マンガ研究者・小田切博によるアメリカン・ヒーロー・コミックスを解説した連載。第2回目の今回は「スーパーマン」はどのようにしてスーパーヒーローの原型となり、時代とともに変化してきたのか? その誕生秘話から現代のメタフィクション的展開まで、「超人」たちの系譜をたどっていきます。
スーパーマンの横顔
「弾丸よりも早く!
機関車よりも強く!
高いビルもひとっ跳び!
鳥だ?!
飛行機だ?!
いや、スーパーマンだ!」
このフレーズは1940年から41年にかけてニューヨークのラジオ局WORで15分番組として放送されたラジオドラマ『アドベンチャーズ・オブ・スーパーマン(Adventures of Superman)』*1のオープニングで流れるナレーションです。
ラジオドラマ以降、このキャッチコピーはスーパーマンというキャラクターを象徴するものになり、フライシャー兄弟制作のアニメ映画*2、1948年の連続映画、52年から放映のテレビドラマシリーズなどで繰り返し使われていくことになりました。
スーパーマンは、バットマン、ワンダーウーマンと並ぶDCコミックスの3大メジャーキャラクターのひとりであり、1938年にコミックブック『アクション・コミックス(Action Comics)』創刊号で彼が登場したことが、アメリカのコミックブックに「スーパーヒーロー・コミックス」というジャンルが確立されていった直接的なきっかけになっています。
まだ乳幼児であった時期に滅亡しつつあるクリプトン星から実の両親によって地球へと送り込まれた彼は、カンサス州スモールヴィルで農場を営む善良な養父母によって育てられ、クリプトン星とは異なる太陽系の環境によって、成長するにつれて人間を越えた超能力を獲得していきました。
長じて自分の能力を自覚した彼は、普段は新聞記者クラーク・ケントとしてメトロポリスで働きながら、日夜その能力を使って犯罪者や災害から一般のひとびとを守っているのです。
スーパーマンが誕生してから80年以上経った現在まで、この基本設定自体はほぼ変わらないまま継続してストーリーが続いていますが、その間にスーパーマンの人物像自体はかなり変わっています。
現在のスーパーマンの人物像の原型をかたちづくったのは1986年に発表されたジョン・バーン脚本、作画によるスーパーマン誕生譚のリメイク企画『スーパーマン:マン・オブ・スティール』*3ですが、この作品ではクラーク・ケント/スーパーマンの地球での養父母ケント夫妻との関係、能力を自覚していった時期における彼の思春期的な高揚と苦悩が丁寧に描かれ、それ以前の作品と比較して異星から来た超人であるスーパーマンの超越性はやや後景に退き、これ以降は彼の人間的な側面がより強調されて描かれるようになりました。
逆にいえばスーパーマンは最初から現在映画やドラマで描かれているようなスーパーマンだったわけではありません。特に誕生したばかりの30年代末から40年代にかけての彼はそれ以前の大衆向けエンターテインメントがつくりあげてきたヒーロー像の面影をより深く宿していました。
「スーパーヒーロー」とスーパーマン
「スーパーヒーロー」とはコミックスに限らず映画、テレビドラマ、アニメーション、ビデオゲームといったエンターテインメントコンテンツに登場する、普通の人間を越えた超能力を持っていたり、奇怪なコスチュームを纏っていたりといった神話や昔話の英雄たちとは異なる近代以降の娯楽コンテンツに登場する特徴的なキャラクターたちのことです。
オックスフォード英語辞典によれば、この単語がはじめて使用されたのは1899年にロンドンで発行された新聞だとのことですが*4、少なくとも1930年代にはSFパルプ雑誌の誌上などではこの用語がコミックス、大衆小説の主人公を指すものとしてある程度読者に認知されていたことが分かっています。
つまり、「スーパーヒーロー」という用語自体はスーパーマンというキャラクターに由来するものではないわけです。
たとえばスーパーマンが初登場した『アクション・コミックス(Action Comics)』創刊号刊行の一年前、1937年のSFパルプ雑誌『スリリング・ワンダー・ストーリーズ(Thrilling Wonder Stories)』の読者コーナーで、当時同誌に連載されていたコミックスの主人公について「スーパーヒーロー」と呼んでいる投書があることが確認されていますし*5、印象的なコスチュームを身に着け、超能力を持ったキャラクターもコミックスや大衆小説、映画などでスーパーマンの登場以前に何人も存在していました。
