映像作家でメディア研究者の佐々木友輔さんが、映画、写真、美術、アニメにおける〈風景〉と、それを写し出す〈スクリーン〉を軸に、さまざまな作品を縦横無尽に論じる連載。1970年前後に議論された「風景論」を出発点にしつつ、その更新を目論みます。第11回では、美術評論家・椹木野衣による「スーパーフラット・ランドスケープ」論や「悪い場所」論を振り返り、均質な風景と呼ばれてきたものから、いかに砕け散った歴史を発掘することができるのかを問います。事実の発掘を実践するフォレンジック・アーキテクチャーの手法、そしてこれまで連載で取り上げてきた作品たちを通して、新たな方法論としての「メディア考古学的アプローチ」の全貌が見えてきます。
スーパーフラット・ランドスケープ──均質性と混在性
美術評論家の椹木野衣は『美術手帖』2000年9月号の特集「風景新次元|スーパーフラット・ランドスケープ──絵画・写真・映像をつなぐ空間表現の新しいリアリティ」に寄せた短いエッセイにおいて、現代美術家の村上隆が提唱した「スーパーフラット」と、風景論や郊外論の文脈で議論されてきた「均質な風景」の問題を的確に結びつけている[1]。スーパーフラットとは、狩野山雪や若冲など伝統的な日本絵画からアニメーターの金田伊功が手がけたセル画に至るまで、日本文化を潜在的に構築してきた感性・世界観を表す概念で[2]、平坦で余白が多く、二次元的で奥行きに欠けた平面や造形を特徴とする。椹木はこれを、従来「風景」と呼ばれていたものが成立し得なくなった状況に対する一つの解答であると解釈する。倫理なき資本主義の論理によって場所の歴史性や美意識がことごとく破壊された後には、どこまで行っても平坦で、他の場所といくらでも入替可能な場所だけが残る。村上はそうした「どこでもない場所」もしくは「悪い場所」をスーパーフラットとして表現し、さらにはそのような場所のありようこそが「日本的」なのだと、アイロニカルに指摘してみせた。そして『美術手帖』の特集は、こうしたスーパーフラット・ランドスケープの提唱者として村上隆、先駆者としてエドワード・ホッパーを誌面の要所に据えた上で、ホンマタカシや佐内正史、久家安秀、ダグ・エイケンやモーリーン・ギャレースなど、共通する感性を備えた作家が国籍やメディアを超えて同時代的に現れていると主張するものであった。

『美術手帖』2000年9月号(美術出版社)
だが各作家の風景観や評価についてはここでは踏み込まない。本稿が注目したいのは、上述のエッセイで椹木がスーパーフラットを完全に同質的な平面と見做すのではなく、その表面にある「無数に刻み込まれた擦り傷や切り傷、表面の剥離や酸化、光沢[3]」に目を向けるように促していることだ。遠くから眺めれば「ツルツル/ピカピカな表面[4]」でも、ミクロなスケールで目を凝らしてみれば、到底ひとつの「歴史」や「美意識」には還元し得ないような無数の欲望や記憶が混ざり合い、ぶつかり合っている[5]。
1991年に『シミュレーショニズム──ハウス・ミュージックと盗用芸術』(洋泉社)を刊行した頃の椹木は、あえて既存の秩序の解体・細分化を押し進め、あらゆるものを「等質の粒子」にまで均してしまう「原子論的なアナキズム[6]」を唱えていた。だが7年後の『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)では、日本においてそうしたアナキズムが生まれた背景には1945年の「敗戦」があるとの説を唱え、一見すると非歴史的な「悪い場所」や均質な風景を、再び歴史の上に位置づけようとした。スーパーフラットな平面を構成する微粒子を、すべて同質的(等質的)なものとして捉えるのではなく、歴史的な暴力によって砕け散り、瓦礫化し、それぞれに固有な割れや傷が生じた断片として捉え直そうとしたのだ。
このように、スーパーフラットの奥行きのなさを異質なものの混在による空間の平準化として捉える解釈は、椹木だけのものではない。例えば哲学者・批評家の東浩紀は、村上の絵画に見られる記号的な「目」の増殖に注目し、そこに透視図法的な空間──単一視点から見た統一的な空間──の崩壊と、そうした支配的な秩序や制度を欠いたポストモダン状況の現れを見て取っている。
さらに言えば、椹木や東が論じる同質性(ツルツル/ピカピカ)と混在性(多視点性・多元性)の同居は、1970年代前後の風景論争、さらにはポストモダン的な都市論や郊外論において「均質な風景」を説明するために用いられてきた理論的枠組みとも同型のものだ。ある風景が「均質である」という印象は、例えばかんのさゆりが「New Standard Landscape」(2022–)として提示した住宅地の写真のように、同質的なテクスチャを備えた建物が判を押したように並ぶ風景を指して言われることもあれば、『略称・連続射殺魔』(1969/1975)のように、都市的な風景と農村的な風景が狭い国土の中で混ざり合い、都市的とも農村的とも言い難い「没場所」的な風景が現れてきたことを指して言われることもある。同質性と混在性は表裏一体であり、椹木が論じたように、対象をどのようなスケールで観察するかによって大きく見え方が変わる。
