マンガ研究者・小田切博によるアメリカン・ヒーロー・コミックスを解説した連載。第7回目の今回は、1990年代のアメコミ業界を象徴する存在、ヴァリアント・コミックスを中心に見ていきます。限定版カバーが投機対象となり、ショップがバブル経済の舞台と化した時代。編集者ジム・シューターの野心とともに、ヒーローたちが市場に巻き込まれていった過程をたどります。
1990年代のアメリカンコミックス
日本ではあまり知られていませんが、1990年代に一時マーベル、DCに次ぐ第三位のコミックスパブリッシャーだった(ことがある)ヴァリアントコミックス(Valiant Comics)というコミックス出版社があります。
90年代前半は、急激に成長したコミックショップ専門流通(ダイレクトマーケット)[1]の存在を背景に、コミックショップという小売りを軸にした投機的なコミックブックのブームが起きていた時期でした。
単行本化されることが稀だったコミックブックは、もともと趣味的な収集品(コレクティブル)としての性格を持っていたのですが[2]、特にこの時期のアメリカでは出版者が専門店向けの限定アイテム[3]を発売するようになってそこにファンの人気が集まり、スパイダーマンやXメンのような人気キャラクターが登場するタイトルの限定版は発売数カ月でショップ店頭での小売価格が数十倍になるようなことが頻繁に起きていました。
コミックショップを舞台にしたバブル景気的なブームが起きていたこの時代を象徴する新興コミックブック出版社のひとつが、このヴァリアントコミックスだったのです。
特に1992年に自社のオリジナル作品すべてを横断しておこなわれた大型クロスオーバー企画[4]「ユニティ(Unity)」[5]は、ショップが一定数以上の部数、同一タイトルを注文すると人気アーティストがカバーイラストを描き下ろしたその号の特装版を注文できるという「ヴァリアントカバー」[6]と呼ばれるシステムを導入したことで大成功を収め、ヴァリアントはマーベル、DC以外の知名度のないキャラクターを使ったスーパーヒーローコミックスの成功自体が疑問視されていた[7]当時のコミックブック市場で一気に「第三のスーパーヒーローコミックス出版社」へと躍進します。
このヴァリアントコミックスを、弁護士のスティーブン・マサルスキー[8]と組んで設立したのが1987年までマーベルコミックスで編集責任者の職にあったジム・シューターでした[9]。
コミックショップ流通とメディアコングロマリット化
シューターは1966年に14歳でDCコミックスに脚本を売ってライターとしてデビューした天才少年として知られ[10]、同時期にデビューしたロイ・トーマス[11]と並ぶスーパーヒーローコミックスの読者、ファン出身のコミックブックライター、編集者の第一世代を代表する人物のひとりです。
家計を助けるためにコミックブックの脚本を書き始め、1969年、高校卒業後すぐにマーベルコミックスに就職した彼は、そのあまりに過酷な労働環境に順応できず、一時コミックス業界を離れますが、1976年にアシスタント・エディターとしてマーベルに再就職すると、今度は順調にキャリアを重ね、1978年には統括編集長に就任しています。
じつは、このシューターがマーベルコミックスで編集者として辣腕を振るった70年代中盤から80年代にかけては、コミックブック業界全体が大きな変革を経験していた時期でした。
まず、先に述べたようにコミックショップ専門流通の急激な成長があります。
コミックショップが登場する以前のコミックブックの主な販売経路はニューススタンドやドラッグストア、雑貨店のような新聞を販売する店舗でした。コミックブックは新聞の副産物のようなものとして誕生したため、流通自体も書籍ではなく、新聞販売業者を利用して小売りへの配本がおこなわれていたのです。
こうした売り場面積も狭く、仕入れも不安定な従来の小売店に比べ、60年代から増加し始めたとみられる古書店をベースにしたコミックブック専門のショップにはコミックファンが集まるため、次第に店頭での新刊販売を求める声が顧客から上がるようになっていきます。このファンの声に答えるかたちで70年代はじめに登場したのがコミックショップ専門流通業者でした。
事前注文による買い切りをメインにしたこの新しい取次ぎと小売りの登場は、かつて「もっとも安価な娯楽」であったコミックブックの性質を急激に収集家向けのコレクターズアイテムへと変質させていきます。
もう一つの大きな変化が、コミックブック出版と映像メディアとの関係です。
コミックスのキャラクターは1940年代から映画やアニメーション、ラジオドラマなど、マルチプラットフォームでコンテンツ展開されていたわけですが、戦後はテレビ放送の普及、発達に伴って映画やテレビドラマをベースにしたコミックブックも増加していきました。
マーベルコミックスでも『2001年宇宙の旅』[12]や『スターウォーズ』[13]、『バトルスター・ギャラクティカ』[14]などの映画やテレビドラマを元にしたコミックブックが出版されています。
特にスターウォーズのブーム以降は、映像コンテンツのコミックブック展開はトイなどとも連動したキャラクターマーチャンダイズとしての性格も持つことになり、そこからコミックスオリジナルの派生作品が出版されることも多くなっていきました。
また、この時期はコミックブック出版社に限らず、メディア関連企業全体の系列化が進んだ時期でもあります。
