第9回:バラバラの物をDIYで結びつけよ! ──庭師たちによる物の変換とコミュニケーション | かみのたね
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2022.09.27

第9回:バラバラの物をDIYで結びつけよ!
──庭師たちによる物の変換とコミュニケーション

庭のかたちが生まれるとき / 山内朋樹

徹底的に庭を見よ! 美学者であり庭師でもあるユニークなバックグラウンドを持つ気鋭の研究者・山内朋樹による、作庭現場のフィールドワークをもとにした新しいかたちの庭園論。京都福知山の観音寺にある大聖院庭園作庭工事のフィールドワークをもとにした「令和版・作庭記」、連載第9回です。

 今回からはまた石組の造形的分析ではなく、職人たちのコミュニケーションや判断や行為に焦点をあわせ、彼らにとってはあまりにも当たり前で振り返られることもない日々の仕事のなかに庭師の知恵を観察したいと思う。
 連載第2、3回および第6、7、8回は、石組の具体的なかたちの分析が中心だった。しかし連載第4回、5回を思い出してほしい。ぼくも忘れかけていたので慌てて読み直しながら書いているのだが、そこでは庭の主要な園路となる延段のべだん敷設作業がはじまっていた。たしかな基準のない現場で親方や住職や職人たちがどのように共通のイメージをつくりだし、ともに働き、庭をつくっていくのか──つまりはの折衝に焦点をあわせて記述していた。
 庭師たちは古川自身もまだはっきりとはつかんでいない庭のイメージをともにつくりあげていくために、言葉や指差しを地面に引いた線に変換し、線を下地に、下地を仮置きされた板石に、仮置きされた板石を周囲の物体と複雑な関係にある緊密な配置に変換していく。連載第2回でその辺りに転がっている自然石を景石へと変えたように。たまたま手元にある言葉や身振りや線や石を次々と別の物へと変換していく庭師たちはまるで「わらしべ長者」のようだ。
 こうして基準のない庭に、徐々に安定した確度の高い状態がつくりだされていく。物が相互に結びつけられたこの庭こそが庭師たちの設計図となり、人々の意図はこの庭、あるいは配置された物体を媒体に変換される。
 つまり「者の折衝」を追うと「物の折衝」が現れる。
 今回と次回では予告していたとおり、このの折衝をとりあげる。現在の作業内容がつくりだす物の配置が、設計図のない現場でどのようにして関連する物や同時進行で組み上げられていく他の物とのあいだでおさまっていくのか? 物はどのように結びつけられ、なにを折衝しているのだろうか?

 

