映像作家でメディア研究者の佐々木友輔さんが、映画、写真、美術、アニメにおける〈風景〉と、それを写し出す〈スクリーン〉を軸に、さまざまな作品を縦横無尽に論じる連載。1970年前後に議論された「風景論」を出発点にしつつ、その更新を目論みます。第9回では、大島渚から庵野秀明へという系譜を検証した前回に引き続き、今回も同時代における現実/虚構のあり方を問う実践を取り上げます。論じるのは、佐藤朋子と中島晴矢というふたりの現代美術作家の作品。両者の「亡霊の歴史化プロジェクト」とはどのようなものなのでしょうか。
亡霊の歴史化プロジェクト──佐藤朋子《オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version》(2022)
庵野秀明は2016年に『シン・ゴジラ』の脚本・総監督を務めて以降、2021年に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(企画・原作・脚本・総監督)、2022年に『シン・ウルトラマン』(企画・脚本)、2023年に『シン・仮面ライダー』(脚本・監督)と、タイトルに「シン・」を冠した映画制作プロジェクト「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」の中核に関わり続けている。『シン・ゴジラ』のキャッチコピー「現実対虚構」が象徴的に示すように、日本の特撮史を代表する複数のシリーズのリメイクを委ねられた庵野が自らに課した任務は、自分たちの世代が新たな「現実」として受容・創造してきた「虚構」の歴史を振り返り、描き出すことだと言えよう。大島渚が1960年代から70年代に現実と虚構の混濁状況を描き出してから、すでに50年が経過している。当初は虚構として生み出されたものも、書き記された言葉や人びとの具体的行動として現実に堆積し、アーカイヴされ、決して薄くはない歴史の地層を形成してきた。すでに失われたはずの過去や、実在しないはずの虚構は、それでもなお亡霊として現世に留まり、芸術家や観客に取り憑いて陽に影に影響を与えている。このように現実と虚構の関係史を描き出す試みを、本稿では「亡霊の歴史化プロジェクト」と呼ぶことにしたい。庵野による「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」は、虚構の現実化が加速する時代に生き、実際にその歴史形成に携わった当事者としての立場から当時を回顧・叙述する、一種のライフヒストリー的試みである。自覚的に時代と並走し、その時々の社会状況と向き合って映画制作を続けてきた大島渚のスタイルが、そこに反響しているように思える。
「亡霊の歴史化プロジェクト」は、庵野や椹木の世代に限らず、さらに若い世代にも引き継がれている。中でも重要なアーティストの一人として、佐藤朋子の名を挙げよう。佐藤は1990年長野県生まれ。2018年に東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻を修了し、「レクチャー・パフォーマンス」と呼ばれる講義形式を借用したパフォーマンス公演や、その記録映像を用いたインスタレーション作品などを軸とした表現活動を行っている。自身のウェブサイトに「史実の調査過程から浮かび上がる事柄を複眼的につなぎ合わせ、フィクションとドキュメントを行き来する物語を構築する[1]」と記していることからも明らかなように、佐藤もまた、虚構(フィクション)と現実(ドキュメント)の問題を中心的なテーマに位置づけている。
今回取り上げるのは、「オバケ東京のためのインデックス」と題したシリーズの一つである《オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version》(2022)。シアターコモンズʼ21で初演されたレクチャー・パフォーマンスを再構成し、56分の映像インスタレーションとして展開したものだ。第14回恵比寿映像祭(東京都写真美術館、2022年)で初公開された後、2025年には「ゴジラ・THE・アート展」(森アーツセンターギャラリー)にも出品された。
展示空間に入ると、自立した2つのスクリーンが屏風状に並べられている。右側のスクリーンには佐藤自身の姿が映し出されており、手前の卓上には何かしらのメモが記された小さな紙が並べられている。その傍にはジグソーパズルで形作られた東京の地図。その上には国会議事堂など建造物のミニチュアや、ゴジラのフィギュアが配置されている。佐藤がメモを選んで語り始めると、それに併せて、左側のスクリーンには卓上の地図やゴジラの姿がクロースアップで映し出されたり、佐藤の語りに関連した資料的な映像が映し出されたりする。

佐藤朋子《オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version》(2022)