たとえばマーベルのライバルであるDCコミックスは、1967年に親会社であるナショナル・ピリオディカル・パブリケーションズがキニー・ナショナル・サービスによって買収されました。このキニー社がアトランティックレコードやワーナーブラザースなどのエンターテインメント企業を次々と買収していき、1972年にワーナー・コミュニケーションズ社へと改称したのち、1989年にタイム社と合併して現在のタイム・ワーナーグループになっています。
1978年に公開され、大ヒットしたリチャード・ドナー監督、クリストファー・リーブ主演の映画『スーパーマン』[15]制作にはこうしたDCコミックスキャラクターのIP(知的財産)[16]としての権利の再編も関係していたわけです。
マーベルコミックスも1968年に企業買収され、シューターが入社した頃には、複数の出版社や映画スタジオを傘下に持つケイデンス・インダストリーズの系列会社になっていました。
DCと違いマーベルの場合はこの時期の親会社が大手映画スタジオではなかったため、多額の製作費をかけたコミックスキャラクターのブロックバスター映画[17]がつくられることはありませんでしたが、キャラクターコンテンツのメディアミックス展開自体は70年代から80年代にも複数の実写ドラマシリーズ、テレビアニメシリーズの制作[18]というかたちでおこなわれています。
もう一点、こうしたメディアミックスの増加に関連するポイントとしてトイメーカーとの関係があります。
アクション・フィギュアと「シークレット・ウォーズ」
日本においては、児童向けのテレビアニメーションや特撮番組が番組制作をスポンサードするトイメーカーとの関係の中で発展してきましたが、児童番組における商品CM規制の問題もあり、アメリカではながらくトイと連動するコンテンツメディアはテレビではなくコミックブックでした。
マーベルコミックスから刊行されていたトイ関連のコミックスタイトルだけでも『ロム:ザ・スペースナイト』[19]、『G.I.ジョー』[20]、『トランスフォーマーズ』[21]、『マイクロノーツ』[22]など多数あり、特にアメリカで発達した男児向けの樹脂製関節可動人形である「アクション・フィギュア(Action Figure)」とコミックブックというメディアの関係が深いことがよくわかります。
アクション・フィギュアは1964年に発売されたハスブロ[23]の「G.I.ジョー」を嚆矢とする商品カテゴリで、オリジナルのSF、ミリタリー、ファンタジーキャラクターやコミックス、映画、テレビ番組等に登場するキャラクターを立体化した玩具です。バービーなどの女児向け人形が「ドール」と呼ばれるのに対して「フィギュア」という呼称で呼ばれています。
1971年にメゴ[24]がDC、マーベルとライセンス契約を結び、トイメーカー側がコミックスキャラクターのフィギュアラインを商品展開するようになって以降は、スーパーヒーローコミックスのコンテンツ展開に沿った商品開発もおこなわれるようになりました。
小売としてのコミックショップの台頭、メディアミックス、商品化企画の増加といったスーパーヒーローコミックスを取り巻く環境が激変していったこの時期に、マーベルコミックス全体の制作部門の舵取りを任されていたのがジム・シューターでした。
マーベル時代のシューターは量的にも質的にも拡大していく業務に対し、タイトルやライン毎の担当編集者を定めるなど、立ち遅れていた制作部門の組織改革をおこない、ダイレクトマーケット限定フォーマット、タイトルのコミックブックの企画、「コンテスト・オブ・チャンピオンズ(Contest of Champions)」[25]、「シークレット・ウォーズ(Secret Wars)」[26]というマーベルコミックスに登場する主要なヒーローが全て登場するクロスオーバーイベントを初めて企画、制作し、成功に導くなどさまざまな功績をあげています。
特に「シークレット・ウォーズ」は、自他ともに認めるヒット企画であり、以降のコミックブック出版におけるクロスオーバーにも影響を与えたものなのですが、じつはこのイベントはトイメーカーの企画先行でつくられたコンテンツでした。
マーチャンダイズとクロスオーバー
クロスオーバー(Crossover)とは「交差」を意味する言葉で、スーパーヒーローコミックスにおいては、別なタイトルの物語やキャラクターが相互に関連性を持って登場し、展開するストーリーのことを意味する用語になります。
現在の作劇では、単に主役級のヒーロー同士が特定のコミックスタイトルの特定の号で共闘しているだけであれば「ゲスト出演」として扱われ、必ずしもクロスオーバーとは呼ばれないこともありますが、そもそも別な作品の主人公同士を共演させようという発想自体が「クロスオーバー」的なものだったといえるでしょう。
たとえば1940年のヒューマントーチとサブマリナーの共演やジャスティス・ソサエティの結成は、ごく初期の時点からアメリカのスーパーヒーローコミックスが「クロスオーバー」的な発想を持っていたことを示すものです。そして、このような考え方は、異なったタイトルや作品の登場人物たちが同一の世界に存在しているという「シェアード・ユニバース(Shared Universe)」というコンセプトに直結するものでした。
シェアード・ユニバースとは、物語の登場人物や出来事が共通する同一世界に属しているという作劇上の方法論です。
日本では、マーベル・シネマティック・ユニバースの成功によってこの用語が広まったため、アメリカのスーパーヒーローフランチャイズ固有のもの、もしくは少なくとも比較的新しい手法であるかのように紹介されることがありますが、日本国内にもウルトラマンや仮面ライダーなどこのやり方をとっているコンテンツは無数にあります。