コミックブックにおいてもスーパーマンに数か月先駆けて『ディテクティブ・コミックス』誌に覆面のヒーロー、クリムゾン・アベンジャーが登場していましたし、パルプ小説や映画、コミック・ストリップ*6、ラジオドラマといった他のメディアではターザン(1912)、怪傑ゾロ(1919)、バック・ロジャース(1928)、ザ・シャドウ(1930)、ドック・サベイジ(1933)、フラッシュ・ゴードン(1934)、ザ・ファントム(1936)といったキャラクターたちがすでに活躍しており、スーパーマンの登場自体はそのカラフルな劇場に新たな英雄像を付け加えたに過ぎません。
現在スーパーマンが「スーパーヒーロー」の代表として象徴的な意味を持つようになったのも、創作としての先駆性より、その急速で劇的な商業的成功によってアメリカのコミックス業界に「スーパーヒーローコミックス」というジャンルを確立し、そのキャラクター造型がスーパーヒーローの典型例とみなされるようになっていった点に求められるべきではないでしょうか。
スーパーマンをつくった男たち
スーパーマンの創造者は1914年に生まれたふたりのユダヤ系の若者たちでした。
脚本のジェリー・シーゲルはオハイオ州クリーブランド、作画担当のジョー・シャスターはカナダのトロントで生まれ、のちにシャスターの一家がクリーブランドに移ったことから、ふたりは高校で友人になり、SFや冒険モノの小説、コミックスなどの共同制作をするようになります。
シーゲルとシャスターが知り合った30年代初頭は、アメリカで大恐慌がはじまり、合衆国全体が不況に喘いだ時期であるいっぽう、19世紀半ばから普及した大衆娯楽としての物語、ダイムノベルの流れを受け継いだパルプ雑誌や映画、ラジオドラマといった新しいエンターテインメントが市場を広げている時期でした。
出会った当時のシーゲルとシャスターもそうした新しい大衆娯楽の熱心なファンであり、創刊間もない『アメージング・ストーリーズ(Amazing Stories)』*7や『ウィアード・テールズ(Weird Tales)』*8といったパルプ雑誌を愛読する、現在の日本でいえば「オタク」的な青年たちだったといえます。
ただ、厳しい不況下にある社会状況の中で、学校生活では目立つタイプでもなく、また経済的に恵まれた家庭に育ったわけでもない彼らは、高校卒業後、実際には家計を助けるために意に染まない仕事につかざるを得ませんでした。
高校時代から運送業のアルバイトを続けていたシーゲルはSFや冒険小説の物語のつくり手になることを、卒業後アイスクリーム屋台の店員をはじめたシャスターは雑誌のイラストレーションやコミックスを描くアーティストになることを、次第にその鬱屈した日常の中で夢見るようになっていきます。
在学中からパルプ雑誌に小説の投稿をはじめていたシーゲルは、出版社からの不採用通知を積み重ねつつ、1933年にはシャスターと組んでオリジナルSF同人誌『サイエンス・フィクション』を発表しますが、シーゲルとシャスターの手による最初の「スーパーマン」が登場する小説「レイン・オブ・スーパーマン(Reign of the Superman)」も彼らが自費出版した『サイエンス・フィクション(Science Fiction)』誌で発表されたものです。
しかし、このアマチュア時代に書かれた習作における「スーパーマン」はヒーローではなく、マッドサイエンティストの実験によって超能力(テレパシーと精神操作能力)を獲得したホームレスの男であり、ここでの彼は「フランケンシュタインの怪物」のような存在でした。
その後も彼らは通信社や出版社にコミックスや小説の持ち込みを続け、1935年、DCコミックスの前身であるナショナル・アライド・パブリケーションズ(National Allied Publications)から刊行されるコミックブックにこのコンビによるコミックスが掲載されるようになりますが、スーパーマンの誕生はさらにそこから3年後の1938年のことになります。
超人たちの黄金時代
若きシーゲルとシャスターが夢見ていた以上に、スーパーマンは連載開始直後から大人気になりました。
1939年には新聞でコミックストリップ版の連載が開始、1940年にはスーパーマンの単独誌である『スーパーマン(Superman)』誌が創刊、ラジオドラマ化もされ、公式ファンクラブも設立されています。1941年にはフライシャー兄弟によるアニメ映画も公開されており、この時点でスーパーヒーロー・フランチャイズはすでにメディアミックス展開をしていたことが分かるでしょう。
公式ファンクラブである「スーパーメン・オブ・アメリカ(Supermen of America)」を通じてキャラクター商品の販売もされており、キャラクター・マーチャンダイジングもおこなわれていました。
1940年代の時点で、現在のアメリカや日本で展開されているようなキャラクタービジネスの原型ともいえるキャラクター・プロパティの活用がそこでは実現していたのです。
