美学者であり庭師でもあるユニークなバックグラウンドを持つ気鋭の研究者・山内朋樹による、作庭現場のフィールドワークをもとにした「令和版・作庭記」。前回は、延段の敷設作業を実際に追いながら、この庭づくりには決定的な「基準」が欠けているということが明らかになりました。連載第5回は、基準を持たずに、庭師たちは果たして、どのようにして目の前の素材や出来事を、庭としてかたちづくっていけるのか? 庭と設計図について、また、庭師たちが作業者と諸事物を相互に折衝させるときに何が起きているのかをひもといていきます。
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設計図とはなにをしているのか?
例外的に図面が残っている庭もある。
たとえば江戸幕府の作事奉行だった小堀遠州や明治期の小川治兵衛はいくつかの庭の図面──指図──を残している。
とはいえ、それらは厳密なものでもなければ、作業がよって立つことのできるような説明書になっているわけでもない。図面と完成した庭が明確に対応していない場合も多く、現場での判断に多くを委ねていることがわかる。ようするに庭の指図とはなんとなくの感じを伝えるドローイングなのだ。
昭和期の重森三玲になるとやや様相が変わる。全国の庭園を実測調査し平面図に変換していった経歴を持つ重森は、設計にあたっても平面図や、おそらくは建築の設計手法を参照した軸測投影図を残しており、白砂に引く砂紋まで緻密に図案化し、指定している。
これは画期的な変化ではある。とはいえやはり、これもまた先行きの見えない現場で職人たちが求める確乎たる基準、ようするに各部の関係が正確に数値化された図面にはほど遠い、明治期までのドローイングの精緻化と言ってもよいものだろう。
ともあれ、こうしてドローイングや図面が残る庭は例外的であり、それらがあるにしても足で引かれた線と同じ「錨のような媒体」として働いているにすぎず、現場に大きな余地を残しているだろう。ようするに、設計図は作庭の歴史のなかで重要な位置を占めてこなかった。
庭のなかではこれといった構造物はないし、使用される景石や植木は加工せずにそのまま使われる場合が多く、あらかじめ素材の形や寸法を指定したとしてもそのとおりの景石や植木を手配することはほとんどできないからだ。
古川の庭づくりはこうした伝統に連なっている。材料でさえ工期中に継続的に買い足し、搬入された素材を直に見て、即興的に物を配置し、組み合わせていくのだから、素材の規格や数量も事前にすべて決まっているわけではないのだ。
しかしながら、ぼくたちは大きな誤解をしている可能性がある。
「設計図はないのか!?」──基準なき工事を目の当たりにしてそう考えてしまうとき、まるでドローイングや図面が、不定形な土地に親方の意図や施工上の基準を転写するとでも言うかのようだ。
平面図や模型があれば親方の意図を明確に理解することができ、測量図や断面図があれば作業者は数値にしたがって整然と庭を組み立てることができる──そのような魔法の道具として設計図をとらえてしまってはいないだろうか?
そんなことはありえない。
このような神話は、施主、設計者、工務店、大工、あるいは内装、設備、外構に携わる者など、なんらかのかたちで建築の現場にかかわったことのある者にとっては苦笑いとともに退けられるだろう。図面は設計者の着想を現場に流し込む鋳型ではありえない[1]。
また、図面を実践的な媒体として使用している建築の現場では、図面を確乎たる基準だと言い切ることもまた困難だろう。それは打ち合わせのたびに変更され、施工が進展するなかでも書き換えられ、変容し続ける奇妙な対象であり、普遍の参照点となっているわけではない[2]。
とはいえ、こう言うこともできる。
たしかに図面は書き換えられ続けるのだとしても、建設作業に携わる者はみな設計図や施工図を参照しながら働き、コミュニケーションをとるのだから、それらは少なくともその都度の基準になっているのだと。
そのとおりである。
しかしそうだとすれば、建築の現場においてもまた、設計図はその時点で仮に人々をとりまとめている「錨のような媒体」として働いているということだ。その意味での図面は現状とりあえずの合意として足で引かれ、みなが見つめることによって効力を発揮しはじめる「子どもたちの線」あるいは「庭師たちの線」と本質的には同じものではないだろうか?