ただしここで、スーパーフラット・ランドスケープを普遍的なスケールの問題に還元しきってしまえば、争点は風景からそれを眺める観察者の能力や欲望へと完全に移行し、古今東西あらゆる場所は観察者次第で「均質な風景」として眺め得るのだという空疎な一般論へと帰着してしまうだろう。ポストモダン化や郊外化といった語が用いられたのは、従来のスケール感覚や価値基準の枠内に留まっている限り、どれだけ目を凝らしても差異やつなぎ目が見えて来ないほど、既存の秩序の解体・細分化が進行していることへの衝撃や戸惑いを表現するためであった。知覚可能な断片によって構成された風景ではなく、人間の能力では感覚することすら困難な微粒子が敷き詰められた平面こそが、スーパーフラット・ランドスケープの核心である[7]。
うたかたと瓦礫──スーパーフラット論の地質学的転回
2000年代の村上隆は──シミュレーショニズムを掲げていた頃の椹木と同じく──スーパーフラットを積極的に打ち出すことで、日本社会の同質性や閉鎖性を浮き彫りにしようとした。それに対して椹木は、スーパーフラットの過度な強調はその表面にあるはずの亀裂や傷といった暴力の痕跡を覆い隠し、スーパーフラット化の起源──近代日本がアメリカから振るわれた暴力、さらには日本がアジアに対して振るった暴力の数々──を忘却させてしまうのではないかと懸念を表明する[8]。ここで椹木が引用する小説家・清水アリカの言葉は、本稿が構築しようとするメディア考古学的アプローチを先取りするものだ。
だとすれば、歴史から切り離された薄っぺらな表象の戯れに過ぎないと思われていたもの(たとえばサブカルチャー)は、実は宙吊りにされ、砕け散った歴史そのものであり、その断片のひとつひとつに、起源に打ち振るわれた暴力が直接に書き込まれていたのではなかったか。[9]
サブカルチャーの断片のひとつひとつに、歴史が刻み込まれているのだとすれば、僕たちはそれを寄せ集め、重ねたり、ずらしたりしながら、世紀末をではなく、あり得べき未来を(あるいは、あり得ない未来を)組み上げる作業を進めて行かなければならないだろう。[10]
実際、この時期以降の椹木は、あらゆるものを異種格闘技戦的に混ぜ合わせること(シミュレーショニズム)によって日本の非歴史的な場所性(悪い場所)を加速させる戦略から[11]、スーパーフラットな日本社会を形成している多種多様な生の在り方を発掘し、そこから新たな生の在り方を発明していくという「考古学的[12]」な戦略へと──元よりこの2つは椹木にとってセットで行われるべきプログラムであったのだが──明確に軸足を移すようになる。こうした椹木の問題意識は、「忘却の歴史と希薄さの地理のなかにある神話と現実を生きることが、郊外を生きるということ[13]」だと述べ、時間的にも空間的にも、非均質性を備えた「地層」を描き出そうとした社会学者・若林幹夫の郊外論とも結びつくだろう。
郊外の現在のこのさまざまな様相は、東京という都市の歴史を通じてそのまわりに形成され、積み重ねられてきた郊外のいわば「地層」である。
「地層」という言葉を使ったのは、こうしたさまざまな様相が東京近郊の郊外化の歴史のなかで、社会経済的な状況や文化的な条件、生活の基礎インフラのあり方などに規定されて形作られてゆき、その古い層が一定の厚みに達する一方で、ときにそれを壊し、あるいは併存し、都市の外側に伸びる形で新しい層が形成されてゆくあり方が、地質学的な意味での地層のあり方と似通っているからだ。[14]
そして2011年3月11日に東日本大震災を経験した後、椹木は『震美術論』を著し、自身が用いてきた「悪い場所」を「比喩ではなく、より端的に」「地質学的な水準で、より即物的にとらえ直す[15]」ことを表明する。すなわち、「悪い場所」とは度重なる震災によって破壊と復興(修復)を繰り返してきた日本列島を指すのであり、根本的には歴史の蓄積の産物であるはずの美術もまた、日本においてはこうした地質学的条件が不可避的に織り込まれたものとして捉え直す必要があるというのだ。いつ唐突にリセットされるかもしれない不安定な地盤の上に栄える文化や芸術は、平穏期の束の間に密集的なコロニーを形成し、また次の災害によってリセットされ、集合と離散を繰り返す。さらに2019年の展覧会「平成美術──うたかたと瓦礫1989–2019」では、椹木はリセットされた後の時間を「傷ついた時間」と名づけ、平成という「傷ついた時間」の上で集合と離散を繰り返す美術家たちの様相を「うたかた」(現れては消えゆく泡沫)、その結果として残された物質の凝集を「作品」ではなく「瓦礫」と言い表す。アーティストやコレクティブの個別具体的な取り組みと、地質学的なスケールの時間とが、より強固に関連づけられるのだ。