コミックブックは新聞連載のコミックストリップの再録からはじまったため、もともとはユーモアものが多かったのですが、徐々にシリアスなストーリーマンガの割合が増加していき*9、特に1940年代はスーパーマンの成功を受けてパルプ小説のような特徴的な主人公を中心にした「スーパーヒーロー・コミックス」がコミックブック出版においてブームになりました。
当時のスーパーマンやバットマン、キャプテン・アメリカやキャプテン・マーベルといった人気キャラクターが登場するコミックブックは100万部を超える売り上げがあったといわれ、コミックブックの紙面はカラフルなコスチュームをまとったヒーローたちで埋め尽くされていったのです。
たとえば、スーパーマンの掲載誌である『アクション・コミックス』を当時出版していたナショナル・アライド・パブリケーションズ*10、バットマンの掲載誌である『ディテクティブ・コミックス』の版元であるディテクティブ・コミックスの実質的なオーナーだったハリー・ドネンフェルドからの融資を受けて、1939年にマックス・ゲインズが設立したオールアメリカン・パブリケーションズは、かなり意図的にスーパーヒーロー・キャラクターを利用した出版展開をおこなっていた形跡があります。
1940年にフラッシュ、ホークマン、グリーン・ランタンといったスーパーヒーロー・キャラクターを登場させると同年末にはナショナル・アライド・パブリケーションズのキャラクターであるドクター・フェイト、スペクターなどを共演させた最初のスーパーヒーローチーム「ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカ(Justice Society of America)」を『オールスター・コミックス(All-Star Comics)』3号で誕生させました。
いっぽうで当時のパルプ小説雑誌はミステリ、ホラー、SF、ファンタジーといった現代のエンターテインメントにつながるカテゴリ分けが確立されていった時期であり、大挙して登場したコミックブックの「スーパーヒーロー」たちのキャラクターづけにもそうしたジャンル的な特徴が反映されています。
スーパーマンのキャラクター設定は当然SFを意識したものですし、バットマンではパルプ小説やラジオドラマで人気のあったザ・シャドウやスパイダーのようなちょっとオカルティックな味付けのクライムファイター像が踏襲され、フラッシュやグリーン・ランタン、ワンダーウーマンはファンタジー風の設定が盛り込まれるなど、同じスーパーヒーローといってもそのテイストはバラバラです。
流行している要素は貪欲に取り入れつつ、それらをジャンル関係なくいっしょくたに共演させてしまうという「スーパーヒーロー・コミックス」としてのジャンル的特徴をこの辺りから看てとることもできるでしょう。
マスメディアの発達
国家としてのアメリカ合衆国は、イギリス領植民地が連合して大英帝国と戦った1775~83年の独立戦争を経て成立した国家です。このためイギリス系のイメージが強い部分がありますが、そもそもイタリア人のコロンブスがスペイン王室の命を受けてアメリカ大陸を「発見」したことからもわかるように、実際にはネイティブアメリカンを除外したヨーロッパからの移民のみを考えてもスペイン系、フランス系、イギリス系(大英帝国自体、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズの連合王国です)といったさまざまな出自をもったひとびとが寄り集まった多民族社会として成立しました。
その後、領土の拡大とともに革命や戦争に揺れるヨーロッパから南欧、東欧、あるいはユダヤ系の移民が流入し、南北戦争を経て現在のアメリカ合衆国が出来上がっていくわけですが、こうした環境を通じて確立されていった複合的なアメリカ文化のあり方を比較文化研究者の亀井俊介は「アメリカ的」経験と呼んでいます*11。
広大な国土に移植されたヨーロッパの文化は多様な民族、文化が入り混じった複合的な社会の中で独自の発展をしていきました。先に述べたパルプ雑誌もそうですし、新聞や映画、ラジオ等の新しいマスメディアがその「アメリカ的」経験の中で成熟していったわけです。
テクノロジー面では19世紀から20世紀にかけて整備された道路と鉄道を通じて新聞、雑誌等の印刷物や映画のフィルムが全米に配送されるシステムができあがり、20世紀初頭のラジオ放送実用化以降は電波メディアを含めて技術、制度的にアメリカという広大な土地を網羅するマスコミュニケーションのネットワークが形成されていきました。
現在までスーパーヒーロー活躍の主舞台となるコミックブックも、アメリカにおいてマスメディアが発達していく過程で確立されたメディア様式になります。