だとすると、考えるべきは「設計図とはなにか?」ではなく、「設計図とはなにをしているのか?」だろう。
「基準が……」──曖昧な状況のなかで不安に駆られた職人がこう呟くとき、彼が暗に求めているのはおそらく設計図そのものではない。そうではなく、設計図やそれに準ずる物体が担保しているなんらかの効果である。
混迷する現場で作業者たちが最も恐れるのはなにか?
それはいま進めているこの作業が構想に沿っていなかったり、他の箇所と矛盾をきたしているために、ここまでの作業がすべて水の泡になってしまうことだ。
当たり前のことだが、作業者たちはいずれやり直しになることが想定される作業に打ち込むことはできない。作業内容が構想に沿っており、他の箇所と矛盾をきたしていないこと。この二つが暗黙の前提にあってこそ、困難でキツい作業に打ち込むことができる。
それゆえ、作業内容が構想に沿っているかどうかを判断するために職人たちが注意を払うのは、作業内容が施主と親方、親方と作業者たち、作業者同士、等々のあいだで、人々の相互的な「折衝」を経ているかどうか、である。
また、他の箇所と矛盾をきたしていないかどうかを判断するために職人たちが注意を払うのは、現在の作業内容がつくりだす物の配置が、関連する物や同時進行で組み上げられていく他の物とのあいだで、事物の相互的な「折衝」とでも言うべきものを経ているかどうか、である。
者の折衝と物の折衝。この二つがうまくなされているとき、作業者たちはようやく自らの作業に没頭することができる。逆にこの二点になんらかのディスコミュニケーションがあるとき、作業者たちは一気に不安に陥ることになる。
ここから、設計図やそれに準ずる物体の効果を逆算することができる。
その効果とは、第一に、つくっているものについての共通のイメージを持つための媒体となることであり、第二に、いまやっている作業が他の箇所とのあいだに矛盾をきたさないことを、目に見える形でその都度保証することだろう。
言い換えるなら設計図やそれに準ずる物体とは、第一に人間相互の関係を結びつける媒体として働き、第二に石や地形や植物といった物体相互の関係を結びつける媒体として働く。これからつくられるなにものか(物)も、人間たち(者)も、この錨のような媒体が結びつけ、配置し、活動させている。
設計図やそれに準ずる物体は多種多様な物/者の関係を束ねる重要な結び目のひとつになっている。「設計図はないのか?」と不安になるとき、作業者たちは不定形な物体にかたちをあたえる摂理を求めているのでもなく、精確で変化しない確乎たる基準を求めているのでもなく、「作業者や物体を巻き込み、相互に折衝させる媒体はどこにあるのか?」と言っているのだ。
この現場には物/者を束ねる重要な結節点のひとつである設計図はない。だとすると、設計図が持つはずの結束の効果はこの庭のどこに配分されているのだろうか。まずは人々相互を結束する「者の折衝」がどのようになされているかに注目して現場を見ていきたい。
者の折衝
曖昧な基準に沿って作業が進んでいったあの延段はその後どうなったのだろうか? 設計図の第二の効果としての「物の折衝」については後に考えるとして、第一の効果としての「者の折衝」について理解させてくれる作業記録を見てみよう。
沓脱石前の板石のフロアは南東方向の山門へと延段で結びつけられる。先の古川と竹島との会話では、フロアと延段のあいだには九cmの落差が設けられるはずだった。
板石のフロアは大聖院中央の沓脱石を受ける位置にあり、建物にとっても庭にとっても中心的位置を占める。この意味でフロアはある種の中心性を帯びるため、視覚的には通路に過ぎない延段となんらかの方法で差別化したい。その方法のひとつがフロアを広くとり、板石も大ぶりのものを使用することで視覚的に差別化する操作なのだが、古川は加えて延段をフロアから一段下げることでその差を明確にしようとしていた。
