Lesson.1
距離ができてしまったひと、未だ分かり合えないひと、もう二度と会えないひと、どうしようもない隔たりが、そこにある。
どれほど考えぬいても、そこに苦しいほどの距離があるとき
私は誰にどんな言葉をかけたらいいのだろうと思う。
先に想像しておきたい。いつでもそう思ってる。
いつか声をかけるべき、その時が来るまでの間に、私は私に必要な言葉を探しておく必要がある。
言葉だけじゃない。それを語る自分のイメージをしておきたい。
声をかけるべき対象としての「あなた」が、今はたとえわたしの想像の範疇でも、
わたしは、ほかならぬわたしが、あなたに何をいいたかったのか、まずは思いだしたい。
つねに今、すでに今、わたしたちは、
ときに道行きをともにして、気まぐれな魔法の、その先へ、先へ、先へ……。
宣言と暴動
詩と歌詞の境目を考える時、折坂悠太がいつも頭に浮かぶ。どうしても。ここから始める必要がある。どうしてか、自分が研ぎ澄まされてしまうのを感じる。
たとえば、朗読調の「夜学」(『平成』2018所収)、その衝撃はいまだ強い。
こんな事もあるものか。留まっていられようか。
それは土手から川べりへ、スパイラルを描くやぶ蛇です。
ここへは何度も来ましたが、未だに向こう岸に渡れません。
冷めるが冷え切らぬ温度に膨張し
一心不乱に同じ動作をするのが我が常です。
初めてこの曲をきいたときこれは歌というよりもはや詩じゃないか、と思った。「こんな事もあるものか」、いったいどんな事を見たのか、意味をどうも捉え損ねてしまう。行間同士、語と語の間にある飛躍。しかし無理筋な飛躍のようには思えない、イメージ同士の橋渡し。
引用した部分、冒頭で示される困惑は、いつしか川辺をのたうち回るやぶ蛇のイメージとなり、「留まって」などいられないと感じるこの主体は、しかし川岸を越えることができず、持て余した力は反復動作に吸収される。具体性が捨象された歌詞が切れ切れにイメージを結び、しかし「こんな事」があったのかもしれないと、ふいに感じてしまう。
榎本櫻湖がかつて、「詩を構成するのは韻律とポエジー」であり、「ポエジーとは謎だと規定する」といっていたが[1]、まさに折坂の詩は謎を含んでいる。しかしながら、歌詞中の主体のもどかしさや、持て余したパワーが反復運動に吸収される様子をみていると、どうも自分の生の実感として重なっていくように感じられる。謎だからこそ、その意味の特定しえなさゆえに、あらゆる実感にフィットしえてしまう。
音の軽快さの一方で、感情の起伏が抑えられた発声は、どこか手紙のような散文調でありながら、「そう、ここは夜学/まだ皆が若く」といった具合に随所で韻が踏まれ、リズミカルかつリリカルである[2]。
詩のようにも/としても読めてしまう歌。テクストとしての強度。折坂悠太の歌詞との出会いは、歌詞において詩的な強度とは何か、という問いがうまれるきっかけであった。
とはいえ、すでに『ユリイカ』で特集も組まれ、この問いに対する回答はいくつも提出されている。たとえば細馬宏通はその歌詞の日本語文法としての“不自然さ”に[3]、斎藤倫はその歌詞の背景にみえるフォークロアに[4]、その詩の力の源をみる。
しかしこれらを単に詩的強度のある歌詞と言ってしまうとき、いや、その美的価値“のようなもの”に評価を着地してしまうとき、これほど無難で安全な言葉もないと思う。なぜならそれは何も言い得ていないに等しいからだ。詩的であることが、なにゆえこうも心を突き動かすのか。それは単に美的な力の磁場が働いているのではない。心が動いてしまう理由を探さなければ。大事なのは、私がどう聞いてしまったか、である。それはすなわち自らの世界との向き合い方を少し明らかにすることでもある。
折坂の歌をきいて心が振動するとき、自分がなにか危険な、しまい忘れた刃物のような存在のように思える。歌に突き動かされ、勝手に口が動き出す。喉元から歌が出現する。歌を自らのものにする過程で、前のめりになり、そのまま倒れて消えてしまうのではないか――痛みさえ感じずに――とさえ[5]。そんな忘我の境地にあるとき、人は危険だ。いつしか体が動き出す、そうしていまに暴動がおこってしまうと予感されるほどに、折坂悠太の歌は心に地響きを起こす。折坂の歌詞には、そうした不穏さにも裏打ちされている。はたしてどのような不穏さか。それは折坂の言葉の発された先にいる、群集のうごめきだ。
たとえば「逢引」(『平成』2018所収)を見てみよう。
酔うほどにさまよい
突き飛ばしあって歩きました
よろめき踏み入れた線が国境だと
わかった時にはもう一里も二里も先にいました
前線異常無し
旋律 多く閃きたり
歌います、こうです!
歌います、こうです!
この歌中で唯一、語尾が丁寧語となっているこの連では、歌がただ作品であるだけでなく、歌う主体と聴き手の出会う場だということが、どうしても浮かび上がってしまう。
「前線異常無し」、「国境」という言葉からは、どこか戦禍のなかを進む軍隊、あるいは移動し続ける隊商を想起させる[6]。いずれにせよ、ここで言葉が発されている対象は、何らかの分類でひとくくりにされた人の群れだ。前半は事後報告のようでもあり、後半は今まさに隊列の先頭付近で叫ばれた、後方の仲間たちへの呼びかけのようでもある。「かける はねる」「みだる まざる」のような、迸るパワーが前面に表現され、このような群れのイメージは内奥のエネルギーを増幅させる。しかしこの暴力の気配ゆえに、こんなことを想像してしまう。もしも前線で「異常」があったのなら、どうなっていたのだろう。きっとこんな言葉は叫ばれず、“異常”に“対処”すべく、何らかの“行動”がなされるにちがいない。同じ隊列のなかでこの言葉を聴いて、共に歩みをすすめる。その先に何があるのか、私は本当にわかっているのか? 事実、「わかったときにはもう一里も二里も先にいました」と叫ぶこの者は、歩む過程での記憶があいまいなのである。
酒井隆史は『暴力の哲学』(河出文庫、2016)において、「暴力と名指されている行為」の内実における、多様さとそれらの非対称性について以下のように語っている。「さまざまな文脈で、さまざまに行使される暴力」の間には同じ「暴力」という名のもとであっても力の非対称性が存在する[7]。そして何より重要なのは以下の箇所だ。
「暴力はいけません」という漠然とした「正しい」モラルこそが、暴力の蔓延を促進させ、暴力の圧倒的な非対称性を容認させ、暴力への無感覚を肥大化させているひとつの動力なのです。(傍点ママ)