「都市にひそむミエナイモノ展」(SusHi Tech Square、2023–24年)での展示風景
初めに佐藤が取り上げるのは、岡本太郎が1965年10月に発表した都市論エッセイ「都市建設への提案/オバケ都市論[2]」だ。岡本は、千葉県の海沿い辺りに「オバケ東京」と呼ぶべきもう一つの東京を作ることを提案する。現在の東京に不満を持つ人間がそこに移り住み、本来の東京が持っていた混沌とした活気を作り出せば、古い東京も触発され、競い合い、新たに生まれ変わるだろう。「オバケ、つまり反人間の方が人間よりずっと生き生きとしたイマジネーションである[3]」という岡本の言葉からは、オバケ東京が現実に具現化されるべき都市計画であるというよりも、想像力によって立ち現れる非実在的な都市であることが窺える。要するに、古い東京とオバケ東京の対立とは──ほぼ同時期に大島渚が取り組んでいたのと同じ──現実と虚構の対立の別名である。
佐藤もまた「オバケ」を想像力によって生み出された虚構の存在と解釈し、もう一つの重要な参照項としてゴジラを召喚する。地図上のゴジラを動かし、初代『ゴジラ』(本多猪四郎、1954年)における東京上陸ルートを辿りながら、東京とゴジラ、そして岡本太郎に関連するエピソードを断片的に語り、ゆるやかに結び付けていく。例えば岡本太郎の母でもある小説家・岡本かの子が、1939年に執筆した短編「鮨」。東京の下町にある鮨屋の常連客が、半透明な身体を持つ髑髏魚を看板娘のともよに手渡す印象的なエピソードが紹介された後、佐藤はその亡霊的な魚のイメージを、ゴジラを倒すための化学兵器オキシジェン・デストロイヤーの実験によって水槽の魚が白骨化していくイメージに重ね合わせる。現実の東京と小説に描かれた東京、実在する生物と映画に描かれた生物が、等価なものとして扱われるのだ。現実と虚構は対立関係になく、入り乱れ、混じり合いながら併存している。
亡霊のインデックス──メディウムとしての身体に流れ込む記憶
では、こうした混淆的な状況をまとめ上げ、ひとつの作品へと組織するために、いかなる原理が働いているのか。ほとんど無関係に思える断片的で雑多なエピソードを結びつけているのは、それらが東京にマッピングされているという位置情報上の一致であり、またその地図上を移動するゴジラの軌跡であり、さらにはゴジラという虚構と同期しながらフィールドワークを行う佐藤自身の身体である。
庵野秀明が現実と虚構を後者の側に軸足を置いて統合し、フィクションの物語映画およびアニメーションとして表現しようとしたのに対して、佐藤は自らの身体を媒介とすることで、現実の側に軸足を置きながら両者の統合を図っている。佐藤が現実の東京を歩き、リサーチを行う中で関心を抱いた土地や建築、歴史的出来事を記した文献、映画や小説といったものは、いずれも──たとえその内容が「虚構」として語られたものであっても──紙の書物やフィルムリールなどのかたちで物質としての実在性を持つ。それらをあくまで「資料」として扱い、参照・引用の手続きを踏んで聴衆に語り聞かせるレクチャー・パフォーマンスの形式を採用することで、現実と虚構は共に手で触れ、目で見て、耳で聞けるものへと一元化する。「亡霊の歴史化プロジェクト」はこのようにして遂行されるのだ。
佐藤は現実と虚構が混在した東京を歩き、行く先々で出会う亡霊たちを憑依させ、彼・彼女らの言葉を代読する。ただしその語りは、対象人物の内面を想像し、感情豊かに演じる類のものではないし、外面的な特徴を観察して、その身振りや仕草を正確に模倣する類のものでもない。佐藤の佇まいは、ロベール・ブレッソンが自身の映画の出演者を「モデル[4]」と呼んだことを想起させる。モデルとは俳優経験のないアマチュアであり、演技するのではなくただ在ること、対象の振る舞いや言葉を模倣するのではなくただ反復することが求められる。佐藤もまた、過去に起きた出来事や語られた歴史=物語を再現し、それに類似したもの(icon)を作り出そうとするのではなく、過去の遺物が今もそこに在ることを指し示す(index)ように、淡々と語り続ける。「オバケ東京のためのインデックス」というシリーズ名が正しく示しているように、佐藤の目的は亡霊が記録された各種メディアのインデックスを作成することだ。舞台上に立つ佐藤の身体は、メディアに記録されたものを人間的な解釈を挟まず機械的に再生する装置として振る舞っている。
ここであらためて、作品で語られる具体的内容に目を向けてみよう。初代『ゴジラ』において、水爆実験による被曝の影響で巨大化したゴジラは、強い光を浴びると核の光の記憶が蘇り、過剰な拒否反応を示した。それを踏まえて佐藤は、舞台上に立つ自分自身も、強い照明光を浴びていると身体が燃えたぎり、手が震え、声が震え、過去に書かれた言葉を朗読する以上のことができなくなると言う。ここで佐藤は、ゴジラに安易な共感や感情移入を示すことは禁欲しながらも、強い光の刺激による身体感覚の変化や反射的な動作を通じて、虚構の生物との同期を実現させている。自ら用意した意味や意図で身体を満たそうとするのではなく、むしろ積極的に体内を空にすることで、ゴジラとそれにまつわる記憶が向こう側から流れ込んでくるのに任せるのだ。
