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日記百景 第4回
真っ当ということ
柴崎友香『よう知らんけど日記』

日記百景 / 川本 直

2011年9月☆日
……いつも心がけていたいと思うのは、十把一絡げ、ラベルを貼ってひとくくりにしないように、ニュートラルに、フラットに、そのものに接することができますように、ということ。


柴崎友香『よう知らんけど日記』(京阪神Lマガジン/二〇一三年)

騙されてはいけない。一見何の変哲もない日記だ。

柴崎友香の小説は「何も起こらない小説」と評されることがある。しかしそれは誤りだ。一文一文はとてもわかりやすい日常的な言葉で綴られているが、よく読めばそこには豊富な描写はあっても説明はないことに気づく。小説を読む時、語り手の言っていることは正しく、主人公は共感すべき人間として描かれていると短絡的に考えてしまいがちだが、柴崎友香の場合、その読み方は通用しない。小説が進むにつれ、語り手がかなり変わった人間であることが判明したり、思わぬ結末へ連れて行かれることが多々あるのだ。柴崎友香の小説は見知らぬ国へ突然放り込まれるような感覚をもたらしてくれる。一見前衛的には見えないのに極めて前衛的なのが、柴崎友香の小説である。

『よう知らんけど日記』も小説と同様、日常を描いている特徴は変わらない。しかし、硬派な小説と比べ、日記の語り手である「柴崎友香」という天然と言ってもいいチャーミングなキャラクターが強烈で視点が明瞭だから、とっつきやすいものになっている。

『よう知らんけど日記』で柴崎友香は「太ったなー」、「ね、ねむたい……。今日も一日寝てしまった」などと大阪弁でボヤきながら、TVばかり観ている日常を淡々と過ごしているように見える。しかし、騙されてはいけない。「子供の頃から、日記を続けて書いたことが1回もないです。宿題の絵日記もまとめて捏造してました」、「小学校の夏休みの宿題の日記は、最後の三日ぐらいでまとめて、『このへんでプール行っとこか、ここで勉強しといたらええかな』とウソばっか書いてました」、「『よう知らんけど日記』は、日記というタイトルだけども、人に見せるようの〝日記風エッセイ〟です。でも、夏休みの絵日記ほどウソはついていないと思います」とちゃんと書いてある。嘘をつくことが職業の小説家が日常をそのまま綴るわけがないのだ。

書かれていることがすべて事実ではないとしたら、この『よう知らんけど日記』の読みどころはなんだろうか。それは柴崎友香のものの見方だ。柴崎友香はこの日記で「ニュートラルに、フラットに、そのものに接すること」をひたすら追求している。だからこそ、柴崎友香はたいていの人が見落としてしまうことに目を向ける。それゆえに時としてユーモラスな記述が生まれる。

例を挙げよう。「2月☆日」の日記の書き出しは「東京に引っ越して、ゴミ収集車が黙って来るので困る」。「ゴミ収集車が黙って来る」という文章を読んで私は面食らい首を傾げたが、「31年間住んでいた大阪市では、ゴミ収集車は音楽を鳴らして来るのです」と続く文章を読んでようやく納得した。「柴崎友香の小説を読むことは見知らぬ国へ突然放り込まれるような感覚をもたらしてくれる」と既に書いたが、この『よう知らんけど日記』も読者に同じ感覚を呼び起こす。

柴崎友香が生まれ育った大阪から東京へ引っ越してきた異邦人だということもその感覚を喚起する理由の一つだろう。大阪と東京の違いについて柴崎友香は考え続ける。例えば、2012年の4月☆日の日記には「居酒屋で『だし巻き』を頼んでかじったら甘いときに『あ、東京やった……』って思うくらいなんやけど(甘くてもいいから、『だし巻き』じゃなくて『卵焼き』と書いて欲しい)」と書いてある。私は何のことかわからず頭を悩ませた。調べてみると関東と違って、関西の「だし巻き」は甘くないことがわかった。私は東京生まれ東京育ちなので、この文章に出会わなかったら「だし巻き」と「卵焼き」の違いについて一生考えもしなかっただろう。

それだけではない。知的好奇心旺盛な柴崎友香は日常の中でいつも疑問を感じている。「カーキ色」と「えんじ色」の違いについて辞書で調べたり、「読者モデル」に興味が持てない理由について考え込んだり、「手を染める」の用法に疑問を抱いたり、「がっかりした」という言葉が「いやな使い方になっている」ことに考えをめぐらしたりしている。

柴崎友香が影響を受けた批評家の吉田健一はかつて日常の大切さを次のように語った。「生活というものは地味なものであって、一日一日と生きて行くうちに、いつの間にか出来上るものであり、そこに日常生活とか、家庭生活とかいうことの意味もあるので、頭を使っただけでなしに、こうして時間を掛けて堅固に作られたものであるからこそ、我々が我々自身であることにとっての土台にもなる」(『甘酸っぱい味』)。柴崎友香はその土台を見つめ直しているのだ。

『よう知らんけど日記』は昨今、巷に溢れる扇情的で過剰な言葉たちの対極にある。わかりやすい大阪弁で書かれたこの日記は、日常というものが実は不思議だらけだということを教えてくれる。今時、これほど真っ当な日記はないし、柴崎友香ほど真っ当な作家もいない。


柴崎友香『よう知らんけど日記』(京阪神Lマガジン/二〇一三年)

バナー&プロフィールイラスト=岡田成生 http://shigeookada.tumblr.com