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2023.03.20

『いま、映画をつくるということ 日本映画の担い手たちとの21の対話』

ためし読み / 是枝裕和, 土田環, 岡室美奈子, 谷昌親, 長谷正人, 藤井仁子

2023年3月25日に発売される『いま、映画をつくるということ 日本映画の担い手たちとの21の対話』は、早稲田大学の人気講義「マスターズ・オブ・シネマ」2018〜2022年度の講義回から構成された1冊です。毎回多彩な映像制作者たちをゲストに、教員・学生との対話をとおして映画がいま、いかに生み出されつづけているかを解き明かしていきます。

今回は座談会「映画について教えるということ──講義『マスターズ・オブ・シネマ』について」の冒頭を公開します。映像制作を志す学生に限らず、現役クリエイター、あるいはそれぞれの映画作品のファンにとって必読の内容です。ぜひご一読ください。

 

 

[座談会]映画について教えるということ
──講義「マスターズ・オブ・シネマ」について
是枝裕和・土田環・岡室美奈子・谷昌親・藤井仁子=談

 

土田 「マスターズ・オブ・シネマ」は、安藤紘平先生によって早稲田大学で開講された科目で、すでに15年を超える歴史をもっています。この講義は現在どのような授業の場なのか、ご担当されているみなさんに率直な思いをうかがいたいと思います。

是枝 こういう現役の作り手を呼んで、現在進行形の話を聞き出すという時間というのは、大学の授業ではたぶん多くないですよね。僕が早稲田の学生だったときにもこういう授業があったらいいのになって思うような授業で、安藤先生に呼ばれたときにもできるだけ行くようにしていました。その後、早稲田に勤めるようになって運営を引き受けた後も、とても準備の大変な授業なので先生方にはご苦労をおかけしていると思いますが、これからもできる限り継続したいと考えています。

土田 是枝さんはこの講義について、基本的には教員とゲストの映画人の方々との対話で進んでいく授業ですが、できるだけ学生にも、短い時間ですが質疑応答の形でそのキャッチボールに加わってほしいとお話しされていますよね。

是枝 学生に限らずですが、世の中の対話の力というのが落ちてる気がするんですよね。1番落ちてるのは政治家かもしれないけど。人の話をちゃんと聞いてそれに応答することで、1人では生まれない何かが生まれる。これって社会で仕事をしていても一番大事なことなのではないかと思ってるんです。意識しないとそういう力はどんどん衰えていく。この授業で僕は、自分が喋るときも人に話を聞くときも、あまり準備をしないんです。1つ目の質問をして、相手の話を聞いて、そこから次の質問を考える。そういう状況に自分の身を置くのが、自分にとってもプラスになってるなという気がしている。映画の現場では反射神経とか動体視力が大事だという話を役者によくするんだけど、映画の作り手たちにとってそれはすごく必要な能力なんですよね。ゲストの方のそういう対応力を見聞きして、そこに学生の人たちも入ってきてもらって、その三者間のやり取りになっていくと、より充実した時間になるのかなと思ってるんですが、なかなかそこまでは届かないという気もします。

土田 僕自身が大学に入学した頃、原一男監督の主宰するCINEMA塾の公開イベントが毎月行われていて、田原総一朗から始まり、今村昌平、新藤兼人、土本典昭といった作り手の方々の作品を上映して、観客も交えて本人とディスカッションを行う催しに年間パスを買って参加していました。是枝さんとはそこで初めて観客同士として出会いましたね。誰かに出会うことは、求めて得られるものではない。しかし、求めずして得られるものでもない。今でもそういった場所へ自主的に赴く学生がもちろんいるわけで、わざわざ大学でこういう機会を設けるというのは贅沢なことなのかもしれません。上映者として場を作る仕事に携わっている人間としては、授業を担当していて複雑な思いもあります。

藤井 一昔前の大学だと、学生が自分たちで企画した講演会や座談会が盛んに開かれていました。私自身、大学時代に受けた授業のことは忘れてしまっても、そういう場で聴いた話はすごく記憶に残っていて、人格形成にも強い影響を与えたと思います。そういう大学のカルチャーが以前に比べると衰退してしまったように感じる中で、教員がすべてお膳立てしてしまっていいものか悩むところはありますが、座学の講義とは違う何かが伝わればいいなとは考えています。今回の本に採録されたものを活字で読み返していると、本当によく喋るインタビュアーだなと自分で自分が嫌になったのですが(笑)、同時に、映画のインタビューってもともとはこういうものだったはずだという確信を強くしました。映画監督や俳優へのインタビューはもちろん今も盛んに行なわれていますけど、ほとんどがもはや宣伝の一環なんですよね。かつて「カイエ・デュ・シネマ」でゴダールやトリュフォーといった批評家たちが始めた、「我々はあなたの映画をこう見た」と作り手に意見をぶつけて、そこから何かを引き出すような批評の一環としてのインタビューは、すっかり減ってしまった。作り手と批評家の真の「対話」が、今どれだけあるかということです。ですから、この本のサブタイトルにある「対話」というものの価値を改めて考える機会になってほしいと願っています。