観客は、メディウムとしての身体が強い照明に照らされて硬直している姿の向こうに、核の光を浴びて怒り狂うゴジラの姿を幻視すると共に、そのイメージをさらなる媒介として、広島と長崎に投下された原子爆弾から放たれた光と、被曝した人びとの姿を幻視する。ただしここで再生される記憶は、原爆投下の当日、現地に居合わせた体験の記憶でもなければ、修学旅行などで被曝当事者の語りに耳を傾けた記憶でもない。戦争映画や怪獣映画といったフィクションを通じて間接的にしか戦争にアクセスすることのできなかった世代の、映像体験の記憶以上のものにはなり得ないだろう。たとえ唯一の戦争被爆国である日本に生まれても、いまや多重の媒介や虚構を介してしか戦争のイメージを構築できないという「現在」の制約ないしは条件を露呈させること。英文学者のマリアンネ・ヒルシュが提起した「ポストメモリー[5]」──後付けの記憶──の主題がここに浮上する。
あろうことか佐藤は、自らの分身たるゴジラのフィギュアを握りながら、ジグソーパズルの東京地図を鷲掴みにして街を滅茶苦茶に破壊する。卓上のささやかな行為でも、それが左側のスクリーンいっぱいに映し出されれば、まさに怪獣映画さながらのスペクタクルが生み出される。だがその明白に快楽的な視覚体験は、虚構世界における都市の破壊(ゴジラ)と現実世界における都市の破壊(戦争)を重ね合わせて再演する場において生じているのだ。卓上に構築されたジグソーパズルの東京を自分自身の手で蹂躙することによって、佐藤は己の身体が戦争被害者・被爆者としてのゴジラのみならず、加害者・破壊者としてのゴジラとも同期していることを明るみに出す。

佐藤朋子《オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version》(2022)
「ゴジラ・THE・アート展」(森アーツセンターギャラリー、2025年)での展示風景 撮影=筆者
この二重性をどう受け取るべきだろうか。佐藤の禁欲的な語り口は、鑑賞者の読みの方向を限定せず、複数の解釈を許容する。例えばそれは、日本はまだ自らの戦争責任を十分に果たしていないのだから、より徹底的な破壊が必要だという自己批判なのかもしれない。あるいは、身を以て原爆の恐ろしさを知りながらもアメリカの核の傘に守られて戦後を生きてきた日本人が、次の戦争ではその暴力を行使する側に立つかもしれないという不安の表れなのかもしれない。また別の見方をすれば、戦争の記憶を利用して虚構の怪獣映画を制作し、エンターテインメントとして消費してきたことへの反省を促す、アイロニカルな表現なのかもしれない……。他にも様々な解釈があり得るが、いずれにせよここで重要なのは、先述したポストメモリーの主題に「連累(implication)[6]」の問題が接続されているように見えることである。連累は歴史学者のテッサ・モリス゠スズキが提唱した概念で、たとえ他者の土地の収奪や虐殺といった過去の不正義に直接加担していなかったとしても、その暴力による利益を得て成り立つ社会に生きているならば、その非対称的で抑圧的な構造を変えるために行動する義務があることを意味する。実際に手を下した加害者としての「責任」がなくても、事後共犯者としての「連累」はあるのだと示すことで、同作は現実の出来事であれ虚構の出来事であれ、すでに失われたはずの膨大な過去の断片がこの私の「現在」を形成し、歴史との接点を作り出していることを思い起こさせてくれる。
亡霊の物質性──中島晴矢《ゆーとぴあ》(2025)
「亡霊の歴史化プロジェクト」に取り組むもう一人の作家として、中島晴矢を取り上げよう。中島は1989年神奈川県生まれ。法政大学文学部日本文学科で文芸評論家の堀江拓充(立石伯)に学び、横光利一についての卒業論文を執筆。在学中には首都大学東京で社会学者・宮台真司のゼミに「もぐり」として足繁く通い、2008から2010年には美學校で画家の内海信彦や美術家・写真家の松蔭浩之の講座も受講した。日本文学、都市論、現代美術と幅広い知識を摂取してきた経験を活かし、アーティストとしての個展やパフォーマンス、ラッパーとしての音楽活動やライターとしての執筆活動、さらには母校である美學校の講師やそこから派生したYouTubeチャンネル「芸術文化の勝手口」の立ち上げなど、領域横断的な表現活動を続けている。
