『太陽がいっぱい』『キャロル』を生んだ人気作家、パトリシア・ハイスミスの謎に包まれた作家人生と素顔に迫るドキュメンタリー『パトリシア・ハイスミスに恋して』が、11/3(金・祝)より公開となります。この度、映画公開を記念して、ハイスミスの唯一の小説指南書『サスペンス小説の書き方 パトリシア・ハイスミスの創作講座』より、執筆について論じた「喜びの感覚」を無料公開いたします。映画とあわせてどうぞお楽しみください。
喜びの感覚
これまでに語らずじまいであった感情、何よりも大切な感情とともに、この本を終えることにする。それは個別性であり、書くことの喜びであり、どうしても説明することのできないものである。言葉の中に捕えて、誰かに手渡して、共有したり利用したりはできない。それは、部屋の中で働き、汗を流し、悪態をつき、ひょっとすると数分間の勝利と満足を嚙みしめてきた作家の前で、執筆が部屋を——どんな部屋でも——きわめて特別なものに変えてしまう、不思議な力のことである。私は記憶の中にたくさんのそうした部屋を持っている。ミュンヘンからほど近いアンバックにある、天井があまりに低くて片側の端には立つこともできない、かつてはメイドが使っていた宿屋の小さな部屋。イギリスの海沿いの街にある、ひどく寒くて水漏れのある部屋——沈没する船にいるかのように、絶望的な気持ちで亀裂を塞がなければならなかった。フローレンスにある、何も燃やしてはいけない決まりの薪ストーブが置かれた部屋。ローマにある、内装を思い出すたびに、辛い仕事とあたりの騒々しさの記憶が奇妙に結びついて喚起される部屋。こうした強力な記憶と感情を誰とも共有できないことが、執筆の孤独な特質なのである。
楽しい側面を見れば、執筆に六週間かかろうと、六ヵ月だろうと、それよりはるかに長かろうと、作業中は本の中に完璧に、かつ幸福に、没頭できる感覚がある。執筆中はその本を守らなければならない。たとえば、原稿の一部を非情な批評家になりそうな人物に見せて、自信を損なう可能性を作り出すのは良くない過ちである。けれども本を守ることによって、あらゆる精神的な打撃——破壊的な類いの、自身を傷つけ、心をかき乱しかねない打撃——から、今度は執筆が自分を守ってくれるのだ。
作家の存在の不安定さと孤立は、幸運が少しばかり顔をもたげた時には逆の側面を見せる。友人たちが都会に縛られている間、オフシーズンのマヨルカ島の太陽の下で数週間を過ごせるかもしれない。あるいは、ぼろぼろの船でアカプルコからタヒチまで航海する友人に同行できるし、その船旅にどれくらいの時間がかかるかも気にせずにいられるだろう。ひょっとしたら、その旅から一冊の本ができるかもしれない。作家の人生は、制約がきわめて少ない自由な人生である。苦難があるとしても、私たちは独りではなく多くの仲間がいて、人類が存続する限り独りになることもないという事実には、いくらかの慰めがある。経済状況はたいてい大きな問題になるし、いつでも気を取られてしまうが、それもゲームの一部なのだ。ゲームにはルールがある。大多数の作家や芸術家は、若いうちにはふたつの仕事を持たなければならない──金を稼ぐための仕事と、自分の執筆をする仕事である。状況はそれより少しばかり悪い。作家協会の報告によると、アメリカの九十五パーセントの作家が、生計を立てるために生涯にわたって別の仕事を抱え続けなければならないという。天が余計に働くだけの力を与えてくれなくとも、執筆への愛と執筆の必要性がそれを与えてくれるだろう。ボクサーと同じく、三十歳を超えると衰えが見え始めるかもしれない──すなわち、四時間の睡眠ではもはや続けられなくなり、だんだん税金に文句を言い出すようになり、社会の目的は自分たち全員を廃業に追いやることなのだと感じ始める。それでも覚えておくと良いのは、カタツムリやシーラカンスや、不変の形態を持つ他の有機生命体と同じように、政府が夢想されるよりはるか以前から、芸術家は存在し、生き残り続けているということだ。
(ぜひ本編も併せてお楽しみ下さい)
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『パトリシア・ハイスミスに恋して』
『太陽がいっぱい』『キャロル』を生んだ人気作家、パトリシア・ハイスミスの謎に包まれた作家人生と素顔に迫るドキュメンタリー
11/3(金・祝)より新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

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