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2025.06.18

マンガ研究者・小田切博によるアメリカン・ヒーロー・コミックスを解説した連載。第3回目の今回は、ヒーローと対を成す存在、「スーパーヴィラン」について。社会の不安を反映し、時にヒーローよりも鮮烈な印象を残す悪のキャラクターたちはどのように生まれ、どのようにその姿を変えてきたのでしょうか。


スーパーヴィランという存在

 最近は日本でも使われるようになってきましたが、「スーパーヒーロー」に対する対義的な概念として「スーパーヴィラン(Supervillain)」という言葉があります。
 物語上は、主人公(protagonist)に対するライバル、敵役(antagonist)にあたる役回りの登場人物で、スーパーヒーロー同様、超能力を持っている場合もない場合もあり、特徴的なコスチュームを着ているキャラクターも着ていないキャラクターもいますが、該当の主人公が活躍する物語に繰り返し何度も登場するのが一般的です。

 英語でこの言葉が使われはじめたのは「スーパーヒーロー」に対して若干遅い1910年代で、オックスフォード英語辞典では1912年の『ライフ』誌の紙面が初出とされています*1
 スーパーヒーローフィクションでいえばスーパーマンに対するレックス・ルーサーやバットマンに対するジョーカーなど、レギュラー的に登場する悪役が全員これに当たりますが、この概念はスーパーヒーローコミックスが初出という訳ではなく、小説や新聞連載のコミックストリップ、ラジオドラマなどにそれ以前から物語内に再帰的に登場する怪物や圧制者、悪人は存在していました。

 ドラキュラ*2を典型とする19世紀末のゴシック小説に登場する吸血鬼たち、シャーロック・ホームズのライバルとして現在でもたびたび二次創作に描かれる「悪の天才」ジェームス・モリアーティ教授*3、バック・ロジャースやフラッシュ・ゴードンといったスペースオペラのヒーローたち*4が戦う異星世界の独裁者など、スーパーマンの登場以前からスーパーヒーローが存在していたのと同様に、スーパーヴィランも既にフィクションの世界の中を暴れまわっていたわけです。

 では、最初に「スーパーヒーローコミックス」の敵役として登場したスーパーヴィランは誰なのでしょうか。
 考え方にもよりますが、少なくともそのうちのひとりはスーパーマン初の常連悪役である「ウルトラヒューマナイト(Ultra-Humanite)」だと思います。

カウンターとしての悪役

 ウルトラヒューマナイトは『アクション・コミックス』13号(1939)掲載のストーリーから登場したキャラクターです。
 この物語の中で、スーパーマンは一種の企業恐喝事件を追ううちに実行犯たちのグループの背後に彼らを操る黒幕の存在を感じとります。そして、犯人グループの隠れ家に乗り込んで出会ったのが、冷たい眼をした禿頭、車椅子の天才科学者、ウルトラヒューマナイトでした。
 スーパーマンと対峙した彼は自らの目的は世界征服であると嘯き、一度は罠によってスーパーマンを捕らえますが、けっきょく頑強な肉体を持つ彼を殺害することはできずに逃走を図り、その過程で生死不明のまま姿を消します。

 思わせぶりな退場から予想される通りに翌14号で彼は再登場し、以降19号で「死亡」するまで断続的に『アクション・コミックス』誌でのメイン悪役として活躍するのですが、じつは面白いのはこの最初の「死」以降です。

 悪役はなんらかのかたちでヒーローと対になるような性格を持たせられていることが多く、この「ウルトラ博士」の場合は名前からして「スーパー」に対する「ウルトラ」*5で、能力的にもスーパーマンが身体面での超人であるのに対し、並外れた知性を持つ一方で肉体は虚弱であるという、スーパーマンとは真逆の特性を与えられていました。
 ただ、この時期のスーパーマンには、まだ彼の唯一の弱点である、爆発した出身惑星の欠片「クリプトナイト」が登場しておらず、ウルトラヒューマナイトがいくら奸智を凝らした罠を張り巡らし、人類にとって致命的な毒物を合成しようと、異星人であるスーパーマンの無敵の肉体には効果がなく、けっきょくは一方的にやられるような展開で話が終わってしまいます。
 この点は彼の跡を引き継ぐかたちでスーパーマンの宿敵となるレックス・ルーサーも同様なのですが、40年代の彼らはスーパーマンの対等な敵手とはなり得ないような作劇上のハンデを抱えていたわけです。また、当時のスーパーマンは性格的にほぼ内面的な葛藤を持たないタフガイとして描かれており、ウルトラ自身や彼の配下の実行犯たちが事件捜査や捕縛の過程で命を落としても同情したりはしません。