次に引く会話は、住職がはじめてこの段差に気づいたシーンだ。住職のちょっとした小話が古川を介して庭のありようを変える様子が記されている。住職が古川に話しかける。
「売店行くのに蹴つまづかんようにだけしといてください。いや、というのもね、古川さんこれ(以前から段差に設置されていた樹脂性のスロープ)気に入らんかと思って……」
「いや、まあ、気に入りませんけど(笑)」
「(笑)昔どこかでありましたでしょ? 寺の階段でお年寄りがこけてしもて慰謝料払うことになったっていう。蜂に刺されましてもね、あんなん自然現象やと思いますけど、蜂の巣とっとかんのがアカンのや言われますから」

もともと段差に設置されていた樹脂製のスロープ。
大聖院北側にある売店には、延段を伝い、板石のフロアに上がって向かうことになる。住職は石の配置からここに段差ができることに気づき、ある話を想起する。高齢者が段差につまづいて怪我を負い、寺側が慰謝料を支払うことになった話だ。
もしここに段差をつくるなら以前から庭に設置されていた樹脂性のスロープを設置することになる。しかしその解決方法は古川にとって不本意だろう、というのだ。この話は最終的には笑い話として終わった、あるいはその程度で終わらせたのだが、巧みな交渉術である。
注意したいのは、住職がいままさに配置されようとしている物(板石)や、すでに設置されている物(樹脂性スロープ)を引きあいに出して古川の意図──中央フロアを視覚的に差別化する──に自らの意図──蹴つまづかないようにする──を滑り込ませようとしていることだ。ここでは古川と住職という者相互の折衝は、板石やスロープといった物を媒体におこなわれる。物が者を結びつけ、配置し、活動させる。
先の会話は作業者たちから少し離れたところでなされた。古川が作業中の庭師たちのもとに戻ってからの会話を見ると、古川が住職の意図を代行していることが分かる。住職と古川の会話を聞いていなかった竹島にとっては、すべての指示が青天の霹靂のように感じられただろう。古川が言う。
「このまますーっと行こうと思うんですわ(すでに据えた三枚の板石と延段の高さをなるべくあわせる)」
「フロアですか?(ここでのフロアは「ひとつの面」のような意味)」
「フロアじゃなくてね。こことその石(板石のフロアと初手の平石の小端上部)とどっちがどれくらい高い? あれやったらそっちの高いとこにあわしいよ(初手の平石の小端上部に板石の高さをあわせなよ)」
そもそも古川は板石のフロアから九cm落ちで延段の高さを設定するつもりだった。ところがいまはこの落差をなるべく少なくしようとしている。古川の言うとおり初手の平石の小端上部に板石のフロアの高さをあわせるなら、延段との落差は九cmから七cmに縮む。
古川が重ねて問う。
「(板石と初手の平石の小端上部の)どっちが高いのよ?」
「そっち(板石)が高いですね」
「じゃあ思い切って下げえよ(板石を下げて延段との段差を少なくしなよ)。つまづくことがあるんや、最近は」
「七cm(板石を平石の小端上部にあわせて下げたとして、延段との高さの差は七cm)」
「じゃあ五、六cmにしいよ。……いや、もう、レベル(水平)で行くか。昔と違うからね。蹴つまづくとかあるんや」
「こっち(平石の小端上部)にあわせるのは歩きやすさを考えてですか?」
「デザインの問題や」
最終的に板石と延段はフラットに繋げることに決まった。ただしこの会話で言われているように板石を下げるのではなく、延段を九cm引き上げることで段差を解決することになった。
もともと初手の平石の小端は延段より七cm高いはずだった。これが逆転したということだ。高くなった延段にあわせて地形も上がるのだから、平石の小端はほとんど地面に埋まってしまうだろう。それゆえ後日、初手の平石の角も上げることになった。