暴力という一語にこめられたすべてを忌避してしまえば、それは既存の権力体制を温存することになる。ベンヤミン「暴力批判論」を参照しつついうように、酒井は「(暴力の廃絶という理念に立脚しながらも)暴力(とみえるもの)そのもののなかに線をひく」ことこそが、暴力批判だと言う[8]。「突き飛ばしあって歩き」、気がつかぬうちに(手続きなしに)国境を越える行為は、時に“侵略”とみなされうるだろう。しかし酒井が言うように、むしろ「この世界に充ちているさまざまな力を感受し腑分けする能力」こそ残すべきなのだ。この歌詞が暴力として、あいまいな多義性に開かれているがゆえに、私の心を突き動かしてしまう。動き出す群集の一部としてのわたし。わたしは自分のなかの暴力的なパワーが、何かしでかしてしまいかねない衝動が、身のうちに出現するのを、とどめることができない[9]。
「逢引」の歌の先に浮かび上がる人の群れを想像するとき思う。折坂の歌は、詩とだけでなく、宣言とも似た表情をしている。歌は多くの場合、届くために歌われる。宣言もそうだ。名も知れぬ、顔もわからぬ人たちへも届く、届いてしまう。そして届いた先で、人々の身体や心を動かしてしまうのが、歌であり、宣言である。人々を動かしていく一つの戦略として、これらの形式が採用されることもあるだろう。
「正気」(『呪文』2024所収)もまた、「逢引」と同様、丁寧語で複数の誰かへと語りかけられた「宣言」の側面を見ることの出来る歌である。台所で「鍋に立てかけたお玉の/取っ手のプラ」スチックがとける傍ら、「夕方のニュース」が部屋にひびく、そんな生活感あふれるこの歌は、「逢引」とは対極に静かでゆるやかなフォークソングである。
「あれはこんなに恐ろしく
ついには君もわからない」
そんな話はしていない
私は本気です
戦争しないです
この歌はほとんどが4行×4連で構成されている。一連のなかは、はじめの2行は「」内で作中主体に対し語りかけられた誰かの発言だ。「「あれにそういう意味があり/ひいてはこういう意図があり」」といったくどくどしさを前に、作中主体は後半で毎回それを否定する。「そんな話はしていない」「そんな話は聞いてない」と。そして作中主体は自己の実存や「本気」を訴える。イレギュラーなのは上に引用した最終連、「戦争しないです」と1行つけ足されているところだ。夕方のニュースは何を告げたのだろうか。それは戦況をつげるものかもしれず、あるいはその足音をつげるものかもしれず。それが戦争のはじまりだと、大衆に気がつかれぬように巧妙にカモフラージュされた知らせであったかもしれない。「逢引」と同様、ここには戦争の気配がある[10]。いや、すでに戦争の最中である。
折坂はこの一行についてこのように述べている。[11]
「正気」という曲の最後の一文を書いた時、私の頭の中のプロデューサーはこの詞にボツを出そうとした。これは宣言だ。曲の中に宣言を入れるのは気恥ずかしく、美しくない。試しに歌ってみたらやっぱり、心拍が上がり、顔が赤くなる気がした。
集まり、争うことは、人が群れとして肥大してきた過程でこしらえた業である。私たちは人だから、時にそれを美しいと感じてしまう事さえある。でも人は、言葉によって自らの宿命に抗うことができる。異物感や不自然さを伴う言葉。使い古された手垢まみれのプラカード。今直さず、赤い顔で唱える事で、私は私自身を説き伏せようとしている。その言葉が口をついて自然と出るようになる頃、私が残した牙が誰かに引っ掛かるように。[12]
もともと志向していた形式でなくなって、別の形式に包摂されてしまう、という危うさは、本連載の序文で紹介した小池昌代の発言に近いものがある。小池は詩が詩ではなく歌となってしまう淵で葛藤していたが、折坂はここで歌が宣言になってしまうことに、逡巡をかかえたとある。[13]
詩/歌は、宣言とも境界をかさねあわせている。では次にめぐってくるのは、以下の問いだ。
はたして折坂の歌は、どのような対象を想定して、その都度はなたれているのか。
そしてそれをどのような人称で呼び、どのような人称をイメージとして捕捉しようとしているのだろうか。
たとえば「鯱」(『心理』2021所収)にある「呼びなれた名前にちょっとばかしの「」を」という歌詞。月日の積み重ねのなかで何度も呼んだその名を鍵カッコでくくるというとき、それはその名を関係性の外部に提示することを要請される事態なのではなかったか。その対象となる人にいつもとかわらず、いつもと同じ名で呼ぶのならば、そこに鍵カッコは不要である。折坂の歌詞には、誰がどのような文脈において、どのような名で名指されるのか、という意識がとぎすまされているように思う。
つぎに思考をおしすすめていこうとしているのは、折坂の歌詞における人称の問題である。
一人称(複数)
「逢引」に少し戻ってみよう。この歌では、「好き合うものに日が暮れる」「礼には及ばぬと/傘を託し去る男」などと、ひそやかな逢引の断片が映し出されつつ、「各都市の私が/呼び合うようにいくさ場へ」という歌詞にみえるように、個としての人称を複数化し、像を拡張・増幅するところがある[14]。「各都市の」“私たち”ではない。あくまで一人称単数の「私」が増幅するのであって、聴き手としてはあやうく個の単一性を奪われそうになる。
「手を取り消えて行く/手を取り君たちは」「手を取りて消えてゆく/手を取り俺たち」はという歌詞もまた、一般的に想像される「逢引」の二者関係に限定することもない。手を取り合う者たちの数は三者、四者と増幅する可能性を持ち、あるいは複数の「私」である可能性さえ立ち現れ、その輪郭がぼやけていく。
これがたとえば「私たち」という一人称複数形であれば、そもそもすでに輪郭を拡張/縮小する機能をもっている。
トリスタン・ガルシアは『〈私たち〉とは何か 一人称複数の哲学』において「〈私たち〉は一種の可塑的な主体である」と述べていた。「私たち」という人称は、あらゆる立場において使用することができ、同じ立場をまとめつつ、同時に一方で異なる立場との線引きをするものである。そして「単なる言語の一機能ではな」く「この語を使う者の精神を構成し、その使い途に特定の方向性を示すが、かといって全面的に強制するわけではない」とも言われるように、話す者/聞く者問わず、単に名指すだけの効能にとどまらない[15]。歌の中で「私たち」と発されたとき、聞き手はそこに自分をゆだねることも出来れば、そうではないと考えることも可能だ。では折坂の歌詞における一人称複数形は、一人称単数に比べてどのような効能をもっているか。
見てみれば、折坂の一人称複数は「おれたち」であることが多い。「俺」という人称を単に男性のものとするのは短絡的だが、男性ジェンダーの一人称と解釈されることが多いのが実情だ。少なくとも、「わたしたち」よりは、「自分がそこに含まれている」と思う範囲を狭める人称であろうと思う。
そのうえで折坂の歌詞に登場する「俺」の複数形を見てみよう。
俺たちは