 アメリカのスーパーヒーローコミックスに対し「単純な勧善懲悪」といった批判がなされることが現在でもありますが、悪役は主人公を追い詰めようがなく、主人公側に内省も葛藤もない、正義と悪が固定された当時のスーパーマン物語の構造はたしかに「単純な勧善懲悪」だったといえるでしょう。

 この無敵すぎるヒーロー像はそのままではドラマをつくりづらいため、脚本のジェリー・シーゲルは1940年にはクリプトナイトの原型となるスーパーマンの能力を奪う物質が登場するストーリーを書き上げていました*6
 しかし、このストーリーは当時のDCコミックス編集部には受け入れられず、クリプトナイトの設定は1943年にラジオドラマ『アドベンチャーズ・オブ・スーパーマン』で初登場*7、じつはコミックブックには1949年刊行の『スーパーマン』誌61号まで出てきません*8
 そして、このきちんとライバルになることが難しい状況の中で「最初のスーパーヴィラン」として登場したウルトラヒューマナイトは、『アクション・コミックス』20号(1940)で、その後の彼のキャラクター像を決定づけることになる、じつに斜め上な感じの復活を遂げるのです。

散歩する脳髄

 物語冒頭、休暇を兼ねた映画制作スタジオ取材でハリウッドを訪れた新聞記者クラーク・ケントは、人気女優ドロレス・ウィンタース襲撃事件に遭遇し、とっさにスーパーマンではなくクラークとして犯人を捕らえました。
 敏腕新聞記者らしく、感謝するウィンタース嬢から取材の約束を取り付けたクラークでしたが、翌日の晩インタビューのために家を訪ねると、なぜかすげなく追い返されてしまいます。
 豹変した女優の態度を不審に思っていると、ドロレス・ウィンタースは突然女優業からの引退を発表。俳優や監督、プロデューサーなど映画業界の名士を集めた大がかりな船上引退パーティを開催しますが、そのセレブたちを乗せた豪華客船が消息を絶ってしまいました。
 映画スタジオに届いた脅迫状からセレブに対する身代金の受け渡し場所と方法を知ったスーパーマンは、悪漢たちのアジトに潜入し、そこで再会したドロレス・ウィンタースの冷たい瞳に見覚えがあることに気付きます……察しの良い読者の多くはお気付きではないかと思いますが、撮影現場での襲撃から翌日の取材までのあいだに彼女の「中味」が入れ替わっていたのです。

 じつは前号のラストで「死亡」したウルトラヒューマナイトはその後一時的に蘇生しており、部下に命じて女優を誘拐させると損傷の激しい自身の身体から彼女の健康な身体に脳を移植して成り代わっていたのでした。

 しかし、この気の毒な女優の身体も『アクション・コミックス』21号で「死亡」してしまい、23号で新たなレギュラー悪役としてレックス・ルーサーが登場したこともあって、このあと「ウルトラ」は80年代まで登場しません*9
 しかも再登場以降そのキャラクターの最大の特徴は「天才的な頭脳」というより、脳移植によって「何にでも」なれるキャラクターである点に変わっていきました。
 現在の彼の外見は、頭部がグロテスクに肥大化した体毛が白いゴリラであることが多いのですが、これは彼が80年代のストーリーでゴリラの身体に脳を移植したことによります*10

 このため、近年彼の登場する話ではゴリラの身体能力を全面に押し出した戦闘要員としての活躍もそれなりに多いのですが、本来の彼の能力の根源はその頭脳であり、キャラクターとしての特色は脳移植によって他者の肉体が持つ能力を奪ってしまうことにあるわけです。

ステロタイプとしての「悪」

 コミックス研究者、ピーター・クーガンはその著書『スーパーヒーロー:シークレットオリジン・オブ・ジャンル(Superhero: The Secret Origin of a Genre)』*11の中で、スーパーヴィランを「モンスター」、「首領」、「マッドサイエンティスト」、「黒幕」、「反スーパーヒーロー」の五つに分類しています。
 クーガンによれば、この分類はキャラクターに対して一対一対応するような固定的な概念ではなく、キャラクターによって複数当てはまることもある、要素分類的なものです。

