• Twitter
  • Facebook

日記百景 第1回
リチャード・ブローティガンと東京の女たち

日記百景 / 川本 直

東京 一九七六年五月二十八日
人生のすべての可能性、
すべての道はここに通じていた


リチャード・ブローティガン著、福間健二訳『ブローティガン 東京日記』(平凡社ライブラリー/二〇一七年)

旅は人を変える。リチャード・ブローティガンが東京にやってきたのは一九七六年の五月のことだった。『ブローティガン 東京日記』にはその時の旅の様子が断片的な短い詩の連続として語られている。今で言えばTwitterに旅の感想を書き綴るのに近いスタイルだ。ブローティガンの文章は無駄な言葉を削ぎ落としたシンプルなもので、とても繊細だ。静謐で温かみもある。

ブローティガンの叔父は「間接的に」日本人に殺された。第二次世界大戦中、負傷し、それが原因で亡くなったのだ。子供時代の彼は日本人を憎んでいた。だが、大人になったブローティガンは松尾芭蕉と小林一茶に触れ、日本絵画と日本映画を見て谷崎潤一郎を読み、日本人の友人もできて、日本が好きになった。いつか日本に行かなくてはならない、と思い始めた。そして、旅嫌いにもかかわらず、ブローティガンは日本にやってくる。

欧米人の物書きは極東の国、日本を訪れるとそのオリエンタリックな側面にばかり目が奪われて、その特殊性を強調した文章を書くことが多い。ロラン・バルトの『表徴の帝国』はその典型だ。しかし、『ブローティガン 東京日記』はそういった種類の本とはまったく違う。

東京でのブローティガンは自然体で平常心を保っている。彼は東京の日常の細々したことに目を注ぎ、淡々と書く。新宿の猫を観察し、カレーライスの注文に成功したことに大喜びし、パチンコで景品をもらう。飲み屋で酔っぱらい、時にはふさぎこみ、さびしがる。日本語がわからないために言葉の問題に悩む。ホテルの壁が薄く隣室でセックスしている音が聞こえてうるさい、とボヤく。そんななかでブローティガンは東京に愛着を感じ始め、「人生のすべての可能性、すべての道はここ(東京)に通じていた」とまで思うようになる。六月三十日、ブローティガンは一ヶ月半の滞在を終え、日本の友人たちのための詩を書きながら東京をあとにする。

日本への旅はブローティガンを変えた。ブローティガンはその後、『ソンブレロ落下す―—ある日本小説』と『東京モンタナ急行』という日本を舞台にしたふたつの小説を発表している。定期的に東京を訪れるようにもなった。『ブローティガン 東京日記』にはいくつかの詩がシイナ・タカコという女性に捧げられているだけではなく、とある女性と夜の明治神宮に酔っ払って侵入し、キスをした、ということも書かれている。『ブローティガン 東京日記』には絶えず女性の気配がする。私はそれが気になって、ブローティガンの翻訳者で友人だった藤本和子の評伝『リチャード・ブローティガン』(新潮社、二〇〇二年)を手にとってみた。

まずシイナ・タカコという女性が誰なのかが判明した。彼女の正確な名前は椎名たか子。ブローティガンの最初の東京訪問で意気投合し、それから彼が亡くなるまでの八年間、家族ぐるみの交友があった女性だ。著名人が集まる六本木の伝説的なバー「ザ・クレイドル」のオーナーで、そこで連れられてきたブローティガンと出会った。「ザ・クレイドル」は一九七一年にオープンし、二〇〇七年の閉店まで三十六年間の長きにわたって営業していた。ブローティガンは椎名たか子さんに「あなたの代わりに死んでもいい」と言うほど友愛の情を抱いていたようだ。東京に来る時は新宿の京王プラザを定宿にし、寺山修司、谷川俊太郎、大江健三郎、金井美恵子とも交流があった。

しかし、日本でブローティガンが得たとある女性の友人は彼の人生を決定的に変えてしまったことが、『リチャード・ブローティガン』を読み進めていくうちにわかった。

ブローティガンは一九八二年、友人で彼についての著書もあるジョン・バーバーに「友だちが死んでしまったよ」と電話で告げて呼び出した。ブローティガンのモンタナの自宅を訪れたバーバーに彼はこう言った。「死んだ友だちは日本人だった。仏教徒だったよ。ものを焼くと、それは死者にとどくと、仏教徒はいうんだね。彼女の本が二冊と、わたしの詩が一編ここにある。焼こうと思うよ」。すべてが燃やされたあとにブローティガンは言った。「彼女はもういない。すべて終わった」。燃やされた「ランデヴ」というブローティガンの詩は「いまきみがいるところへ ぼくは会いに行く」と書かれていた。

二年後の一九八四年、ブローティガンはモンタナの自宅で拳銃自殺した。四十九歳だった。晩年のブローティガンは酒に溺れて奇行が目立っていた。常にふさぎこんでもいた。彼は燃やした詩のとおり、亡くなった日本の女友達の元に会いに行ってしまった。ブローティガンの東京への旅は彼の死のきっかけにもなったのかもしれない。

ブローティガン 東京日記

バナー&プロフィールイラスト=岡田成生 http://shigeookada.tumblr.com