今回論じるのは、2025年3月27日から4月20日まで、新宿のアートスペース「WHITEHOUSE」で開催された個展「ゆーとぴあ」である。同展で中島は、戦後の日本が夢見た理想郷がいかなるかたちで具現化され、私たちの生きる「現実」をかたちづくってきたのかを考察している。例えば展覧会名と同じタイトルがつけられた映像作品《ゆーとぴあ》(2025)では、大阪万博の舞台となった夢洲に隣接する人工島・舞洲の沿岸で、一組の男女がいわゆる「ゴムパッチン」を敢行する。二人はゴム紐を口にくわえて互いに引き合っており、一方が「世界に〈希望〉と〈平和〉をもたらすユートピア像[7]」に関するフレーズ(AIで生成したものだという)を発するとゴムが放たれ、もう一方の顔面を打つ仕掛けである。この動作を互いに繰り返すことで、ユートピアの追求が他者への加害へと転化するジレンマ、さらにはコミュニケーションという営みが不可避的に孕む痛みが描き出されている。

中島晴矢「ゆーとぴあ」(WHITEHOUSE、2025年)の会場風景 撮影=皆藤将
佐藤朋子が極力解釈を廃し、取り扱う対象をただ指し示すような指標(index)的パフォーマンスを選択したのに対して、中島は抽象的な概念や思想を具体的形象によって暗示する寓意(allegory)的パフォーマンスを行うところに特徴がある。こう整理するなら、両者は一見対照的なアプローチに思えるが、実は共通点もある。それは、現実と虚構(理想)の二元論を退け、「虚構」や「理想」、「想像」や「空想」と呼ばれてきたものもすべて現実を構成する物質的要素として扱う一元論的アプローチの採用である。佐藤と中島による「亡霊の歴史化プロジェクト」は、亡霊の物質性を認めることから始まるのだ。
このことを、作品に即してより詳しく見ていこう。《ゆーとぴあ》において、ユートピアという概念は、一般的な意味での「寓意」以上のものとして示されている。ここで重要なのは、「ゴムパッチン」がもともと芸能の世界から生みだされた芸であり、その創始者とされるのがホープ(城後光義)とピース(帆足新一)から成るコントコンビ「ゆーとぴあ」だということだ。中島はユートピアという想像上の場所を思弁的に取り扱うのではなく、その語をコンビ名として身も蓋もなく具現化してみせた芸人を参照することで、あくまで物質的なものとして取り扱おうとする。「ゴムパッチン」は寓意というよりも、その概念の流通に貢献した歴史的メディアの一つとして提示されている。ある日突然、頭の中に「ユートピア」なる概念が湧いて出るわけではない。私たちは偶然書店で手に取った岩波文庫(トマス・モア『ユートピア』)やポップソングの歌詞、観光地のキャッチコピーなど、現実に流通する様々なメディアやコミュニケーションを通じて直接的・間接的にこの語に触れ、ローカルかつヴァナキュラーな「ユートピア」概念を形成してきた。かつて「ゆーとぴあ」というコンビが人気を博していたという事実も、そうした集団的な概念形成の文脈の一つとして、この語の中に確かに埋め込まれているのである。

中島晴矢《ゆーとぴあ》(2025)
スリーチャンネル・ヴィデオ、27分9秒
こうした「亡霊の物質性」を前提としたアプローチをより厳密に語ろうとするなら、それを、哲学者・人類学者・社会学者のブリュノ・ラトゥールが提唱した「アクター・ネットワーク理論[8]」(ANT)と親和的・類似的なものとして捉えることが有効だろう。ラトゥールは、「理論」や「コンテクスト」といったグローバルな概念によって世界の全体像を把握しようとしたり、ローカルな事象を説明しようとしたりするような、従来の社会学の方法を強く批判する。例えば私たちが現実に「理論」と呼ばれるものに出会うのは、学術的な書籍を読んだ時や、大学の講義を受けた時など、常に具体的な生活や体験の中でのことであり、抽象的な「理論」そのものを目にしたり、触れたり、体験したりすることは不可能であろう。こうしたグローバルな概念のローカルな場における具体的現れを、ラトゥールは「パノラマ[9]」と名づけている。
要するに、グローバル/ローカルの二層構造を廃してあらゆるもの(アクター)をローカルな場に置き直し、地続きになった土地の上を這い歩くようにしてそれらの連関を辿っていく一元論的思考への転換が、ANTの基本方針である。同様に佐藤と中島も、すべてをローカルな場に置き直すことで現実/虚構(理想)の二項対立を解消し、両者を──その差異も考慮に入れながら──同一平面上で思考するための方法論を編み出した。二人にとって、虚構は逃げ込むべき場所ではないし、現実も帰るべき場所ではあり得ない。現実と虚構は常に傍にあり、私たちが生きる上での制約や条件として働く「社会の地層[10]」をかたちづくっているのである。
現代美術の寓意──中島晴矢《DEAD LOCK》(2025)
もう一つ、佐藤と中島の間にある重要な共通点は、作家自身の身体を積極的に登場させ、それが作中でどのように位置づけられるのかを問う姿勢である。中島は、考案した寓意を額縁に収めて独立した作品として提示するのではなく、寓意を纏わせた身体を再び現実空間上に投げ出して「パノラマ」化し、より大きな風景を構成する一部へと組み込んでしまう。