断層的な風景(faulted landscape)
これまでは「悪い場所」と呼んできたものを地質学や災害に関連した語彙に置き換え、連続的・直線的に進む「機械的な時間」と、非連続的・多方向的な「傷ついた時間」とを対置するアイデアは、メディア考古学の第一人者として知られるジークフリート・ツィーリンスキーが提唱した「深い時間 Tiefenzeit/Deep Time[16]」の概念に限りなく接近している。ツィーリンスキーは、単線的・連続的・目的論的な時間概念ではなく、断絶や忘却、回帰や循環なども含んだ複線的・非連続的・偶発的な時間概念を踏まえて過去を記述し、そうした複雑に入り組んだ時間概念を「深い時間」と呼んだ。地質学的・古生物学的なスケールで地球の歴史を捉えると、進歩史観では説明がつかないような破壊と修復の循環、複雑性・多様性の増加と減少の循環が認められるのである。
ただしツィーリンスキーのように地質学的スケールでの観察を徹底するなら、東洋であれ西洋であれ、生物であれ鉱物であれ、地球上のあらゆるものが破壊と修復を際限なく繰り返すプロセスとして記述されるはずであり、日本特殊論的な見方は退けられることになるだろう。
ツィーリンスキーは、本来一人の人間には体験不可能な地質学的スケールの時間を一望できるものとして「ハットンの不整合」を挙げている[17]。これは、地質学者のジェームズ・ハットンがスコットランドのシッカーポイント(岬)で発見した地層断面の状態を指す言葉であり、異なる時代に形成されたはずの地層が直接重なり合ったり、傾斜したり、他の層に貫入したりしている。こうした不整合な状態は、長い時間をかけて堆積・圧縮・凝固してきた地層が大規模な地殻変動や侵食によって破壊されたり断絶されたりした痕跡であり、まさに非直線的で不連続的な「深い時間」の流れを示している。

ジェームズ・ハットン『地球の理論』(1795)に掲載された「ハットンの不整合」のイラスト
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Hutton_Unconformity,_Jedburgh.jpg
想像がつかないほど巨大なスケールの時間を一断面に圧縮した「ハットンの不整合」を手がかりとして、同質的で超平面的なスーパーフラット・ランドスケープを発掘調査し、混在的で極薄な厚みを持った風景──「断層的な風景 faulted landscape」とでも呼ぶべきもの──として捉え直すこと。粉々に砕け散った歴史や美意識の断片が集積してできた風景を、「ツルツル/ピカピカ」に馴らされた同質的な風景と見做すのでもなければ、各断片が何の法則性もなく無秩序に混在して平準化した風景と見做すのでもなく、個々の断片の形態やそれらの配置から読み取れる法則や秩序を掘り起こし、「断絶」や「欠如」もまた、私たちの依って立つ地盤を形成する一部として捉え直すことで、長年語られてきた「均質な風景」を更新することができるだろう。
ただし筆者がここで主張したいのは、ツィーリンスキー的なマクロなスケールで人類史・美術史を捉え直すべきだということではなく、むしろ若林的なミクロなスケールで「忘却の歴史と希薄さの地理」を掘り起こし、その地層を描き出すことの重要性である。この点で、本稿が採用しようとするメディア考古学的アプローチと、近年の椹木が掲げる「末世の芸術」や「無人類[18]」のための芸術とは道を分つ。人類史を超えた巨大なスケールへと思考を飛躍させたり、人間(美術家)を個ではなく「うたかた」と表現したりすることは──これらの言葉とは裏腹に、椹木が個々の美術家の活動を丹念に追い、ミクロなスケールの歴史を詳述することに誰よりも力を注いできた事実は重々承知しつつも──超越的・俯瞰的な立場からこの世は諸行無常だと達観し、破壊や断絶に晒された者たちの傷や痛みに鈍感になってしまうリスクを孕むからだ。
椹木がしばしば用いてきた「リセット」という語につきまとう甘美な響きを警戒し、その使用を封印した上で、断絶の以前/以後をつなぎ目が残るようにつなぎ合わせ、無数の断層に満ちた風景を描き出していくこと。遠くから見れば「うたかた」のように消え去っていくものも、当事者的な立場からすれば容易に消し去ることのできない身体を持ち、破壊や断絶、忘却によって刻み込まれた傷を抱え、痛みに悶えている。例えば《オバケ東京のためのインデックス 序章 Dual Screen Version》(2022)で佐藤朋子がゴジラと共に眩い光に身体を硬直させる姿や、《バーリ・トゥード in ニュータウン》シリーズ(2014)で中島晴矢がプロレスをしてニュータウンの硬い地面に身体をぶつける姿は、まさにこうした痛みの感覚を掬い上げている。椹木が語る「傷ついた時間」に、リセット不可能な肉体的・物質的内実を与えているのである。