この会話で竹島は、なにを基準に話が進んでいるのか分からなくなっている。変更の基準が見えないからだ。加えて「蹴つまづく」ことを気にしているようだった古川が、唐突に「デザインの問題や」と言い放ったことには矛盾を感じただろう。
住職にとって歩きやすさの問題だった板石と延段の高さの関係は、古川にとっては歩きやすさとデザインの混合体であり、その変更が初手の平石の見え方を変えるとなればそれはデザインの問題以外ではありえない。つまづき防止のために板石や延段の高さを変更することは、連動して地形の高さも変えてしまい、重要な景石である初手の平石の見え方をも大きく変えてしまう。
板石のフロア、延段、地形、初手の平石の緊密な関係が、住職の言う歩きやすさの問題を古川の言うデザインの問題へ、デザインの問題を歩きやすさの問題へと変換する。
ここで言いたいのは用と景、実用性と意匠が対立するということではない。それらはたまたま無数の要素から住職と古川が前景化させた意図の一部に過ぎない。そうではなく、一方の極には事物の配置に触発された住職の意図──蹴つまづかないようにする──があり、この意図は板石のフロア、延段、地形、初手の平石のあいだの折衝をとおしてはじめて他方の古川の意図──デザインの問題──とせめぎあうということだ[3]。
両者の意図は具体的な物の折衝をとおして、物を必然的な要素として含み込んだかたちで、新たな配置へと折衝される。これは建築において設計者の意図と施主の意図が何度もつくり直される図面や模型や見積書を媒体に折衝され、ついには互いの初期構想とは異なるものになっていくのに似ている。
者の折衝は物の折衝を媒体にして可能になる。
延段の構想が初めて語られた場面にあらためて立ち戻るなら、古川の意図を確認するために竹島が足で引っぱった線──子どもたちの線──は、延段についての古川の意図がはじめて物に変換された瞬間だった。
単純な線が古川をも含む作業員全員の判断や行為を拘束すると同時に可能にする。竹島は者を折衝するために、とりあえず線を引く必要があったのだ。
地面に仮の線を引き、それを参照しつつ大枠を伝え、疑問を呈し、線を修正する。作業のなかで線は板石を据えるために掘り込まれた下地に変わり、次いで実際の板石に置き換えられ、延石や地形や初手の平石といった周囲の事物との関係を強めていく。そのかたちも素材も少しずつ変わっていくのだが、それはつねに作業員にとっての参照点となっている。
この変遷のなかで、儚く曖昧なものに過ぎなかった線は少しずつ確度を高め、周囲の物とのあいだに、そして者とのあいだに相互拘束的な状況──住職と古川の意図を織り込んだ板石のフロアと初手の平石の関係のような──をかたちづくり、相対的に持続的なものになっていく。それは確定的な基準とまでは言えないとしても、相対的に安定した関係をつくりだしていく。
ようするに、この庭そのものが庭の設計図なのだ。
庭においては、この土地や石や木そのものが図面であり模型なのだ。建築設計において図面や模型を媒体に結びつけられた施主と設計者、設計者と事務所、現場監督と施工者のあいだでなされる打ち合わせ、図面や模型の更新、そして再度の打ち合わせ、再度の更新という、繰り返される折衝は、庭では1/1スケールのこの庭を媒体に、実際に物体を操作しながら身体的な判断をもとにおこなわれる。
着工してもなお、設計図や模型や見積書が更新され続けていくように、この庭=設計図は無数の修正とやり直しのなかで相対的に安定し、人々の意図を折衝する媒体として機能する。
だから庭師たちは足で線を引く。線が効果を発揮するがゆえに子どもたちは、あるいは庭師たちは相互に結びつけられる。だから庭師たちは石や植物を仮置きする。仮に置かれた物体が線と同様の効果を発揮する。