時代的にも19世紀にはバルザック[27]の「人間喜劇」のようなクロスオーバーやシェアード・ユニバースを自覚的に活用した文芸作品がヨーロッパでは既に存在していました。アメリカではダイムノベルやパルプ雑誌において活用されていたという指摘があり[28]、コミックブックにおけるシェアード・ユニバースの導入はこのパルプ由来の作劇手法を継承したものだと考えられるでしょう。
「シークレット・ウォーズ」は、このコミックブックにおけるクロスオーバーという作劇手法を、トイメーカーの商品開発やプロモーションに積極的に活用しようとした最初期の例のひとつだといえると思います。
1984年、マテル[29]は自社オリジナルキャラクターによるトイライン「マスターズ・オブ・ザ・ユニバース(Masters of the Universe)」[30]のコミックス展開をライセンスしていたDCコミックスが、当時テレビアニメーションシリーズ「スーパーフレンズ(Super Friends)」[31]で人気を博していた自社キャラクターの商品化権をライバルのケナー[32]に許諾したことに危機感を感じ、DCコミックスの最大のライバルであるマーベルコミックスにキャラクターの商品化を打診しました。
このマーベルキャラクターのアクションフィギュア化にあたってマテル側が提示したのが、フィギュア発売に連動した「イベント」コンテンツの展開であり、この要望に応えるかたちで企画されたのが「シークレット・ウォーズ」というクロスオーバー企画だったのです[33]。
解雇と買収
ジム・シューターを脚本、マイク・ゼックとボブ・レイトンを作画担当者として、1984年から85年にかけて12号完結のミニシリーズとして発売された『シークレット・ウォーズ』は、シリーズ自体もファンの間で大変好評を博しましたが、それだけではなくこのシリーズと同時期に刊行されていた各キャラクターのレギュラータイトルでのストーリーに関連を持たせ、以降の継続タイトルでストーリー展開に絡む要素を伏線として仕込んでおくといった、刊行時のマーベルコミックス全体のコミックブックの売り上げ増を見込めるような仕掛け[34]が施されていました。
ストーリー的には、超越的な存在によって謎の世界に連れ去られたマーベルユニバースのヒーローと悪役たちが二派に分かれて戦うという極めてシンプルな構造のこの作品は、こうした以降のスーパーヒーローコミックスにおけるフルスケールクロスオーバーのシステム面での原型を創り出したことに最大の意義、功績があります。
「シークレット・ウォーズ」の刊行以降、DCコミックスでもほぼこのやり方を踏襲したかたちで全社横断イベントをおこなうようになりました[35]し、アクションフィギュア展開と結びついたコミックブックでのクロスオーバーイベントはジム・シューターがマーベルを去ってのちも1980年代から90年代のマーベルコミックスでおこなわれ続けていきました[36]。
このようにマーベルコミックスの編集責任者時代に様々な改革をおこなったシューターでしたが、その灰汁の強い性格と強引なやり方に反発を覚えるスタッフやクリエイターも多かったようです。特にファンやクリエイターからは、当時すでに伝説的な存在だったアーティスト、ジャック・カービーの原画の返却を拒んだ際に彼がマーベルの編集責任者だったことからきわめて強い批判を受けています[37]。
こうしたトラブルを抱えつつも、ジム・シューターは1986年には自身のコンセプトを元にメインのマーベル世界とは全く異なったキャラクターたちの物語を出版する新レーベル「ニューユニバース(New Universe)」を立ち上げましたが、そのセールスは思わしくなく、次第に独裁的になっていった仕事のやり方が現場スタッフたちから反発され、1987年にはケイデンスから会社の権利を買い取り、当時マーベルの親会社になっていた映像制作会社「ニューワールド・エンターテインメント(New World Entertainment)」の経営陣によって遂に解雇されてしまいました[38]。
しかし、基本的にオタク気質でナイーブなタイプの人物が多いこの世代のコミックスクリエイターたちの中で彼が異色なのは、翌1988年、投資会社と組んでマーベルコミックス[39]の企業買収を図ったことです[40]。結果として彼とその支持者はマーベルの経営権を得ることに失敗し、別な投資会社に経営権を奪われる[41]のですが、この行動によって彼はコミックス業界において決定的な悪評を被ることになりました。
ヴァリアントコミックスは、そんなコミックス業界では毀誉褒貶半ばする特異な人物が、マーベル買収時に培った投資系の人脈を活用し、資金を集めて立ち上げた新興のコミックス出版社だったのです。
IPとコミックス出版社
先に述べたように結果的にヴァリアントコミックスは「ユニティ」で大成功を収めたわけですが、シューターは新しいスーパーヒーローユニバースを立ち上げる際にひとつ大きな工夫を施していました。それは、一から新しいシェアード・ユニバースをつくりあげるにあたって、既にある程度の認知度を持っていた既存のキャラクターIPを利用したことです。
ヴァリアントコミックスのスーパーヒーローラインは、1991年に創刊された『マグナス:ロボットファイター(Magnus: Robot Fighter)』、『ソーラー:マン・オブ・ジ・アトム(Solar: Man of the Atom)』の2タイトルにはじまり、特に核融合実験の失敗から神のような力を得てしまった原子物理学者を主人公とした『ソーラー』の物語はヴァリアントユニバースの世界設定自体を構築するものでした。