亀裂の分析──フォレンジック・アーキテクチャーの調査的感性術
ただし、ミクロなスケールで行われる考古学的な発掘作業には特有の困難が伴う。すでに述べたように、ポストモダン化ないしは郊外化を経て現れたスーパーフラット・ランドスケープは、従来のスケール感覚や価値基準では認識できないほど細分化された微粒子によって構成されているため、そこに刻まれた傷や断層を見出すことも容易ではないからだ。中平卓馬が直面した風景の切り裂き難さという問題が、かたちを変えて再び我々の前に立ち塞がる。
一見すると「ツルツル/ピカピカ」な風景から、不可視のつなぎ目や裂け目を見つけ出すための有力な手がかりとして、ここからは「フォレンジック・アーキテクチャー Forensic Architecture」の活動を取り上げたい。フォレンジック・アーキテクチャーとは、2010年にロンドン大学ゴールドスミス・カレッジ内の研究プロジェクトとして発足し、同大学教授のエヤル・ヴァイツマンが主宰を務める研究機関の名称であり、またそこで用いられる方法論の呼び名でもある。パレスチナ紛争やパキスタンにおけるドローン攻撃など、国家権力や大企業が引き起こした暴力事件を調査し、その責任を問うことを目的として、建築家やアーティスト、ジャーナリストや科学者など各種専門家たちとの協働による調査と調査結果のプレゼンテーションを行ってきた。
明確に反権力的な意図に基づいた調査において、常に問題になるのは情報の非対称性である。多くの場合、事件現場への立ち入りは厳しく制限され、民間用の衛星画像も政府や軍が使用するものと比べて著しく解像度が落とされている。頼りになるのは事件当事者による証言や記録だが、極限状態に置かれた人びとの記憶はしばしば曖昧になり、多くの欠落や矛盾が生じてくる。命の危険と隣り合わせで記録された映像や音声が、断片的で不鮮明なものになるのも致し方ないことだろう。権力によって巧妙に隠蔽された事件現場の風景を、僅かな手がかりからどれだけ復元できるのか。この課題に取り組むために、フォレンジック・アーキテクチャーが用いる方法が「調査的感性術 Investigative Aesthetics[19]」である。
調査的感性術とは何かを説明するためには、先に「感性術 aesthetics」の独特な定義を押さえておく必要があるだろう。「aesthetics」は伝統的に「美学」や「感性論」と訳されてきたが、フォレンジック・アーキテクチャーの二冊の邦訳書の翻訳を手がけた中井悠は「訳者改題」で、この語の拡張された意味に従来の訳はそぐわないため、指南書的なニュアンスを含んだ「感性術」という造語を充てることを提案しており[20]、本稿もそれに従いたい。
ヴァイツマンとマシュー・フラーによれば、感性術とは、様々な現象や出来事を「感知 sensing」する能力と、感知したものを解釈して意味づけたり、感知の手段自体を新たに構築したりする「意味形成 sense-making/making senses」の能力を組み合わせたものである[21]。ここで重要なのは、感性術を持つのは人間だけではなく、動物や植物もそれぞれの仕方で周囲の環境を感知し、意味形成をする能力を有しているということ。さらには、デジタルセンサーや計算センサー、岩石などの無機物や建築物なども、周囲で起きた現象や出来事を感知する能力を持つということだ。感性術は、そうした多種多様な感知作用を寄せ集め、組み合わせて、統合的な意味形成を目指す取り組みである。それゆえ必然的に、感性術は個人的な実践のみに限定されず、複数の人間、あるいは人間と非人間の協働によって取り組まれる集団的実践ともなり得るだろう。すでに持つ感知能力を向上させたり、新たな感知手段を取り入れたり、複数の感知手段を組み合わせたりして感性術を拡張・強化することを、ヴァイツマン&フラーは「超感性術 hyper-aesthetics[22]」と呼ぶ。調査的感性術は、こうした超感性術を駆使することで情報の非対称性を乗り越え、僅かな手がかりからでも精度の高い事件現場の復元を可能にする方法論であると、ひとまずはまとめることができる。
その名称が示す通り、フォレンジック・アーキテクチャーは建築環境の超感性術的側面に特別な関心を寄せている。家屋やビルなどの建物は、気候や自然災害、戦争など外部環境の変化を感知し、それらの痕跡を傷や亀裂など自らの変形として記録するセンサーであると共に、内部環境における人びとの生活の営みを感知・記録するセンサーでもある。もちろん壁や道路、橋やトンネルなどあらゆる建造物がセンサーになり得るが、社会的な変化や政治的な変化を鋭敏に感知するセンサーとして、確かに建物ほど優秀なものは稀であろう。さらにヴァイツマンは、建物の超感性術を考える上でとりわけ重要なのは「亀裂」であると言う[23]。亀裂は、建築物に対して与えられる様々な力の矛盾によって生じる物質的な出来事であり、建築物自体の構造や欠陥、素材の物質性、地形や周辺環境との相互作用、使用する人間の営みまでも明らかにする。ある意味では、「環境とその変化をもっとも正確に記録しているのは、建物よりもむしろ亀裂なのだ[24]」。