例えば本連載の第3回でも取り上げた《バーリ・トゥード in ニュータウン》シリーズ(2014–)で、中島は港北・多摩・千里など各地のニュータウンを舞台として自ら路上プロレスを行い、そのパフォーマンスの様子を映像に記録している。かねてより、中島は1970年代前後の風景論および風景論映画、さらには1990年代から2000年代にかけての郊外論への関心を語ってきた。ニュータウンという管理が行き届いた均質な風景の只中でプロレスに興じる姿は、『東京战争戦後秘話』(1970)で泰子(岩崎恵美子)が公共サービスを妨害して風景を異化しようとした姿とも重なって見える。
ただし泰子のパフォーマンスが国家権力による暴力を露呈させたのに対して、中島のパフォーマンスは「何も起こらない」ことによってその闘いの困難を露呈させる。どれだけ死闘を繰り広げても、管理者や警察が止めに入ることはないし、道行く人びとも無言で通り過ぎていく。要するに、そのパフォーマンスは──少なくとも作中では──秩序を脅かす脅威として認識されていないのだ。これは挑発行為の失敗というよりも、作家自身の意図的な選択と見るべきだろう。中島は派手なカメラワークや過激な演出を避け、あえて距離を置いた冷徹なまなざしで自身のパフォーマンスを記録する。原則としてロングショットで撮られた映像は、ニュータウンの巨大な空間に対してあまりにもちっぽけな作家の身体を際立たせる。寓意やアイロニーを武器とする者が陥りがちな、世界や社会を高みから俯瞰して見つめる優越感は見事に挫かれ、作家と観客は共に現代美術的なパフォーマンスの非力さや無力さを突きつけられるのである。
ここには二重の寓意がある。すなわち、ちょっとやそっとの抵抗では揺るがない強固さを持った管理社会・消費社会の寓意である《バーリ・トゥード in ニュータウン》は、同時に、そうした現実を前にしてあまりにも無力な現代美術の寓意として機能しているのだ。資本主義経済に覆い尽くされた世界の中で、どれだけ秩序撹乱的なパフォーマンスを繰り返しても社会構造はびくともせず、一時の話題を集めたパフォーマンスも瞬く間に消費されて忘却されていくのみだろう。
1960年代末に大島渚が抱いた閉塞感や無力感を反復するように、中島もまた自らの抱える閉塞感を率直に表現してみせる。《バーリ・トゥード in ニュータウン》シリーズの派生である《DEAD LOCK》(2025)において、プロレスラー姿の中島は対戦相手の前で仰向けになり、いわゆる「猪木アリ状態」を作り出す。「猪木アリ状態」とは、ボクサーのモハメド・アリと異種格闘技戦を繰り広げたレスラーのアントニオ猪木が、ルールで多くのプロレス技を禁じられていたためにやむを得ず編み出した戦法で、仰向けになりながら足を突き出し、対戦相手を牽制したり、ローキックを入れたりする。「DEAD LOCK」というタイトルが端的に示すように、「猪木アリ状態」とは現代美術が抱える手詰まり状態の寓意であり、中島は猪木さながらに構えることで試合を膠着状態に持ち込み、敗北を先延ばしにしようとする。大島は『東京戦争戦後秘話』について、「映画で遺書を残して死んだ男の物語という、もう死のうとまで思いつめている男の、暗い悲しい気分だけは非常によく出ている[11]」と語ったが、同じことが《DEAD LOCK》にも言える。初見のユーモラスな印象とは裏腹に、同作には現状の打開策が一向に見えない閉塞感が充満しており、皮肉にも風景論映画の系譜を正統に受け継いでいるのだ。

中島晴矢《DEAD LOCK》(2025)
シングルチャンネル・ヴィデオ、9分34秒
「異種格闘技戦」の起源──椹木野衣と村上隆のプロレス=現代美術論
系譜ということで言えば、現代美術とプロレスを結びつける試みにも実は先行事例がある。中島はこのアイデアを、美術批評家の椹木野衣がキュレーションした展覧会「日本ゼロ年」(水戸芸術館、1999年11月20日〜2000年1月23日)を巡って交わされた議論から参照したことを明かしている[12]。
椹木は、日本における「現代美術」は歴史的にも市場的にも受容者的にも基盤が脆弱で、西欧のように確固たる制度やジャンルを成立し得なかったと指摘する[13]。この状況を打開するためには一旦「既成の枠組みをリセット[14]」し、児童画や漫画、イラストやデザイン、漫画など、これまで狭義の「現代美術」に含まれてこなかった表現も含めて「美術」を巡る思考を再編することが必要だと提言した[15]。椹木の問題提起に対して、同展の出品作家の一人である村上隆がプロレスの話を持ち出し、格闘技の語彙で現代美術を語る流れができていく。椹木は猪木vsアリ戦を例に出し、格闘技がエンターテインメント(プロレス)とリアルファイト(ボクシング)の対決を実現させたように、現代美術もサブカルチャーとハイアートの「異種格闘技戦[16]」を行うことができないかと語った。そこではあの「猪木アリ状態」も、異質なルール同士が衝突する際の緊張感の現れとしてポジティブに捉えられるだろう。