夕刻時報で起き上がったこの命
放ってやろう モノクロの街角
何度も君を見かけて
呼んだんだぜ
(「のびやか」『あけぼの』2014所収)季節が耳打ちする
「おれたちに何を待つの」
(「坂道」『平成』2018所収)やがておれたちは
砂浜の文字を
高波に読ませて言うだろう
(「さびしさ」『平成』2018所収)きみが笑う
幸、おれたちに多くあれ
(「平成」『平成』2018所収)二度ともう会わずとも
俺らは友達
(「友達」『straße』2025所収)
折坂は自身の一人称がいつしか「僕」、「俺」、「私」と変わっていったという。とりわけ「私」という一人称を得た経緯について、折坂は以下のように語る。
同じ時期、作家でシンガーのイ・ランが書いた『アヒル命名会議』を読んだ。登場人物の性別を文の中で名言していないことが痛快だった。視覚的な印象より先に、その人間の言葉のみが届く。シンプルだが、読者の中にある偏見を問い直す投げかけになっていた。性別や年齢の飾りを脱いだ一人称で、点と点になって話してみたい。「私」という一人称を意識しはじめたのはこの頃からだ。[16]
「性別や年齢の飾りを脱いだ一人称」として「私」。しかしながら、一人称が、単数から複数形になるとき、折坂は「私たち」とはいわない。
極めて個人的な話題になると、役割としての「おとー」や、点としての「私」では通れない隙間に突き当たる時がある。[17]
先にあげた「友達」という歌で「俺ら」と書いたとき、折坂は「演説台から一旦離れ」てそのように書き記したという[18]。折坂にとって「私」とは、すでに公共性を帯びた人称なのであった。「性別」の「飾り」をまとった「俺」や「僕」、父親としての自分をしめす「おとー」は、もちろん社会的なジェンダー役割を示す側面もありつつ、人前に立つ演者性の手前の個に近いものとして、認識されている。すくなくとも、「俺」でしか表せないものがあるとを折坂は言う。
先に述べたように、一人称複数を使用するということは、自分と立場を同じくするもの/異なるものを線引きする効能をもつ。「わたし」“たち”ではなく、より射程の狭いであろう「おれ」“たち”としたところには、より発話主体の実感にちかい一人称を中心として一人称複数の円を描こうとする、その軌跡をみることができる[19]。「わたし」でさえ公共的な人称であるとき、歌の宣言としての側面が人を動員してしまう危うさもあいまって、「わたしたち」が纏う公共性は過剰となり、ゆえに避けられた人称として追いやられる。[20]
また一方で折坂の歌詞には「あなた方」という複数形を含め二人称への呼びかけは多く登場する。次に見ていきたいのは、私/僕たち/俺たちのような一人称の輪の外、呼びかける対象へどのような言葉が使われているか、という問題である。
きみたち/あなたたちはいまどこに
折坂が「あなた」「きみ」「あなた方」などと呼ぶとき、なぜだかわたしには、その顔ではなく背中が見えている。あるいは少なくとも、目線があっている気はしない。
たとえば比較対象として、宣言/詩/歌の境界をゆくアーティストとしてGEZANをあげてみよう。「焦るな 急ぐな 走るな いらだつな 勝つな やり返すな でも降参するな」とはじまる「HAPPY HIPPIE」(『I KNOW HOW NOW』2026所収)。これは「オレは君とここであがるためにこの場所にきた/だからまずは契約を結ぼうか」とつづいていく。明らかにこちらの聴衆をまなざす瞳が、目線を合わせて“契約”しようというメッセージが、伝わってくる。
しかし一方、折坂がなにかを呼びかけるとき、どうしてか目線があわない気がするのは、なぜか。考えてみれば、折坂の歌詞で呼びかけられる先は、いつもすでに失われた相手、あるいは何かを境にして遠くにいる者として立ち現れているように思う。折坂の目はこちら(聴衆)の目を向いているのではなく、どこかにいる「あなた」「きみ」をさがすようだ。わたしたちはそれぞれの方角を向いて、しかし同じように誰かを探すまなざしを共有している。そんなきがしてならない。
たとえば「夜学」。
ここへは何度も来ましたが、未だに向こう岸に渡れません。
(中略)
いつ君が来てもいいようにボトルのフタを全て開けておきました。
(中略)
そう、ここは夜学
話すにはとても長く
ここから去ったあなた方に
小さくても旗を掲ぐ
「ここから去ったあなた方」は「そこへ留まった」ことがわかる。おそらくもう戻ることのない者たち。こちらからも行くことの出来ない場所。しかしそこに届くかもわからぬ旗があがる。いつ「君」が戻ってもいいようにボトルのフタがあけられる。必ずしも「これを気に入る」かはわからないにもかかわらず、そのことを期待されてあけられる。
“朗々”と“淡々”の間を行くような声は、「あなた方」に届けるための歌というよりは、もはや自分の中に住まう記憶へ呼びかけているようにさえ思う。あるいは海に流された小瓶。ディスコミュニケーション。やはりこの歌は私を向いてはいない。なぜなら「旗を掲ぐ」と歌われた歌をまさに聞いている私は、確実に「小さな旗」をまじまじと想起してしまう、もはや「小さ」いことなんて気にするまでもないくらい、届いてしまっているのだ。すでに何度か見てきている「逢引」もまた、「傘を託し去る男」「手を取りて消えてゆく」とそこには去り行くものたちばかりであった。[21]
互いに到達できない岸辺という意味では、「윤슬」(『心理』2021所収)という歌が思い浮かぶ。イ・ラン参加楽曲で、前半は折坂の歌、後半はイ・ランによる語りで構成されているが、イ・ランのパートの日本語訳もあわせてよむと、両パートは無線をとばすように[22]、傍にいない互いへ語りかけていることがわかる。
※折坂パート
橋のたもとに椅子があり
そこにもたれて 川を見てます
(中略)
こちらからは以上です※イ・ランパート(日本語訳)
もしもし、聞こえますか
私はこの近くに住んでいます
とても近くに川が流れていますが、あまり見に来ません
水を近づけると心が暗くなると聞きました
でも見ないでいると。ふと川が消えてしまうような気がして、
今日こうして来てみたらユンスル*がとても美しく光っています
*ユンスル:水面に反射する光
両者は、同じ川を見ているとは限らない。というより同じ川岸を挟んでいるようには思えない。共通認識で同じ川のことをさしているのなら、「あの」川、「この」川、などというだろう。少なくとも片方は川を普段避けているのだ。しかしその川が「消えてしまう」ことにふと不安を覚えて、確認しにきたのは、「ユンスル」の美しさを失う不安だけではないだろう。川が消えること、それは境界の喪失を意味する。折坂の歌詞には数多くの隔たりが横たわっている。必然性として、横たわっている。それがなければ世界が壊れてしまうような、なくてはならないものとして。