物/者の折衝は深刻な問題をいくつも起こしていくのだが、言葉や地面の線や互いの視点をこの庭=設計図の上で交換しあうなかで庭のかたちは具体的になってくる。
変動する力の場のなかで庭師が石と石を結びつけて鎮めていくように、庭師たちは庭を媒体として物と物を結びつけ、人々の意図を折衝し、更新し、おさめていく。
また別の制作
この制作方法は、古川が頭のなかに抱えているかたちを、まわりくどいやりかたで実現することではない。なぜなら、庭のかたちが立ち上がってくる以前には、古川のなかに決定的なイメージがあるわけではないからだ。
板石の高さを決定する竹島との会話を見ても、古川は「もうちょっと上げたらどう?」と、指示するのではなく提案しており、竹島の「その方が歩きやすいです[…]」という言葉を聞いて「まあ、それくらいの方がいいね」と返答していた。
ここには明らかな相談のニュアンスがある。このニュアンスはさまざまな場面で繰り返される。時間的には少し飛ぶのだが、わかりやすい例として板石のフロアから北側売店前へと板石を延長しはじめた四月十一日の場面を見てみよう。

売店は写真中央奥。建物と庭の中心に位置する沓脱石が左に見える。写真はまだ板石のフロアの敷設作業をしているときのものだが、数日後、売店前に敷かれている樹脂製スロープを外して小ぶりの板石を並べることになった。
デザイン的には中央のフロアから一段下げて沓脱石周辺と差別化したい箇所だが、もちろん古川の念頭には住職の意図があり、一段下げるかフラットに続けるかに迷いがある。作業を担当する竹島に向けられた言葉は親方からの指示というより、逡巡する作業者が相談を持ちかけているかのようだ。
「どっちがいいやろ? 下げるのと下げないのと」
「下げない方が──、こっち(板石のフロア)と続きになってええと思いますけど」
「そうやね。置いてみて」
(板石を置く)
「悪くないね。[…](仮置きした板石を下げさせて)やっぱり小さい板石で一寸(約三cm)下げで行きましょうか」
ここでは「どっちがいいやろ」と、明らかに迷いを隠していない。これは古川のなかに、事前に決定済みの確定的なイメージがないことを意味する。古川は職人たちに指示を出すとき、おそらくは命令しているのではなく、つねに半ば相談している。
だから「置いてみて」と、前回考察した「てみて」型の依頼をし、実際に置かれた物の配置を見て「悪くないね」と、次いで板石を下げさせて「やっぱり小さい板石で一寸下げで」と追加の判断を下すのだ。
古川にとってこうした表現は、事物の複合性と、そのまわりに組織される道具や行為の連鎖全体にかかる不確かさのしるしであり、物の配置をいまここで決定してしまうことの無根拠さを示すものだった。だからこそ一度それで行こうと言ったものを、実際にできたものを見た後で再び覆すことにもなる。
竹島が小さい板石を一寸下げで三枚ほど据えた頃に戻った古川は、それ自体が設計図である物体の配置を見てさらに修正を加える。
「もうちょっと全体低くしよか。ちょっと中途半な感じ」
「え……」
「もーちょっとだけ下げてみようか」
二度にわたって下げられた売店前の板石も、実のところ後日、板石のフロアとフラットに続けることになり、すべてやり直しになった。
こうして職人たちは、言葉や指差しや身振りや地面に書いた線や実際に物を置くことをとおして、古川自身もまだはっきりとは掴んでいないイメージをかたちづくり、調整し、折衝し、再調整するなかで、ともに庭のかたちをつくりだしていく。
庭で編成される事物と行為の連鎖の結果こそが古川にとっての作庭であり、庭であるというのはこの意味でのことだ。
設計図があろうとなかろうと、膨大な物体を折衝し、束ねていかなくてはならない現場では、物を媒体とした無数のコミュニケーションが必要になる。この無数のコミュニケーションをとおして者は折衝されるのだが、その過程で施主や作業員たちもまた、庭のかたちの形成に巻き込まれていく。