中島の《DEAD LOCK》もこの議論の延長線上にあるが、「日本ゼロ年」展から25年の歳月が経った今もなお膠着状態を続けざるを得ないという点で、「猪木アリ状態」の持つ意味は大きく変質している。庵野秀明の世代にとって現実と虚構の混淆が所与の条件であったのと同様に、中島や佐藤の世代にとってのプロレス(サブカルチャー)と現代美術(ハイアート)の混淆も、今後目指すべき新たな方針ではなく、作家活動を始めた時点ですでにありふれた所与の条件となっていた。従って、中島がプロレスと現代美術を結びつけたのも、先行世代の単なる模倣や追随として捉えるべきではない。それは、1989年生まれの中島が、日本という場所で「現代美術」に取り組む上で避けて通れない制約や条件を問う考古学的な探究の結果、辿り着いた起源の一つである。椹木や村上らが当時の「既成の枠組みをリセット」し、再編された地平に積み重なってきた地層の上で、私たちは相も変わらず異種格闘技戦を繰り広げているのだ[17]。
「虚構の時代」における倫理的転回
ここで一旦、現実と虚構の関係史という観点から、世代間の立ち位置の違いを確認・整理しておこう。岡本太郎(1911年生まれ)や大島渚(1932年生まれ)が第一線で活躍していた1960年代から70年代にかけて、高度経済成長に伴う消費社会化・郊外化などを背景として、従来の歴史や伝統から断絶した生活様式や風景が次々に生み出され、かつてあった「現実」の喪失が叫ばれると共に、それに代わって新たに現れつつあったものを「虚構」──空想・想像・幻想・偽物・複製などの別名もある──と呼び、両者を対立するものとして語る議論が無数に繰り広げられた。1970年前後、マルクス主義や社会主義思想を背景にした新左翼運動・学生運動の退潮に伴い大島が味わった挫折感は、社会学者の大澤真幸が見田宗介の議論を踏まえて設定した時代区分を参照するなら、いずれ現実がより良き未来へと到達することを期待する「理想の時代[18]」の終焉を決定づけるものであった。
そして「理想の時代」の後には、従来の現実から自律した擬似現実(虚構)が志向され、両者の価値転倒さえもが生じる「虚構の時代[19]」が到来する。庵野秀明(1960年生まれ)や椹木野衣(1962年生まれ)、村上隆(1962年生まれ)などの後続世代にとって、虚構とは──漫画やアニメ、特撮やプロレスなどを通じて──物心がついた時から身近に存在する親しみ深いものであり、希薄化していた現実感を代替し、自己や世代のアイデンティティを形成するための新たな基盤となり得る希望としてあった。それゆえ、彼らは虚構を虚構として排除しようとする先行世代に抗って虚構の価値を擁護し、現実と等価なものとして扱おうとしたのである。
だがこうした虚構の現実化は、あらゆる価値や規範を相対化し、社会の過剰な流動性を生み出すことにつながった。大澤や宮台真司といった社会学者が明らかにしてきたのは、個々の人間がそうした相対化を貫徹するのは至難の業であり、いつまでも過剰な流動性に耐え続けることはできないという残酷な現実である[20]。例えばオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件や、酒鬼薔薇聖斗を名乗る少年Aが起こした神戸連続児童殺傷事件は、一方では、善悪の規範が徹底的に相対化されながら、他方では、すべてが相対化された世界の中で新たな拠り所を──それが現実であれ虚構であれ──求める心象が引き起こした事件であると解釈される。
地下鉄サリン事件の直後から虚構の現実化を同世代的問題として受け止めていた椹木が[21]、後にサブカルチャーとハイアートの「異種格闘技戦」を提案し、「猪木アリ状態」を肯定したことは、あくまで規範の相対化を貫徹し、代替的な規範の仮構・捏造を戒める倫理的な態度表明でもあった。同様に、庵野秀明がオタクに向けて「現実へ帰れ」と呼びかけ、身近な他者と関わりを持つよう促したこともまた、「虚構の時代」における倫理的転回の一端であると言えよう。庵野が掲げる「関係の絶対性」の思想(前回参照)は、引き続き大澤の時代区分に従うなら「虚構の時代」から「不可能性の時代 」への転換を体現している。大澤によれば、「不可能性の時代[22]」においては、制度化・規範化された国家や社会の代わりに、他者との極限的なまでに直接的なコミュニケーションや関係性が希求されるのだ[23]。
そして、さらに後の世代に属する中島晴矢(1989年生まれ)と佐藤朋子(1990年生まれ)は、現実と虚構の混淆が加速してほとんど見分けがつかなくなり、いつどこに、どのような対立があったかさえ定かでなくなりつつある時代に制作活動を開始した作家たちである。また同時に、先行する作家たちの倫理的転回を見て育ち、それを内面化してきた世代でもある。両者は、「虚構の時代」に積み上げられてきた遺産の上に生きているとも言えるが、少し見方を変えれば、リスクを承知で──あるいは考慮せず?──加速主義的に現実と虚構をかき混ぜてきた親世代のツケを払わされているとも言える。その意味では、中島が《DEAD LOCK》で演じた「猪木アリ状態」も、手詰まり状態に陥った現代美術の寓意として読むだけではなく、相対化の不徹底が生み出す暴力への抵抗としても読まれるべきだろう。目の前の肥大化しきった虚構に溺れるのでもなければ、結局のところ別の虚構でしかあり得ない新たな擬似現実を仮構するのでもなく、地に背をつけてひたすら膠着状態を持続させること。それは決して消極的な選択ではなく、積極的な倫理的態度の表明なのだ。