交換の連鎖に巻き込まれる青侍

 今は昔。奈良の長谷寺に参詣し、観音の慈悲をすがり願うは貧しい若き青侍あおざむらい。夢のなか、男は寺を出て最初に手に触れたものを手放すなというお告げを聞く。さっそく大門でつまづき倒れて起き上がったこの不運な男の手には、一本のわらのすじ、つまりは藁しべがあった。たまたま拾い上げたこの藁しべが、偶然か霊験れいげんか、すれ違う人々との間で次々と異なる物へと交換されていく。
 なく貧しかった男がとんとん拍子に財を手にして幸せになっていく様が、広く「わらしべ長者」[1]として知られるこの説話の中心なのだろうか?
 貧しさから逃れ出ることがいつの時代にも多くの人を惹きつけるという意味ではもちろんそうだ。しかしこの話の面白さは、たまたま手にした観音からのたまわり物、つまりはひとすじの頼りない藁しべがあぶわえた藁しべとなり、人々とのコミュニケーションをとおして三つの大きな蜜柑みかん大柑子おおこうじ)へ、その蜜柑が数たんの綺麗な布へ、さらには馬へ、田や家へと、相対的に安定した物体へと交換されていくそのリズムにある。
 冒頭、虻を結わえつけた藁しべを手に男が歩いていると車に乗った女と子どもが従者を連れてやってくる。子どもがこの虻を結わえた藁しべに目を留めてほしがったので、男は虻を結わえた藁しべを、女が差し出す三つの蜜柑に交換して別れた。
 寺から京への道中、男の身にはこの出会いと物の交換が幾度も訪れる。男と彼がたずさえている物、道中ばったり出会った人々と彼らがたずさえている物、つまりは複数の物/者ものが、一時的なコミュニケーションをつくりあげては解散する。生まれては消えるこの仮設的な結びつきのなかで物が交換され、人々と別れるたびに男は新たな物を手にしている。偶然か霊験か、この間欠的コミュニケーションと物の変換の連鎖こそがこの物語を駆動している。
 注目すべきは、道中出会う人々はたった一度男と交差して通りすぎてしまうのにたいして、物はこのコミュニケーションのなかで男の持つ物と交換されて男とともに進み、もう一度別のコミュニケーションのなかで交換されることになる。
 つまり人々は男と点で交差するに過ぎないが、物はこの点と点とを結びつけながら旅している。この説話の時間軸を紡いでいるのは物の系列、つまりは藁しべであり、蜜柑であり、布であり、馬である。人々のコミュニケーションのあいだをめぐる物の旅がこの説話をんでいる。
 男の人生そのものはさして重要ではない。物の旅が男の身の上に数度にわたって重なるがゆえにこの男が話のすじとなっているだけで、この偶然あるいは霊験が女たちの身の上に起これば女たちが、次に出会う主人あるじたちの身の上に起これば主人たちが話の筋になりえた。実際、女たちにとっては蜜柑よりも虻の結わえられた藁しべの方がより彼女たちの状態を安定させるのであり、主人たちにとっては布より蜜柑だった。その意味ではここに登場する人物たちは皆自らにとっての藁しべとともに彷徨さまよう「わらしべ長者」だったというわけだ。
 それゆえ、男もまたこの物の旅に交差する点に過ぎない。物語の中心は連鎖的に変換されていく物であり、物が媒体となったコミュニケーションである。人々のコミュニケーションの中心には物があり、変換される物の系列が人々の行為を拘束し、可能にしている。
 登場人物たちは各々自らが主人公の顔をして、物の旅のまわりをまわっている──藁しべとはまさに庭師が地面に引いた線なのだ。
 ぼくたちもまた、物とともに旅をしよう。

 

三叉のコミュニケーション

 庭には三叉さんまたという不思議な道具がある。大きさはさまざまだが、およそ四、五メートルの丸太三本の先端付近を太いステンレスワイヤで束ねただけの単純な道具だ。
 それぞれの丸太はワイヤで束ねられつつも、片側が結束されているだけなので、反対側はワイヤの拘束の範囲内である程度開くことができる。長さ四、五メートルの木製の三脚のようなものを想像していただきたい。
 庭では、重量のある石や植物を吊り上げるときにチェーンブロックという金属製の滑車機構を使用するのだが[2]、三叉はこの機構を中空に吊り支える支点となる。
 まず吊り上げようとする対象物の真上に三叉を正四面体状に開いて立て、結束部にチェーンブロックを吊り下げる。対象物にワイヤやスリングを巻いて引っ掛ける部分をつくり、チェーンブロックからフックを伸ばして引っかける。最後にチェーンブロックの鎖を引いていくと対象物がゆっくりと吊り上げられていく、というわけだ。

