徹底的に庭を見よ! 美学者であり庭師でもあるユニークなバックグラウンドを持つ気鋭の研究者・山内朋樹による、作庭現場のフィールドワークをもとにした新しいかたちの庭園論。京都福知山の観音寺にある大聖院庭園作庭工事のフィールドワークをもとにした「令和版・作庭記」、連載第6回は、再び石組に視点を戻してその秘密に迫ります。
─
連載第4回、5回では延段の作業を中心に、庭師たちがどのように協働しているのか、設計図なき制作とはどのようなものなのかについて検討してきた。連載第6回となる今回は第2、3回の続き、つまりは石組の分析である。
初日の午後に配置が決定された初手の平石、二手目大石、三手目鯨石を覚えておられるだろうか? そう、重心と流れに沿って、あるいは他性の触発にしたがって据えられていった、あの三つの石である。今回検討するのはその続きだ。
作業二日目となる四月八日の午前中、三つの石に続けて、十二手目までの石が一気に据えられた。すべての石はまだ決定的なものではなく、たんに仮置きされたに過ぎない。そうなのだが、そこには明らかにこれまでとは異なる要素、つまり布石全体の配置を導く重心や流れでも、カテゴリーによる配置の分割を導く個別の石の形態や色彩でもない、石と石とを結びつける無数の関係が生まれはじめている。
漠然とそう感じたぼくは、とにかく庭のあちらこちらへと移動しては石を見、スケッチをし、メモをとり続けた。必死に仕事をする職人たちの傍らでウロウロするぼくはずいぶん迷惑な観察者だったと思う。
ひとつの関係をつかまえると、それが踏み台となって他の石と石の関係の見かたへと波及する。石と石のあいだを眼が走る。淀む。また走る。ひとつの形態から別のよく似た形態へと飛ぶ。
不動の石のあいだに動勢が、リズムが現れはじめていた──。
第一期石組
作業二日目、四月八日の午前中という短い時間のなかで、古川が示唆した流れ──大きく南南西−北北東の軸を持っている──の上に分布する石組の大半が一気に組み上がる。初日午後の段階ですでに決まっていた三つの大石に加えて九つの石が追加され、計十二手目までが展開したということだ。
初日に場所が決定していた三つの石も実際に据えられたのは二日目の午前中であることを考えるなら、このたった数時間のうちに十二手の石が決まったことになる。折に触れて古川の即興性を指摘してきたとはいえ、すさまじい速度だ。
四手目から見ていこう。
連載第3回で詳細に検討した初手の大石、二手目大石、三手目鯨石に次いで、鯨石の脇に同じく丸みを帯びた石──竹島は子鯨と呼んだ──が四手目として置かれた。
鯨石と子鯨石はそのあだ名が示すとおり、たがいに類似する形態と肌理を持つひとつのカテゴリーとして処理されており、三手目鯨石を据える作業の流れでついでのように置かれた。実際のところいったん地面に、つまりは前回検討したとおりこの庭という設計図の上に仮置きされる。

中央奥が鯨石。左下に置かれているのが子鯨石。二つとも丸みを帯びている。小鯨石にかんしては下部の隙間からもたんに置いただけであることがわかる。
重要なのは次の五手目。この石は結局場所が変わってしまったものの、これも第3回で見たように、あっちの鯨石にたいするこっちの四手目として想定されていたものだ。
初手の平石に続く構想を語った古川の言葉をいま一度確認しておこう。
「それでもうひとつ(大石)置いて重心をつくって。あっちの(鯨石)は石の性質が違うでしょ。だからあっちに置いて、それでこっち(大聖院南玄関側)にも置くかな。たぶんね。いや置くな」
初手の平石と二手目の大石が重心をつくりだし、次いで性質が違うためにあっちに展開した鯨石にたいしてこっちに、カウンターバランスのような石が置かれるはずだった。
そのとき古川が示唆した場所とはやや異なるものの、この五手目もまた、大石を挟んで鯨石と対称的な位置に開いている。その形態と肌理の違いから遠く左奥に打たれた鯨石と子鯨石にたいして、均衡を回復させるかのような開きこそがこの五手目である。
この一手によって石は庭の左右に大きく展開することになる。同時に、五手目が打たれたことで、古川の示唆した流れが、つまりは鯨石、大石、五手目を貫く石の並びが決定的なものになった。