フォレンジック・アーキテクチャーは、建物などに生じた亀裂に暴力の痕跡を読み取り、因果関係を広げて過去の事件の復元を目指す。先述した物理的な亀裂のみならず、例えば事件前の建物を撮影した記録写真と事件後の記録写真との間にある差異(断絶)や、証言者の断片化した記憶など、メタファーとしての「亀裂」が取り上げられることもある。自然科学から人文科学まで分け隔てなく動員し、事件現場の細部から歴史的文脈のパノラマまで、ミクロなスケールとマクロなスケールを──あくまで物質性に定位しながら──縦横無尽に行き来するその手法は、ブリュノ・ラトゥールの「アクター・ネットワーク理論」(連載第9回を参照)と親和的である。また各種の「亀裂」の分析は、単一のラボ内で行われるのではなく、クラウドソーシングされてそれぞれの専門家の手に委ねられ、集団的な超感性術が展開される。これはジェームズ・ベニングの「球状空間」(連載第6回を参照)を協働作業化する試みであり、まさに本稿が提案する「風景のスクリーン・プラクティス」の実践であると言えるだろう。
記憶の劇場──建築的イメージ複合体による過去のを提示=上演
ヴァイツマンは『フォレンジック・アーキテクチャー──認知可能性の敷居における暴力』(中井悠訳、水声社、2025年)において、パキスタンのFATA(連邦直轄部族地域)内で行われたCIAによるドローン攻撃に関する調査成果を紹介している。調査を進める中で、フォレンジック・アーキテクチャーは空爆を直接体験した人びとが撮影したビデオ証言(記録映像)や口頭証言をいかに取り扱うかという課題に取り組むことになった。
紹介されているビデオ証言のひとつは、2012年3月30日にFATA内で行われたドローン攻撃の現場を手持ちカメラで撮影したものである。撮影者の身元は不明。危険を顧みず封鎖地域からビデオを持ち出し、様々な人びとの手を介して二週間かけてNBCニュースに届けられ、その中の43秒分が放映された。手ぶれの激しい映像や、画面の隅に映り込んだコンクリートの窓枠は、撮影者がドローンなどの監視を掻い潜って、リスクの高い撮影を行っていたことを物語っている。
フォレンジック・アーキテクチャーは映像の中で、空爆による死者が出たとされる部屋の壁面に開いた数百の小さな穴に注目する。センサーとしての内壁が爆風による金属片の飛散を感知し、指標記号として記録していたのだ。またその映像の1コマ1コマを空間的に合成したパノラマモンタージュを作成し、穴の部分に印を付けていくと、あるべき痕跡のない2つのエリアが浮かび上がってきた。おそらくこの空白部分は「犠牲者の「影」[25]」であるとヴァイツマンは言う。不幸にもその場に居合わせた人間の身体が、壁の代わりに飛散する金属片を受け止めたのだ。このようにしてフォレンジック・アーキテクチャーは、二重の消去を経験した──ドローン攻撃によって破壊され、映像にも直接記録されることのなかった──人体が、確かにそこに「かつてあった」(ロラン・バルト)と指し示し、その存在を提示=上演するのである。

左=爆風によって飛散した金属片の軌道と爆発地点の再構築
右=爆発が起こった部屋の実物大再現モデル
出典:https://forensic-architecture.org/investigation/drone-strike-in-miranshah
ヴァイツマンが紹介するもう一つの証言は、ドローン攻撃を目撃した数少ない生存者であるドイツ人女性の口頭証言である。彼女は2010年10月4日に移住先のパキスタン北西部に位置するミール・アリでドローン攻撃に巻き込まれ、夫と共にドイツに帰国した。数ヶ月後、彼女はドローン攻撃の継続に反対し、またドイツの情報機関が間接的に攻撃に関与していたことを非難するために、自らの体験談を伝える活動を始めたが、その時点ですでに当時の記憶は曖昧になっていたという。感知能力の限界を超えるほどの苛烈な暴力の経験は、しばしば「感性超過 hyperaesthesia[26]」と呼ばれる事態を引き起こす。感知と意味形成の結びつきが切断され、記憶の歪曲や矛盾、欠落が生じるのだ。
