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2018.02.11

With or Without Dictionaries
日本語を翻訳する人たち
プロローグ:日本語から、外国語から

With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち / 小磯洋光

日本の文学作品は少しずつ外国語に翻訳されています。しかしその実情は日本国内でそれほど知られていません。そこで本連載では、翻訳家の小磯洋光さんが「日本語を外国語に翻訳する」人たちにお話しを伺い、日本文学が世界に届けられていく一端を紹介していきます。

 

プロローグ:日本語から、外国語から

 

日本の文学作品は、翻訳されることで海外でも読まれるようになる。ノーベル賞受賞なるかと毎年騒がれる村上春樹は、世界で最も有名な日本人作家かもしれないが、その成功も80年代の終わりに『羊をめぐる冒険』が英訳されたことが始まりだろう。海外で読まれている日本人作家は村上春樹に限らない。多和田葉子、水村美苗、桐野夏生、川上弘美、小川洋子、円城塔なども、英訳によって海外で評価されているし、若手作家の作品も次々と翻訳・紹介されている。今年は多和田葉子『献灯使』と村田沙耶香『コンビニ人間』の英訳刊行が控えていて、すでに海外の読書好きのあいだで話題だ。

2002年に文化庁は「現代日本文学翻訳・普及事業」(JLPP)を始めた。外国語(英仏独露)への翻訳を助成し、海外への発信をサポートするプロジェクトだ。順調に進むといいなと思っていたけれど、2012年に「事業仕分け」によって打ち切られることが決まった(ただし翻訳者育成事業を「コンクール」として継続中)。さびしい決定だ。しかし翻訳家など多くの方々の努力によって、今も様々なかたちで日本文学は国外に送り届けられている。たとえば英語圏では、柴田元幸とテッド・グーセンが共同責任編集を務める文芸誌『Monkey Business: New Writing from Japan』が北米を中心に継続的に刊行されている。イギリスでは、歴史ある文芸誌『Granta』で日本文学が特集されたり、Strangers Pressから「Keshiki」という冊子型のユニークな選集が出版された。どちらも評判になり、多くの読者を獲得した。

数年前、モダニズムの詩人左川ちかの詩が英訳されてアメリカで出版された。左川ちかは昭和初期の詩人で、昭和11年(1936年)に24歳で亡くなった。死後何十年と経っても国内の主要な出版社は彼女の詩集を出版していない。いわば彼女は「忘れられていた」。『The Collected Poems of Chika Sagawa』として英語に訳されたことでこの世に蘇ったのだとしたら、とてもいい話だと思う(その英訳にまつわるエピソードは「ニューヨーカー」でも紹介された)。一方、平出隆の『猫の客』は英訳(と仏訳)がベストセラーになった。『猫の客』はすばらしい作品だが、日本よりも海外での方がかなり人気になっているようで、その評価の違いは興味深い。

僕が翻訳に興味を持ったのは大学一年生の頃だ。一人暮らしをしていたアパートのそばに洋書の古本屋があった。店内の棚では哲学や政治や経済のハードカバーが綺麗に並んでいて、入口のワゴンではペーパーバックが200円くらいで売られていた。時々足を運んではワゴンを物色して、日に焼けてパリパリでボロボロのペーパーバックを買って読んでいた。日本語訳を読んで好きになっていた作家を選んでは、その作品の原書と翻訳——たとえば柴田元幸訳の『幽霊たち』とオースターの『New York Trilogy』や、野崎孝訳の『ナイン・ストーリーズ』とサリンジャーの『Nine Stories』——を読み比べながら、「こうやって日本語に変わるものなのか」と翻訳の面白さを味わった。それまでは、「読むもの」としての翻訳に親しんでいただけだったけれど、翻訳という行為というか現象というかについて考えたり、翻訳者というものを意識するようになった。ときどき自分で訳してもみた。

そのうち日本文学の英訳も手にとるようになった。新宿の紀伊國屋書店の洋書セールで夏目漱石や村上春樹や吉本ばななのペーパーバックを見つけたのがきっかけだ。日本語で読んでいた小説を別の言語で読むのは、その作品を別の方向から見てみることだった。北側から眺めていた富士山を今度は南側から眺めるような感じとでも言おうか。その感覚が好きで、今でも日本語で書かれた小説の英訳版をときどき読んでいる。

20代の頃文芸翻訳の仕事がしたかったのだが、どうすれば翻訳家になれるのかよくわからなかった。そういうわけで、文学からも翻訳からも離れた仕事をしていたのだけれど、その仕事をずっと続けていく気にはなれず、半ば途方に暮れながらも少しずつお金を貯めて、30歳を過ぎてからイギリス東部のノリッジにある大学の大学院で文芸翻訳を学んだ。ノリッジはけして大きな町ではないが、作家や詩人や翻訳家が暮らしていたり、文芸フェスがあったり、たくさんのパブで朗読会やワークショップが行われていたりして、とにかく文学の盛んな町だった。

コースメイトはイギリス人3人と、フランス人1人と、メキシコ人1人。日本人の僕を含めた6人で、翻訳理論を学んだりワークショップをした。翻訳を研究するコースだけあって、コースメイトたちにはそれぞれに翻訳すべき言語があった。中国語、ドイツ語とフランス語、スペイン語とフランス語、フランス語、スペイン語。僕は日本語。それらの言語の英訳を事例に議論したりエッセイを書いた。コースメイトたちは日本も日本語のこともあまり知らず、小説の話になっても日本の作家の名前はまず出なかった。後々わかったことだがほかの年にはもう少し日本文学に詳しい学生がいるようだ。

あるとき、4人の先生を含めた文芸翻訳コースの全員で詩の朗読会をすることになった。各自で詩を翻訳して朗読するイベントだ。会場は町中の小さなホールで、ちらほらと一般の人も聴きにきていた。アルゼンチンの詩から、ホロコーストの詩まで、みんなが様々な作品を読む。僕は辻征夫の詩を英語に訳して朗読した。うまい訳ではなかったし、うまい朗読でもなかったが、評判は良く、受け入れてもらえた気がした。いや、そもそも訳の出来不出来は重要ではなかったのかもしれない。その朗読会のおかげで、訳者として観客(読者)に未知の言語の作品を届ける喜びを味わえたのだから。その留学で英訳をしたことで、作品を訳して伝える意義を知り、文学に携わることを許された気持ちになった。だから、現在英語から日本語への翻訳を生業としていても、日本語の作品を英訳することに思い入れがある。

留学中は翻訳家(と翻訳家志望)に会う機会がたびたびあった。留学を終えてからも日本や海外のイベントなどでイギリス人やアメリカ人の翻訳仲間が増えていった。日本語を訳す翻訳家たちと顔を合わせるたびに、今訳している本や、これから訳す本や、いずれ訳したい本の話にもちろんなる。英語の本であれ日本語の本であれ、特定の作品について英語側と日本語側から語り合うのはとても楽しい。普段は部屋にこもって一人で仕事をしているので、そんな訳者たちと話していると励まされるし、勇気付けられる。

日本語の文学を外国語に訳す人たちは日本でそれほど紹介されてこなかった。この連載ではそんな翻訳家たちや周辺の取り組みに注目し、翻訳家を中心にインタビューしていく。日本文学を翻訳するとはいったいどういうことなのだろうか。

 

イラスト 塩川いづみ
http://shiokawaizumi.com/