第3回で詳細に検討したとおり、「あっち」の三手目鯨石にたいして、「こっち」の石は場所を変えて五手目として実現した。北東の隅石から二、三、五手目を結ぶ流れの発生。(*青枠はすでに決定していた石。赤枠は新たに打たれた石。黒塗りは既存景石。この図は先の石まで記されているが、黒枠の石はその時点ではまだ打たれていないものとして扱う。)
これもすでに検討したことだが、古川がはじめて流れの構想を明らかにした言葉をあらためて引いておきたい。
「まあこういう流れですわ(腕を敷地にたいして南西から北東に向けて振りながら)。動きがほしいからね。それしか考えられないよ」
こっちへと開かれた五手目の石はやや平板で飛び石に近い形態をしており、黒っぽい色をしている。形態や色彩のカテゴリーの違いによって中央から大きく外された鯨石や小鯨と同じく、この五手目もまた異なるカテゴリーに属するために離れた位置に打たれたのだろう。だからこそあっちとこっちなのだ。

手前中央が五手目。後に打たれる手前右が九手目、手前左が十手目。これら三つの石はすべて扁平な飛び石状の形態をしており、やや黒ずんでいる。
この五手目までの石がこの庭の大きな骨格をかたちづくっている。古川の言う流れを含め、荒々しくもひとつの構図のようなものができあがったと言ってもいい。というのもここからしばらくのあいだ、この骨格をなす大きな石の周囲にさらに石を重ねていくようにして──鯨石にたいする子鯨のように──布石が進展していくからだ。
三手目と五手目が左右に大きく開き、中央がやや間延びして見えはじめたところで六、七、八手目と平石の周囲に、あるいは平石と二手目大石の間隙に石が重ねられる。

八手目まで。初手の平石を中心とする中央の重心化が進むのと同時に五手目が孤立して見えはじめる。
中央の重心化が進んだタイミングで、相対的に孤立して見えはじめていた五手目の近くに類似した形態と色彩の九、十手目が打たれる。これら右側の五、九、十手目は、左側の鯨石と小鯨石と同じく、中央布石からやや離れた場所で特殊な形態的、色彩的カテゴリーをかたちづくっている。

十手目まで。形態と色彩が特徴的な五、九、十手目の群れがつくられる。
初手の平石をとり囲むように打たれたようにも見える六、七、八手目は中央やや右よりにひとつの群れを形成しており、さらに九、十手目を加えた時点で庭の重心はやや右に雪崩れはじめている。また初手の平石の周囲に石が凝集したことで二手目大石が相対的にやや孤立して見えはじめている。このタイミングで重心をやや左に回復しつつ二手目大石の孤立を解消する十一手目が加えられた。

十二手目まで。第一期石組はここで終わる。十一手目によって初手の平石を中心とする群れと二手目大石がひとつの群れのように結び直される。「こっち」の石は場所を変えて五手目として実現したが、そもそも想定していた位置には十二手目が据えられる。
この十一手目は、初手の平石を中心とする群れと孤立した二手目大石の関係を結び直しつつ、その位置と横に長い形態によって、やや右に傾きすぎた重心に視覚的なカウンターバランスをあたえている。十一手目が二手目大石の左手前に低く構えることで、右手前の六、七手目──手前にあるため低く見える──とともに四石で「山」の字や三角形を思わせる。つまり二手目大石を頂点とし、左手下段に十一手目、右手下段に七、六手目を控える変形三尊石のような安定した構図として見えはじめている。

大石を中心とする変形三尊石風の石組。二手目大石左手前の十一手目が安定感をあたえる。二手目大石左奥の二つの小ぶりの石はたんに置いてあるだけ。ほとんどの石にはまだワイヤーが巻かれており、いつでも移動可能な「仮置き」であることを示している。
中央部の布石を安定させたあと、大聖院の縁側南端付近──前日に示唆した時点でのこっちの石の位置──に十二手目が開かれ、第一期石組とでも言うべき作業がひと段落した。
次に石組が動くのはちょうど一週間後の四月十五日。それまでのあいだ、職人たちは画面に大まかな「あたり」をつけていったん寝かせるように、石組から手を離した。
第一期石組はたしかに終わった。しかし石組が完成したわけではない。
すでに場所が決まっている十二手目までの石も、実のところ大半は移動用のワイヤーやスリング──クレーンやユニックで重量物を吊る際使用する布製のワイヤー──がつけられたまま、だいたいの姿で仮置きされているだけだ。ワイヤーやスリングがついているということは、この先、これらの石をまた移動させるかもしれないという含みが残っている。
完全に石を据えてしまうには、石を据えるために掘った穴と、そこに放り込んだ石とのあいだの隙間に土を入れ、徹底的に突き固める作業が必要になるが、そうした作業もまだおこなわれていない。
とはいえ、適当に足で引いた仮の線が子どもたちを拘束するように、仮置きでしかない石もまた庭師たちを触発し、結びつけ、次のかたちを導く錨になる。
仮置きは仮のものでしかないが、この庭=設計図のなかでは強力な効果を発揮するだろう。

