• Twitter
  • Facebook
2025.08.11

マンガ研究者・小田切博によるアメリカン・ヒーロー・コミックスを解説した連載。第5回目の今回は、ベトナム戦争や冷戦を背景に、1960年代から70年代のマーベルコミックスに登場した新しいスーパーヒーロー像を紹介します。かつての戦争協力的な「愛国ヒーロー」像とは異なり、社会不安や分断を映し出すような、葛藤や苦悩を抱えたヒーローたちがこの時代に登場しました。

 

「新しい」ヒーロー像

 

50年代半ばから60年代にかけてのDCコミックスのスーパーヒーローリメイクが、第二次世界大戦後の社会や文化に合わせ、かつてヒットしたコンセプトの物語やキャラクターをアップ・トゥ・デイトするものだったとすれば、60年代から70年代にかけてマーベルコミックスがスーパーヒーローコミックスというジャンルでおこなったことは、より同時代的な新しいヒーロー像を確立することでした。
宇宙船の事故によって人間を超えた能力を獲得した四人の宇宙飛行士が、互いを支え合うことで擬似家族を形成しようとするファンタスティック・フォー[1]。
感情の暴走で制御不能なモンスターになってしまう科学者が逃亡を強いられる中で苦悩するハルク[2]。
超能力を得た若者の思春期的な不安と成長を描くスパイダーマン[3]。

1961年にアトラスコミックスから社名を改め、『ファンタスティック・フォー』創刊でリニューアルしたマーベルコミックスでは、ヒーローもヴィランもその多くが「パワー」と引き換えになんらかの代償を要求されるというキャラクター設定になっています。
原子爆弾による殲滅戦争への恐怖やその原因となり得るソビエト連邦に代表される共産主義国家とアメリカ合衆国に代表される資本主義国家との東西冷戦、共産主義者に対する弾圧、労働問題、人種差別、環境問題、朝鮮戦争、ベトナム戦争といった戦後アメリカ社会の不安を反映するように、そこでの彼らの能力は特権的なものではなく、むしろ一種の障碍であるかのように描かれていました。

この「悩めるスーパーヒーロー」たちはその後アメリカのスーパーヒーローコミックスにおけるキャラクター描写を立体化し、物語を近代化していきます。
マーベルヒーローたちの登場を機に、40年代のブーム期の作品に見られる固定化された正義と悪が戦い合う「役割演技(ロールプレイ)」から、葛藤の中で登場人物たちが変化していくモダンなドラマへとこのジャンルは脱皮していったのです。

 

カウンターカルチャー

60年代はまた(特にアメリカにおいては)カウンターカルチャーの時代でした。
コミックスというメディアにおいてこの若者たちの反乱と直接呼応した動きとしてはアンダーグラウンドコミックス(Underground Comix)がありますが、1969年のウッドストック・フェスティバルに象徴されることになるフォークやロックのようなポップミュージックと同じく、学生新聞などとも連携した当時の若者たちによる直接的な自己表現だったこのアンダーグラウンドムーブメントだけではなく、この時期は権威主義的な既存の芸術、文化に対する批判的な「自分たちの表現」として通俗的な大衆文化が再発見されていった時代だったといえます。
アンディ・ウォーホル[4]やロイ・リキテンスタイン[5]によるコミックスをモチーフにしたポップアート作品やスーザン・ソンタグのようなニューヨーク派知識人によるコミックスに対する再評価、マーシャル・マクルーハンに代表されるメディア論でのコミックスへの言及などもこのような時代背景と関連してなされたものだといえるでしょう。

その意味で、現在の日本でいう「サブカル」的なポピュラーカルチャーへの評価、関心の持たれ方はこの時期のアメリカのカウンターカルチャーを起源とするものといえるだろうと思います。
ゴールデンエイジのスーパーヒーローたちもこうした若者文化の文脈の中で再発見されたということができますが、60年代のマーベルコミックスはより積極的にこうした当時のアメリカにおける「サブカル」的な流行に「乗っかって」いました。