2020年に映画化された『ブラッドショット(Bloodshot)』[42]を含む、ヴァリアントコミックスの主要なヒーローキャラクターや世界観はこの二誌からスピンオフするかたちでつくられたものなのです。
そして、この『マグナス』と『ソーラー』というタイトルは、じつは1960年代にゴールドキー[43]というコミックス出版社から刊行されていたコミックスのリメイクでした。
アメリカのスーパーヒーローコミックスに見られるような、法人によるキャラクターIPの所有にはいくつかのパターンがあります。
まず社内のクリエイティブチームが創作し、最初からその企業が当該IPを所有している場合。映画やアニメーション、ゲームなどの集団制作によってつくられる共同著作物の場合はこの方法でIP管理がなされていることが多いでしょう。
次に、企業買収や著作権を持つクリエイターとの権利譲渡契約によってIPを譲り受けるケースがあります。クリエイターと直接譲渡契約したスーパーマンのケースもこれにあたるのですが、それだけではなく、フォーセットコミックス[44]のキャプテン・マーベルなどこれまでDCコミックスはかつてのライバル会社のキャラクターIPを多数取得してきました。
最後に、別な法人や個人が所有しているIPを契約によって借り受けているケースがあります。映画や小説など他のメディアの有名キャラクターをゲスト出演させている作品がわかりやすい例になりますが、ヴァリアントユニバースの基礎になっている『マグナス』、『ソーラー』の2タイトルもヴァリアントがウェスタンパブリッシングという別な会社が所有するIPをライセンスされるかたちで出版したものだったのです。
その後のヴァリアントコミックスとジム・シューター
こうした企業によるIP保有の問題はシェアードユニバースをベースに展開されているコンテンツの場合、ストーリーレベルで厄介な影響を与えることになります。
二番目の別なライセンサーのキャラクターIPをあとから取得した場合は、それまでその世界に存在しなかった(無関係なコンテンツで活躍していた)キャラクターたちがある日突然登場することになりますし、最後のライセンス契約でキャラクターIPを貸与されている場合は契約が切れるとその時点からキャラクターが使えなくなる、それも以前の登場も含めて無かったことにせざるを得なくなるのです。
皮肉なことに「ユニティ」を成功させたあと、ジム・シューターはヴァリアントコミックスを放逐されてしまい、1993年にデフィアントコミックス[45]、1995年にはブロードウェイコミックス[46]という新会社を設立しますが、いずれも短命に終わり、現在では主にフリーの脚本家として活動しています。
一方、ジム・シューターが去ったあとのヴァリアントコミックスは1994年にビデオゲームメーカー、アクレイム・エンターテインメント[47]に買収され、2004年にアクレイムが倒産するまで出版活動を続けますが、同年出版活動を停止、そのIPは競売にかけられることになりました。
2005年、ヴァリアントコミックスの読者だった投資家グループがそのコンテンツの出版権とキャラクターIPを取得し、2012年に新生ヴァリアントコミックスとしての出版活動がスタートします。
その後も経営再編などはありながら活動を続けているヴァリアントコミックスですが、じつは現在そのブランドや世界観を確立した「ユニティ」を含む初期作品の多くが読めなくなっているのです。これは『マグナス』、『ソーラー』を含むウェスタンパブリッシングとのライセンス契約が切れてしまったからなのですが、90年代初頭のコミックショップ市場を席巻したジム・シューターとヴァリアントコミックスが辿った紆余曲折にはいろいろ考えさせられるものがあります。
追記: 追悼ジム・シューター
このテキストの初稿を書き終えたあと、2025年7月初旬にジム・シューターが亡くなりました。享年73歳、死因は食道癌だということです[48]。
その強烈なキャラクターからコミックス業界では毀誉褒貶相半ばする人物だった彼の訃報に対する反応は書き手がその複雑な心情を語っているものが多い[49]のですが、一般ニュースメディアも含め、シューターが80年代から90年代のコミックブックにおいてもっとも重要な変革者の一人だったことは概ねどのコメンテーターも認めています。
本文ではあまり触れなかった部分では、マーベル時代に編集者としてのシューターが多数の新しい才能を世に送り出していた点は、故人を評価する際の重要なポイントでしょう。
フランク・ミラーやビル・シンケビッチ、クリス・クレアモント、ジョン・バーンなど、現在では名匠として名高い当時の新人ライター、アーティストたちをその作風にあったキャラクター、タイトルに起用し、彼らを人気作家に育てあげるとともに、そこで創られた「新しい名作」がキャラクターの人気やタイトルのセールスを高め、マーベルコミックスをスーパーヒーローのトップブランドへと引き上げていったわけです。
また、彼はメインストリームのコミックブックでのラインプロデュースを強化した一方、毎月刊行されるコミックブックのストーリーの継続性(continuty)から独立した作品を発表できる場としてエピックコミックスや単行本描き下ろしラインであるマーベルグラフィックノベルなど、クリエイターの創作の自由度が高いレーベルを80年代のかなり早い段階で設立していました。既存のキャラクターを使った企画でもクリエイター側の裁量権の高い出版社内レーベルを設立し、ライターやアーティストが自分のアイディアを直接かたちにするタイプの創作はそちらでやってもらうというのは、のちのマーベルナイツやDCコミックスのヴァーティゴなど他社を含め現在でも活用されているアイディアです。