「道」(『たむけ』2016所収)では、私と「そちら」が電話口[23]で話す様子が映し出される。[24]「あなた」ではなく「そちら」として名指すということは、そこに距離があるということを前提として対象を想定しているということになる。[25]
夜目も慣れない道に
24hのネオン
「今何処いるの」とそちら
「長くなるよ」と私
長くなるのは経緯説明なのか、「そちら」へゆく過程でかかる時間か。どちらの解釈にも開かれている、まさに「謎」だと思うが、興味深いのは、作中主体の意識は視覚的な風景情報、目の前の「ネオン」をとらえていることだ。
蚊柱輝く路肩
二輪挿し
学童注意
「お金はあるか」とそちら
「どこにあるの」と私
この歌の後半にはもうひとつ同じ形式の連があり、こちらは同じように電話越しの会話とは断定できないが、前半では意識が風景に吸い寄せられていて、お金の話はどこか上の空のようにも思える。「そちら」の声・言葉と、目の前の「そちら」にはない風景が、ただかさねられていく。初期EP収録の「あけぼの」(『あけぼの』2014所収)もそうだ。しかしこちらはただの並置ではなく、重心の置き方が少し異なるようにおもう。
山並み
あけぼの
手紙一つもよこさずに
今日になって
急に会いたくなった と
もはやあえなくなった“はず”だった人からふいに便りがくる歌。先ほどの「道」と近いのは、前半から後半へ、ひとつの連のなかで、風景から、他者からの言葉へ、意識が流れていくところだ。しかしただ並置ではなく、後半語られる「君」の知らせを前にして、呆然と遠くを見ているような印象を覚える。後半の出来事が、主体を呆然とさせ、前半の風景を引き寄せている。歌詞の順序としては遠景から近景にうつりつつ、実際に遠景を引き寄せているのは近景である。
夜明け、目線の先の遠くに山と昇りゆく陽がさす。「手紙一つもよこさ」なかった「君」からふいに「会いたくなった」と便りがくる。ここでは「今日になって」が前にかかるのか、後にかかるのか、二通り想定することができるように思う。「手紙一つもよこさずに/今日になって」と、「今日になって/急に会いたくなった」。後者であれば、「君」の一続きの言葉であろうが、前者であれば「今日になって」は歌の主体の実感として、これまで手紙もよこさなかった“くせに”今日になって連絡をよこすなんて、というようなニュアンスになるだろう。しかしここではおそらく前者だ。「君」は「ナイトメア」にさえ出てきてしまう。悪夢のなかで「君の後ろ髪」は「振り向か」ないし、そんなことは「わかってる」。主体が「君」を強く思っていなければ、いや、「君」がこちらのことなんて考えてもなさそうだから、こんな悪夢をみてしまう。
恋しさとは、恋とは、はたして恋愛関係だけに適用される言葉だろうかと思う。とりいそぎ“友達”と規定した関係に、どうしようもなく執着してしまうことがある、自分にはないものを見出して心がときめき、時に苦しくなる。自分から距離をとる。喧嘩して、嫌われて、なんか会ってくれなくて、かなしくなる。夜中に一人で泣いてしまう。これは“恋”でなくて、なんなのだろう。
本当はどうだった
適当に言わないで
二度ともう会わずとも
俺らはもう友達
(「友達」『straße』2025所収)
「友達」もまた、過去の関係性の断絶のうえで、ふと出会いなおす歌だ。便りがくるその瞬間しか描かれない「あけぼの」もそうだが、この歌も、両者が今後仲を深める可能性は低そうである。
君いきて 風はらむ
予感に振り向くこの道
その角 物陰に
なんにもないことを
「生きる」と呼ぼう
(「呼び名」『ざわめき』2018所収)
「君いきて」は「生きて」かもしれないし、「行きて」「往きて」かもしれない。ここであえて後者としてみれば、「生きる」ということが、否応なく、必然性として、そこに欠落をはらんでいることを意味する。そして欠落ゆえの期待や一縷の希望もそこにはあるだろう。
折坂の歌詞は欠落をみつめる。たとえば「さびしさ」という歌。あの歌のMVで興味深いのは、そこにいる折坂に誰も気が付いていないようにみえることである[26]。作業服を着た折坂はある家族の食卓を過ぎ、「土屋製作所」なる工場で作業する自分の後ろを過ぎ、そのだれとも目が合わない[27]。
そのような、誰とも目が合わないような心を、わたしは知っているように思う。幾多の喪失を思いながら、わたしもおなじように、同じではない誰か、あるいはいつしか過ぎた私自身をおもう。わたしたちは同じ道をゆく、しかし探すものの違う旅人のようだ。その想像は、たとえ錯覚だとしても、果たしてばかばかしい想像だろうか。[28]
私のための宣言
しかし、では、何のために歌うのか。いや、誰のために。宛先は果たして空虚な欠落だろうか。
お前だけだ あの夜に
あんなに笑っていた奴は
私だけだ この街で
こんな思いをしてる奴は
(「トーチ」『心理』2021所収)
「こんな思いをしてる奴は」「私だけだ」なんて歌われてしまえば、折坂と聴衆の間には隔たりができてしまう。しかしどうしようもない距離ばかり描くこの歌が[29]、折坂の手によって少なくとも観客に向けて届くとき、奇妙な事態が発生する。聴き手であるわたしには「あの夜」を共有した記憶がない。しかしいや、いつのことだろう、自分が思う「あの夜」を勝手に想定してしまう。たった一人で笑っていたような夜が、あったのではないか。
歌には関係性を3つ想定することができる。この箇所は前半が、主体から「お前」にかけた言葉だとすれば、後半は主体から「私」自身にかけた言葉と読める。ここにはまず、作中の「私」「お前」の関係性を読み込むことが可能だ。しかしこれが歌である以上、もうひとつ折坂/聴き手の関係も否応なく発生する。これが二つ目。「あの夜」「笑っていた」「お前」に私がなってしまう。
そして私がこれを聴き、読むとき、私自身をこの作中主体として重ねてしまうことも可能となる。すると「お前」は私が想像する「お前」となる。作中の「私」「お前」関係でもなく、折坂/聴衆でもなく、私にとっての「私」と「お前」の関係性、これが三つ目である。
こうして3つの想定可能な関係性が重なり合うとき、「あの夜」も「こんな思い」も自分のなかにある記憶や感情を勝手に読み込めてしまう。「私」と歌いこまれている歌詞は、たんに歌手に紐づけられた「私」であるのみでない。歌いかけられていた側であったはずの「私」が、いつしかこの歌に乗り込んでいる。
折坂の歌詞のあて先は、ときに私/僕自身である。以下、いくつか歌詞を見てみよう。
ここに 願う 願う 願う
暗闇に呼んだその名を
胸にきつく抱き 願う
物語は続く この僕に
ほら今に咲く、花!