 この考え方に従えば、初登場時は犯罪組織のボス、黒幕という性格が強かったウルトラヒューマナイトは、脳だけの存在になることでよりマッドサイエンティスト色の強いキャラクターになり、さらに怪物的な身体を手に入れることでモンスター要素をも獲得することになったといえるでしょう。

 19世紀末から20世紀はじめ、科学技術の発達や帝国主義、世界大戦といった社会の変化の中で、人々がその時々に何を恐れてきたか、何を「悪」と見做そうとしてきたかが、パルプ雑誌やコミックブックのような大量生産、大量消費を前提にする大衆向け娯楽メディアの中でより明瞭に表現されるようになっていきました。

 たとえば紀元前の神話や伝説にまで遡ることのできる超自然的な怪物たちやフランケンシュタインの怪物に代表される「科学」への恐れ、スーパーマン以前から大衆小説やコミックブックにはフー・マンチュー(Fu Manchu)*12のようなアジア系の悪の大立者が盛んに登場していましたが、これは1924年にアメリカ合衆国で施行された排日移民法に象徴される20世紀初めの黄禍論的なアジアへの恐怖によるものでしょう。大衆文化の中で流通する「悪」のイメージやそのバリエーションは変転する時代の中で常に変化し続けてきたのです。
 70年代以降、ベトナム戦争の泥沼化や公害問題の表面化、ニクソンショックなどによって政治権力や体制への不信が広がると、腐敗した権力者が「悪」としてクローズアップされることになりますし、2017年に起きた大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる長年に渡る多数の女性たちへの性加害に対する公的な告発は、より私的でミニマルなレベルの権力勾配を利用したハラスメントをアメリカ社会を超えたレベルで「悪」として再発見させることにつながりました。

 スーパーヒーロー同様、スーパーヴィランにも本質主義的な象徴性を見出すことは難しく、終わらない物語のなかで、そのキャラクターとしての役割や意味付けはコロコロ変わっているわけです。

スーパーヒーローの没落

 ただ、そうした象徴的な意味性の問題以上に、悪役はヒーローに比べ物語展開上ぞんざいな扱いを受けがちだということはいえるだろうと思います。
 特に「ウルトラヒューマナイト」のように、登場は古いのにレックス・ルーサーやジョーカーのような特定のヒーローに対する好敵手としてのポジションをうまく確立できなかったキャラクターはスーパーヒーローコミックスにおいてはヘンテコなことになりがちです。

 初登場時には車椅子の天才科学者だったのが、いつの間にか女性になり、さらにゴリラになってる時点でなんだかよくわかりませんが、彼が気の毒なのは、度重なるDCコミックス世界の設定変更の結果、一時期スーパーマンと無関係なキャラクターということになってしまっていたことでしょう。

 日本では「アメリカンコミックス」といえば、スーパーマンやスパイダーマンのようなスーパーヒーローコミックスをイメージするひとが多いのですが、アメリカンコミックスという文化においてスーパーヒーローコミックスは必ずしも常に支配的な影響力を持ったジャンルだった訳ではありませんし、コミックブックにおいて圧倒的な人気を誇った40年代を過ぎるとその人気は一度はっきり低迷しています。
 50年代に入るとコミックブックからスーパーヒーローたちは徐々に姿を消していき、変わって人気を博したのが扇情的な残酷描写を売りモノにしたホラーコミックスやクライムコミックスでした。

 こうしたコミックブック業界での流行は、現在の二大スーパーヒーローコミックス出版社であるDCコミックス、マーベルコミックス(当時はタイムリー/アトラスコミックス)にも同様の影響を与えており、50年代半ばにはホラーやクライムといった新興ジャンルに押されてスーパーマン、バットマン以外のスーパーヒーローはコミックブックの紙面に登場しなくなっていたのです。
 これら新興ジャンルの人気は、その内容が教育上問題であるとして批判されたこともあって、1954年にコミックブック業界に自主規制制度が導入され、徐々にその勢いを失っていくのですが、スーパーヒーロー人気の失速自体は、ジャンルや規制の影響というよりは第二次世界大戦後のアメリカ社会において40年代までのコミックスの物語が時代遅れになっていたためだと思われます。
 戦前、戦中にアメリカの「正義」やナショナリズムへの熱狂によって国内や戦地で爆発的に支持されたスーパーヒーローたちの楽観的な勝利の物語は、原爆投下から東西冷戦、赤狩りと不安感を高めていく戦後の社会の中ではいかにも牧歌的であり、前時代的で共感しがたいものになっていたということでしょう。

