第3回 幻の韓国名画『晩秋』とショーケンの出世作 | かみのたね
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2017.11.30

フランス映画みたいだった『約束』

1982年か83年の正月明けだったと思う。実家に帰省していた私は、父と一緒にテレビで映画を見ていた。たまたまテレビをつけたら始まったばかりで、なんとなく見ていたのだがだんだん引きこまれ、とうとう全部見てしまったのである。

見終わって、どちらからともなく言い合った。

「なんか、日本の映画じゃないみたい」

「フランス映画みたいだな」

父は若いころに映画研究サークルをやっていたほどの映画好きだ。かつて、NHKが『天井桟敷の人々』や『舞踏会の手帖』など戦前のヨーロッパ映画を連続放映したときには、父からずいぶんうんちくを聞いたものである。その父が「フランス映画みたいだ」と言ったのだ。

それは斎藤耕一監督の『約束』だった。1972年の作品で、岸惠子とショーケンこと萩原健一が主演して大ヒットした。ミュージシャンとしてトップの座をきわめたショーケンが本格的に演技に取り組んだ出世作であり、北陸の暗い日本海をバックに、メロドラマの王道のような悲恋が展開される。

 

『約束』

『約束』の岸惠子はほんとにフランス映画の女優さんみたいだった。そう思った理由は、ごく単純。

「ヒロインが思いつめてて、泣いてないのに目が濡れている」――それだけだ。

例えば、『モンパルナスの灯』のアヌーク・エーメとか。

『ヘッドライト』のフランソワーズ・アルヌールとか。

いずれも、若い方はあまりご存知ないと思うが、モノクロの渋いフランスの名画。『約束』にはそんな日本離れした雰囲気があったのだ。

この連載ではネタバレを書いてもよろしいそうなので書いてしまうが、岸惠子は夫を殺した罪で服役中の囚人。模範囚なので、母親の墓参りをすることを許され、海沿いを走る羽越線の列車に乗っている。囚人だけど映画だから、すてきなタートルネックのセーターに品の良いコートを着てものすごくきれいだ。でも囚人だから、南美江ふんする監視員の女性がぴったりと横にはりついている。

そこへ、絵に描いたようなチャラ男のチンピラ、ショーケンが乗りあわせる。彼は、翳りのある表情で一言も口をきかない惠子お姉さまに惹かれて小犬のようにまとわりつく。お姉さまも初めは無視していたが、だんだんにこの青年に心を許していく。

だがショーケンは、銀行から現金を強奪して追われている身だ。かなり危険な取り合わせだが、メロドラマだから危険であればあるほど燃える。ショーケンは「一緒に遠くに逃げて暮らそう」とお姉さまを説得するが、彼女はうなずかない。その代わり、2年後に刑期を終えて出獄したらきっと会おうと約束して別れる……が、メロドラマだからうまくいくわけがない。約束は守られない。そして岸惠子の、泣いてないけど濡れている思いつめた瞳によって、フランス映画的なラストシーンが飾られる。

 

え、韓国映画だった!?

それだけだったら、この映画のことは忘れたのかもしれない。だが約10年後、ソウルに留学していた私は、テレビでこれにそっくりな韓国映画を見て驚いた。模範囚の女性、母親の墓参り、列車での移動、乗り合わせる犯罪者の男……設定が同じではないか。ヒロインもヒーローも大人だったので『約束』よりぐっと落ち着いていたが、2人が別れる直前に刑務所の前で屋台のうどんを食べるなど、ディテールも酷似している(『約束』ではラーメン)。これもなかなか良い映画だったのだが、私は何のためらいもなく、「なーんだ、パクリか」と断定した。今思えば非常に失礼なことだった。だって、この韓国映画の方が本家で、日本の『約束』はリメイクだったのだから。

本家のタイトルは『晩秋』(イ・マニ監督、1966年)。私はそのことを、この映画のシナリオ作家であるキム・ジホン(金志軒)先生にお会いして初めて知った。この方から何か教わる機会を得たわけでも何でもないが、先生とお呼びするのがいちばんしっくりくるので、以後、そう書かせていただく。