亀井は1993年の著作、『アメリカン・ヒーローの系譜』*12の中でアメリカ的なヒーローの原型を西部開拓時代に林檎の種を放浪しながら植えて回ったとされる開拓者ジョニー・アップルシードの伝説に見出し、その後継者としてターザンをはじめとする大衆小説のヒーロー、西部劇のガンマンやハリウッド映画の主人公たちを位置付けていきました。
開拓者精神と清教徒的なストイシズムにアメリカンヒーローの本質を見る亀井は、快傑ゾロ以降の覆面を被り二重生活を送るヒーローたちをアメリカン・ヒロイズムの衰微として批判的に見ているのですが、逆にいえば時に覆面の中身が入れ替わってしまうアメリカ大衆文化におけるスーパーヒーローたちは、近代以降のマスコミュニケーション化されたメディア、社会、文化の中で、固有性と匿名性の間を揺れ動かざるを得ないヒーローのあり方を示すものといえるのではないでしょうか。
4人のスーパーマンと3人のスパイダーマン
ミステリやSFのような大衆小説が20世紀後半にジャンルとしての純化や洗練を志向していったのに対して、飽くまでもキャラクター中心に発展していったスーパーヒーロー・コミックスは特にこうした曖昧化、多重化していく現代の「ヒーロー」のあり方を反映したものだと思います。
コミックブックのスーパーヒーローの原型的な存在ともいえるスーパーマン自体、延々と続く物語の中で砕け散った鏡の中で乱反射する鏡像のようなさまざまなバリエーションを生み出し続けてきました。
中でも象徴的なエピソードを一つ紹介するなら1992年から1993年にかけて『スーパーマン』誌を中心に展開されたストーリーライン「デス・オブ・スーパーマン(Death of Superman)」でしょう。
このストーリーは「デス・オブ・スーパーマン(Death of Superman)」*13、「フューネラル・フォー・フレンド(Funeral for a Friend)」、「レイン・オブ・スーパーメン(Reign of Supermen!)」の三部からなっており、第一部は謎のモンスター、ドゥームズデイの手でスーパーマンが絶命するまでの壮絶な戦い、第二部がスーパーマンの死後のDCユニバースとスーパーヒーロー・コミュニティーの反応を描く一部のエピローグ的なパート、そして実質的な本編にあたるのが第三部の「レイン・オブ・スーパーメン」*14です。
この第三部では半身が機械化されたスーパーマン、身体がエネルギー生命体になっているスーパーマン、自らはスーパーマンのクローンだと自称する少年、スーパーマンの理想を継承することを誓い自作のパワードスーツを身に纏ったアフリカ系技術者、という4人の自称スーパーマンが登場し、そこからは誰が本物の(あるいは次代の)スーパーマンなのかというミステリ的な興味を中心に物語が展開されていきます。
ほぼ一年に渡ってスーパーマン関連タイトル4誌*15+『ジャスティスリーグ・オブ・アメリカ(Justice League of America)』で継続しておこなわれた長大な企画であるため、今後も翻訳が刊行される機会があるかはわかりませんが、大変面白い作品なので、個人的に未読の方にはお勧めしたい作品の一つです。
このストーリーでは4人のスーパーマンが本物か偽物か、その中身の真贋が物語をドライブする謎、サスペンスを作り出す要素だったわけですが、これは同時に「スーパーマン」という呼称は作品世界におけるある役割に過ぎないという事実の提示にもなっていました。
ですが、メディアミックスされるのが常態化している現代の大衆文化コンテンツではそもそもスーパーマンの正体である「クラーク・ケント」自体が演じられるものでもあり、アニメやゲームではそれぞれ演じている声優さんがいらっしゃいますし、映画やドラマでも作品によって演じる俳優は異なっています。
そして、現代のスーパーヒーロー・フランチャイズはこうした役割(ロール)としてのキャラクターのあり方までがネタにされるほどメタフィクション化しているのです。
2021年公開のスパイダーマン映画『スパイダーマン:ノーウェイ・ホーム』*16において現行シリーズのピーター役であるトム・ホランドが並行世界のピーター・パーカーとして、サム・ライミ監督による2002年からの『スパイダーマン』三部作*17でピーターを演じたトビー・マグワイア、マーク・ウェブ監督版の2012年からの『アメイジング・スパイダーマン』二部作*18でのピーター役アンドリュー・ガーフィールドの二人と出会うシーンはそのことを象徴するものだと思います。
スパイダーマンとドクター・ストレンジの不手際から並行世界がつながってしまい、過去のスパイダーマン映画の悪役たちがトム・ホランドのピーター・パーカーが住む世界*19に現れてしまう、というシチュエーション・コメディ的なストーリーのこの作品ではじつはマグワイアのピーターとガーフィールドのピーターもそれぞれの作品世界での物語の延長となるドラマを劇中で展開していました。三人のピーターはそれぞれ同じ「スパイダーマン」でありながらも、内面も背負うストーリーも異なったものである、この映画ではその構造が三人の俳優の肉体によって鮮やかに示されていたのです。