他にも売り上げやメディア展開、マーチャンダイズなどの収益に応じてライセンスフィーを多少なりとも担当クリエイターに還元するロイヤリティー制の導入など、シューターはマーベルにおけるフリーランスのクリエイターたちの待遇を改善し、その権利を保護する方向で組織改革をおこなっていました[50]。
にもかかわらず、追悼コメントを読むと、奇妙なことに、故人と親しかったひとたちでさえ、彼が多くのひとたちから「嫌われていた」ことに触れています。故人にいろいろな評判があることは知っているが、彼は自分には良くしてくれたーーそこにはなぜかそんなエクスキューズが判で押したように添えられているのです。
実際、マーベル解雇以降の彼のキャリアは苦渋に満ちたものでした。
ヴァリアントを「ユニティ」の成功によって軌道に乗せながら、むしろその成功が原因で共同経営者のマサルスキーによって放逐され、大半は最終的に原告側が訴えを取り下げていますが、以降マサルスキーやマーベルの経営権取得を争ったロナルド・ペレルマンから嫌がらせのような起訴を何度も起こされています。
特にトレーディングカードとコミックブックの展開を組み合わせた新業態で好調なスタートを切ろうとしていたデフィアントコミックスは、マーベルコミックスから同社が「既に使用していない」IPとのタイトルの類似を理由に商標権侵害で訴追され、最終的には有利な判決を得たにも関わらず、起訴費用によって運転資金が枯渇し、廃業に追い込まれてしまいました[51]。
2008年にはアクレイムからヴァリアントのIPを買い取った投資家グループが新ヴァリアントを立ち上げるにあたって編集長待遇で招かれましたが、翌2009年には彼がフリーランスとしてマグナス、ソーラーといったゴールドキー/ウェスタンパブリッシングのタイトルの脚本執筆を引き受けたことを理由に、この出版活動開始前の新会社からも利益相反を理由とした民事起訴を起こされています。
これも2010年に原告側が訴えを取り下げていますが[52]、告訴理由が「新ヴァリアントがゴールドキー/ウェスタンパブリッシングからライセンス契約をできなかった」というものであるため、個人的には八つ当たりに近いものではないかと思いました[53]。
ミシシッピ大学出版局からジム・シューターが過去に雑誌等のメディアで受けたインタビューを集めた『ジム・シューター・カンバセーションズ(Jim Shooter Conversations)』[54]という資料が出ているのですが、この本の序文で編者たちは、急激に複合的なIPビジネスへと変化していった80年代から90年代にかけてのコミックブック市場のなかで、シューターが企業としての利潤追求とクリエイターたちの利益と創造性の担保という矛盾する命題を追及していた点を指摘し、彼の悪名がそこから生じた軋轢に起因するものではないかと示唆しています。
80年代には彼のやり方に反発した編集者、作家の大量離脱を招くなど、シューター時代のマーベルが業界ゴシップ的な話題に事欠かなかったことはたしかですが、現在の観点からするとジム・シューターという編集者/ライターの最大の功績は、日本でいえばテレビ番組制作草創期に石ノ森章太郎や永井豪といったマンガ家が東映のような制作会社と組んで『仮面ライダー』や『マジンガーZ』といったテレビでの特撮、アニメーション番組の企画、制作に関わり、現在につながるようなメディアを横断したキャラクターコンテンツ制作やその消費の仕組み(の原型)をつくっていったのと似たような役割を、アメリカのコミックス業界においてプロデューサー的な立場で担った部分にあったと考えられるでしょう。
クリエイターでありながら、ビジネス的な視点を持ち、創作上のフリーハンドを得るために会社買収まで試みた彼の思考や行動は、同時代のコミックス業界の人間からはおそらく理解されづらいものだったのだろうと思います。
企業買収によって系列化が進んでいた70年代から90年代にかけてのコミックブック出版社の経営陣は世代的な問題からそのキャラクターやコンテンツには興味を持たず、逆に読者やファンとしての経験を経て業界に参入したスタッフやクリエイターたちは彼の発言やディレクションが過度に商業的なものに感じられたのではないでしょうか。
コミックブックの世界で画期的な仕事をいくつも成し遂げながら、マーベルコミックス以降はけっきょくウォール街の狼たちに喰いものにされるような生涯を送ることになったこの早熟の天才ライター、編集者が、今後はもっと真っ当に評価されるようになってほしいと願っています。
注