フォレンジック・アーキテクチャーの取り組みは、語られた証言や残された記録をただ参照するだけでなく、失われた記憶を復元する手助けをすることにも広がっていく。そのための具体的な手段として用いられたのが、「建築的イメージ複合体 architectural image complex[27]」と呼ばれる方法、すなわち、事件現場を視覚的・立体的に再現したデジタルモデルを作成し、その仮想空間内を探索することで、事件の重要な手がかりとなる事物の空間的・時間的配置や関係性を明らかにする試みである。具体的な手順としては、まずは証言者の記憶に基づき、彼女が当時暮らしていた自宅のデジタルモデルを構築。部屋のサイズを決め、ドアや窓、家具や調理器具なども可能な限り正確に配置し、仮想空間内を自由に歩き回れるようにする。このことは、記憶と建築を結びつける伝統的な「記憶術」と同等の役割を果たすことになったとヴァイツマンは言う。モデリングを行っている間、彼女はなぜか扇風機の位置にこだわり、調整を続けていたが、やがてそれを中庭に置き、扇風機の羽根に焼けた肉片と髪の毛が付着していたのを見たと語った。それはおそらく、空爆によって殺害された2歳の息子の身体の一部だった。「ここでは主体と客体、証言と証拠、物質と記憶という区分に還元できないかたちで建築と記憶が絡み合っていた[28]」。仮想の自宅が、心の奥底に仕舞われていた記憶にアクセスするためのトリガーとなり、過去の体験を再び上演するための「記憶の劇場」へと変容したのだ。

ドローン攻撃生存者による自宅のデジタル復元作業
https://forensic-architecture.org/investigation/drone-strike-in-mir-ali
フォレンジック・アーキテクチャーとメディア考古学
フォレンジック・アーキテクチャーの活動は、前回論じた原將人の『初国知所之天皇』(1973)ライブ上映と併せて、メディア考古学的アプローチの基本方針へと読み替えることができる。
第一の活動方針として、フォレンジック・アーキテクチャーは特定の事件現場における事物や当事者の身体を中心に据えた上で、超感性術を駆使して僅かな手がかりを多角的・多視点的に分析し、過去にあった出来事の可能な限り正確な上演=現前化を試みる。取り替えの効かない一回性の体験を見えるものにする(風景化する)ことで、権力の政治的意図によって消去されたり歪められたりした固有の生を復元し、取り戻そうとするのである。だがそのような、ミクロなスケールをどこまでも突き詰めていく作業は、必然的に超感性術的な広がりを生み、関連する物事や時間的・空間的文脈、権力の作動形式、時代背景や歴史など、より大きなスケールへと無限に接続・拡大していく。
そして第二の活動方針として、フォレンジック・アーキテクチャーは「事実」の認定や犯罪行為の認定を執り行う法秩序や社会規範を議論の俎上に乗せ、その前提の妥当性を問い直す。調査成果を一部の人間だけの問題とするのではなく、事件当事者や調査者も含めた「我々」を取り囲む環境や社会、権力や制度を批判的に分析し、この時代・この場所に生きる条件(知の枠組み)を描き出そうとする。それはミシェル・フーコーの「知の考古学」および「系譜学」を現代的にアレンジする試みであり、フーコーがこだわり続けた文字資料の考古学からメディアの考古学(フリードリヒ・キットラー)へ、さらには人為的なメディアから、あらゆる事物を一種のメディアとして捉える超感性術的な考古学へと対象を拡大させていく、「知の考古学」のメディア論的系譜に位置づけることも可能だろう。研究対象的にも、方法論的にも、フォレンジック・アーキテクチャーとメディア考古学は多くの面で親和的であるように思える[29]。本連載のような芸術実践のための接続に限らず、より学術的な場でも両者の詳細な比較・検証が行われることを期待したい。
メディア考古学的アプローチの基本方針
さて、ここまで来て、ようやく「メディア考古学的アプローチ」の基本方針を説明する準備が整った。連載第9回でも述べたように、メディア考古学的アプローチとは、断絶された「過去」の断片を掘り起こし、それらを「現在」に生きる「この私」の身体を媒介として結びつけ、再構成する試みである。エルキ・フータモやユッシ・パリッカらによって構築されてきた学問分野としての「メディア考古学」が直接的な着想源であるが、本連載では──これまでに論じた作家たちからも多くの示唆を得つつ──風景論的な作品制作や芸術実践に応用可能な方法論として、独自の定義を作り上げようとしてきた。以下、これまでの連載も振り返りつつ、6項目に分けて記述する。
①メディア考古学的アプローチは、研究・制作を遂行する者や街を歩く者の「身体」を起点とする。超越的・俯瞰的な視点から対象を捉えるのではなく、この私の身体が触れた資料や視聴した映像(スクリーン)、風景を眺めた経験といったローカルな場から思考を組み立てていく[30]。西澤諭志やかんのさゆり、清原唯、工藤春香、佐藤朋子、中島晴矢、そして原將人と、本連載で取り上げてきた作家の多くがその好例である。