 この辺りの事情は日本の漫画において、戦前に人気漫画だった『のらくろ』や『冒険ダン吉』の物語や表現が時代遅れになり、戦後は手塚治虫の児童漫画、継いで貸本劇画が人気を博していった事情とある程度共通するものだと思います。

設定は変わる

 一度衰退したスーパーヒーロー人気が復活するのは、50年代後半から60年代にかけて今度は「スーパーヒーロー」のリメイクがコミックブック業界の流行になったためです。
 40年代の黄金期(Golden Age)に対して白銀時代(Silver Age)と呼ばれるこの第二次スーパーヒーローブームは、一般的にDCコミックスが1956年にアンソロジータイトル『ショウケース(Showcase)』4号*13に40年代のヒーロー、フラッシュのリメイクを掲載したことから始まったとされています。
 オリジナルの「フラッシュ」は、大学生のジェイ・ギャリックが教授の指示でおこなった化学実験中の事故で超高速で運動できる能力を得たことから生まれたヒーローでした。
 対してこの『ショーケース』版のフラッシュは能力こそ同一ですが、コスチュームデザインも違いますし、正体も警察の科学捜査研究所の研究員、バリー・アレンで、能力を獲得したきっかけも化学薬品と落雷の複合事故でゴールデンエイジ版とは微妙に異なっています。

 DCコミックスのスーパーヒーローリメイクは、色んな意味で解像度が低かった40年代のスーパーヒーローたちの能力やキャラクターの設定によりリアリティを持たせ、人物や物語をより立体的に描いたものです。
 コードネームと能力は同じでも、フラッシュのようにその「中身」は別人である場合もあり、中断期間が存在しないスーパーマンとバットマン以外は作劇や世界観にはっきり断絶があります。

 ややこしいのは、1960年代に入ってDCコミックスがこの切断をストーリーテリングに利用し始めたことです。
 1961年に刊行された『ザ・フラッシュ』123号*14で40年代のフラッシュと50年代のフラッシュが並行世界の存在として対面するストーリーが語られ、そこからいわゆる「マルチバース」の考え方が導入されました。つまり、中断前の世界とリメイク後の世界は別次元の存在ということになり、さらに86年におこなわれたイベント*15で40年代のDCコミックス世界にはスーパーマンとバットマンは存在しなかったという設定改変がなされます。

 その結果、40年代の悪役であるウルトラヒューマナイトはスーパーマンとは無関係だということになってしまいました*16

遡及的文脈変更

 このような後づけの世界観やキャラクター設定の改変は「遡及的文脈変更(Retroactive Continuty / RetCon)」と呼ばれ、80年代半ば頃からアメリカのスーパーヒーローコミックスにおいては一般的な作劇上のテクニックと見做されるようになっていきます。

前提として、終わることができないために増加していく一方の世界観や設定、キャラクターのプロフィールなどの連続性を持つ情報が相互に矛盾を来すようになってくると、スーパーヒーロー・フランチャイズでは辻褄を合わせるために過去のエピソードの内容を変えてしまうことが常におこなわれるようになったわけです。
 個人的にはアメリカのスーパーヒーローに限らず、長期に渡って展開されているエンターテインメント・コンテンツの内容がハイコンテクストでわかりづらいのは、この「遡っての内容変更」があるためだと思っています。
 たとえば「主役であるヒーローがじつは悪人でした」という改変がなされれば、当然それまでのストーリーの意味自体が変わってしまいますし、悪役や脇役のようなより物語内での比重が軽いキャラクターに関してもいつの間にかまったく違う人物像になっていたら読んでいて面喰らってしまうでしょう。
 ここまで説明してきたように、ウルトラヒューマナイトというスーパーヴィラン自体がこれまでけっこうな設定変更を経験してきたのですが、このキャラクターに関連して一番驚いた改変はウルトラ自身に関するものではありません。

 1940年にウルトラヒューマナイトによって身体を奪われてしまった女優、ドロレス・ウィンタースの「脳」の行方が67年後の2007年になっていきなり判明した*17ことでした。