[1] Direct Market 高校の英語教師でコミック・コンベンションの主催者、コミックショップの経営者だったPhil Seulingが考案したコミックブック出版社がコミックショップ専門に配本する流通システム。Seulingは1972年にSea Gate Distributorsを設立し、直接出版社と交渉して事前注文による買い切り(そのかわりニューススタンド流通より割引率が高い)でのコミックショップを対象とした新刊コミックブック流通をはじめた。Sea Gate Distributors自体は1978年に競合他社から独占禁止法で提訴されたことで廃業することになったが、80年代に入るとこのシステムをモデルにしたコミックショップ専門流通がアメリカ全土で発達した。詳しくはJim McLauchlin, “PHIL SEULING: THE MAN WHO INVENTED THE DIRECT MARKET And Pioneered the Modern Comic Con”, “ICV2”, 2023, https://icv2.com/articles/news/view/53402/phil-seuling-the-man-who-invented-direct-marketなど参照。
[2] マンガ評論家の米沢嘉博はこの点を『アメリカB級グッズ道』(1999, 晶文社)ではっきり指摘している。
[3] ニューススタンド流通より紙質がよい通常号のDirect Market Editionや限定カバーなどの他、コミックショップ限定のタイトルなども存在した。
[4] このような企画を「フルスケール・クロスオーバー(Full Scale Crossover)」と呼ぶ。
[5] Unity 1992年に全18号で展開された大型クロスオーバー企画。独立したミニシリーズではなく、ストーリーのプロローグとエピローグのみをワンショット(一冊のみのタイトル)として発売し、メインのストーリーをレギュラータイトルの中でおこなった。これも当時のクロスオーバーとしては新しい試みであり、馴染みの薄いヴァリアントコミックスのキャラクターたちの設定や以前のストーリーを知るために読者が同社のバックナンバーを買い求めることにつながり、結果的にこのクロスオーバーが展開されたあとしばらくヴァリアントコミックスのコミックブック全体のコミックショップでの小売価格が高騰した。
[6] Valiant Cover ある号のコミックブックに、中身は同じだが異なったイラストやデザイン、加工を施した特装版を発行すること。当初はヴァリアントコミックスのもののことのみを指していたはずだが、特装版全般のことをこう呼ぶようになった。
[7] より正確にいえばKevin EastmanとPeter Lairdによる“Teenage Mutant Ninja Turtles”(1984, Mirage Studios)やScott McCloudの“Zot!”(1984, Eclipse Comics)などクリエイター主導の単発のオリジナル作品はあったが、コミックブック出版社がキャラクターの権利を持ち、編集部主導でユニバースを展開するようなタイプのスーパーヒーローコミックスを新規参入した出版社が展開するのは難しいと考えられていた。Valiant Comicsの成功はこの先入観を打ち破り、以降Image Comics、Dark Horse Comics、Malibu Comicsなどの独立系出版社が新しいスーパーヒーローユニバースを展開した。
[8] Steven Massarsky アメリカの実業家, 弁護士。エンターテインメント関連の法務で成功し、その経験を活かして芸能マネージメント会社を経営。ヴァリアントコミックスでは経営面を担当していた
[9] Devon Lord-Moncrief, “The Rise, Fall, and Rebirth of Valiant Comics, Explained”, “Comic Book Resource”, 2023, https://www.cbr.com/valiant-comics-history-explained/
[10] Jim Shooter, “One of Us Is a Traitor!”, “Adventure Comics”#346, 1966, DC Comicsでデビュー。この時は作画(ペンシルのみ)も担当している。
[11] Roy Thomas コミックスライター、編集者。マーベル、DCで1970年代から80年代にかけてゴールデンエイジキャラクターのリバイバル的なタイトルを多数手がけている他、ロバート・E ・ハワードのヒロイック・ファンタジー「コナン」シリーズのコミカライズを手がけたことでも知られる。60年代はじめ頃はコミックスファンジン“Alter Ego”の編集長を担当しており、ファン活動が認められて業界に入ったクリエイターの第一世代にあたる。
[12] Stanley Kubrick監督の映画“2001: A Space Odyssey”(1968, MGM)のコミカライズ。映画の忠実なコミカライズであるJack Kirby, “2001: A Space Odyssey [Marvel Treasury Special]”, 1976, Marvel Comicsの刊行後。Jack Kirbyによるコミックスオリジナルの続編が全10号刊行されている。
[13] 1977年に映画第1作“Star Wars”公開にあわせて月刊シリーズが創刊され、1986年まで映画「エピソード4」から「エピソード6」までの物語をベースにコミックスオリジナル展開も含めて107号と年次増刊3号が刊行された。
[14] 日本でも1981年に『宇宙空母ギャラクティカ』として地上波テレビ放映された1978年のSFテレビドラマ“Battle Star Garactica”を元にしたコミックブックシリーズ。1979年に創刊され、テレビシリーズのストーリー終了後のオリジナル展開も含め、全23号が刊行された。
[15] Richard Donner, “Superman”, 1978, Warner Bros.