メディア考古学的アプローチへ
佐藤朋子は、ゴジラという虚構に身体を同期させながら、そこに加害と被害双方の戦争の記憶を映し出した。中島晴矢は、プロレスを介して虚構と現実の膠着状態を作り出すと共に、その歴史的な起源を仄めかして自らの行為を歴史化した。さらにはここに、物質に宿る記憶から縄文時代の生活とニュータウンの生活の密かなつながりを見出しつつ、それが民族や国家、伝統といった大きな物語へと接続せぬよう細心の注意を払う、清原唯の映画制作を加えても良い(連載第3回参照)。彼・彼女らの実践は、地に足がついているがゆえに決して派手なものではなく、明快な主義主張が打ち出されているわけでもないため、先行世代の乗り越えに失敗していると見る向きもあるかもしれない。だがここまで論じてきたように、それは作家の力不足ではなく、倫理的転回以後の必然的帰結であろう。芸術の担うべき役割が変化しただけだと考えるべきだ。
佐藤と中島が目指すのは、歴史的に対立させられてきた二項のどちらか一方に肩入れし、他方を華々しく打ち負かすことや、双方を否定し、第三項を打ち立てて新世代の台頭をアピールすることではない。一見相入れないように見える複数の要素がいかにして関わり合い、混ざり合い、現在のこの社会やこの私をかたちづくってきたのかを知るための、新たな世界の見方──風景の見方──を作り上げることこそが重要なのだ。具体的には、二人は現実と虚構それぞれに関して膨大に蓄積されてきたアーカイヴを活用することで、先行世代が遺した資料を事後的に検証し、その歴史観を問い直そうとする。自分がまだ生まれていない時代の出来事や直接経験していない出来事、すなわち断絶された「過去」の断片を掘り起こし、それらを「現在」に生きるこの私を媒介として結びつけ、再構成する試みを──庵野の歴史叙述的・ライフヒストリー的アプローチと対比して──メディア考古学的アプローチと呼ぶことにしよう。
「メディア考古学 Media Archaeology」とは、過去のメディアに光を当てることを通じて、それとの比較から現在のメディアよびメディア環境の特性を明らかにしたり、今あるメディアとは別の可能性を浮かび上がらせたりすることを目的とした理論的かつ芸術的な方法論である。ミシェル・フーコーとフリードリヒ・キットラーを主要な先駆者とし、ジークフリート・ツィーリンスキーやヴォルフガング・エルンスト、エルキ・フータモ、ユッシ・パリッカ、ワンダ・ストローヴンらによって新たな学問分野としての基礎が築き上げられてきた。メディア考古学は、文学研究や美術史、メディア論、地質学や古生物学など学際的なアプローチを特徴とし、また学術研究のみならず、多様な芸術実践・文化的実践も内包する柔軟性を持つ。論者によって解釈や力点も異なるため、中核的な方法論を手短に要約することは難しいが、別の見方をすれば自由度が高く、常に新たな試みに開かれているとも言える。
そこで本連載の残りの回では──引き続き、中島や佐藤のような考古学的芸術実践に取り組む作家たちから手がかりを得つつ──筆者自身の問題意識に沿うかたちで「メディア考古学的アプローチ」を独自に定義し[24]、風景論的な作品制作に応用可能な方法論へと鍛え上げることを目指したい。なお、ここで想定している「作品」とは、広義のスクリーンに映像を映し出しながら、そこに語りや音声を加えていく実践(スクリーン・プラクティス)のことであり、別の言い方をすれば、スクリーンを支持体として多層的に構成される「風景」のことである。第6・7回で論じた擬制的な共視/視差体験が、「風景のスクリーン・プラクティス」を観客・鑑賞者の側に重心を置きながら定義したものであるとすれば、メディア考古学的アプローチは、風景の制作・実演者の側に重心を置きながら定義したものだと位置づけることができる。この両者が重なり合う場所が、本連載が提案する新たな風景論の前提である。
註
[1]「佐藤朋子|Tomoko Sato」https://tomokosato.info/cv_jp.html
[2]岡本太郎「二つの東京を猛烈に競わせろ」(「都市建設への提案/オバケ都市論」を改題)『岡本太郎の眼』角川文庫、2020年
[3]同書、p. 117
[4]ロベール・ブレッソン『シネマトグラフ覚書──映画監督のノート』松浦寿輝訳、筑摩書房、1987年、p. 5
[5]Marianne Hirsch, Family Frames: Photography Narrative and Postmemory, Harvard University Press, 2012. pp. 22–23.
