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2017.09.08

第2回 歌舞伎町から伊豆下田へ

東京狩猟日記 / 千木良悠子

 

第2回 歌舞伎町から伊豆下田へ

もう6年以上も、週一回だけ、友人の経営するバーで働いている。場所は新宿のゴールデン街だ。最近、年若いお客さんが増えてきて、彼らと今年の夏、海に行った。

 

品川駅から東海道線と伊豆急行線を乗り継いで、伊豆熱川の駅まで行った。そこに仲間のうちの、いちばん若い女の子のご両親が所有するリゾートマンションの部屋があって、一泊させてもらう計画だった。駅に着いたらHondaのFREEDという大きな車が迎えにきていた。最年長である飯島さんが今回の旅行の運転手役を買って出てくれていた。

六十代の飯島さん、三十代の私、それから三十代のシゲくんと二十代のコウキくん、ハヅキちゃん、アカネちゃん。年齢は異なるが、よくそのゴールデン街のバーで一緒になって、たいていは映画の話をしている。みんな驚くほど詳しくて、若くても古い映画をよく見ている。六年も働いていて、お客さんとの旅行が実現したのは初めてだった。よく夜中に「今ここにいるメンバーで旅行しよう!」なんて話は出るのだが、大抵は酔いが醒めると忘れるのだ。

ゴールデン街の店をきっかけに、数えきれないほどの出会いがあった。映画に一通りは詳しくなったのも、演劇活動を続けてこられたのも、ここに集う人々のお蔭だと言える。だが日銭を得る仕事なだけあって、夜から明け方までの飲食業はそれなりにハードで、酔客に絡まれたのも一度や二度ではないし、楽しいことばかりでもなかった。ゴールデン街には、お酒の力も働いて、なんだかこの世ならざる世界と半分溶け合ったような時間が流れていて、それが強烈な魅力だけれど、働いている身としては不満も不安もあった。朝日が昇ってから一人で後片付けをしていると、他人の夢の中に置いてきぼりにされたような寂しさを感じた。昼間の時間に企業戦士の仮面を被ってシャカリキに働いている人々と、始発で帰って眠る自分との距離に思いを馳せたりした。

ところが、今年に入ってから常連になった若いお客たちには、私が洗い物をしながらポロリと「夏だし海に行きたいなー」と呟いたら、「行きましょう!」と即答、実行するまでの明るいパワーがあったのだ。カウンターにたった8席の狭い空間が、伊豆の開けた空の下の景色に繋がっているとは思わなかった。

 

熱川のリゾートマンションで、併設された温泉と飯島さんの手料理を楽しんで一泊し、翌朝早くに起床した。午前中、ハヅキとコウキと私だけで熱川のバナナワニ園を散策する。眩しいほどの快晴で、少し歩くだけで体じゅうから汗が吹き出した。ワニやレッサーパンダやゾウガメ、バナナやマンゴーの木を鑑賞した。熱帯樹の温室には、幼い頃の憧憬の記憶を喚起される。ドリトル先生シリーズやジャングル・ブック、宝島、ロビンソン・クルーソー、子ども部屋でページをめくった数々の冒険物語の場面が瞼の奥にちらつく。駆け足で園を出て、温泉の蒸気が白く吹き出している熱川の山道を上り、マンションに戻ると、他のメンバーが午後の海水浴の準備を済ませて待っていた。

車で伊豆半島を南下して、下田海水浴場へ向かう。車中で「伊豆の踊子」の舞台はどこかという話になった。スマホでググると、「伊豆の踊子」の舞台は、修善寺、湯ヶ島、天城峠を越えて湯ヶ野、下田。最終的に下田港で主人公は踊子と別れる。

私は川端の小説が好きだ。雑駁すぎる説明をすれば、川端の小説の主人公の多くは、夢や死の世界に魅入られてそこに片脚を浸したまま旅をし続ける。伊豆の人々や自然の生きた実体に触れて、最後に少年が涙を流す「伊豆の踊子」の筋書きは、都会で見る夜の夢を入口に東伊豆道路を通じて下田に向かおうとしている私たちの道程とどこか似ていると思った。

新宿の街の変化は目まぐるしい。2015年、コマ劇場の跡地にゴジラが屋上で吠えている東宝ビルが建ち、歌舞伎町に大きく開けた道が出来た。私の働いているバーは、じつは2016年春にニュースにもなったゴールデン街の火災で全焼したのだが、同年秋に再建された。狭い路地に店がひしめく昭和の面影を残した町並みには時おり存続が危ぶまれるような事件も起こるのだが、同時に外国人観光客が増え続けていて、路地はカメラを手にした旅行者でよく混雑している。オーストラリアとか北欧の旅行者が比較的多いのは、給与水準の高い国だからかもしれない。ゴールデン街の飲み代は、高すぎはしないが、決して安くはない。「一見さんの旅行者ばかりになったらこの街も終わりだね。ただの観光地になっちゃう」とぼやく常連客もいる。