三叉とチェーンブロック。頂点からぶら下がっているオレンジ色の滑車と鎖がチェーンブロック。このときはチェーンが作業の邪魔にならないように足に巻き付けている。

 庭づくりのなかでは、とりわけ大きく重い石を据える際にこの原始的な道具が使用される。石組が佳境かきょうを迎えるとまずはこの石、次はあの石と、庭に散在する石を次々に動かすことになる。そんなとき、この巨大な四面体が庭のあちらこちらへ移動する様を見ることができる。
 この機構そのものもかなりの重量があるため、移動の際にはチェーンブロックをとり外し、三叉を畳んだ上で運ぶのが安全だ。とはいえ、近い距離を何度も行き来することになるのだから、この機構をいちいち解体して移動させ、たった数メートル先の目的地でまた組み立てるのでは手間がかかる。
 そこで現場では多くの場合、三叉を立てたまま、チェーンブロックもぶら下げたまま、三名の作業員が三つの丸太の端をそれぞれ抱え、正四面体に近い形状を保ちながら目的地まで運ぶことになる。慣れるとそれほど難しくはないのだが、この行為はなかなかに危うさをともなっている。

三叉を運ぶ。このときはチェーンブロックを外している。

 三叉の三本の足──この道具には足しかないのだが──をそれぞれに抱え、足並みを揃えて歩くだけ。見ているぶんには簡単そうだ。それなのに三本の足は持ち上げたとたんに強い力で外へ外へとひろがろうとする。予想外の動き。中空に浮かせたことで地面に固定されていた足が自由になり、自重で潰れようとする力が庭師たちを外へと押しひろげるからだ。
 三叉を持ち上げるということは、つるつる滑る床に三本の足を置くに等しい。庭師たちは支えているつもりで三叉の足を滑らせる潤滑油になっている。
 三叉の足が広がる。三人の作業者たちの身体はすぐさまその動きを感知する。ワイヤの結束も足を締めつけているのだから、足がひろがりきって倒れるということはほとんどない。ともあれ、まず重要なのは持ち上げつつも足が広がらないよう、正四面体の頂点に向けて斜め上に足を突き上げることだ。
 しかしここからが面白い。
 ひろがろうとする足の動きを各々が感知してそれぞれに修正しようと力を入れることで、つまりはひろがろうとする足にたいして、各々が各々の感覚で力をかけることで、足の開き方はいびつになり、重心は崩れ、三叉全体がバランスを欠きはじめる。

 三叉は地面を支持体にして、三本足の中央で重量物を吊り下げてこそもっとも安定する。なにかを吊り下げることで、丸太を束ねるワイヤは丸太の力と拮抗しつつ締めあげられ、足と地面の摩擦は大きくなり、重心も下に落ちるからだ。
 このとき、バラバラだった物体間の遊びは消え、三叉は緊密で強靱きょうじんな構造体になっている。
 この奇妙な構成がつくりだす均衡は、吊り下げた物体を外し、三本の足を持ち上げた途端に崩れ去る。頂部にチェーンブロックを残す三叉の重心は高くなり、足の摩擦も消え、頂部のワイヤは緩み、丸太は自由に遊動しはじめる。
 このとき、緊密で強靱だった構造体はワイヤで結束されているだけのバラバラの物体に戻っている。
 庭師たちはこの緩みきった構造体とともに庭を移動する。もちろん足元には石や道具といった障害物が多くあり、茂みや建物も行く手を阻む。進みながらも三叉の足を内側に寄せたり外側にひらいたりしなければならない場面が多く、目的地に到着するまでのあいだ拮抗を保ち続けるのは思いのほか難しい。三叉底面の三角形がひろがり過ぎると潰れてしまうし、同じくその三角形が小さくなり過ぎると、あるいは直線に近づき過ぎると、この不安定な構成はあっという間に倒れてしまう。
 不思議なゲームのようだ。
 もちろん三人が呼吸をあわせる必要はある。だが、要点はそこにはない。これは人間同士のコミュニケーションではないからだ。
 なにより重要なのは、三叉頂部の結束や重心の動きと呼吸をあわせること、この結束を介して伝わってくる限りでの残された二人の動き──たとえば障害物を避けて一人が内側に入り込んでくる──を理解し、それにあわせて自らの位置や力加減を修正し続けることだ。圧や振動や重みとして手元に伝わってくるこの情報を意識しない者がいるならば、三叉はたちまち転倒してしまうだろう。