[16] Intellectual Property 知的財産。著作物、特許、商標、デザイン等のモノではない情報的な資産。
[17] Blockbuster Movie 1975年Steven Spielberg監督の映画“Jaws”のヒットを境に映画のプロモーションなどで使われるようになった言葉。非常に高い制作費、宣伝費をかけてヒットした大作映画を指すことが多い。
[18] たとえば1977年放映の実写ドラマ“The Amazing Spider-Man”、1978年放映の実写ドラマ“The Incredible Hulk”、1980年代に放映されたテレビアニメーション“Spider-Man and His Amazing Friends”等がある。
[19] ROM: The Space Knights 現在はHasbroの一ブランドであるParker Brothersのロボットトイを元にしたスーパーヒーローコミックスタイトル。1979年から1986年までマーベルコミックスで刊行。
[20] G.I. Joe Hasbroのアクションフィギュア「G.I. Joe」を元にしたコミックブック、1982年から1994年までマーベルコミックスで刊行。アニメシリーズも制作されている。
[21] The Transformers 日本のトイメーカー、タカラ(現タカラトミー)のロボットトイをHasbroがアメリカ向けにライセンス生産した「The Transformers」のコミックブック。1984年から2000年までマーベルコミックスから刊行。アニメシリーズも同時展開された。
[22] Micronauts 日本のトイメーカー、タカラ(現タカラトミー)のヒーローフィギュアをMegoがアメリカ向けにライセンス生産した「Micronauts」のコミックブックシリーズ。1979年から1986年までマーベルコミックスで刊行。
[23] Hasbro アメリカのトイメーカー。1923年創業。
[24] Mego Corporation アメリカのトイメーカー、1954年創業、1983年倒産。
[25] Mark Gruenwald, Bill Mantlo, Steven Grant脚本, Bob Layton作画, “Marvel Super Hero Contest of Champions”, 1982, Marvel Comics 元来は1980年に開催されたモスクワオリンピックに連動してたてられた企画だったが、アメリカ合衆国がオリンピック参加をボイコットしたため独立したミニシリーズになった。マーベルコミックスの主要なスーパーヒーローが勢ぞろいする初のフルスケールクロスオーバーといえる企画だが、企画の経緯からレギュラータイトルとの関連はあまりない独立性の高いシリーズ(まったく関連がないわけではなく、アベンジャーズ関連タイトル二誌とタイインしている)である。
[26] Jim Shooter脚本, Mike Zeck, Bob Layton作画, “Marvel Super Heroes Secret Wars”, 1984, Marvel Comics
[27] Honoré de Balzac フランスの小説家。『ゴリオ爺さん』、『従兄ポンス』など90篇の長編、短編から成る「人間喜劇」というシェアードユニバースを舞台にした小説群で知られる。
[28] Jess Nevins, “The First Shared Universes”, “Gizmodo”, 2011, https://gizmodo.com/the-first-shared-universes-5838896
[29] Mattel アメリカのトイメーカー。1945年創業。
[30] Masters of the Universe Mattelが1982年から展開しているオリジナルのSFファンタジー・キャラクターのアクションフィギュアライン。
[31] Super Friends Hanna-Barbera Production制作で1973年からABCで放映されたテレビアニメーションシリーズ。
[32] Kenner アメリカのトイブランド。1946年創業。現在はHasbro傘下のトイブランドになっている。
[33] Jim Shooter, “Secrets of the Secret Wars”. “JimShooter.com”, 2011, http://jimshooter.com/2011/04/secrets-of-secret-wars.html/
[34] たとえば、のちに映画にもなった人気キャラクターVenomを生むことになる、スパイダーマンのブラックコスチュームの初出はこの作品である。
[35] 1985年の“Crisis on Infinite Earths”以降、ほぼ一年に一回のペースでフルスケールクロスオーバーがおこなわれるようになる。
[36] たとえばMCUでの映画展開にも組み込まれた、いわゆる“Infinity Saga”のストーリー展開は1991年におこなわれた“The Infinity Gauntlet”をはじめとする“Infinity”三部作をもとにしたものだが、このクロスオーバー企画はHasbroでのアクションフィギュア展開と密接に関係している。