土田 蓮實重彥さんの『光をめぐって』(筑摩書房、1991年)や、上野昂志さんが聞きになって録音技師の橋本文雄さんにインタビューをした『ええ音やないか──橋本文雄・録音技師一代』(リトル・モア、1996年)のように、それが時代に対する貴重な証言であると同時に、表現の生まれる瞬間を批評がとらえようとするスリリングな試みに惹かれて映画にのめり込んでいく経験が、それぞれの教員のなかにもあるのだと思います。映画制作に対して批評の視点から考えることを谷先生も強調されていましたよね。

谷 僕は所属が法学部で、もともと映画の授業なんてなかったところなのですが、ある時期に表象文化という副専攻のコースをつくり、そこで映画の授業を始めたんです。その延長線上で──「マスターズ・オブ・シネマ」が開設されてからはやめてしまいましたが──映画監督の講演会を何回か企画したことがあるんですよ。どうしてそういうことをやろうとしたかといえば、映画を見るということに意識的になってもらいたかったからです。映画を見ると、作品のことはもちろん、作り手のことも、本を読んだりしていろいろと知りたくなる。そうした映画の見方の広がりというものをもっと学んでもらいたい気持ちがあったんです。いつだったか、藤井さんがこの授業のオリエンテーションのときに「映画はやはり芸術なんです」と力強く言われたことがありましたが、この授業に出席している学生たちでも、映画を芸術だと考えている人はすごく少ない。個人的には映画はあくまで映画で、あえて「芸術です」と言い切りたくない部分も僕にはあるのですが(笑)、しかしそれくらい言わないと、映画を作品として見るということをしないのではないか、という危機感があるんです。

岡室 やはり私は「対話」とサブタイトルにつけていただいたのがすごく良かったなと。私自身としては、この講義は公開インタビューではなく、あくまでも対話だと考えています。学生の感想で「喋りすぎ」って言われたり、「先生はインタビューの仕方を知らないから教えてあげます」って言われることもあるんですが(笑)、この授業における私たち教員というのは、ある意味で作り手の人たちと学生を結ぶメディアだと思うんです。そしてメディアというのは、マクルーハンも言っているように透明ではない。だからこそ私たちは、そのメディアとしての責任を果たすためにも、自分の意見をきちんと伝えなければいけない。そうしないとゲストである作り手の皆さんにも失礼だと考えています。

谷 僕の授業では映画作品についてレポートを書かせたりもするのですが、読んでみると「これは自分が感動したからいい作品だった」とか、「ワクワクドキドキした」とかみたいな文章がとても多い。ここ数年のことで言えば、「没入感があってよかった」という表現が増えましたね。これはたとえばテーマパークやゲームで喧伝されるような価値観につながる表現で、本人たちは自分なりに映画を受けとめていると感じている。でもそれって本当に彼らの自由な関心に導かれた感想なのか。結局は与えられた枠組みの中で楽しんでいるだけなんじゃないか、と考えてしまう。もっと自分で身を乗り出してその作品のよさを見つける喜びも映画にはあるんじゃないか、そういう見方をしてほしい。だからこの授業の対話という形式では、映画について作り手がこんなふうに考えているということを引き出すとともに、映画にはこういう見方があるということを意識的に言葉にするようにしています。

岡室 講義の前には見られるだけの作品はできる限り見ていますし、映像を見せながらお話を聞くこともありますが、そういうふうに細部についての質問をすると、作り手の方は思った以上に喜んでくださって、思わぬ話が引き出せたりもする。1つの作品に対し、見る人が100人いればそこには100通りの受容の仕方がある。その受容のあり方を、できるだけ豊かなものにしていく場がこの授業だと思うんです。ふだん私は作品分析の仕事をしていますが、それは作品を批評する以上に、できるだけ豊かに受容することだと考えています。作品には本当にさまざまなものが込められていて、1回や2回見ただけではいろんなものを取りこぼしてしまう。この授業の受講者は必ずしも映画を専攻している学生ばかりじゃないので、作り手のことを全く知らない人がたくさんいる。そういう人たちにも作品をより豊かに受容してもらうための実践として、この授業をやっています。

 

(この続きは本編でお楽しみ下さい)
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いま、映画をつくるということ 日本映画の担い手たちとの21の対話