 三人の職人たちは三叉という事物を媒介にして緩やかに、しかししっかりと結びつけられている。三人はお互いに呼吸をあわせるというよりは、束ねられた三叉の結束や重心の動きと呼吸をあわせ、突き上げながらも力を入れたり抜いたり、ときには斜め下に引っ張ったりしながら進まなければならない。
 一人の動きは丸太と結束を介して残る二人に伝わる。三人の力はお互いのあいだで直接拮抗するのではなく、遊動する結束を媒介に拮抗する。揺らぎながら進んでいく庭師たちが注意するのは残る二人の動き以上に三叉の結束と重心であり、この第四の行為者との関係で作業者は配置され、移動し、行為する。
 連載第5回で触れたとおり、の折衝はの折衝を媒体にして可能になるのだった。三叉という物を介してこそ、三名の作業員たちは相互に突き、牽引しあい、ひとつのコミュニケーションをつくりあげながら進んでいく。
 きわめて不安定な関係のなかに、揺らぐ安定性をつくりあげること──三叉の運搬は設計図を持たない庭師たちがいかにして協働し、折衝されていくかについての寓意ぐういのようだ。
 この三者、あるいは四者は物を媒介にして結びつけられている。三叉が倒れそうになれば職人たちは力の入れかたや配置を変えるしかない・・・・のであって、このコミュニケーションの主導権は部分的には三叉が握っている。三人の行為や思惑はこの揺らぐ三叉を媒体に折衝されざるをえない・・・・・・
 では、このの折衝を可能にするの折衝はどのようにかたちづくられているのだろうか?
 三人の庭師たちとともに揺らぎながら進んでいく三叉そのものに注目しよう。
 三叉は、頂部で結束されていなければ、実のところバラバラの丸太に過ぎない。真に三人を結びつけているのは丸太ではなく、頂部のステンレスワイヤであり、ワイヤが結束する限りでの三本の丸太である。
 ようするに、結束された物・・・・・・が媒体になっている。連載第5回をもう一度思い起こしてほしい。古川と住職の意図を折衝したのは板石のフロア、延段、地形、初手の平石の緊密な構成であり、この構成が古川の意図──デザインの問題──を住職の意図──蹴つまづかないようにする──に、住職の意図を古川の意図に変換していた。
 三人のコミュニケーションを結びつけているのは丸太を結わえるステンレスワイヤであり、結束された限りでの三叉である。重要なのはこの結束であり、結びつけるものだ。複数の事物を結束するステンレスワイヤが三本の丸太の、そして三人の作業員の動きを拘束し、かつ可能にしている[3]
 この結束、あるいは結びつけるもの──糸、紐、縄、ロープ、ワイヤ、チェーン──は庭仕事を考える上でも重要なモチーフだ。これらの道具は三叉のステンレスワイヤと同じく複数の人間や複数の物体の関係をとりもつ。それらは物と物の関係を測定し、結びつけ、あるいは物と者を結束する。丸太を束ね、巨大な石を吊り上げ、高木上で作業する庭師を吊り支える。

「万力」と呼ばれる結束のかたち。トラックの荷台に積載したバラバラの不安定な物を締め上げ、拘束する。

 三叉の運搬は相互の折衝のありかたを理解させるとともに、相互の折衝のありかたをも理解させる。三叉の運搬とは結束された複合的な物/者ものに拘束されたコミュニケーションである。

 