マーベルコミックスは1965年にレーベル名を「マーベル・ポップアート・プロダクションズ(Marvel Pop Art Productions)」に変えています[6]し、サーフィンが流行すればサーフボードに乗ったシルバーサーファー[7]を登場させ、学生運動が盛んになると学生たちとキャプテン・アメリカを大学のキャンパスで対決させています[8]。
当時のマーベルコミックスの編集責任者であり、主要タイトルのライターでもあったスタン・リーは思想面で進歩的だったというよりは、そういった風俗的な流行に敏感で自分たちのコンテンツに取り入れていくことに長けたビジネスマンでした。
『エンターテインメント・ウィークリー(Entertainment Weekly)誌の元編集者で、ライターのシーン・ハウは、マーベルコミックスの歴史を論じた著書『マーベル・コミックス:ジ・アントールド・ストーリー(Marvel Comics: The Untold Story)』[9]の中で1965年に雑誌『エスクワイア(Esquire)』誌に掲載された「キャンパスのヒーロー28人」という記事に、ジョン・F・ケネディやボブ・ディランと並んでスパイダーマンとハルクが挙げられていたことを紹介し、当時のマーベルコミックスが子どもたちだけではなく、大学生やヒッピーのような若者層から支持されていた事実を指摘しています。

日本国内では70年代の劇画ブーム以降、大人や若者が「マンガ」を読むことが日本固有の特殊な文化、風俗であったかのような主張がなされることがよくありますが、こうした当時の状況を見ると、60年代に日本の進歩的な若者たちが『忍者武芸帳』[10]の影丸や『あしたのジョー』[11]の矢吹丈を偶像視していたのと似たような感覚で、ピーター・パーカーやブルース・バナーがアメリカの若者たちから支持されていたことがわかります。
むしろ映画や音楽と同様に、コミックブックのヒーローたちも当時の若者たちから既存の権威への異議申し立てのために利用されていたのだと考えるべきでしょう。

 

ベトナム戦争

アメリカにおける「若者たちの反乱」の大きな要因のひとつは、ベトナム戦争に対する国論の分裂でした。
1954年に旧宗主国であるフランス軍がベトナムから撤退したことをきっかけに、アメリカ合衆国は資本主義勢力である南ベトナム(ベトナム共和国)へと直接、間接に軍事支援をおこなうようになりました。ベトナム戦争は、本質的には東南アジアの一地域における共産主義勢力と資本主義勢力の内戦です。そこへ軍事介入したことの是非を巡ってアメリカ国内では大きな議論が巻き起こることになります。
しかし、1964年にリンドン・B・ジョンソン大統領が戦闘部隊の派遣を命じて以降はアメリカ合衆国は戦争当事国になり、1975年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落するまで「アメリカの戦争」としてのベトナム戦争は続きました。
このため、60年代後半以降、アメリカでは市民や学生による反戦デモが活発におこなわれ、また長期に渡る戦争の影響でベトナム帰還兵の精神的な健康が社会問題化していきます。

ベトナム帰還兵の問題を扱った有名な映画作品としてはマーティン・スコセッシ監督、ロバート・デニーロ主演の映画『タクシードライバー』(1976年公開)がありますが、じつはシルベスター・スタローン主演の映画『ランボー』(テッド・コッチェフ監督、1982年公開)もほぼ同じテーマを扱う作品です。
デヴィッド・マレルの小説『一人だけの軍隊』[12]を原作としたこの映画は、第一作のヒットを受けてシリーズ化され、アニメ化などのメディアミックス展開もされたため、未見の方の中には娯楽アクション映画という印象を持たれているひともいるのではないかと思いますが、少なくともこの一作目のストーリーはまったく救いも爽快感もない、ひどく暗いものでした[13]。
スタローン演じる主人公ジョン・ランボーはベトナム従軍時代の戦友を訪ねてワシントン州の田舎町を訪ねますが、戦友は戦地で撒かれた枯葉剤の影響から癌を発症してすでに亡くなっており、彼は食事をしようと町に入ると横暴な保安官によって身柄を拘束され、保安官事務所に連行されてしまいます。
保安官たちによる暴力的な取調べによって、戦地で受けた拷問がフラッシュバックし、反射的に保安官補たちを倒して逃亡したランボーは、危険な浮浪者として彼を捕縛しようとする町の住人たちに反撃。兵士としての能力を活かした彼の暴力は狩る側と狩られる側を逆転し、平凡な田舎町を州兵が出動するパニックに墜としこんでいくのです。