キム・ジホン先生は1970年から韓国シナリオ協会会長も務め、90本あまりのシナリオを書いた韓国映画界の長老格である。悠揚迫らざるとはこういうことかと思うような、渋いユーモアをたたえた紳士だった。知人に会ったついでに偶然キム先生にお会いし、「あの『約束』の元になった映画のシナリオを手がけられた方だよ」と聞いてどんなにたまげたことか。聞けば、斎藤耕一監督がソウルで『晩秋』を見てとても気に入り、リメイクしたいと正式にオファーして翻案権を買ったのだという。なるほどDVDで『約束』を見ても、「原案:斎藤耕一・金志軒」とちゃんとクレジットされている。

韓国ではずっと、日本映画の上映が禁止されていた。だが韓国の監督や脚本家の多くは日本映画を見て研究していたし、キム・ジホン氏も日本の雑誌『シナリオ』を見て勉強したとおっしゃっている。そして個人対個人の交流の中から、『約束』は生まれた。『約束』がもしフランス映画のリメイクだったら、その事実も〈売り〉として広く宣伝されただろう。しかし1970年代においては、韓国映画のリメイクであることは、さして話題にもならなかった。

『晩秋』は韓国で最も多くリメイクされた映画としても知られている。現在、映画としては次の5作があり、ほかにテレビドラマもある。順に並べると

・イ・マニ監督『晩秋』(韓国、1966年)

・斎藤耕一監督『約束』(日本、1972年)

・キム・ギヨン監督『肉体の約束』(韓国、1975年)

・キム・スヨン監督『晩秋』(韓国、1981年)

・キム・テヨン監督『レイトオータム』(韓国、2010年)

https://www.youtube.com/watch?v=lB6IT2RQ7Wo

(上記サイトは韓国のテレビ局が、歴代の『晩秋』を紹介したもの。『約束』の映像も出てくる)

私が韓国のテレビで見たものは3番目のキム・スヨン監督版(1981年)だった。

2010年のキム・テヨン監督版では主演女優は中国のタン・ウェイ、相手役が韓国のヒョンビン。舞台は米国シアトル、華僑の女性と韓国男性がからむ設定で、ちょっとまとまりが悪かったが、ともあれ『晩秋』というメロドラマの矢は、韓・日・中と東アジア三国を射抜いて広まったことになる。

 

幻のフィルムは北朝鮮にある?

これだけ何度もリメイクされた『晩秋』だが、年配の韓国の映画好きなら誰もが、「最初のイ・マニ監督のが抜群だった」と言う。主演の二人も名優中の名優だし、今でも韓国映画史上のランキングでは必ず上位に挙がってくる。もちろん、斎藤耕一監督がソウルで見て感激したのもこれだ。

ところがそのフィルムが失われてしまい、韓国に現存しないというのだから驚く。わずかに残ったスチール写真を見ても、また主演を務めたシン・ソンイルの回想を読んでも、非常に冴えた映画だっただろうことは想像がつくので残念でならない。

その上皮肉なことに、この映画、北朝鮮にプリントがあるらしいことが知られている。1978年に、韓国の映画監督シン・サンオクと、その夫人である女優のチェ・ウニとともに北朝鮮に拉致されるという大事件があった。金正日が大変な映画好きで、シン・サンオク監督に映画を撮ってもらいたかったためである。シン監督は北朝鮮版ゴジラといわれる『プルガサリ』などを作った後、南に戻された。その後、金正日の膨大な映画フィルムコレクションの中に、イ・マニの『晩秋』もあったことをはっきり証言した。

キム・ジホン先生は、現在は北朝鮮に属する平安南道鎮南浦の生まれだ。16歳のとき、朝鮮戦争が始まる前に南に逃れてきた。このようにして南にやってきて、戻れなくなった人々を「失郷民」(シリャンミン)と呼ぶ。彼らを含めて「南北離散家族」と呼ばれる人々は、韓国側だけで500万人ともいわれるが、正確な数字をカウントすることは不可能に近いだろう。38度線に近いソウルはシリャンミンの町ともいえるし、シリャンミンの物語は今も、韓国文学と映画の根底にしっかりと根づいている。

お目にかかったとき、キム・ジホン先生は私たちに有名な冷麺のお店でごちそうして下さった。冷麺は北朝鮮のものが美味しいことで有名である。『晩秋』のプリントを金正日が持っている件については、「私が離散家族に会いに行ったら見せてくれないかね。そのくらいの権利は私にもあるだろう」などと言ってにこにこ笑っていらしたが……。