DIY的結束

 の折衝はの折衝を媒体にして可能になるとしても、媒体となる物の折衝をよく見なければならない。住職の、古川の、作業員の、つまりは者の折衝・・・・を支えてきた事物相互の緊密な構成──板石のフロア、延段、地形、初手の平石──はどのようにつくられていったのだろうか? 物の折衝とは具体的にどういったものなのだろうか?
これが今回と次回連載を貫く問いである。
 沓脱石くつぬぎいし付近の犬走りと山門付近の石畳を結ぶ延段の敷設ふせつ作業を、次は物の折衝に注目しながらたどり直してみよう。古川は沓脱石側の板石のフロアから山門側の石畳まで、延段を水平につなげることを語った。しかしその時点でも板石のフロアと石畳の高さの関係はまったく分かっていなかった。作業員の鷲田が問いただしたように──「水平? 高さ大丈夫ですか? どっちが高いんですかね?」──、あるいは彼が呟いたとおり──「基準が……」──、ここには決定的な基準が欠けている。
 もし延段を水平に続けようと思えばフロアと石畳のあいだの高さの関係を先に知るべきではないだろうか? そんなことはどうでもいいのだろうか? それとも、古川のなかには一定の根拠の手触りがあったのだろうか?
 ともあれ、延段を水平に結ぶことを要求された庭師たちは、この不安定で基準のない事物相互の関係を実践的に結びつけていかなければならない。庭は確定的な根拠の上に打ち立てられる安定した構造物ではない。ゆらゆらと揺らぐ不安定な動きのなかで諸要素を仮に結びつけながら、より安定的な結びつきへの変換──わらしべ長者──を繰り返すことによって、結束された複合的な物/者ものに拘束されたコミュニケーション──三叉の運搬──をつくっていくことだ。
 物の折衝はここからはじまる。
 この曖昧で基準のない現場で、遊動するバラバラな無数の事物を結びつけるもの──それはたんなる糸であり、棒であり、板である。

 板石のフロアの高さを決定する際、板石の高さと初手の平石の小端の高さの関係が問題となっていた。この二つの物体は、まずぴんと張った糸──水糸みずいと──で結びつけられる。たんなる糸が、バラバラの物と物のあいだに橋を架ける。
 次に、この糸にたいしてレベルと呼ばれる水準器あるいは水平器が添えられる。蜘蛛の糸のように二つの物体間を漂っているだけの糸に水平という属性をつけ加える。水糸のどちらかを仮に固定して水平を出し、もう片方の物体とのあいだにどの程度の落差があるか、どれくらいの高さになれば水平になるかを測定する。

水糸とレベルの組み合わせで板石のフロアと平石の小端の高さの関係を測定する。

反対側。平石の小端の上端に水糸を張る。

 水糸と同じく、レベルもまた単純な道具だ。気泡管に封入された溶液中に気泡が残されており、重力によって溶液が真下に溜まる、あるいは気泡が浮力によって真上に押し上げられる性質を利用している。より原始的にはうつわに水を入れ、水が示す水平と器の縁をあわせながら、糸を器の縁に沿わせることで代用可能な単純な機構だ[4]

レベル。気泡管に封入された気泡が見える。気泡管には三本一組の線が二組入っており、気泡が中央に来れば水平。測定する対象に水勾配などきわめて緩い傾斜をつける際には気泡がいずれかの線にかかるように調整する。

 一本の糸と、気体と液体の結束──たったこれだけの、ありあわせの物の組みあわせが、確たる基準を持たないこの庭にとりあえずの関係を仮設する。基準もなく無縁のままだった二つの物のあいだに、糸とレベルの結束が仮の橋を渡す。測定するもの同士が近ければ、この糸は棒や板に変わるだろう。
 この結びつけ、調整するものとしての糸も、たんにあちらの端とこちらの端を結んでいるだけだ。糸、紐、縄、ロープ、ワイヤ、チェーン、それら紐状の道具に手近な物体を組みあわせ、とりあえずの関係を幾重にもつくりだしていく。
 面白いことに、この仮設的構成をつくりだす物体の多くは作業者たちによってストックされてきたほとんどゴミのような端材はざいである。水平の測定に使われる棒や板、水糸を仮固定する短い鉄筋などは、庭づくりに先行して現場に入ることの多い産廃業者や大工がゴミとして残した端材をストックしたものに過ぎない。それら端材と紐状の道具のとりあえずの組みあわせ、つまりはDIYが、庭に散在する物同士を結びつけていく。
 これが物の折衝の核心にある結束だ。「水平」さえも、庭ではDIY的結束によってつくられる。DIY的結束による水平らしきもの。