国に命ぜられて異国で殺し合いをさせられた挙句、帰国しても平和なアメリカ社会にはうまく適応できず、戦場で負ったトラウマを抱えて彷徨わざるを得ない、この映画で描かれたランボーの姿は以降も映画やドラマの中で繰り返し描かれることになるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えた復員軍人たちの姿そのものだといえます。

 

キャプテン・アメリカとPTSD

スタン・リーとマーベルコミックスは、じつは60年代の時点でこの復員軍人たちが抱えるトラウマの問題を物語に組み込んでいました。
ーーといっても、PTSDがこの病名の精神疾患として認識されるようになったのは1980年、ベトナム帰還兵を対象にした研究を経てからのことです[14]。ですから、実際に物語の中でPTSDという概念が扱われているわけではありません。
彼らは純粋に「復員軍人たちの帰国後の社会不適合」という当時のニュースを時事ネタとして作品に取り込んでいたわけです。
そして、そのテーマを表現するために使われたキャラクターがゴールデンエイジの「愛国ヒーロー」キャプテン・アメリカでした。

前回触れたようにキャプテン・アメリカに代表される愛国ヒーローたちは、第二次世界大戦中に戦地とアメリカ国内の双方で、アメリカ参戦の正当性と国民の戦争協力を訴えることを体制と大衆から期待され、その期待に応えることで大きな人気を博したキャラクターたちです。
彼らが主張していた単純化された「アメリカの正義」の肯定は、当然東西冷戦と核戦争への恐怖による「漠然とした不安」を常に抱えている戦後のアメリカ社会の現状に釣り合ったものではありませんでした。

そのため、マーベルコミックスは共産主義への恐れと若者たちの反乱に困惑する戦後アメリカ社会で出版され、若者たちから支持されている自分たちの「新しいスーパーヒーロー」たちの元へとキャプテン・アメリカ、スティーブ・ロジャースを帰還させるにあたって、ある仕掛けを施しています。
キャプテン・アメリカは、じつは第二次世界大戦末期のヨーロッパ戦線での作戦で生死不明になっており、1964年の『アベンジャーズ(Avengers)』4号[15]でマーベル世界の主要なスーパーヒーローが結成したチーム、アベンジャーズによって発見されるまで、大西洋北方で氷漬けになり冷凍睡眠状態になっていた、という後付けの設定がそれです[16]。
この設定が追加されたことによって、スティーブ・ロジャースは浦島太郎のように、自分の生きていた時代から数十年後の未来に突然連れてこられた異邦人であることになり、『アベンジャーズ』誌での復活から70年代にかけてのキャプテン・アメリカの物語は、この「見知らぬ現代アメリカ」に対する彼の疎外感とそれでも何とかして自分の居場所を見つけ出そうともがくその実存的な苦しみが中心的な主題になっています。

文学研究者でポピュラーカルチャーに関する批評も書いているライターのショーン・ギレンは、2007年に刊行されたストーリー「デス・オブ・キャプテン・アメリカ(Death of Captain America)」[17]をきっかけに2009年に刊行された論集に寄せたエッセイ[18]の中で、きわめて内省的で暗いトーンを持ったこの時期のキャプテン・アメリカの物語をはっきり「PTSDを主題にしている」と分析していました。
正直にいえば、私自身はその世代ではないため、このギレンのテキストを読むまでは、70年代末に翻訳も刊行されていたこの時期のキャプテン・アメリカのストーリーの「暗さ」に対し、読んではいたもののよく理解できていたとはいえません。
むしろギレンの議論を読んで、当時のマーベルコミックスのスタッフたちがいかに当時のアメリカ社会の中で対立する政治的主張や世論から注意深く距離をとり、若者や兵士たちの私的な苦しみに焦点をあてることで時事的な社会問題を巧みに作品化していたか、はじめてその一端が理解できたような気がしています。

