セントラル・セント・マーティンズ・カレッジでクリエイティブ思考法のセミナーを長きにわたり教えてきた著者が語るアイデアのエッセンス。本書『「クリエイティブ」の処方箋』は、自分のクリエイティブに気がつき、自信を持って才能に目覚め、生きていくヒントが詰まった1冊として、アーティストはもちろんビジネスマンまで幅広く評価の高い1冊です。
今回のためし読みでは、著者による「イントロダクション」を公開いたします。
イントロダクション
自分の居場所を見つけた。美術系の大学に通い始めてすぐのことだ。生まれて初めてそう思ったのだ。
大学以前の教育を振り返ると、創造性の芽は摘まれるべきものとみなされていた。教師や権力側の人間にとって、創造性は脅威だった。手懐けることができない、危険なものだった。ドラッグや万引きや賭け事から生徒を遠ざけるのと同じように、教師は創造性という危険物から生徒を隔離した。
美術大学では正反対だった。失敗こそが褒められるという空気があった。試して失敗することが許されていた。「ちゃんとやる」ことなどは求められなかった。試すという目的のためなら、まったく無意味と思えることでもやってしまう連中に囲まれた。いや、まったく無意味であることにこそ、意義があったのかもしれない。そこには自由に溢れた解放感があった。学校の外の世界では、誰もが疑いもせずに理性的であろうとし、みんながそうしているという理由だけで、同じことをしていた。ここに皮肉な逆説が見える。美術大学が推奨したアプローチの方が、理にかなった分別のあるアプローチよりも価値の高い結果を生みだすのだ。何年も経ってから美術系の大学に講師として戻ったときにも、創造性を重視する環境は変わっていなかった。
大学を卒業してから随分経つが、卒業後の私は、教師、アーティスト、執筆者、アドバイザー、講演者など何足ものワラジを履きこなしながら、クリエイティブであることのコツを収集して回った。王立芸術大学(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA))を卒業して以来、何回も個展を開いてきた。母校付属の美術館や、テート・ブリテンや、ナショナル・ポートレート・ギャラリー、そして海外でも、作品が展示された。1999年以来、ロンドン芸術大学内のセントラル・セントマーティンズ・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインで教鞭を執る一方で、国内外の企業のクリエイティブ・コンサルタントとして招かれ、プロの現場で発生する問題を解決できるような創造性を開発するためのセミナーを開いている。参加者はセミナーを通じてアイデアの本質を見極めるコツをつかみ、自分自身が、そして企業そのものが持ち合わせたクリエイティブな心を、より深く理解することができるようになる。
アートの世界にある創造的な心を、外の世界に注入することが私のミッションだとも感じている。この本は、自分のために書いたわけではない。世の中の役に立つから書いた。学生からありとあらゆる企業まで、科学者から事務員に至る幅広い職種の人の手助けをしてきたが、その体験の中で、クリエイティブな思考がいかに日々日常をまったく違ったものにしてしまうかをこの目で見てきた。例えば、ジャズの即興演奏の方法論を使うことで、総務課の業務がよりスムーズになった会社。鮫のせいで破産寸前に追いこまれたものの、逆に鮫をセールスポイントにして復活したスキューバダイビングの会社。わざと使いにくいデザイナー家具を作らせて売り上げを伸ばした家具会社などだ。
この本の目的は、創造的思考を可能にするコツを、要点を絞ってまとめることだ。そして、クリエイティブな人たちの思考の裏側を探り、誰にでも応用できるようにすること。さらに、クリエイティブな活動に取り組む人なら必ずぶつかる壁が、どのように乗り越えられてきたかという事例を、読者の皆さんと共有することも目的としている。その壁は、どんな仕事に就いている人でも、必ずぶつかる壁なのだから。自分には、特別な才能がないのではと悩むこと。燃えるような情熱を感じられずに焦ること。自分に向いていない分野で成果を出したいと焦ること。他の何よりも好きなことなのに、それで生計を立てられない。他に面倒を見なければならないことが多すぎる。若すぎる。歳を取りすぎている。青すぎる。擦れすぎている。そんな壁を乗り越える事例だ。
この本はどこから読んでもいいように書かれている。どうもクリエイティブな気持ちが低下していると思ったら、何かちょっとひらめきが欲しいなと思ったら、どのページでもランダムに開いてみられるように。
最初は、母校の美術大学が私に与えてくれたものに尊敬と感謝を込めて、その考え方を紹介したいという気持ちからこの本を書き始めた。しかしそれ以上に大切なことがある。創造的に考えるというのは、どのように生きたいかということなのだ。仕事の現場だけに限られることではない。クリエイティブというのは、絵を描くということだけではない。小説を書いたり家を建てるということだけでもない。あなた自身を創り上げるということなのだ。それは、より明るい未来を、今は手の届かない機会を、自分自身のために創り出すということでもあるのだ。