水平のDIY的結束。鉄筋の切れ端に結びつけられた水糸を測定対象にかけて張る。この糸にレベルが組みあわされる。

水平のDIY的結束のスケッチ。

 

歩み板によるとりあえずの水平のDIY的結束。測定対象が近い場合は水糸の代わりに棒や歩み板で結びつける。

歩み板による水平のDIY的結束スケッチ。

 この結束によって、たとえば水平らしきものが検出されたとしよう。こうした記録の詳細を紙の上にまとめていくならば、作業員や施主をスムーズに結びつける媒体、すなわち測量図ができあがるはずなのだが、この測定結果がノートに記されることはまずない。DIY的結束が支配する現場では、事物相互の関係はたんに作業員たちによって記憶されるか、測定した物の高さや配置をその場で変えて辻褄つじつまをあわせるか、あるいは赤色鉛筆で測定結果のしるしが物に直接記されるだけだ。
 つまり庭では、物体の水準から図面を構成するような形式の水準への飛躍は起こらない。あるいはほとんど起こらないと言うべきだろうか。水平は物のすぐ隣で、測定される物をも巻き込んだ結束として実現され、その測定結果は対象となる物に折り返し転写される。たしかに抽象化は起こるのだが、形式の水準はより抽象的な形式の水準へと変換されていくのではなく、すぐさま物の水準に折り返され、たたみ込まれる。
 物の水準から引き出された情報はコミュニケーションが必要な範囲で共有され、必要な範囲の物に転写されて消える。より安定的な配置をかたちづくるために足がかりとなった情報は、庭づくりが終わればその痕跡さえも空しく消えてしまうだろう。

情報は赤の色鉛筆で物に直接転写される。

物への転写。

 水平だけでなく、およそ直角や平行といった物と物の関係はすべて、糸やレベルや板や棒を媒介とする事物の結束によって実現され、測定され、その情報は物に直接記されるか、その場で物の配置そのものを変えることで達成される。
 庭師や大工といった職人たちは現場から情報を引き出して事務所のデスクに持ち帰る必要はない。彼らにとって物体と形式は隣接してそこにある。古川の庭には設計図がなく、この庭そのものが庭の設計図になっていると言ったが、それは庭では形式の水準は物に折り返され物に転写されるからだ。
 物相互の関係は物に直接記され、配置になる。庭師たちはきわめて具体的な、しかしその場限りで消えてしまう情報をかき集めて作業している。設計図のなかで、さまざまな線や形や数値が相互に参照しあうことでひとつの結束をつくりあげているように、ここでは板石や糸や棒といったさまざまな事物それ自体が、最小限の範囲で互いに結びつけられ、互いを参照しあう局所的なDIY的結束を形成している。
 この不安定な場にたしかな基準はない。だが、古川によれば「ひとつ決めれば関係ができる」。無数の鋼管とそれらを結束するクランプを頼りに自らが寄って立つ足場をその場で組み上げながら登っていく鳶職とびしょくのように。建設現場の足場は歩いてみると思いのほか揺らぐ。しかし揺らぐとはいえ相対的に安定している。部分的で相互参照的な結束がより安定的なものに変換され、いくつも重ねあわせられることで、安定しているとまでは言えないものの、不安定でもない、揺らぐ関係の束としての構造体がつくられていく。