 

ペーパーバックヒーロー

実際、60年代から70年代にかけてキャプテン・アメリカは作中で二度ベトナムを訪れていますが[19]、二度とも人命救助目的で、南北どちらのベトナムにも与しようとはしていません。
劇中で彼が救おうとするひとたちを連れ去ったのも、現実のベトナムの政治勢力とは無関係なコミックス独自のヴィランたちであることが判明します。
この辺のバランス感覚は、2011年の映画『キャプテン・アメリカ:ザ・ファースト・アベンジャー』でも劇中での悪役が現実のナチス・ドイツではなく、そこから分派した秘密結社「ヒドラ」だったことからもいまだに配慮が必要なセンシティブな問題なのだろうと推察しますが、第二次世界大戦時に戦意高揚のために登場したキャプテン・アメリカは、戦後は逆にカウンターカルチャーに配慮した「アメリカの正義」からは距離をとった中立的な平和主義者として活躍していくことになったわけです。

しかし、いっぽうでポピュラーカルチャーは大衆娯楽であり、常に大衆の願望充足のために求められるコンテンツが供給される市場であり続けてきました。
1969年にアメリカの作家、ドン・ペンドルトンが第一作を発表した「ザ・エクゼキューショナー(The Executioner)」[20]シリーズを嚆矢とする「アクション・アドベンチャー」、もしくは「ペーパーバックヒーロー」と呼ばれる娯楽小説群は、カウンターカルチャーの影響を受けた比較的リベラルな価値観を描く60年代のマーベルコミックスに対して、社会に適応できない復員、退役軍人たちの不遇感や社会への不満、戦場にあった暴力行為を正当化するような作劇を提供したものだといえます。
70年代には日本でも「マフィアへの挑戦」というシリーズ名で翻訳され[21]、いくつか類似作品も翻訳されていたこの分野の作品は、70年代から90年代にかけて大藪晴彦から夢枕獏、菊池秀行あたりまで続く、新書ノベルズにおける国産バイオレンス小説のブームとも関連するものだと思われますが、このジャンルを特徴づけているのは社会への不信感からくる、復讐のような私的制裁とその手段としての殺人を含む暴力の肯定です。

「ザ・エクゼキューショナー」シリーズの主人公であるマック・ボランは、ベトナム従軍中にマフィアへの負債が原因で父と妹を失い、軍で身につけた戦闘能力を用いてマフィアに対して復讐を果たしていきます。
おもしろいのは彼は劇中での組織犯罪との戦いによって、社会から孤立していくのではなくむしろヒーローになっていく点です。
マック・ボランは、排他的な地域社会から一方的に排除されなければならなかったランボーや、トラウマを抱えながら現代アメリカ社会に必死に適応しようとしていたキャプテン・アメリカとは逆に「復讐」という自警行為によってアメリカ国内に居場所を見出していくベトナムからの帰還兵でした。
彼に代表される70年代に登場したペーパーバックヒーローたちは、暴力と殺人によって自己実現を果たしていく兵士たちだったのです。

そして、このマック・ボラン、エクゼキューショナーのスーパーヒーローコミックス版として誕生したのが、1974年刊行の『アメイジング・スパイダーマン(Amazing Spider-man)』129号[22]に敵役として初登場したフランク・キャッスル、またの名をパニッシャーというキャラクターでした[23]。

 

ヒーローとしての処刑人

現在のパニッシャーは、既に映画が複数つくられており[24]、現行のマーベル・シネマティック・ユニバースのメディア展開においてもテレビドラマ版『デアデビル』に登場、そこからスピンオフするかたちで彼自身を主役に据えたドラマシリーズがつくられるなど、すでにマーベル世界において確固とした人気と存在感を確立した看板キャラクターのひとりですが、『アメイジング・スパイダーマン』で初登場した時点での彼は、スパイダーマンの敵のひとりに彼が殺人者であると信じ込まされてその暗殺を請け負う殺し屋といった役どころで、人物像や背景もあまり書き込まれておらず、今後継続して登場するかどうかもはっきりしていない脇役のひとりに過ぎませんでした。