是枝裕和、土田環、安藤紘平、岡室美奈子、谷昌親、長谷正人、藤井仁子=編著

発売日:2023年03月25日

A5判・並製|280頁|定価:2,500円+税|978-4-8459-2146-1


プロフィール
是枝裕和これえだ・ひろかず

1962年生まれ。映画監督、早稲田大学理工学院教授。早稲田大学第一文学科卒業後、1987年にテレビマンユニオンに参加、1991年の作品『しかし……福祉切り捨ての時代に』などが大きな話題を集める。1995年、初の劇映画長編『幻の光』がヴェネツィア国際映画祭で「金のオゼッラ賞」を受賞。続く1998年の『ワンダフルライフ』は世界30ヶ国、全米200館の公開となり、日本のインディペンデント映画としては異例のヒットとなる。2004年の監督第4作『誰も知らない』はカンヌ国際映画祭公式コンペティション部門に出品され、同映画祭での史上最年少で主演の柳楽優弥が最優秀男優賞を受賞。2018年、『万引き家族』が同映画祭にて、日本映画では歴代5作品目となる最高賞パルム・ドールを受賞した。著書に『映画を撮りながら考えたこと』(ミシマ社、2016年)、『家族と社会が壊れるとき(ケン・ローチの共著、NHK出版新書、2020年)など。

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プロフィール
土田環つちだ・たまき

1976年生まれ。早稲田大学理工学術院講師。専門は映画学・文化政策(映画)。編著書に『ペドロ・コスタ世界へのまなざし』(せんだいメディアテーク、2005年)、『噓の色、本当の色:脚本家荒井晴彦の仕事』(川崎市民ミュージアム、2012年)、『こども映画教室のすすめ』(春秋社、2014年)など。

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岡室美奈子おかむら・みなこ

早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長・文学学術院教授。文学博士(ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン)。専門はテレビドラマ論、現代演劇論。主な編著書に、『ベケット大全』(白水社、1999年)、『サミュエル・ベケット!──これからの批評』(水声社、2012年)、『六〇年代演劇再考』(水声社、2012年)など、翻訳書に『新訳ベケット戯曲全集ゴドーを待ちながら/エンドゲーム』(白水社、2018)などがある。

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プロフィール
谷昌親たに・まさちか

1955年生まれ。早稲田大学法学部教授。専攻はフランス現代文学・映像論。1987年にパリ第三大学第三期課程博士号を取得。1990年に早稲田大学法学部専任講師、1999年より現職。主著に『詩人とボクサーアルチュール・クラヴァン伝』(青土社、2002年)、『ロジェ・ジルベール=ルコント──虚無へ誘う風』(水声社、2010年)、共著(分担執筆)に『世界×現在×文学作家ファイル』(国書刊行会、1996年)、『CineLesson3ゴダールに気をつけろ』(フィルムアート社、1998年)、『シュルレアリスムの射程』(鈴木雅雄編/せりか書房、1998年)、『We Canʼt Go Home Againニコラス・レイ読本』(土田環編/boid、2013年)、『クレオールの想像力──ネグリチュードから群島的思考へ』(立花英裕編/水声社、2020年)、訳書にミシェル・レリス著『オランピアの頸のリボン』(人文書院、1999年)、ジャン・エシュノーズ著『ピアノ・ソロ』(集英社、2006年)、ミシェル・レリス著『ゲームの規則囁音』(平凡社、2020年)、共訳(分担翻訳)に『「新」映画理論集成2 知覚/表象/読解』(フィルムアート社、1999年)、ジル・ドゥルーズ著『批評と臨床』(河出書房新社、2002年)、共著・共訳(分担執筆・分担翻訳)に『ジャン・ルーシュ──映像人類学の越境者』(千葉文夫・金子遊編/森話社、2019年)などがある。

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プロフィール
長谷正人はせ・まさと

1959年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。映像文化論・文化社会学。著書に『悪循環の現象学』(ハーベスト社、1991年)、『映像という神秘と快楽』(以文社、2000年)、『映画というテクノロジー経験』(青弓社、2010年)、『ヴァナキュラー・モダニズムとしての映像文化』(東京大学出版会、2017年)ほか、翻訳書に『アンチ・スペクタクル』(共編訳、東京大学出版会、2003年)、トム・ガニング『映像が動き出すとき──写真・映画・アニメーションのアルケオロジー』(編訳、みすず書房、2021年)、リサ・カートライト『X線と映画──医療映画の視覚文化史』(監訳、青弓社、2021年)ほか多数。

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プロフィール
藤井仁子ふじい・じんし

1973年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専門は映画学。編著書に『入門・現代ハリウッド映画講義』(人文書院、2008年)、『甦る相米慎二』(共編、インスクリプト、2011年)、『森﨑東党宣言!』(インスクリプト、2013年、ともに共編、インスクリプト)、共訳書にスーザン・レイ編『わたしは邪魔された──ニコラス・レイ映画講義録』(みすず書房、2001年)。

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