クリティカル・ワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係 | かみのたね
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2022.03.23

クリティカル・ワード ファッションスタディーズ 私と社会と衣服の関係

ためし読み / 蘆田裕史

『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ──私と社会と衣服の関係 』が2022年3月23日に刊行されました。本書は、「ファッションスタディーズ」という分野について、その歴史や文脈と紐付けながら、理論や事項をマッピング・整理し直すことで、ファッションスタディーズの新たな射程を見通すことを試みた、まったく新しい「ファッションスタディーズ入門」となっています。現代ファッションをとりまくものの多様性・横断性に特に注目し、哲学、社会学、文化人類学、メディア論、ジェンダー論、環境学、デザイン論といった、多様な分野とファッションの結びつきを照らし出しています。
今回は編著者の1人、蘆田裕史さんによる「はじめに」を公開します。導入部分となるこちらのテキストから、ファッションスタディーズへの新しい扉を開いてみてはいかがでしょうか。

 

はじめに

 「着る服がない!」──自分のワードローブを前にして、そう思った経験が多くの人にあるのではないだろうか。そのとき、本当にあなたのワードローブに服がないわけではない。現代社会を裸で生活することはできないこと、服は着ると汚れること、私たちはつねにTPOをわきまえた服装を求められることをふまえれば、絶対にそこには服があるはずである。それなのに、私たちは存在を目の前にしてなぜ不在を感じてしまうのだろうか。

 ひょっとすると、本書を手に取った読者のなかには、「私はファッションに無頓着なので、そんな風に思ったことはない」と感じる人もいるかもしれない。だが、あなたがファッションに関心を持っているか否かにかかわらず、あなたが着る服は何らかの意味を帯びてしまっている。もし本当の意味でファッションをどうでもいいと思っているのであれば、どんな服でも着ることができるはずである。それはすなわち、昨日街で出会った人から無作為に一人選びだし、その人と服装一式を交換しても何ら問題がないということだ。しかしながら、どんな相手と服装を交換してもまったく気にならないという人は、おそらくこの世界にほとんどいないのではないだろうか。そのことは、現代社会に生きるほぼすべての人がファッションにこだわりを持っているということを意味する。私たちが政治や経済の問題から──たとえそれらにどんなに無関心であったとしても──逃れられないのと同じように、私たちはファッションからも逃れることができないのだ。

 とはいえ、ファッションはきわめて日常的なものである。日常的なものについて改めて考えることを私たちはしない。というよりもできない・・・・。なぜなら、日常的に行われるあらゆることに対して真剣に思考することをしてしまうと、生活が成り立たないからだ。たとえば、SDGsやサステナビリティという言葉が現代社会の重要なキーワードとなっているが、日常生活すべてにおいてそれを意識してしまうと、何もすることができなくなってしまう。

 あなたが今日の朝ご飯にスーパーで買ったパンを食べたとしよう。このパンの生産者ははたして労働に見合った対価を得られているのだろうか。この小麦粉の原料は環境に配慮して栽培されたものだろうか。バターは、砂糖はどうだろうか。このパンを輸送したドライバーはちゃんと睡眠を取って運転できているだろうか。食パンが入っていたビニール袋はどこでどのように作られたのだろうか。そんなことを真剣に考え出すと、食料を買うことすらためらわれてしまうにちがいない。

 同じように、ファッションについても私たちはさまざまな疑問を無視しながら生きている。私たちはなぜ「着る服がない」と思ってしまうのか。一週間くらいなら毎日違う服を着られる程度には服を持っているのに、なぜ新しい服がほしくなってしまうのか。なぜ流行している服をかわいいと思ってしまうのか。なぜ自分の趣味と異なる服を着ることをためらってしまうのか。なぜ校則で下着の色を決められないといけないのか。なぜ就職活動をするときにリクルートスーツを着なければならないのか。なぜピンクは女の子の色と思われているのか。なぜ整形はよくないと言われるのか。なぜファストファッションの服はあんなに安いのか。逆になぜ高級ブランドの服はあんなに高いのか。なぜアバターの服に課金してしまうのか……。少し立ち止まって考えるならば、ファッションに関して私たちは無数の「なぜ」を発見することができるはずだ。ふだんは気づかないふりをしていても、ふとした瞬間にそうした疑問を抱いたことのある人は少なくないだろう。本書『クリティカル・ワードファッションスタディーズ』はそんな人たちに向けられて編まれている。

 ここで、「ファッションスタディーズ」についても少し説明をしておこう。古来、ファッションが学問の対象として扱われることは稀であった。その理由はとてもシンプルで、ファッションのような移り変わりの激しい軽薄なものは真面目に論じる価値がないと考えられていたからである。それが急激に変わり始めたのは二〇世紀の末からである。日本では一九八〇年代末頃に哲学者の鷲田清一がファッションを哲学的なアプローチで論じたことをきっかけに、「ファッション論」や「ファッション学」という言葉が広がり始めた。欧米では、一九九七年に『ファッション・セオリー(Fashion Theory)』という国際的な学術誌が創刊し、そこから学問としてのファッション研究が盛んになる。

 哲学や社会学といった学問分野は方法論によって規定されるが、ファッションの研究はそうではない。ファッションはあくまで研究の対象となるテーマであって、方法の問題ではない。つまり、ファッション研究はひとつの体系として成立しているわけではなく、あくまで諸研究の集合体なのである。それゆえ、メディアスタディーズやフィルムスタディーズといった研究分野と同様に、(複数形の)ファッションスタディーズという呼称が次第に定着していったと言うことができるだろう。そのようなファッションスタディーズの入門書となる本書は以下のように構成されている。