(「朝顔」『朝顔』single2019、『朝顔』EP2021所収)
呼んだ名は暗闇に消え、「胸にきつく抱」くほかない。呼びかける宛先が暗闇のなかにあるとして、しかしそれでも「願う」と歌うのは、ほかならぬ自分に言い聞かせるためでなかったか。取り急ぎ、生きなければならないのは「僕」自身の「物語」である。文字通り、「君が朝を愛する」ことを願う気持ちゆえではあろうけど、宛先に届かぬうちは、この願いは、ほかならぬ自分が忘れないために、歌われている。リフレインもまた、そのことを強く意識させる。また仮にこの「君」がわたしのような聴き手にさえも向けられているとしても、この歌詞が端的に「願う」であることに改めて注意を向けたい。言い方はいくらでもあるはずだ。「願っているよ」「願っています」、といった言葉を使わず、ただ「願う」というとき、わたしはどんな場面でそれを言うだろう。「平和を願う」「無事を願う」。仮に言葉を置いてみたとき、必ずしも具体的な個人に確実に届けるためにそれをいっていないことを感じる。あげた例はどこか、公共的に発されたメッセージや、今すぐには届かないかもしれないことを想定した書置きのような様相を帯びている。[30]
宣言は、自分に対する宣言でもある。壇上に立ち、多くの人々にむけて何かを宣言するとき、その聞き手には自分自身も含まれている。宣言/アジテーション/ステートメントは、語ることによって、その言葉が持つ政治性によって聴き手を動員する。私自身さえも、突き動かす。[31]
今私が歌うことは
針の穴を通すようなこと
観客のない舞台上で
針の上で踊るようなこと
(「針の穴」『朝顔』EP2021所収)いつのことだか山陰山陽
波もあの日も帰らんもんな
いま生きる私を救おう
(「荼毘」『心理』2021所収)
歌うことは、そもそもか細いことかもしれない。観客さえいないのかもしれない。過ぎたものは二度と帰ってこない。しかし、「針の穴」では最後に「稲光に笑ってたい/針の穴を通すようなことでも」と歌われるように、たとえそれが危うい橋渡しで、観客さえいなくとも、「私」は歌うこと/生きることを選ぶ。観客のいない舞台ならば、それはまさしく自分のために歌う/踊るのである。喪失と欠落のさなかにあるとき、その暗闇ばかりをみつめるのではなく、いまたしかにここにいる「私」を「救」うということ。
*
届かない淋しさ、去ってしまった人、分かり合えない人。彼らにわたしはどのような言葉をかけるべきだったか。今となっては過ぎてしまったことは、この先につなげるほかない。しかし次言葉をかけられるのはいつだかわからない。ボタンの掛け違いで離れてしまった距離は、同じくボタンの掛け違いによって結ばれるほかない。
いつかその時が来るまで、わたしは自分に言い聞かせる[32]。あなたになんて言おうか。あなた方になんて言おうか。同時に、届くことを少しだけ願っている。
私はここです 返事はいらない
あなたがいたから 一人で行けるの
(「沖の方へ」『沖の方へ』single2025所収)
そしてひとまずは一人で行く。返事もなくていい。「ここ」にいる「私」がさまよいながら行く。しかしそれは孤独になれたのではない。「あなた」がいた過去があるから、その記憶をだきしめて、喪失をしっかりと抱えて、そうしてようやく、一人ゆくことができるのだ。
いつか会えるときまで、旅はつづく。
わたしたちはときに道行を共にして、先へ、先へ、先へ……。
第1回 了
第2回はcero論を公開予定
※歌詞は『折坂悠太(歌)詞集 あなたは私と話した事があるだろうか』(good and son、2023)から主に引用し、その後に発表された歌をはじめとして収録されていないものは主にApplemusicから引用した。
注
[1]2023年9月16日Space & Cafe ポレポレ坐にて、「詩の朗読ポトラック」というイベントが開催されていた。榎本は出演者ではなく来場者としてその場におり、イベント終盤にそのようなコメントをしていた。なお、当日の出演者は以下のとおりである。青木風香、赤司琴梨、牛島映典、奥山紗英、高田丈、高橋幸寛、西野いぶき、廣瀬楽人/ゲスト:水沢なお、峯澤典子、山田亮太
[2] 韻が特徴的な歌詞としてはもうひとつ、VIDEOTAPEMUSIC「Stork(feat.折坂悠太)」(『The Secret Life of VIDEOTAPEMUSIC』2019所収)がある。「カラス 黄砂 コーラ P24H/PM5時45分の空 選んで裸足でいるわけじゃない/花嫁の 充血した目に映る啓示 ここまでか/折れたページに 一言目に明記されたのは/人は去る/立ちずさみ、そして向かう/ただし、それぞれに」の箇所、特に「啓示」「ページ」「明記」のところが強く響いている。
[3] 細馬は、特に『呪文』から「努努」「人人」「夜香木」をとりあげ、「ことばの連なり」が「通常のことばづかいからしばしば離れる」ことで、折坂の詩は「まじない」となっているのだと言う。
たとえば「努努」には「努努忘れなかれ」という歌詞があるが、ここは本来「わすれるなかれ」や「わするなかれ」などのように、連体形となるはずだと細馬は指摘する。しかしここでは「わすれ」「なかれ」が分離することで、ことばが互いが「拮抗」し「謎めく呪文」のようになる。このほか「人人」において、読みが「ひとびと」ではなく「ひとひと」となり、濁音が消えることで、「ひたひた」や「しとしと」のようなオノマトペのようにも聞こえること、そして「夜香木」の「窓の辺」や「人人」の「草の辺」もまた通常のことばから離れることで、「「べ」の領域」「あわいの感覚」を歌の中に生み出している点が指摘されている。
細馬宏通「「べ」の領域 『呪文』の成長点」『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7
[4] 斉藤の論もまた、折坂の詩の「いみのとりにくさ」、日常語からの乖離に注目しており、たとえば『あけぼの』について、柳田國男や吉本隆明をひきつつ「日常語」から「離陸したことば」の「佇まい」をそこにみる。続いて「皆様」「馬市」などの収録された『たむけ』については、古く実際の荷運びや旅の習慣から生まれた「馬子唄」「催馬楽」の文化を重ねていく。最終的には折坂の歌詞が、「パフォーマティブ」であること、そこに「受けとる者をパフォーマーにすることに行き着く」「機能」を見ているところが本論の鋭いところではある。しかし一方、「あさま」について、その歌詞のパースペクティブが『万葉集』の舒明天皇の「国見」の歌と近しいところを指摘しつつも、「森羅万象を統べる意図を、折坂詩がもつわけではない」と述べているところには違和感をおぼえた。後述するように、まさにそうした宣言性を折坂の歌詞が帯びていることこそ、注目すべきだと考えているからだ。
斉藤倫「はじまりの詩/詩のはじまり」『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7
[5] 折坂が歌詞提供した歌に「世界のつづき」(ado、『ONE PIECE FILM RED』挿入歌、2022)がある。木津毅はこの歌の「信じてみる 信じてみるんだ/この歌は/私の歌と」という箇所について「〈歌〉とは作り手や歌い手が占有するものではなく、あらゆるひとに広く共有されるもの」なのだと述べている。(「物語の続きを願う歌——『泣く子はいねぇが』の音楽と「春」」『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7)