しかし、彼のクリエイターのひとりであるライターのゲリー・コンウェイはスーパーヒーローコミックスの世界にマック・ボランのようなキャラクターを登場させるというアイディアを気に入っていたらしく、複数のインタビューで両者の影響関係を明言しており、1975年には系列の出版社が発行していた記事も掲載される雑誌タイトル『マーベル・プレビュー(Marvel Preview)』誌の2号[25]にパニッシャーが単独で主人公をつとめる独立した短編を発表しています。
この作品ではじめて、フランク・キャッスルがかつては有能な海兵隊員で、家族とのバカンス中にマフィアによる処刑の現場を目撃してしまったことから妻とふたりの子どもを殺害され、ひとり生き残ってしまった彼があらゆる犯罪者に対する復讐のために「パニッシャー」となった経緯が語られました。
おもしろいのは、この雑誌のこの号にはドン・ペンドルトンのロングインタビューも掲載されている点で、この辺りからマーベルコミックス自体がマーケティングとしてパニッシャーというキャラクターを使ってこの新しいアクション小説の市場、読者との接点を探っていた可能性を考えることもできると思います。

また、現在では年齢設定の問題から例によって遡及的に過去が改変されてしまっていますが、オリジナルの設定ではフランク・キャッスルはベトナム戦争に従軍していたことになっており、創刊時はベトナム戦争経験者の実話に基づいて描かれた珍しいシリーズだった『ザ・ナム(The ’Nam)』誌でこの設定を元に二回彼が主役のエピソードが制作されました。
実際にはシリーズが打ち切りになったために刊行されなかった最後のストーリーも存在し、のちに独立した単行本のかたちで刊行されたこのエピソードを含めた三本のベトナムでのフランク・キャッスルを描いたストーリー[26]を読むと、彼がモラルと正義の狭間で悩む他のマーベルヒーローたちとは全く異なった存在であることがよくわかります。
この作品のフランクは、彼が「パニッシャー」になる前であるにもかかわらず、完全にペーパーバックヒーロー的なワンマンアーミーとして描かれており、敵である北ベトナムの兵士たちを容赦なく殺戮し、キャプテン・アメリカが頑なに踏み越えようとしなかった自身の政治的中立性など歯牙にもかけません。
彼はあくまで「敵は敵であるから殺す」職業軍人であり、パニッシャーになる前もなったあとも自己認識としては「ヒーロー」ではないのです。

現在アメリカでは、右翼や保守層がパニッシャーのトレードマークである胸に描かれた髑髏の意匠を自分たちの思想を表明するためのシンボルとして利用していることが問題視されている[27]のですが、彼らがキャプテン・アメリカのスターズ・アンド・ストライプス(星条旗)ではなく、パニッシャーのスカルマークを象徴として用いようとすることにはこうした戦後のアメリカ社会における「ヒーロー」像の変質、変遷の問題があるのだと思います。

 

 