注
1 このラジオドラマに関してはMichael J. Hayde, “Flights of Fantasy: The Unauthorized but True Story of Adventures of Superman”, 2013, BearManor Mediaが詳しい。
2 1941年から1942年にかけてFleischer Studios、1942年から1943年にかけてFamous Studiosによって制作されたスーパーマンの短篇アニメ映画(タイトルは“Superman”)。17本が現存しており、現在では動画配信サービスYouTubeで全て観ることが可能。
3 John Byrne, “The Man of Steel”, 1986, DCcomics, 邦訳は『スーパーマン/バットマン』1~3, 1996~1997, 小学館プロダクション
4 “OED’s earliest evidence for superhero is from 1899, in the Daily Mail (London).”, Oxford English Dictionary, https://www.oed.com/dictionary/superhero_n?tl=true
5 GW Thomas, “Zarnak: Forgotten Forerunner”, Michael May: Writer of the graphic novel Kill All Monsters. Podcaster., 2016, https://www.michaelmay.online/2016/01/zarnak-forgotten-forerunner-guest-post.html, 該当の読者投稿ページをこちらで見ることができる。https://archive.org/details/Thrilling_Wonder_Stories_v10n01_1937-08/page/n119/mode/1up
6 comic strip 新聞連載のコマ割りマンガ、ひとコマのものは「カートゥーン(cartoon)」と呼ばれる。
7 1926年創刊のSF雑誌。
8 1923年創刊のホラー、ファンタジー小説誌。
9 新聞連載のコミックスにもストーリーマンガがあり、1920年代末から“Tarzan”や“Buck Rogers”などの連載がはじまっている。
10 1946年にこの三社は合併し、現在のDC Comicsにあたるコミックス出版社になる。
11 亀井俊介, 『サーカスが来た! アメリカ大衆文化覚書』, 1976, 東京大学出版局, 亀井俊介『ハックルベリー・フィンはいま』, 1985, 講談社, 亀井俊介, 『アメリカの心、日本の心』, 1991, 講談社など。特に『ハックルベリー・フィンはいま』は『アメリカン・ヒーローの系譜』に先行するヒーロー論「現代アメリカヒーローの運命」を収録。
12 研究社刊
13 このパートのみ『スーパーマンの最期』(モンキー・パンチ監訳, アダム・カウフマン, 久世操訳, 中央公論新社)として邦訳が出ている。また、2018年にはアニメ化され、OVA“Death of Superman”が発売された。
14 2019年にアニメ化され、OVA“Reign of Supermen”が発売。このタイトルはジェリー・シーゲルとジョー・シャスターの習作小説“Reign of Superman”のもじりになっている。
15 “Superman”, “Action Comics”, “The Adventure of Superman”, “Superman: Man of Steel”の四誌。
16 Jon Watts, “Spider-Man: No Way Home”, 2021, Columbia Pictures, 2017年公開の“Spider-Man: Home Coming”、2019年公開の“Spider-Man: Far from Home”に続くJon Watts監督、Tom Holland主演のMCUスパイダーマンシリーズの第三作。
17 Sam Raimi監督による“Spider-Man”(2002), “Spider-Man 2”(2004), “Spider-Man 3”(2007)の三部作。
18 Marc Webb監督による“The Amazing Spider-Man”(2012), “The Amazing Spider-Man 2”(2014)の二部作。
19 Marvel Cinematic Universe