十二手目まで石組が進んだ現場風景。据えられた石、置いてあるだけの石、道具などが散在しており全体像はつかめない。左の重機は石を搬入中の石材屋のもの。
類似と反復
「石はそんなに多くないよ。いまは多く見えるけどね。関係性ができてくるとね」──初日の現場には搬入されたおびただしい石がひしめきあい、混乱していた。しかし古川が予見していたように、実際に石が据えられていくと少しずつ現場がすっきりと見えはじめる。
石の運搬や設置作業に右往左往して庭を見るどころではなかった作業員たちもまた、休憩時間にあらためて庭を眺め、このことを実感しはじめていた。竹島が傍らに座る杦岡に言う。
「実際置いてみると少ないねえ」
「最初はえらいごちゃごちゃしてたけどなあ」
しかし石が「ごちゃごちゃ」した状態から「少ない」状態になるとはどういうことなのだろうか?
それはたんに石が据えられた、つまりはなかば埋められたので堆積的に減って見えるという話ではないはずだ。古川が示唆したのは「関係性ができてくる」という事態だったかのだから。
連載第3回で確認したように、力の場としての庭には重心があり、庭を斜めに横切る流れがあるのだった。しかし重心とはすでに据えられた石の配置が次に据えられる石の配置を導く触発の力であり、流れは石の分布の大まかな構想について言われたものだった。
そうではなく、石と石のあいだに「関係性ができてくる」とはいったいどのような事態なのだろうか?
ここで注目したいのは石組の骨格がつくられたあと、つまり六手目以降の配石だ。
先ほど、骨格の周囲に石を重ねていくと言った。初手にたいする六、七、八手目、二手目大石にたいする十一手目、三手目鯨石にたいする小鯨石、五手目にたいする九、十手目である。骨格になる石と、そこに添えられた石とが群れをつくっている。
しかしながら、とりわけ中央の石組を見ると、二手目大石と十一手目、初手の平石と六、七、八手目は、二つの群れとして分割されているというよりは群れを超えて結びあっているように見える。先に指摘したとおり、二手目大石を中心として左右に低い石が控える変形三尊石のようなまとまりを感じさせるのだ。
この群れを超えて引きあう力は、これまで検討してきたような単独の石や布石全体の配置の効果ではない。たしかに扁平で黒い初手の平石は形態的、色彩的には六、七手目よりも五、九、十手目のカテゴリーに近いのだから、そもそも初手の平石と六、七、八手目とのあいだには分断がある。また初手の平石を囲むというよりは二手目大石へと逃れようとする七手目の効果は大きいだろう。
しかし、最も高い中央二手目大石とその左手前の十一手目、二手目大石右手前の七手目とその右の六手目の四石をしっかりと結びつけているのは、隣接する二つの石の「組」を単位として、組と組とのあいだに生まれた類似性の効果である(前掲の変形三尊石の画像参照)。
組二−十一と組六−七──今後組となる石は「−」で結びたい──、これらの組は両方とも大ぶりの石にたいしてやや低い小さな石を左に沿わせている。この二つの組の形態的な類似によって六−七は初手の平石を中心とする群れから引き剥がされ、二−十一とひとつの「対」を形成する。
注意したいのは、これらの組はたんに隣接によって組に見えるのではないし、組と組の類似も詳細に検討する必要があるということだ。
まずは組の内部構造を見てみよう。
二−十一をよく見ると、水平ではなくやや右斜め上を指向する天端の線が組の内部で協調しており、六−七を見るなら山なりの稜線の反復が対内部に形成されている。これらの石はたんに隣接するだけでなく、形態によっても、つまり天端や小端の線や面の呼応関係によっても結びついている。

