から歪ゆがめられる可能性も低い(ただし、インターネット研究を志す人は、言語データの取り扱いの倫理について、真剣に考える必要があるだろう。そうしたデータは、誰でも見られるという意味では確かに公開されているけれど、文脈と切り離して拡散されれば、当事者に恥や被害を与えてしまうこともある)。楽しい言語調査を実施したり、人々にプライベートなメッセージを研究資料として寄贈してもらったりするのも、オンラインでは簡単になった。といっても、インターネット言語学は、ただ最近流行りのミームについて研究するだけの学問ではない(のちの章ではミームの話題も扱うけれど)。わたしたちの日常言語を今まで以上に深く分析することで、「新しい言葉はどのようにして流行するのか? この言葉はいつから使われはじめたのか? 主にどういう場所で使われるのか?」といった言語学の古典的な疑問に、新たな理解をもたらす可能性を秘めているのだ。