[1] 初出はStan Lee脚本, Jack Kirby作画, “The Fantastic Four!”, “Fantastic Four”#1, 1961, Marvel Comics
[2] 初出はStan Lee脚本, Jack Kirby作画, “The Hulk”, “Incredible Hulk”#1, 1962, Marvel Comics
[3] 初出はStan Lee, Steve DitKo脚本, Steve Ditko作画, “Spider-Man!”, “Amazing Fantasy”#15, 1962, Marvel Comics
[4] Andy Warhol, 60年代初めからコミックブックやコミックストリップのキャラクターをモチーフにしたペインティング、シルクスクリーンを制作、発表している
[5] Roy Lichtenstein, 60年代初めからコミックブックをモチーフにしたペインティングを制作、発表している
[6] 1965年のうちにMarvel Comicsに戻している
[7] 初出はStan Lee脚本, Jack Kirby作画, “The Coming of Galactus!”, “Fantastic Four”#48, 1965, Marvel Comics
[8] Stan Lee脚本, Gene Colan作画, “Crack-Up on Campus!”, “Captain America”#120, 1969, Marvel Comics
[9] Sean Howe, “Marvel Comics: The Untold Story”, 2013, Harper
[10] 1959年から1963年まで貸本劇画として刊行された白土三平の作品、初版の版元は三洋社。現在は小学館から刊行されている
[11] 高森朝雄原作、ちばてつや作画のボクシングマンガ、1968年から1973年まで講談社『週刊少年マガジン』で連載
[12] David Morrell,“First Blood”, 1972, Rowman & Littlefield, 翻訳は沢川進訳, 『一人だけの軍隊』, 1982, 早川書房
[13] 原作小説のラストは映画よりもさらに暗く、州兵の指揮官としてあらわれたベトナム時代の上官によってランボーは撃ち殺される
[14] “History of PTSD in Veterans: Civil War to DSM-5”, “U.S. Department of Veterans Affairs”, https://www.ptsd.va.gov/understand/what/history_ptsd.asp
[15] Stan Lee, Jack Kirby脚本, Jack Kirby作画, “Captain America Joins… The Avengers!”, “Avengers”#4, 1964, Marvel Comics
[16] 実際にはマーベルコミックスの前身であるアトラスコミックスで50年代にもキャプテン・アメリカは登場していたが、時流にあわせて赤狩りを煽るような人物として描かれていたため、これもキャプテン・アメリカの名を騙る別人物、偽物だったという設定に後付けで設定変更されている
[17] Ed Brubaker脚本, Steve Epting作画, “Death of Captain America”, “Captain America”#24~42, 2007~2008, Marvel Comics, 邦訳は2011年に秋友克也, 石川裕人, 近藤恭佳の訳で『デス・オブ・キャプテン・アメリカ:デス・オブ・ドリーム』, 『デス・オブ・キャプテン・アメリカ:バーデン・オブ・ドリーム』の二冊がヴィレッジブックスから刊行
[18] Shawn Gillen, “Captain America, Post-Traumatic Stress Syndrome, and the Vietnam Era”, “Captain America and the Struggle of the Superhero: Critical Essays”, Robert G. Weiner編, 2009, McFarland
[19] Stan Lee脚本, Jack Kirby作画, “The Strength of the Sumo!”, “Tales of Suspense”#61, 1964, Marvel ComicsとStan Lee脚本, Gene Colan作画, “Captured in Vietnam!”, “Captain America”#125, 1968, Marvel Comicsの二作
[20] Don Pendolton, “The Executioner”, 1969~1980, Pinnacle, このオリジナルシリーズの完結後も版元をGold Eagleに移して現在までスピンオフを含めシリーズは継続中だが、すでにPendolton自身は執筆していない
[21] 日本では1973年から東京創元社でオリジナルシリーズが翻訳されていた。その後ロマンス小説で有名なHarlequin Enterprises Limitedの子会社であるGold Eagleに版権が買い取られたため、ハーレクイン・ロマンスの日本版の出版ラインでも翻訳が刊行されていたようだ
[22] Gerry Conway脚本, Ross Andru作画, “Punisher Strikes Twice!”, “Amazing Spider-man”#129, 1973, Marvel Comics
[23] ExecutionerとPunisherはともに「処刑人」という意味がある
[24] Mark Goldblatt監督, Dolph Lundgren主演, “The Punisher”(1989), Jonathan Hensleigh監督, Thomas Jane主演, “The Punisher”(2004), Lexi Alexander監督, Ray Stevenson主演, “Punisher: War Zone”(2008)
[25] Gerry Conway脚本, Tony DeZuniga作画, “Death Sentence”, “Marvel Preview”#2, 1975, Curtis Magazines
[26] この三つのエピソードは現在は単行本“Punisher Invades The ‘Nam”, 2018, Marvel Comicsにまとめられている。オリジナルは1990年、1992年、1994年の刊行
[27] Jesse Schedeen, “Punisher Co-Creator Gerry Conway Wants to Reclaim Iconic Skull Logo for Black Lives Matter”, “IGN”, 2020, https://www.ign.com/articles/punisher-co-creator-gerry-conway-skull-logo-black-lives-matter