二−十一天端の右斜め上を指向する直線の反復と、六—七天端の山なりの線の反復。
組はたんに隣接しているから組なのではなく、隣りあう石相互のあいだに形態的反復が織り込まれているからこそ組になっている。組は内的反復を抱えるからこそ組になる。
次に組と組の関係を観察してみると、これら組内部の内的反復が、たんに隣接する石を組として暗示するだけでなく、部分的に他の組にも波及することで、組を超えた組相互の共鳴的な反復をもつくりだしていることだ。
先に示したとおりこれらの隣接する組は左側が小さく右側が大きい石で構成されているのだが、二−十一、六−七では右手の石は荒々しく立体的な石、左手の石はやや面がすっきりとした石を選択している。二手目と六手目の石を比較すれば右側の面が左手前から右奥へと抜ける角度や切り立ちかたを共有しており、左手前の面のごつごつと切り立った表情は相似的だ。また、七手目と十一手目を見ると形態は似ていないにもかかわらず、七手目手前の面には十一手目天端の右斜め上を指向する線ときわめて相似的な線が走っていることに気づくだろう。

二手目、六手目の右の面の切り立ちを大きな矢印で、左面のごつごつした表情は石の割れ肌のトレースで、十一手目の天端と七手目中腹の右斜め上を指向する線は破線で表した。
より詳しく見るならば、七手目のこの暗示的な線は六手目の天端の線に延長され、十一手目の線もまた二手目の天端から二段目の線に延長されることで、二つの組のあいだの明示的な形態の違いを超えて、左下から右上へと向かう反復的な動勢をつくりだしている。

十一手目の右上がりの線は輪郭に相当する天端部分なので明示的だが、二、六、七手目は部分的だったりうねっていたりするのでより暗示的だ。しかしその動勢は組を超えても呼応している。
こうした明示的、暗示的な類似が組を超えた共鳴的反復をつくりだし、組と組をひとつの対にしている。組と組は共鳴的反復を抱えるからこそ対になる。
この明示的、暗示的な絡みあいが、たんなる隣接を越えて、ある石を他の石と、ある組を他の組と結びつける。こうした動勢と反復の作用こそが、たとえば六手目と七手目を、二手目と十一手目を、あるいは六−七と二−十一を繰り返し結びつけ、庭に走らせた眼を絡めとるような視線のダマをつくりだす。
このダマこそが、そこに準安定的な群れを、あるいは三尊石に類する図像的なものを感知させるのだ。つまり図像の根底には視線のダマがある。
石は第一に力の場における重心の動的拮抗として配置され、第二に古川が想定する大きな流れに沿って分布し、第三に形態的、色彩的カテゴリーにしたがって大きく分割されており、その分割に沿って群れを形成しているのだった。
その上でいま、類似と反復の効果によって、隣りあう二つの石の組と、組と組が結びつこうとする対が現れ、古川が言うとおり、無数の石のあいだに「関係性ができてくる」。
「ごたごた」からリズムへ
こうして無数の石のあいだに関係性をかたちづくる力に、古川はリズムの効果を見ている。
「似たようで似てない。似てないようで似てる。そういうのがあるとリズムが出てくる」──後日、第二期石組を終えた四月十六日、庭のなかに形態、色彩、線や面の効果によって石組の構造に類似や反復が現れはじめたことについて訊ねると古川はこう答えた。
──いくつかの石のグループが反復をつくっているように思います。
「え、なに? 反復? そうやね。反復が一種のリズムを生み出すんだよね。重複やとだめなんや」
──リズムということでどういったことを考えておられるんですか?
「似てるけど重複を感じさせないってことだよね。(中略)リズムがなくなると今度はごたごたしてくるんですわ」[1]
重複をともなう「ごたごた」から反復をともなう「リズム」へ──これは先に職人たちが指摘した、石が「ごちゃごちゃ」した状態から整理されて「少ない」と感覚される状態への移行、つまりは古川の言う石と石のあいだに「関係性ができてくる」という事態の言い換えではないだろうか?
「似たようで似てない。似てないようで似てる」とはまさしくいま詳細に検討したばかりの六−七と二−十一の関係そのものだ。
あらためて布石全体を見るなら、組と認知される石は他にもある。三手目鯨石にたいして四手目小鯨石──これは名前からして組だ──、二手目大石にたいして十一手目、六手目にたいして七手目、五手目にたいして十手目と、流れの上に右が大きく左が低く小さい四つの石の組を確認することができる。
ほぼ二つずつ並んでいる四つの組は、平面図的に言えば南南西―北北東の軸上に展開する「流れ」にたいして、おおむね南東−北西方向に斜交いに切り込む四つの短い線の繰り返しのように見える。