巨大な「世界経済」の僅かな動きに反応して利を得たり、ときには壊滅的な打撃を受けたり、まるで怪獣の機嫌をつねに伺うような今世紀の都市生活に疲弊して、人々は逃れるように店に集い、酒に酔って昔の映画の話をしている。川端は、自らをモデルにした「踊子」の主人公の性格を「孤児根性」と自嘲したが、彼の時代とは違った不安定さを抱える平成の東京に暮らす私たちは、家や地域や社会への帰属意識をいつも中途半端にしか持てないまま、小さな店にたむろうことで孤独な夜をやり過ごしてきたのかもしれなかった。

 

トンネルを幾つもくぐり、緑の崖が海へせり出した雄大な景色が続いたかと思うと、次第に道が混雑してきた。オンシーズンの下田海水浴場は色とりどりのテントで埋め尽くされ、波打ち際は浮き輪やボードを携えた人々でいっぱいだった。私たちも有名な下田の眩しい白砂の上にテントを張って、水着になって海に入った。ボディボードを借りて波の上を滑ったり、寝そべって肌を灼いたりした。陽射しは肌に刺さるほど強かったが、台風が近くを通るらしく、海はやや荒れていて波が高かった。泳ぐと波に巻かれて遊泳区域外のほうまで放り出されるほどだった。それでも水は澄んでいて、浜の隅では透明な魚が群れになって泳いでいた。私たちのテントのすぐ後ろでは、若者たちがチャラい軽薄な音楽を大音量でかけていて喧しかった。お盆前の休日とはいえ、伊豆半島の先端近くの海水浴場に人がこれだけ詰めかけているのが不思議だった。何度か海に入ってはまたテントに戻ってきて、かき氷を食べたり、水着の写真を撮ったりして遊んだ。

夕方前にテントを片付けて再び車に乗った。賑わいを抜けて少し走るとまた長閑な風景が広がる。散々遊んで疲れたはずなのに、熱川のマンションに戻るやいなや、一階にある屋外プールでまた泳いだ。泳ぎの速さを競ったり、プールにコインを落として探す遊びをした。プールで泳いでいると、ロバート・アルトマンの『三人の女』という映画を思い出す。淡い水色やピンクに彩られた、甘く閉じられた音のない世界。柔らかい繭の中にいるような、外から隔絶された天国であり煉獄。私は平泳ぎの競泳で一等賞を獲って満悦だった。

 

マンションの部屋を掃除して、夕方過ぎに熱川を出た。行きはそれぞれ電車で来たが、帰りは飯島さんの運転で、全員それぞれの家に送り届けてもらった。飯島さんは、多くの職業を経験して今は悠々自適の生活をされている方だが、若い頃に俳優として「戦場のメリークリスマス」に出演されている。その時の思い出話を聞いた。

クック諸島ラロトンガ島やニュージーランドでデヴィッド・ボウイと共演したという。ある夜、撮影が引けた後、ボウイに日本語で「月が綺麗ですね」と話しかけられたそうだ。突然の日本語に面食らって、咄嗟に返事ができなかったのが心残り、と言っていた。「月が綺麗ですね」は、夏目漱石的リテラシーに照らして言えば、それは日本語の「I love you」の最も美しい婉曲表現だ。ボウイは若き日の精悍な面貌の飯島さんに愛を伝えたかったのかもしれない、と車の中でひとしきり盛り上がった。「僕も最近、その解釈知ったんですよね。なぜだか同じ場面の出演が多くて、肩組んで写真も撮ってくれたもんなあ。嬉しかったですよ」と飯島さん。前方の真っ黒な山々が割れて、フロントガラスに大きな満月が現れた。「あのとき見たのと同じ月ですよ」と助手席から飯島さんに言う。まるでボウイに空から見られているようだ。

車が伊東を過ぎ、熱海に近づく。港沿いに明かりが灯り、黒い海に映って揺らめいている。熱海の夜の灯は「伊豆の踊子」の主人公もラストシーンで船上から見ている。そこで初対面の少年から、「海苔巻きのすし」なぞをもらって食べた後に、少年と並んで船中に横たわって彼の体温を感じ、静かに涙を流すのだ。そして「頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぽろぽろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さ」を感じる。

「熱海のどこかで食事して帰りましょう」と飯島さんと話した。それ以外の若い友だちはみんな、遊び疲れて後ろの座席でぐっすり眠ってしまっていた。

新宿ゴールデン街  東京都新宿区歌舞伎町1丁目 http://www.goldengai.net


 狩猟の獲物★最近、ゴールデン街のお客さんにいただいた物の一部。

 本、雑誌、ゼリー、チョコレート、納豆など…。