2015年に先生が亡くなられたとき、韓国のマスコミはこぞって「『晩秋』のシナリオ作家逝く」と伝えた。

 

最初は出演する予定じゃなかったショーケン

本家本元の『晩秋』は大人の物語だった。一方、『約束』は男性主人公をぐっと幼くやんちゃなキャラクターに設定し、また違う魅力を作り出していた。これはもしかしたら、ジェンダーを乗り越えた「カワイイ」の先取りであったのかもしれず、だとしたら斎藤耕一監督はただものではない。

この映画でショーケンは、ずーっと走っている。走る必要がないときも走っているから、必要があるときにはもうめちゃくちゃに走る。黒い細身のトレンチコート(川添梶子さんのデザインなので形がよい)のボタンをはめずに着て、裾をバッタバッタひるがえしながら、お姉さまの後をどこまでもついてくる。

「結婚なんてしなくていいんだよ。俺、あんたの弟でも何でもいいんだよ。俺、一生けんめい働くからよ」

そう言いつのるショーケンは、まさしく子犬だ。「何か僕にできることは? できることは?」と、必死でしっぽを振っている。ラスト近くでショーケンは警官に捕まってしまうのだが、そのとき「やだぁーー!」と絶叫して暴れる。おまわりさん相手に「やだぁーー!」と叫んだ20歳以上のヒーローは、空前絶後なのではないだろうか。もちろん本家の『晩秋』に、「やだぁーー!」はない。

ショーケンの自伝によると、彼は当初、出演する予定ではなかったらしい。俳優ではなく映画監督を目指していたので、斎藤組でサード助監督を務めていたそうである。ところがこの映画、キャスティングが非常に難航した。岩下志麻、岡田茉莉子、倍賞千恵子にあいついで断られ、そうこうするうち主演の中山仁まで降坂してしまった。急きょフランス在住の岸惠子にオファーし、引き受けてもらったものの相手役がいない。そこで何と斎藤監督が「じゃ、おまえがやれ」とショーケンを大抜擢したのだとか。岸惠子はショーケンを知らなかったため、写真を送ってお伺いをたて、OKをもらったというが、結果としては大成功だった。

この映画で走りまくったショーケンは、同年にスタートしたドラマ『太陽に吠えろ』でも走り続け、それ以降日本の刑事ドラマでは若手刑事がずーっと走り続けているような気もする。ヒット作の影響力とは実に長く持続するものである。

もし中山仁が主演であれば、より本家の『晩秋』に似た映画となったことだろう。

 

『約束』はなぜ日本離れしていたか

それにしても、『約束』はなぜ日本映画っぽく見えなかったのだろうか。

フランス映画みたいだと思ったのは私たちだけではなかった。同じ印象を語る人に実際に会ったこともあるし、現在インターネットを検索しても、同様の感想をいくつも拾うことができる。

それは、このシナリオのメロドラマとしての純度の高さゆえだったのではないか。『晩秋』では、主人公の二人はいずれも私生児ということになっていた。『約束』ではショーケンが私生児で、「父親を知らない」というせりふがある。いずれにせよ二人は家族のしがらみを持たない。また、列車という閉鎖空間で物語がほぼ完結するので第三者がほとんど介入しない。血縁地縁、義理と人情に関係なく、個人と個人があらゆる背景と距離をとって向き合う仕立てになっている。結果として、一筆書きのすっきりとしたドラマが屹立する。互いが互いを見つめ合って何も言えなくなってしまう緊張感――それがきわだったところに岸惠子さんの瞳が重なる。

それがなぜフランス映画風に見えたのかは、冒頭にも書いたように岸さんの力が大きかったと思うが、ひょっとして関係があるかもしれない事実を述べておくならば、韓国文学はフランスでの評価が高いそうである。今のところその理由の見当がつかないのだが、今後の観察課題として残しておきたい。

ところで、キム・ジホン先生は2013年に、『韓日対訳創作シナリオ選集』として自作の5本のシナリオを韓日対訳で収録した書籍を刊行された。韓国語と日本語を対照しながら読むことができる貴重な資料だ。5本のうち4本までが映画化されなかったシナリオなのだが、『晩秋』がここに入っているのは、作者がいかにこの作品を大事に考えていたかという証拠だろう。