[7] “隊”のイメージが歌いこまれたものにもうひとつ、「心」(『心理』2021所収)がある。「砂漠の街に バンドが来てる」と歌われるこの曲のインスピレーション源について、折坂は、アウシュヴィッツ強制収容所のユダヤ人の楽隊をインタビューで挙げている。
https://www.cinra.net/article/202111-orisakayuta_ymmtsc
また、砂漠を行くキャラバンのイメージからは、赤坂憲雄『異人論序説』(ちくま学芸文庫、1992)を想起する。商人や市について論じた章には以下のような記述がある。「共同体の内/外を媒介し架橋する〈交通〉のにない手であるかぎり、かれらは不断に境界を横切りつづけねばならない。共同体の外部にむけた封鎖性は、〈交通〉によって突き破られ、ときには根底からその存在基盤を侵蝕される。商人は〈交通〉への志向性ゆえに、あるいはむしろ〈交通〉それ自体であるがゆえに、孤立したミクロ・コスモスをなして自足する共同体にたいして、いやおうのない異和を孕んだ存在となる。」「砂漠の街に バンドが来てる」という言い回しからは、明らかにバンドが共同体に対し異人的であるといえよう。
また、赤坂はそうした商業の場である「市の風景」について以下のように述べる。「つねの日にはうらさびれた無主の荒野が、一転して、猥雑さと喧騒の底に“人間のつながりと交歓の始原”の場を現出する」ものであり、「ハレの空間」として「諸芸能の発祥の庭」となるものでもあると。以上から、「心」で「砂漠」にやってくる「バンド」には、「荒野」に現出する「ハレの日」の風景を重ねてみることも可能のように見える。
[7]たとえば「占領地においてブルドーザーでもっていきなりパレスチナ人をひき殺す強大なイスラエル軍の暴力とパレスチナの子どもが握りしめた石をそのブルドーザーに投げつける暴力」を「おなじものと均してしまう」ことには「ためらい」が生じるだろうと酒井はいう。「国家によって正当化された暴力」の一方で、それに対する「対抗的な力の行使」としての「ゲバルト」、あるいは国家・民衆という対立軸でなくとも、「暴力」のなかには多義性と非対称性があることを酒井は指摘している。
[8] 藤野裕子『民衆暴力――一揆・暴動・虐殺の日本近代』(中公新書、2020)また、酒井『暴力の哲学』に触発され、民衆による暴力の歴史にフォーカスしたものだ。
[9] 先にあげた斉藤の論に「うたの始原にある情動」という言葉があった。「逢引」もそうだが、「芍薬」(『ざわめき』2018所収)もまた歌唱パフォーマンスの在り方からして「情動」という言葉がフィットする印象がある。情動理論をはじめとして感情の歴史についてはバーバラ・H.ローゼンワインデン、リッカルド・クリスティアーニ/訳:伊東剛史、森田直子、小田原琳、舘葉月『感情史とは何か』(岩波書店、2021)等が詳しい。ちなみに今日的な情動理論は「情動的な、エネルギーを与えられた身体が、他の身体や事物、空間と交差するその仕方」に注目するものであり、情動とは「世界に向かって溢れ出」すものであるともいわれており、情動は「感情に先立つ何か」ととらえられることもあると記載されている。結論部にあるように「私たちは自分たちの感情をその歴史を考慮することなしに真に理解することはできない」。本書を読んでいると、感情とは社会的に構築されるものであることがよくわかる。現に著書の一人バーバラ・H.ローゼンワインデンは、感情やその表現にまつわる規範を共有する「感情の共同体」を提唱したと序章で述べられている。また、本書が各研究手法の比較にあたってアメリカ独立宣言を持ち出していることから、情動・感情もまた政治的なものであり、社会学・歴史学的なアプローチが可能だとわかる。今回の折坂論にて、人称やパフォーマティビティの側面に注目しているのも、元々の私の関心・問題意識にもよるが、本書で紹介された観念にも多分に影響はうけている。
[10] 折坂の作品/パフォーマンスにおける「戦争」に対する態度は、インタビューでも本人が答えているところだ。
「戦争はいまもどこかで起きてることだし、自分たちの暮らしは戦争の加害や被害のうえに成り立っているわけで、自分たちの生活と直接つながっていることだと思うんですよ。なので、私にとっては自分の表現に戦争に対する見解を入れないことにはどうも気持ち悪いというか。」(「折坂悠太『心理』全曲解説 社会とは切り離せないその歌の様相」インタビュー・テキスト:大石始、撮影:池野詩織、リードテキスト・編集:山元翔一/CINRA、2021年11月16日公開、2026年4月18日最終閲覧、https://www.cinra.net/article/202111-orisakayuta_ymmtscl)
長年、折坂のインタビューをしてきた大石始の「10年間のあゆみ、そして『呪文』へ」(『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7)も参考になる。
[11] 本連載の第0回で、バルトの「作者の死」を持ち出しておきつつ、アーティストの言葉を引用したのは、歌詞と身体性は密接な関係性にあると気が付いたからである。2026年3月13日に開催された島口大樹『オン・ザ・プラネット』文庫化記念イベント「スモールトーク・ミクロロギー」(出演:cero 髙城晶平、島口大樹/会場:阿佐ヶ谷Roji)において、髙城が、作詞をするにあたって「身体が発しやすい音」を選択する傾向にある、という発言をしていたのを観覧していたのも、個人的には影響を受けた。
[12] 折坂悠太「戦争」(エッセイ)、『折坂悠太(歌)詞集 あなたは私と話した事があるだろうか』(good and son、2023)
[13] 「正気」の歌詞について、折坂は「宣言」ではなく「標語」という言葉も用いて以下のように述べている。「でもその「あなたが好き」という一つの標語に助けられることはある。自分のなかにあるいろんな気持ちをただ雑然と持ったままみんなが生きていたら多分めちゃくちゃになってしまうと思うけど、標語が一つあることで、そこに行き着くまでのいろんなことを昇華することも深めることもできる。」「正しいか間違っているかじゃない、ただの標語でいいから、そこへ戻っていきたい。「戦争しないです」もただの標語でいいんです。いろんな無視できないものがたくさんある、でもそこへ戻っていきたい。」(「[インタビュー]今日を生きるおまじない」聞き手:白岩英樹(『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7))
[14] 折坂のパフォーマンスにおいて、個の複数性を指摘するものはすでにいくつかある。柴崎裕二「個と公の響き合う歌 「朝顔」とJ-POP」では「朝顔」について「一人の歌声によるものにも感じられるし、同時に一万人の「個」が掛け合いながら斉唱しているようにも感じられ」、それは折坂だけでなく「あなたの歌声でもあり、そして、わたしの歌声」だともいう。岡村詩野は「京都の折坂悠太」にて「折坂は誰と組んでも「ひとり」であり、同時に「全員」でもあるという思いを持ち続けているのではないか」と述べている。(柴崎、岡村ともに『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7))