 結びつけるもの、あるいは結束。こうした結束のひとつひとつは、三叉の運搬のように、そこに新たに関係する物を結びつけると同時に拘束し、それらの物を介して作業にかかわる古川や作業員たちや住職たちをこの物の結びつきと拘束の範囲でも結びつけ、拘束する。
 三叉の運搬は結束された複合的な物/者に拘束されたコミュニケーションなのだった。の折衝を媒介にしてが折衝される。その核心部をなす物の結束は設計図とは異なる具体的な仕方で、関係に組み入れられる物/者もののあいだに制約をつくりだしている。
 こうした物の結束の秘密を探ってみても、三角点や水準点のような基準に辿りつくことはなく、どこまで辿ってもまた別の局所的で仮設的な物の結束が現れるだけだ。
 庭における基準とは、関係を下から支える土台、あるいは上から吊り支える図面のようなものではなく、同一平面上に分散する物体相互の揺らぐ関係の束──DIY的結束──それ自体である[5]

 「わらしべ長者」の中心が物の変換の連鎖であることに変わりはない。しかし若くてなにも持たない青侍が物/者もののコミュニケーションの連鎖へと参入していくためには、ただ一本の藁すじを握りしめているだけでは足りなかった。男はこの藁しべになんらかの飛躍をあたえる必要があっただろう。
 この飛躍をもたらしたもの、それこそが顔のまわりをうるさく飛び回る虻をとらえて藁しべの先に括りつけたこの男のDIYである。事物の複合的なDIY的結束こそが、この説話を駆動する物の交換の起点となった。
 藁しべの性質を理解し、DIY的飛躍を成し遂げること。観音の霊験があったとすれば、男の手に最初に触れさせたものが「結びつけるもの」──糸、紐、縄、ロープ、ワイヤ、チェーン──だったということだろう。
 この説話では、男の人生も次々に出会う人々の人生もさして重要ではない。登場人物たちは各々自らが主人公の顔をして、物の交換のまわりをまわっている。にもかかわらず、DIYによって最初の飛躍をつくりだし、その後の出会いのなかでも次々と物/者もののコミュニケーションをつくりだしていったこの青侍の狡知こうちこそ、なにも持たなかったこの青侍が話の筋を担うことになった秘密である。
 さて、この狡知、つまりは物の折衝をつくりだす庭師の知恵こそ次回のテーマである。物の折衝はそれほどスムーズではない。いくつもの矛盾や軋轢をともなうこの折衝を庭師たちはどのように成し遂げるのだろうか?

 