 

『韓日対訳創作シナリオ選集』

この本に面白い回想が載っていた。イ・マニ監督は、『晩秋』の前年、1965年に撮った『七人の女捕虜』という映画が反共法に触れて罪に問われたため、監獄暮らしをしたことがある。これは朝鮮戦争の映画だが、北の兵士の描き方が単なる「敵」というラインを越えて人間的なとらえ方だったので、当局に睨まれたのだとか。北の兵士を人間的に描くということは、現代の韓国映画ではあたりまえだが、大ざっぱにいって『シュリ』(1999)より以前にはあたりまえではなかった。

イ監督は結局約40日間拘束起訴され、その後無嫌疑となって釈放された。釈放後、鍾路(チョンノ=ソウルの繁華街)で撮影をしていると、監獄で同じ房にいた青年とひょっこり出くわした。彼はまだ刑期が二、三年残っているはずだったので、驚いた監督が「おまえ、脱獄したのか?」と尋ねると「まさか。模範囚休暇で出てきたんですよ」と答えたという。以下は、キム先生の回想だ。

「『こんなの映画の素材になりませんかね』というイ・マニ監督の言葉を聞いた瞬間、私の口から思わず「おい、そりゃ女だよ!」という言葉が飛び出した。これが、私が『晩秋』を着想した瞬間である」(『韓日対訳創作シナリオ選集』より)。

当時イ監督もキム先生も30代半ばの働き盛り、韓国映画は黄金時代の真っただ中で、年に4本、5本というハイペースで製作していた。乗りに乗っている時期にするすると生みだされた、どストライクのメロドラマである。何度もリメイクされている秘密もそんな、黄金期ならではの脂の乗り具合にあったかもしれない。

 

純愛と正論のリミックス

『晩秋』のシナリオを読んでいると、『約束』には出てこない印象的なせりふがあった。

ヒロインが「どうして訊かないの? 私がどんな罪を犯したのか……」と男に尋ねると、彼はこう答える。

「そんなこと……知りたくないよ。罪を犯す人間にはそれぞれせっぱつまった理由があるんだろうから……ないから盗んだり……欲しいから奪ったり……憎くて殺したりするんじゃないか」(斎藤訳)

純愛と正論のリミックス。

私は、これこそじつは韓流人気を支えた強力な柱の一つではないかと思っている。そして、このせりふが『約束』に使われなかったことはよく理解できる。ショーケンがこのせりふを言ってもあまりしっくりこなかっただろう。その代わり彼は、「もしかしたら人間を信じてないのかな? 人間が人間を信じなくなったら、世界はジ・エンドだぜ」と岸惠子に言う。あたたかい。でも、淡い。純愛と正論のリミックスには及ばない。

また、60年代韓国と70年代日本ではまるで世相が違う。当時の韓国は戒厳令下にあった。ベトナム戦争への派兵が続いていた。日韓条約締結の翌年である。経済は成長しつつあったが、まだまだ貧しい。法律は弱者の味方をしてくれなかった。そんな中でみな懸命に生きていた。「盗人にも三分の理」というときの一分、二分の目盛りが韓国と日本では違っていただろう。

さらにシナリオを読んでいて、冒頭近い部分のト書きに目が留まった。ソウルの昌慶苑の動物園の前で、出獄したヒロインが相手が現れるのを空しく待っているシーンである。

「ライオン。ヒョウ。熊。ラクダ。キリン……。皆、それぞれの故郷を恋しがるようなむなしく遠いまなざし」

動物園の動物が故郷を知っているわけはない。けれども「恋しがるようなむなしく遠いまなざし」と書いたキム・ジホン先生は、16歳で離れて以来故郷に帰れなかった失郷民の一人だった。なくしたものの重さを語らずに生きている多くの人々と一緒に、ソウルで生きていた。

多くの韓国人が名画と絶賛した第一作めの『晩秋』を見ることは、現状ではまだまだかないそうにない。『約束』ももはや45年前の映画となった。この映画は冬に見るのがふさわしい。機会があれば、ここに1960年代の韓国のロマンティシズムのDNAが溶け込んでいるのかなと思いながら『約束』を見て頂きたい。