歌詞のレベルで考えてみても、「悪魔」(『心理』2021所収)や「日暮」(『折坂悠太(歌)詞集 あなたは私と話した事があるだろうか』good and son、2023)は個の複数性が顕著に表れている。「悪魔」では「壁に書かれた番号へコール/10分後のおれが答える/おれはそれからかけ直すが/10年後のおれはでなかった」と、時間によって分裂する自己像が立ち現れる。「日暮」はライブでよく歌われている曲の一つだが、「日暮ぼくは多くある 夕におだった子らの声」とはじまり、後半部だけが別のフレーズとなったものが8回続く。
[15] トリスタン・ガルシアは同書で以下のようにも論じている。同じ人称を使っている以上「仇敵のそれを含むどんな立場でも自分の立場だと見境なく主張」することが、「その人称になろうと」することができてしまう。そのため「私たち」という人称は「どんな性質の存在でもこの語を用いることができる程度には柔軟だが、その語をどのように用いるかによって立場が分かれてしまう程度には拘束力がある」ものなのだという。
トリスタン・ガルシア/訳:関大聡、福島亮、伊藤琢麻『〈私たち〉とは何か 一人称複数の哲学』(叢書・ウニベルシタス1188、法政大学出版局、2025)
[16] 折坂悠太「私」(エッセイ)、『折坂悠太(歌)詞集 あなたは私と話した事があるだろうか』(good and son、2023)
[17] 同前
[18] 同前
[19] 折坂は「「私たち」と言えることがどんどん少なくなっている時代において、今どこに焦点をあてたら「私たち」と言えるんだろう」と考えたときに、「孤独や寂しさを共有する者として「僕たち」と言えるんじゃないか」と思って行きついたのが「さびしさ」という曲だったという。このインタビューからも、折坂が一人称複数を慎重に用いていることがわかる。できるだけ実感から遠ざからないように、かつ、実感を一人称複数で他者を巻き込める範囲を慎重に検討している様子がうかがえる。
折坂悠太、butaji、文:渡辺裕也「折坂悠太とbutaji 『平成』と『告白』」(『月刊ラティーナ』780、ラティーナ、2019・2)。和田信一郎(s.h.i.)「折坂悠太クロニクル」(『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7))でも引用されており、そこから初出をたどった。
[20] また、かりそめに「俺」「僕」を男性ジェンダーに紐づけて考えるのであれば、このようなことも言えるだろう。社会的に構築されたジェンダーの仕組みに違和感をいだき、それを脱いだ「わたし」という一人称を志向しつつも、「俺」「僕」も手放さずに「俺たち」「僕たち」としての男性ジェンダーをあえて纏いなおす所作だと。フェミニズムがそうであるように、男性学もまた、現実から過去へと遡行し、ジェンダーにまつわる構造や歴史を問い直す学問である。女性が、単に“女性らしさ”を自己と切り離すだけでは、差別の構造が解消されないように、あるいは第三波フェミニズムがあえて“ガールズパワー”を強調したように、男性もまた、男性性をただ脱ぐのではなく、相対的に見つめ直し、そこにあるわだかまりから思考することこそ、身近な困難をかえていく一歩である。
折坂自身が男性性/ジェンダーについて考えている様子はインタビューや文章からも少し読み取れる。
例えば以下。「人人」に「夢はうかうかしてると 夢は 叶うから 揺れたい 今を暮らしていて」と書いた経緯についてこのように答えている。「これは男性性について考えている時間からできました。これまで自分たちが思い込まされていたもの……例えば「夢や目標を持って」とか、いまだに学校で言うと思う。別に悪いことじゃないんですが、「それを突き通すのが男らしい」みたいな感じってあるじゃないですか。で、ピクサーの「バズ・ライトイヤー」という映画を観たとき、「ああすげえとこまでいってるんだなあ」と思ったんですよ。要は「英雄になりたい」という思いをことごとくくじかれるんだけど、くじかれたほうに道がある、という映画で。それっていいメッセージだと思ったんです。」(「折坂悠太 “今の自分自身”へ宛てた「呪文」という名の手紙」取材・文:内田正樹、撮影:小財美香子/音楽ナタリー、2024年6月26日公開、2026年4月21日最終閲覧https://natalie.mu/music/pp/orisakayuta02/page/2 )
ただ、本注の冒頭に「かりそめに」といったのは、そもそも「俺」「僕」人称を男性ジェンダーのものと固定化してしまいたくないからであり、折坂自身が男性性について以上のように答え、また「俺」「僕」を脱いで中性的な人称として「私」を選択していたとしても、明確に名言していない以上は、折坂を男性である、と断定する操作には一定の暴力性がつきまとう。
強いられて生かされてきてしまった性を、必ずしも引き受ける必要はない。折坂の選択はある一つの、性に対する向き合い方の選択肢のひとつだということだ。
[21] 折坂の歌詞においては「皆様」「みんな」も「あなた方」と似たような形で用いられている。「皆」とは私を含めることも含めないこともできる人称だが、折坂の歌詞においては後者のニュアンスが強い。「皆様」(『たむけ』2016所収)では「思えば今日までの/恥ずかしきことの数々/よろしく よろしくと/皆様によろしくと」とあるが、「皆様」のもとを静かに去り行く別れの歌のようである。「トランポリン」(『straße』2025所収)もまた、「君が飛んだ高さに」「誰も届かなかった」「みんな驚いているよ」という歌詞があり、自分と君/みんなは隔てられているようである。
[22] 無線を飛ばすように、という意味では「心」もそのような箇所がある。「例えばおれは、いつかの蜂/それを思えば、ちょっとは笑ってくれるかな?/以上です どうぞ」の末尾は、無線通信等で、自分の発信を終えて相手の発信を待っていることを示す時の言葉である。
[23] ここで一度、電話と断定してしまったのには理由がある。後述するように、この歌は全体を通して、聴覚情報と視覚情報が同時並行的に主体に流入しているところがある。たとえばスマートフォンでチャットをしている場面だとすれば、視覚情報が主体に流入することはない。ゆえにここは電話である可能性が高い。
[24] ところで歌とは不思議である。聞いているその瞬間には、歌声と聴き手の距離は瞬時的なはずなのに、実際にはライブでもない限り遠く離れた時間がそこには横たわっている。手紙のようでさえある。それゆえ、電話のあて先はまたも私からそれてしまう。
また、ライブであったとしても、いま瞬時に目の前でこれをきいているわたしは、この歌詞の中にある圧倒的な距離を前にして、またもこの歌が私を向いていないことをおもいしらされるのである。
[25] 「揺れる」(『平成』2018所収)の「そちらは揺れたろうか/揺れたろうか//交わる事のない道なりに」も同じである。距離の離れたある一帯を「そちら」と名指しているとも、「そちら」の“人”を想定しているとも、どちらでも読めてしまうところである。
[26] Director / DOP / Editor:小原穣 (DRAWING AND MANUAL)/Producer:森山貴史 (Onion Inc.)/Production Manager:佐藤右崇 (Onion Inc.)/Make Up:津嘉山南
https://youtu.be/-30skTZ6aEg?si=v4MeG8U_DNmwKWaD
(公開:2018年10月3日)
[27]折坂と安達奈緒子の対談でも「寂しさ」は大事な話題のひとつであった。「絶対に他者にはなれないという寂しさを抱えているけど、それを声に出すことでどこか共感できる部分、引っ掛かる部分があるんじゃないか」と折坂は言う。そして、寂しさとは、ただ他人との関係性において思うことだけはなく、「何かになりたい」という感情も「寂しさの一種」であると話している。