[6]テッサ・モーリス゠スズキ『批判的想像力のために』平凡社ライブラリー、2013年、pp. 65–68
[7]中島晴矢「〈ゆーとぴあ〉芸術論序説 ─万博・芸能・紐帯─」note、2025年5月29日、https://note.com/dopepen/n/n42a381f49433
[8]アクター・ネットワーク理論については、ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す──アクターネットワーク理論入門』(伊藤嘉高訳、法政大学出版局、2019年)を参照。
[9]ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す』前掲、pp. 352–366
[10]若林幹夫『郊外の社会学──現代を生きる形』ちくま新書、2007年、pp.95–96。なお、若林は同書内で「社会の地層」という語を直接的に用いているわけではない。過去の著作で「社会の地形」と名づけた概念を、その多層性・重層性を強調するかたちで「郊外の「地層」」と言い直している。また2009年10月27日に日本経済調査協議会「林委員会」で若林が行った講演「社会としての『郊外』―その過去・現在、そして未来―」のスライドでは、「社会の地層」という語が用いられていることを確認できる。本稿ではこのような経緯を踏まえ、若林の提唱した概念として「社会の地層」を参照している。
[11]樋口尚文編著『大島渚 全映画秘蔵資料集成』国書刊行会、2021年、p. 363
[12]中島晴矢「〈ゆーとぴあ〉芸術論序説 ─万博・芸能・紐帯─」前掲
[13]椹木野衣『「爆心地」の芸術』晶文社、2002年、pp.191–192
[14]同書、p. 73
[15]同書、p. 81
[16]同書、p. 187
[17]民俗学・近世思想史・文学研究者の石橋直樹は、椹木野衣の「悪い場所」論について、閉ざされた歴史の円環を描き出すことによって外部への想像力を断ち、却って「美術」という概念を確立・強化してしまっているのではないかと疑問を呈する。そして、現在という時間の無限の参照点として機能する「正史」を記述する必要性を説いている(「【書評】「美術」制度批判から「正史」へ(椹木野衣『日本・現代・美術』」note、2026年1月27日、https://note.com/1484_naoki/n/nc50a8ca85cfd)。本連載が掲げるメディア考古学的アプローチもまた、椹木の「悪い場所」論や、「均質な風景」を批判する郊外論・ファスト風土論など、非歴史性・没場所性を強調してきた従来の議論に異を唱え、十全に記述されてこなかった歴史を記述しようとする点で——具体的に関心を寄せる時代や、歴史記述の立場、方法論などに違いはあるが——問題意識を共有していると言えよう。第二次世界大戦の敗戦前/後に切断線を引く椹木に対して、石橋は戦中労農派の政治運動が全共闘的な前衛芸術に与えた影響を指摘することで、戦中・戦後の断絶ではなく連続性を強調している。他方、筆者は非歴史性や没場所性など「切断」を語る言説自体を歴史化し、例えば椹木の「悪い場所」論が後続世代の作家たちにいかなる影響を与えたのか、どのような表現を活性化させ、どのような表現を阻害ないしは忘却させてきたのかに関心を抱いている。
[18]大澤真幸『虚構の時代の果て──オウムと世界最終戦争』1996年、ちくま新書、pp. 41–44
[19]同書、pp. 45–48
[20]同書、pp. 286–287
[21]プランク(椹木野衣・木村重樹)編『ジ・オウム──サブカルチャーとオウム真理教』(太田出版、1995年)を参照。
[22]大澤真幸『不可能性の時代』岩波新書、2008年、pp. 166–167
[23]同書、pp. 188–189
[24]筆者は地方映画史研究に取り組む過程でメディア考古学に注目し、自分自身の研究・制作活動と結びつけるかたちでその可能性を追求してきた。詳しくは、佐々木友輔・杵島和泉・Clara編『「見る場所」のメディア考古学──鳥取から日本映画史を描き重ねる』(小取舎、2025年)を参照。
本連載著者の佐々木友輔さんと杵島和泉さんによる地方映画史研究プロジェクト「見る場所を見る」の、
5年間にわたる活動の集大成となる展覧会が3月5日〜17日に鳥取で開催されます。
会期中には上映やトークイベントも。ぜひ足をお運びください!
見る場所を見る5+──イラストで見る、鳥取の映画館&レンタルビデオショップ史
会期:2026年3月5日(木)〜3月17日(火) *水曜休廊
会場:Gallery そら(鳥取市栄町658-3 駅前サンロード)
時間:10:00〜18:00(最終日は16:00まで。またイベント実施時は一部展示がご覧いただけません)
入場・イベント参加無料
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