②メディア考古学的アプローチは、あらゆるものを何らかの「物質性」を備えた実在として扱うことで、現実と虚構、現実と理想、概念と実体などの二元論を解体し、同一平面上を這い歩くような一元論的思考を展開する。これはブリュノ・ラトゥールのアクター・ネットワーク理論や、フォレンジック・アーキテクチャーの調査的感性術などから示唆を得たものである。一見スーパーフラットな住宅建築の外壁材の質感を凝視するかんのさゆりの「New Standard Landscape」(2022–)、ソーシャルメディアと現実空間の相互侵食による行動や振る舞いの変容を捉えた宮崎大祐『#ミトヤマネ』(2023)など、物質性に対するアプローチは多様である。
③メディア考古学的アプローチは、偶然残されたモノの断片を発掘し、拾い集め、組み合わせることで、「現在」の風景が形成されるに至った要因や条件となった「過去」を再構成しようとする。工藤春香が「生きていたら見た風景」(2017)などの個展で試みたように、完全な過去を復元することは絶対に不可能であると理解しながら、それでもなお、つなぎ合わせられないもの同士をつなぎ合わせようとする偏執狂的な意志──美術批評家・美術史家のハル・フォスターが「アーカイブ的衝動[31]」と呼ぶもの──によって、あり得たかもしれない無数の「過去」や「未来」が立ち上がる。
また映画研究者のトマス・エルセサーが指摘するように、再構成された「過去」は、現在に生きるこの私の身体によって構成されるものである以上、過去よりもむしろ現在のメディア環境や思考の条件を浮かび上がらせることになるだろう[32]。ゴジラと同期して東京を破壊する佐藤朋子や、ニュータウンでプロレスを繰り広げる中島晴矢など、自らの身体を媒介として日本映画史や芸術史を再演する試みも、過去との接続や逆行のためではなく、むしろ世代間の断絶や不可逆的な変化を浮かび上がらせるためにこそ行われるのだ。
④メディア考古学的アプローチは、時間を単線的・連続的・目的論的に捉えるのではなく、至るところに亀裂や断絶が生じた複線的・非連続的・偶発的な時間概念を踏まえた歴史を記述する。清原唯が『すべての夜を思いだす』(2022)で描き出した縄文時代への想像力は、ツィーリンスキーが「深い時間」と名づけた地質学的・考古学的なスケールで、ニュータウンの歴史を捉え直すようにと観客を促す。また本稿で椹木野衣のスーパーフラット・ランドスケープ論や若林幹夫の郊外論を参照して述べたように、「均質な風景」をめぐる議論を更新するためには、歴史性や場所性が希薄だと言われる場所にも確かに存在する傷や亀裂、歴史の痕跡を見出し得る、限りなくミクロなスケールの分析が必要になるだろう。フォレンジック・アーキテクチャーの調査的感性術が、有力な手がかりとなる。
⑤メディア考古学的アプローチは、身体と物質性を基盤とした一元論的思考や「深い時間」の概念に基づき、研究・制作を遂行する者が──そしてその人と何らかの属性や特徴、環境を共有する者が──生きる上での制約や条件として働く「知の枠組み」(ミシェル・フーコー)ないしは「社会の地層」(若林幹夫)を明らかにしようとする。西澤諭志がモニュメントや国策・祭祀施設の写真をモンタージュすることで浮かび上がらせた権力のネットワークや、原將人がライブ上映を通じて体現した、「天皇」や「国家」「映画」と離接的な関係性を結ぶ可塑的で複数的な自己のあり方は、この試みの優れた実践例と言えるだろう。社会の地層は時間的にも空間的にも単純な積層構造ではなく、レイヤーが裂けたり向きを変えたり、他のレイヤーに貫入したりといった「不整合」な状態にある。無数の亀裂が刻み込まれた断層的な風景を描き出すことが、メディア考古学的アプローチと結びついた風景論──風景のメディア考古学──の目指すべき目標である。
⑥風景のメディア考古学は、物質性と再現性を備えたスクリーンに断層的な風景を投影して、「共視」可能な風景を他者と共有する。その風景を新たな媒介として、作中のナレーションや作者の言葉、鑑賞者の感想や批評、各種専門家による分析など、様々な「視差」を備えた語りが集積されることで、拡張的な「球状空間」(ジェームズ・ベニング)が形成され、風景のスクリーン・プラクティスが実現する。フォレンジック・アーキテクチャーなら、それを「調査的コモンズ investigative commons[33]」と呼ぶかもしれない。調査的感性術を通じて、人間と非人間が共に感知能力を働かせる「認識の共同体」が形成され、集団的な意味形成が行われる。以上の項目が実現したとき、私たちは、場所性と均質性、固有性と一般性、人文科学と自然科学、芸術と研究、作品と批評といった伝統的な二項対立に囚われず、そのいずれもが共存した新たな風景論を語り始めることができる。
註
[1]椹木野衣「なんでもない場所、万歳!──風景なき平坦な戦場」『美術手帖』2000年9月号、美術出版社、pp. 49–50