 じつは『アクション・コミックス』20号での彼女の出番は冒頭の撮影スタジオの部分だけで、次のシーンでは既にウルトラヒューマナイトへと中身が入れ替わっています。以降彼女(の身体)はウルトラヒューマナイトとしてしか登場せず、その脳がどうなったかについて劇中ではまったく触れられていません。
 それが70年近く経った2007年に、40年代のスーパーヒーローを中心にしたチーム「ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカ(Justice Society of America)」のストーリーで、じつは彼女の脳は女優ドロレス・ウィンタースを崇拝する移植担当医師により保存されており、脳死した少女の遺体へと移植されていたことが突然明かされたのです。
 このエピソードで蘇ったドロレスは、自分の失われた美貌を求めて気に入ったパーツを持つ女性を誘拐してきては自分への移植を繰り返す一種のシリアルキラー兼犯罪者向け整形組織のボスになっていたことが語られるのですが、40年代にほんの数コマ登場しただけの被害者を数十年後に当たり前のようにヴィランとして再登場させるこの作劇は、伏線回収というにはあまりに無茶なものではないかと思います。


1 “OED’s earliest evidence for supervillain is from 1912, in Life.”, Oxford English Dictionary, https://www.oed.com/dictionary/supervillain_n1 “OED’s earliest evidence for supervillain is from 1912, in Life.”, Oxford English Dictionary, https://www.oed.com/dictionary/supervillain_n
2 Bram Stoker, “Dracula”, 1897, Archibald Constable and Company
3 Professor James Moriartyが初登場した”The Adventure of the Final Problem”は『The Strand Magazine』 1893年12月号掲載
4 Buck Rogersは1929年から、Flash Gordonは1934年からそれぞれコミックストリップが連載開始
5 Humaniteはフランス語でhumanityを意味する言葉でUltra-Humaniteという異名は「人間性を超越した存在」、つまりスーパーマン同様「超人」というニュアンスの名称だと思われる
6 この”The K-Metal from Krypton”というタイトルの脚本に関しての経緯はGerard Jones, “Men of Tomorrow: Geeks, Gangsters and the Birth of the Comic Book”, 2004, Basic Books に詳しい
7 ”The Meteor from Krypton”, “Adventures of Superman”, 1943, WOR-AM
8 Bill Finger脚本, Al Plastino作画, “Superman Returns to Krypton”, “Superman”#61, 1949, DC Comics
9 次に登場するのはE. Nelson Bridwell脚本, Kurt Schaffenberger作画, “The Enigma of the Empty Elevator”, “Superman Family”#201, 1980, DC Comics
10 このバージョンが初登場するのはGerry Conway脚本, George Pérez作画, “Targets of Two Worlds”, “Justice League of America”#195, 1981, DC Comics
11 Peter Coogan, “Superhero: The Secret Origin of a Genre”, 2006, planksip
12 Sax Rohmerが1912年から執筆をはじめた犯罪小説のシリーズキャラクター。のちに映画、ラジオドラマ、コミックス、テレビドラマなどにもなっている
13 Robert Kanigher脚本, Carmine Infantino作画, “Mystery of the Human Thunderbolt!”, “Showcase”#4, 1956, DC Comics
14 Gardner Fox脚本, Carmine Infantino作画, “The Flash of Two Worlds”, “The Flash”#123, 1961, DC Comics
15 Marv Wolfman脚本, George Pérez作画, “Crisis on Infinite Earths”, 1986, DC Comics, 邦訳は石川裕人, 御代しおり, 松澤慶香訳, 『クライシス・オン・インフィニット・アース』, 2015, ヴィレッジブックス
16 2005年のクロスオーバーイベント“Infinite Crisis”でこの設定は再度変更され、DCコミックス世界の世界設定が改変されるたびに彼のオリジンは微妙に変わっている
17 Scott Beatty脚本, Rags Morales作画, “Skin Trade”, “JSA Classified”#19, 2007, DC Comics

 

 

プロフィール
小田切博

小田切 博
ライター、アメリカンコミックス研究。著書『誰もが表現できる時代のクリエイターたち』、『戦争はいかにマンガを変えるか』(ともにNTT出版刊)、『キャラクターとはなにか』(ちくま新書)、共編著『アメリカンコミックス最前線』(トランスアート刊)。

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