たしかにこの現場に設計図はない。しかしそれは庭の前近代性を示しているわけではないだろう。むしろ建築の現場もまたこの庭のように混乱した試行錯誤のなかにあるのであり、それはぼくたちが想像する「設計図のある制作」とは共通の尺度で測ることのできない、身体的な判断に基礎を置いたまた別の制作なのである。

作業終わりに売店前へと続く板石を洗う。
注
[1]これは経験にもとづくことだが、ブリュノ・ラトゥールの次の一節も引いておきたい。「ドローイングと模型づくりは、建築家の想像的なエネルギーやファンタジーの直接的な翻訳結果ではない。また、設計者の心を物理的形態へ、強力な「主観的」想像力をさまざまな「物質的」表現へとアイデアを移し変えるプロセスでもない」(ブルーノ・ラトゥール+アルベナ・ヤネヴァ「銃を与えたまえ、すべての建物を動かしてみせよう──アクターネットワーク論から眺める建築」吉田真理子訳『10+1 website』二〇一六年十二月号、LIXIL出版。訳文は適宜変更した。http://10plus1.jp/monthly/2016/12/issue-04.php(二〇二二年五月九日最終閲覧)/Bruno Latour and Albena Yaneva, “Give Me a Gun and I Will Make All Buildings Move: An ANT’s View of Architecture,” in Explorations in Architecture: Teaching, Design, Research, Basel: Birkhäuser, 2008, p. 84)
[2]これも経験にもとづくことだが、設計図や模型がいかに書き換えられ、つくりかえられるものであるかについてはソフィー・ウダールと港千尋による以下の書籍のとりわけ「存在することへ向かって」と題された章を参照した(ソフィー・ウダール+港千尋『小さなリズム──人類学者による「隈研吾」論』加藤耕一・桑田光平・松田達・柳井良文訳、鹿島出版会、二〇一六年)。また、八束はじめの図面についての寸言もこのことを証している。「日本の図面は遥かに曖昧で、確かに契約のベースをなすが厳密ではなく、設計者の意図を伝えること、概ねのガイドラインを示すことが目的であり、現場にはいってからも施工図その他での検討・変更が続けられる」(八束はじめ「日本建築の現場への文化人類学的アプローチ」『10+1 website』二〇〇三年七月号、LIXIL出版。https://www.10plus1.jp/monthly/2003/07/10175721.php[二〇二二年五月九日最終閲覧])こうした変容の具体的な航路を辿るには、建築家や事務所をフィールドにするだけではなく、建設現場での現場監督と職人達のやりとりや作業を追う必要があるだろう。
[3]ここでの議論は、ラトゥールによる目標や利害関心の「翻訳」についての考察を参照している(ブルーノ・ラトゥール『科学論の実在──パンドラの希望』川﨑勝・平川秀幸訳、産業図書、二〇〇七年。とりわけ第三章、第六章)。複数のアクタントはそれぞれの目標の中断と迂回をとおして新しい目標を合成し、この経路が常態化する/されるとブラックボックス化する。もしかするとぼくはこの経路上の中断や迂回、あるいはブラックボックス化の失敗にともなう軋轢や葛藤、軋轢や葛藤込みでの共存に注目しているのかもしれない。現時点で選択している「折衝」という言葉は、ラトゥールがあまり主題化しないそのような意味での共存に注目した翻訳のことだ。この点については、とりわけ後に「物の折衝」を論じる際あらためて注目したい(連載に入るか書籍のみに入るかわからないが)。
(第5回・了)
この連載は月1回更新でお届けします。
次回2022年6月14日(月)掲載予定