[37] Gary Groth, “Jim Shooter: Groundhog Day in the Land of the Apocryphiars”, “The Comics Journal”, 2011, https://www.tcj.com/jim-shooter-groundhog-day-in-the-land-of-the-apocryphiars/
[38] この一連の過程はSean Howe, “Marvel Comics: The Untold Story”, 2013, Harperの“PART III: Trouble Shooter”に詳しい。
[39] 当時の関連企業全体の名称はMarvel Entertainment Group
[40] Jim Shooter, “Disney Adventures”, “JimShooter.com”, 2011, http://jimshooter.com/2011/09/disney-adventures.html/
[41] このとき、マーベルを含むNew World Entertainmentの経営権を取得したのが、のちにマーベルを倒産させることになるRonald PerelmanのMacAndrews & Forbesだった。この一連の出来事についてはDan Raviv, “Comic Wars: How Two Tycoons Battled Over the Marvel Comics Empire–And Both Lost”, 2002, Broadwayが詳しい。
[42] コミックスの邦訳はないが、Vin Diesel主演の映画David S. F. Wilson, “Bloodshot”, Sony Picturesは2020年に日本でも公開されている。
[43] Gold Key Comics 1962年から1984年まで活動したアメリカのコミックブック出版レーベル。児童書出版社として有名なWestern Publishingが自社オリジナルのコミックブックの出版元として設立した。Gold Keyの活動停止後もIPは親会社のWestern Publishingが保持していた。
[44] Fawcett Comics 1939年創業のアメリカのコミックブック出版社。1953年に出版活動を停止したが、そのIPはCharlton Comicsに引き継がれた。しかし、そのCharltonも1986年に出版活動を停止し、Fawcett、CharltonのIPは現在ではDC Comicsが所有している。
[45] Defiant Comics アメリカのコミックブック出版社。1993年設立、1995年活動停止。
[46] Broadway Comics アメリカのコミックブック出版社。1995年設立、1996年倒産。
[47] Acclaim Entertainment アメリカのビデオゲームメーカー。1987年創業、2004年倒産。
[48] Borys Kit, “Jim Shooter, Teenage Comics Writer Who Revolutionized Marvel as Editor-in-Chief, Dies at 73”, “The Hollywood Reporter”, 2025, https://www.hollywoodreporter.com/news/general-news/jim-shooter-dead-marvel-comics-1236304076/
[49] たとえばオンラインコミックス情報サイト“The Beat”ではサイトの創設者で編集長をつとめるHeidi MacDonaldがクリエイターを中心にネット上でのコミックス関係者からのシューターへの追悼コメントを“Remembering Jim Shooter”, https://www.comicsbeat.com/remembering-jim-shooter/にまとめている。
[50] Sean Howe, “Marvel Comics: The Untold Story”, 2013, Harper
[51] “Marvel Comics v. Defiant, 837 F. Supp. 546 (S.D.N.Y. 1993)”, “JUSTIA U.S. Law”, 1993, https://law.justia.com/cases/federal/district-courts/FSupp/837/546/2376907/
[52] Rich Johnston,“Whatever Happened To The Jim Shooter Lawsuit?” ,“Bleeding Cool News”, 2010, https://bleedingcool.com/comics/recent-updates/whatever-happened-to-the-jim-shooter-lawsuit/
[53] Rich Johnston, “Valiant Entertainment Sues Jim Shooter”, “Bleeding Cool News”, 2009, https://bleedingcool.com/comics/recent-updates/valiant-entertainment-sues-jim-shooter/
[54] Jason Sacks, Eric Hoffman, Dominick Grace編, “Jim Shooter Conversations”, 2017, University Press of Mississippi