また、本対談でもう一つ興味深いのは、折坂が自身の楽曲・パフォーマンスの「民謡的」(と評される)「ディティール」について、「何もない自分の出自をディティールで覆いたい」「隠したい」という感覚によるのかもしれないと述べている点である。
「[対談]同じ風のなかで」安達奈緒子×折坂悠太(『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7)
民話・民謡などのモチーフを取り入れる作家は音楽ばかりでない。たとえば私が個人的にぱっと思いつく範囲で挙げてみれば、相米慎二『お引越し』(1993)、古井由吉『辻』(新潮社、2006)、大庭みな子「山姥の微笑」(『新潮』73(1)、新潮社、1976・1)、津島佑子「黙市」(『海』14(8)、中央公論社、1982・8)などがあると思う。
時代にばらつきはあれど、それぞれに核家族の姿を照射した作品である。旧来の血縁・地縁でむすばれた大きな家族体制から、かりそめにでもぬけだしたはずの核家族。そこに、旧来の家族体制・血縁・地縁を支えた要素のひとつである「民謡」「民俗」のモチーフが重ねられていく作品は少なくない。このことは私の大きな関心のひとつであるが、折坂の言葉から拾ってみれば、個人・出自をむしろ隠ぺいしてくれるものとして機能しているというのは興味深いことだ。
[28] 折坂の歌詞のなかで“今ここにいない誰か”は「あなた」「君」「そちら」だけでなく、「あいつ」という三人称としても立ち現れる。「炎」(『心理』2021所収)では「あいつが来たら/眠らせてやろうよ ね」とあるように、「あいつ」は今ここにいない。しかしここで興味深いのは「同じ炎を囲む僕のララバイ」とあるように、物理的な距離以上に、「僕」「あいつ」が、同じ炎を共有していることである。“同じ釜の飯を食う”という言葉があるように、共食は両者を同じ共同体とみなす効果を持つが、その食事を作る料理の過程で多くの場合、火を用いられている。赤坂憲雄は『性食考』(岩波書店、2017)において、レヴィ・ストロースや世界各国の神話をひきつつ、火による料理という処理が、生のものを「文化的なコントロール」におくことであり、「キワイ族の神話」をはじめとして、「火の起源譚はまっすぐに、料理の起源譚」であることを紹介していた。同じ炎を共有すれば、そこにある一定の結びつきが生じる可能性が高い。ここまで折坂の歌詞における“距離”ついて見てきて、ここでも「あいつ」はいまいないかもしれないが、これからやって来る可能性ばかりか、すでに共にある者として認識されているのである。
[29] 折坂の歌詞における距離は、単に物理的なものだけを指すのではない。
先に引用した「トーチ」の「あの夜」とは、単に現時点現在地からの時制的な距離だけでなく、「この街」の人々と自分を線引きするような心理的な距離がある。「絞り出した一言は/遠くの国の言葉だった/いませんか この中に/あのこの言うことわかる者は」という部分もそうだ。これは2つの場面を想定することが可能である。一つは「私」(≒あのこ)が絞り出した言葉を前に、人々がそれを理解できない様子、もう一つは「私」ではない「あのこ」が絞り出した言葉を前に、「私」を含めた人が困惑する様子。しかしいずれにせよそこには言語的・心理的距離がどうしようもなくある。物理的には近距離なのにもかかわらずである。「犬ふぐり」(『たむけ』2016所収)の「ここまで来たことは/誰にも話さない」も、かたくななまでの他者との心理的な距離を感じ取れる歌詞である。
もう一つ「トーチ」で重要なのは、「お前だけだ/その夜に/あんなに笑っていた奴は」の“笑い”である。山口昌夫(※)は「笑いとは(中略)人間が出会う説明のつかない違和感というものを、まず克服するために示す反応」であり「瞬間的に出会う不意の出来事に対する根本的な恐怖を鎮める働き」を持つという。オフィシャルサイト(※)にも「台風などの自然災害を題材に制作した」楽曲だと公表されているが、「トーチ」には全体的にカタストロフというほかない雰囲気が立ち込めている。「お前」はこれまでの日常からの壮絶な“違和感”を“克服”するために「笑っていた」のだろう。
また、山口は「笑う人」「笑いの挑発者」について、かつてヨーロッパでも日本でも「道化」的な職能が存在したが、彼らの機能とは「ふつうは、人が当たり前だと思っていることでも、よく考えてみたらおかしい」ことを「いちはやく見つけて、指摘する」ことだと指摘している。たった一人「あんなに笑っていた」「お前」は、異変をいちはやく周囲に伝える「道化」のようでもあったのかもしれない。
※山口昌夫「笑いについて」『笑いと逸脱』(ちくま文庫、1990)
※新着情報/折坂悠太うえぶ、2020年4月1日公開、2026年4月26日最終閲覧https://orisakayuta.jp/topic/2020/
[30] 高山花子もまた、「朝顔」の歌詞を「けっして相手には届かない言葉。もう二度と逢って言葉を交わすことができない死者もまた喚起する言葉。」と評していた。高山の評で興味深いのは折坂が歌詞提供した「世界のつづき」が使用された『ONE PIECE FILM RED』映画に関する指摘である。映画に登場する「ウタ」という歌姫が、自身も不安定でありながら「社会不安のうちにある民衆を扇動する危険と結ばれて」いるのだという。こちらは映画に関する評であるが、冒頭わたしが示した折坂の歌詞における宣言/暴力の要素と重なってくる。
高山花子「春の音、歌の言葉」(『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7)
[31] カニエ・ナハは折坂の「凪」(『呪文』2024所収)の「手紙は手紙 誰に届くまでもなく」という歌詞について「届かなかったあまたの手紙たちの無念さと尊さをおもう。そして届かなくても手紙は手紙なら、話した事がなくても対話は対話だと。」と書いている。しかし「話した事がな」いものとの対話とは、わたしのなかで行われることではないか。
カニエ・ナハ「『薮IN』と『あなたは私と話した事があるだろうか』を読んで、わたしたちは薮INした事が、折坂さんと話した事があるだろうか、と考えてみる。」(『ユリイカ』56(9)、青土社、2024・7)
[32] 2026年3月28日19:30~、本屋B&Bにて野口あや子『天才歌人、ラップ沼で溺れ死ぬ』(小学館、2026)の刊行記念イベント、野口あや子×小島なお「言葉の沼、大人の沼」が開催されていたが、本書の記述と野口あや子が当日発言した内容が印象に残っている。歌人・野口あや子は現在ラッパー「MC泥眼」としての顔も持つが、野口がラップをはじめたきっかけには、自身が受けた元恋人からの性被害があった。「寝込みながら」書いた「怒りのリリック「ファッキンファッカー」」がラップ活動の一つの起点である。「リリックを書いてからも、しばらくは相手のことを元恋人、とか、加害者、とか思って胸を痛めていた」野口だが、ラッパー「泥眼」になってからのある時、知人とのメッセージのやり取りで、元恋人/加害者のことを「マザファッキン野郎」と書いた。そのことについて、野口は「汚い言葉だけれど」「毒のある」この呼称に「確実に救われていた」と言う。イベントで野口はその言葉によって「距離をとる」という言い方をしていたように思う。ラップも歌の一つであるが、歌の言葉は聴衆ばかりでなく、歌う者自身へ変容をもたらす効果も持つのである。