大きな布石の流れにたいして切り込む四つの短い線。
また沓脱石周辺から見るならば、組の内部ではおおむね左手の石が低く小さく、右手の石が高く大きく組まれているため、左下から右上へと跳ね上がる短い線の連続としても感じられる。この庭の布石を規定する流れが視覚的には右下から左上へと抜けるように見えるため、これもやはり斜交いに切り込む線のような効果を持つだろう。
つまりこれら四つの組は、平面図的に見ても、沓脱石周辺の視点から見ても、この庭の大きな流れに抗する小さな動勢の反復であるかのように見える。
この庭全体に広がる組のパターンはまさしく「似たようで似てない。似てないようで似てる」。そして「そういうのがあるとリズムが出てくる」。
それはたんに「かぶっている」という意味での単調な「重複」とは異なっていなければならない。先に検討した二−十一と六—七の対のように、相互に類似が知覚されつつもその知覚のされかたはつねに複数の経路でなされなければならない。つまりは「ごたごた」した石の海を「リズム」ある石の組──石組──へと変容させるものでなければならない。
石から石へと移りゆく視線が大きな石の流れや個々の動勢や石のない余白の上を滑り、あるところでダマになり、ふたたび走る。多様な外観のなかに繰り返す線や形態の類似が感知される。こうして繰り返しが感じられる場所をスキャンするように視線が飛び移る。
類似のあいだを眼が飛び移るということは、類似関係の内側から言えば庭のなかを回遊する視線を繰り返しとらえる視線のダマができるということだし、類似関係の外側から言えば視線の迷いが整理され、そのあいだに存在する雑多な情報をスキップするということだ。
ある場所では視線がとらえられ、ある場所では部分的な抜け道ができる。この浪費的な視線のダマと節約的な視線のジャンプが回遊する視線に速度の落差と部分的な繰り返しを生む。この速度の落差と反復が無数に組みあわされることで、一見無秩序に見える錯雑とした石組のなかに多層的なリズムをつくりだしている。
こうして早くも作業二日目の昼、十二手目をもって第一期石組が終わった。ひとまずは庭全体に石が行き渡り、石相互に大まかな関係が生まれたこの時点で、いったん手を離し寝かせることになる。この間、職人たちは平行して進んでいる延段の作業を進めていた。
その日の午後、ようやく一段落した石組を見ながら、石と石の関係をスケッチしたり写真にとったりしていたところ、山門付近から庭を眺めていた住職が石組にたいする懸念を口にする。
「あの裏切れ込んでるやつは人工的違いますか、どうなんですか?」
住職が言っているのはこの庭の主石とも言うべき二手目大石の背面についてである。この石は正面から見れば複雑な表情を示しているが、良し悪しは別として裏から見ればたしかに人為的に切断したかのように平滑な面となっている。

南側山門付近から撮影。中央の大きな石が二手目大石。背面が平滑であることがわかる。
庭師の側にも施主の側にも過剰な影響をあたえることを避けたいぼくは曖昧に返答を濁した。しかしこの懸念は数日中に古川に伝えられ、一週間後の作業六日目となる四月十五日から翌十六日、今回詳細に分析した六−七と二−十一の対がかたちづくる変形三尊石はほとんど解体され、再構成されてしまう。なんということだ!
そう、分かってはいたものの、すべての石はまだ仮置きに過ぎないのだ。
これまでに描いたスケッチやメモや写真がすべて無に帰したような気分になる。これまでの分析はなんだったのか? 今後も、仮置きの石をいくら詳細に検討したところで、対象そのものが消滅してしまう可能性があるということだ。だとすれば、最終的な庭にその痕跡さえ残らない要素を検討することにいったいどんな意味があるのだろう?
注
[1]古川はしばしば石組を音楽に喩える。「反復」はもしかするとこちらが導入した言葉に引きずられたのかもしれないが──古川の聞き返しが、偶然聞こえなかったからか、耳慣れない語彙だったからか判別できない──、直後に「重複」と峻別し、「似てるけど重複を感じさせない」と言い直しているところから、もともと古川の感覚と概念系のなかで整理されていた語彙だと想像できる。古川にとってこの「反復」は「似たようで似てない。似てないようで似てる」の言い換えである。
(第6回・了)
この連載は月1回更新でお届けします。
次回2022年7月19日(火)掲載予定