[2]村上隆「Super Flat宣言」『SUPERFLAT(改訂版)』有限会社カイカイキキ、2019年、p. 4
[3]椹木野衣「なんでもない場所、万歳!」前掲、p. 50
[4]椹木野衣『「爆心地」の芸術』晶文社、2002年、p. 313
[5]東浩紀「スーパーフラットで思弁する」『SUPERFLAT(改訂版)』前掲、pp. 148-150
[6]椹木野衣『日本・現代・美術』ちくま学芸文庫、2025年、p. 22
[7]このことは、映画理論的な文脈と接続するなら、ショット(断片)の単位を認識可能なモンタージュから、利用された学習データを認識することが困難な生成AIへの移行とも並行的・同型的な事態であると言えるだろう。そこで差異は完全に消滅したわけではないが、人間が把握可能なスケールを完全に超え出ている。
[8]椹木野衣『「爆心地」の芸術』前掲、p. 316
[9]清水アリカ「〈サブカルチャー的悪夢〉と革命的想像力」『ジ・オウム』ブランク編、太田出版、1995年、p. 100
[10]同前、p. 103
[11]椹木野衣『日本・現代・美術』前掲、pp. 30–31
[12]建築史家の五十嵐太郎は椹木の美術批評を「考古学者のごとく、美術史上のミッシング・リンクを次々と発掘していく」取り組みと評している(「『後美術論』──音楽との関係解読、ジャンルの解体へ」『朝日新聞』朝刊、2015年4月5日付)。また詩人の松井茂も、椹木の『日本・現代・美術』について「本書が問うのは日本における「モダン=近代」であり、「ポスト・モダン=脱近代」と称される「いま・ここ・わたし」の表象から、時系列を遡行し脱構築がはかられる。反歴史的な手法は、ミッシェル・フーコーのいう考古学として実行されるだろう」と指摘している(「モダンを考古学する批評理論──古典となった「悪い場所」」『ちくま』2025年9月号(電子版)、筑摩書房)。
[13]若林幹夫『郊外の社会学──現代を生きる形』ちくま新書、2007年、p. 221
[14]同前、pp. 95–96
[15]椹木野衣『震美術論』美術出版社、2017年、pp. 36–37
[16]Siegfried Zielinski, Deep Time of the Media: Toward an Archaeology of Hearing and Seeing by Technical Means, MIT Press, 2006, pp. 5–6.
[17]Zielinski, op. cit. p. 5.
[18]椹木野衣『末世の芸術──来たるべき無人類のために』美術出版社、2025年
[19]エヤル・ヴァイツマン、マシュー・フラー『調査的感性術──真実の政治における紛争とコモンズ』中井悠 訳、水声社、2024年、pp. 28–31
[20]同前、p. 267
[21]同前、p. 14
[22]同前、pp. 70-71
[23]エヤル・ヴァイツマン『フォレンジック・アーキテクチャー──認知可能性の敷居における暴力』中井悠訳、水声社、2025年、pp. 51–52
[24]同前、p. 51
[25]同前、p. 38
[26]エヤル・ヴァイツマン、マシュー・フラー『調査的感性術』前掲、pp. 42–43
[27]エヤル・ヴァイツマン『フォレンジック・アーキテクチャー』前掲、p. 98
[28]同前、p. 45
[29]メディア考古学はミシェル・フーコーやフリードリヒ・キットラーの強い影響下にあるが、特にメディアの物質性に注目するヴォルフガング・エルンスト(メディア考古誌)やベルンハルト・ジーゲルト(文化技術論)、地質学的なスケールでメディアを捉え直すジークフリート・ツィーリンスキー(アナーキー考古学)やユッシ・パリッカ(メディア地質学)の取り組みは、フォレンジック・アーキテクチャーが掲げる調査的感性術と非常に親和的である。
[30]これは、美術史家・美術批評家のクレア・ビショップがリサーチ・ベースド・アートの第4段階として挙げた、経験的・身体的リサーチとも関連づけられるかもしれない。クレア・ビショップ「情報オーバーロード」(青木識至・原田遠訳、『Jodo Journal 5』浄土複合、2024年、p. 69)を参照。
[31]ハル・フォスター「アーカイブ的衝動」中野勉訳、『Я(アール)──金沢21世紀美術館研究紀要』第6号、金沢21世紀美術館、2016年7月、p. 43
[32]Thomas Elsaesser, “The New Film History as Media Archaeology”, Cinémas: Journal of Film Studies, vol.14, no.2–3, 2016. p. 105.
[33]エヤル・ヴァイツマン、マシュー・フラー『調査的感性術』前掲、pp. 30–31