 第一部は理論編として、ファッションを論じるための思想や概念などが概説されている。一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて社会学者が流行について論じたのを皮切りに、さまざまな思想家がファッションについて論じてきた。それらのなかでも中心的となると考えられるキーワードが、「流行」「消費」「メディア」「コミュニケーション」「アイデンティティ」「ジェンダー」「身体」「テクノロジー」の八つである。どのテーマも過去から現在にかけてずっと重要であり続けたし、これからも重要であり続けるにちがいない。つまり、ここで取り上げられたテーマはファッションスタディーズにおける「基本の「き」」である。これらは現代的なトピックを考察する上での理論的な基盤となるだろう。

 第二部では五つのテーマを設定し、それぞれ三つずつ(合計一五)の具体的なトピックをとりあげた。そこで論じられている問いはひとまず次のように整理できる。世界中で「洋服」が着られ、美の基準が画一的なものとなりつつあるなかで、ローカリティや個性というものはどのように捉えられうるのだろうか(「個とグローバリゼーション」)。私たちはファッションを通じて自己を演出するが、それは映画や宗教、メタバースといった分野や世界においてどのように行為されているのか(「自己の演出」)。ファッションにはさまざまなルールが存在するが、そのルールの根拠はどこにあるのだろうか(「規範と作法」)。私たちは手の届かない存在に憧れを抱いたり、自らの文化を売り物にしたりするが、そこにおいて事物はどのように価値づけられているのだろうか(「価値のシステム」)。ファッションは記号的な側面を持つ一方で、(今のところは)物質性がきわめて強いものでもあるが、その生産にはどのような問題があり、現在どのような解決策が提案されつつあるのか(「サステナビリティ」)。ただし、各トピックは関連しつつもさまざまな射程を持っており、今述べた以上の問いをはらんでいることは急いで付け加えておく必要があるだろう。

 第三部では、ファッションというテーマをさらに掘り下げて考えたいと読者が思ったときに、何らかの指針を与えてくれるであろう文献を分野ごとにまとめて紹介している。先にも述べたとおり、ファッションを論じる方法論はいくつもある。そのアプローチの幅広さを理解し、ここで紹介されている文献を手に取ることをすれば、これからあなた自身がファッションを考えるための糸口をつかむことができるにちがいない。

 

 最後に本書の成立の経緯と、読む上での注意事項を少しだけ述べておきたい。本書はフィルムアート社の薮崎今日子さんに声をかけていただき、企画がスタートした。「ファッションスタディーズ」の入門書となると筆者一人の手には余るため、文化人類学を専門とする宮脇千絵さんと、社会学を専門とする藤嶋陽子さんに共同編集を依頼した。取り上げるテーマやトピック、執筆を依頼する研究者について三人で議論を重ね、最終的にこの形となった。三人ともファッションを研究しているという点では共通しているのだが、概念の捉え方や対象の論じ方は異なる部分もある。さらに執筆者まで含めると、おそらく「ファッション」という言葉の定義だけで書籍一冊分の議論ができるにちがいない。すでに述べたとおり、ファッションスタディーズはひとつの学問体系ではないため、入門書として必要なのは一本の筋を立てることよりも、多様な視点やアプローチを提示することだと考えた。それゆえ、言葉の使い方や意味については──読者が混乱しないような配慮をした上で──ある程度の幅を持たせている。

 本書の編集においてはできるだけ多くの可能性をカバーしたつもりだが、行き届いていない部分もあると思われる。本書を手に取ってくれた読者のなかにもそう感じる人がいるかもしれない。もし本書に穴があり、そこにあなたが気づけたとしたら、その疑問を大切にして、考え続けてほしい。そして周囲の人たちとその疑問について話をしてほしい。どんな疑問もすぐには解決することはないかもしれないが、あらゆる場所で少しずつ議論をすることで、時間をかけて文化が作られていくのだから。

 

編者を代表して
二〇二二年二月

蘆田裕史

 

(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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クリティカル・ワード ファッションスタディーズ

蘆田裕史・藤嶋陽子・宮脇千絵=編著 赤阪辰太郎、朝倉三枝、有國明弘、五十棲亘、小澤京子、落合雪野、香室結美、川崎和也、菊田琢也、北村匡平、高馬京子、西條玲奈、鈴木彩希、関根麻里恵、髙橋香苗、田中里尚、田本はる菜、中谷文美、難波優輝、新實五穂、野中葉、平田英子、平芳裕子、水野大二郎、南出和余、村上由鶴、劉芳洲=著

発売日:2022年03月23日

四六判・並製|292頁|定価:2,200円+税|ISBN 978-4-8459-2109-6


プロフィール
蘆田裕史あしだ・ひろし

京都精華大学デザイン学部准教授/副学長。専門はファッション論。著書に『言葉と衣服』(アダチプレス、二〇二一年)。訳書にアニェス・ロカモラ&アネケ・スメリク編『ファッションと哲学──16人の思想家から学ぶファッション論入門』(監訳、フィルムアート社、二〇一八年)などがある。ファッションの批評誌『vanitas』(アダチプレス)編集委員、本と服の店「コトバトフク」の運営メンバーも務める。

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