[1]この説話は広く「わらしべ長者」として知られる。ここでは「参長谷男依観音助得富語はつせにまゐるをとこくわんのむのたすけによりてとみをうること」(馬淵和夫・国東文麿・稲垣泰一校注・訳『今昔物語集2 新編日本古典文学全集36』小学館、二〇〇〇年、二五四−二六一頁)、「長谷寺参籠男預利生事はせでらさんろうのをのこりしやうにあづかること」(小林保治・増古和子校注・訳『宇治拾遺しゅうい物語 新編日本古典文学全集50』小学館、一九九六年、二三四−二四四頁)、「長谷寺参詣男以虻替大柑子事はせでらさんけいのをとこあぶをもちてだいかうじにかふること」(三木紀人・浅見和彦・中村義雄・小内一明校注『宇治拾遺物語 古本こほん説話集 新日本古典文学大系42』岩波書店、一九九〇年、四七五−四八三頁)を参照した。いずれも観音の夢告からはじまるこれらの説話はほとんど同じ筋にしたがうが、『今昔物語集』では男の幸運を「観音の霊験」に結びつけ『宇治拾遺物語』や『古本説話集』ではそれほど強調されない他、交換される物の種類や数や人の呼び名に若干の異同がある。物の交換を主題とする本稿の意図を最もよく表しているのは『古本説話集』の表題だろう。『雑談集ぞうたんしゅう』(山田昭全・三木紀人校注『雑談集──中世の文学』三弥井書店、一九七三年、一五五−一五六頁)にもごく短い類話がある。ところで、古川はかつて「ちびっこ博覧会」という地元の有志が開催した子ども祭に出店し、庭木の剪定で出たタラヨウの葉を「字が書ける葉」として一束数十円で売ったという。まるで狐や狸が人を化かす昔話のようではないか。庭師にとっては剪定ゴミでしかない葉が興味津々ながら半信半疑の子どもたちに飛ぶように売れたというのだからまさに「わらしべ長者」のごとき交換である。もちろん翌日の教室は葉に文字を書く子どもたちで賑わったという。
[2]江戸期に籬島軒りとうけん秋里あきさとが編纂した『築山庭造伝(後編・中)』にも類似した機構のより単純なものとして蝉車せみぐるま大絞車おおろくろの組み合わせが描かれている(籬島軒秋里『築山庭造伝(後編・中)』国立国会図書館デジタルコレクション、コマ番号19、https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183930 最終閲覧日2022年9月16日)。
[3]準-客体としてのステンレスワイヤ。ミシェル・セールは荷車を引く二頭の牛を描き出しながらこう書いている。「その綱は、本人と他者と引っ張られる物とを結びつけている。二者のうちのいずれか一方のほんのわずかな勝手な動きも、ただちに、第三者たる物の動きに影響を及ぼし、その第三者の物の反応が、そのまま前二者の動きに作用を及ぼす。これこそ関係のシステムであり、相互作用の集合体である。その結果、このグループのそれぞれの構成要素は、力と動きによって力学的に結びつけられて存在しており、リアルタイムで他の要素の位置関係を理解する。それというのも、他の要素の位置についての情報が絶えず伝えられるからである」(ミッシェル・セール『自然契約』及川馥・米山親能訳、法政大学出版会、一九九四年、一七八頁)。セールによれば、これは言語を前提としないひとつの契約だ。綱はその範囲内での自由を保障し、限界において拘束する。岸壁を登攀するパーティが互いを結びつけるザイルのように、末端で受けとる情報は「ザイルで結ばれた他のすべての者たちについての情報のみならず、自分がその一部をなしているシステム全体の状況についての情報」にもなっている(同前)。局所と局所、局所と全体が、綱やザイルといった準-客体をとおして結ばれる。
[4]高階隆兼《春日権現験記絵かすがごんげんきえ》巻一(一三〇九年頃)にあるようなこうした原始的な木製器具を水準みずばかりと言い、それに水糸や水縄を沿わせて測定する。糸や縄の結束からなる平。
[5]では古川が延段を水平にすると決めたとき、そこにも一定の「揺らぐ関係の束」があったということなのだろうか? だとすればどういった結束を参照していたのだろうか? それとも、それらは作業員の一人を狼狽ろうばいさせたように、いかなる基準もない、破れかぶれの一手だったのだろうか? もちろんなんの考えもなかったわけではないだろう。水糸による石と石との関係が成立する以前にこの庭の諸要素を緩やかに結束していたもの、それはこの庭の表面全体を拘束している地形ちけいである。この場合の地形は連載第8回で現れた庭外部の山や平野部をも含む地形というよりは、庭の敷地内にひろがる、地形とも呼べないような極微地形のことだ。つまり古川は、おそらくそもそも庭の表面に分散している諸事物を結束していたこの極微地形を信頼していたのではないだろうか? この極微地形という結束の上に分散する諸要素を起点に新たな物を結びつけていくならば、ある程度矛盾のない結束を編みあげていくことができる。とはいえこの極微地形は庭において変更可能な変数のひとつに過ぎない。大聖院庭園でも後に変更が加えられることになったのだから、この地形も庭に分散する諸関係を下から支える根拠というわけではない。しかし沓脱石側の延石、山門側の石畳周辺、初手の平石周辺の関係は、地形によってあらかじめ水糸で結びつけられているのとほとんど同じ状態だったのであり、かつ、この地形は庭をつくりはじめる以前に問題──一部に水が溜まる等──を抱えていなかったのだ。

(第9回・了)

この連載は月1回更新でお届けします。
次回2022年10月24日(月)頃掲載予定