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2018.03.27

With or Without Dictionaries
日本語を翻訳する人たち
第1回:ポリー・バートンさん

With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち / ポリー・バートン, 小磯洋光

日本の文学作品は少しずつ外国語に翻訳されています。しかしその実情は日本国内でそれほど知られていません。本連載では、翻訳家の小磯洋光さんが「日本語を外国語に翻訳する」人たちにお話しを伺い、日本文学が世界に届けられていく一端を紹介していきます。

 

翻訳家には、大学などに所属しながら翻訳をする人と、どこにも所属せずもっぱら翻訳を生業にしている人がいる。イギリスのブリストルを拠点にしているポリー・バートン(Polly Barton)さんは後者だ。ポリーさんは、柴崎友香、窪美澄、松田青子、山崎ナオコーラ、角田光代、温又柔といった、現代作家の作品を英語に訳してきた翻訳家で、世に送り出した翻訳は高く評価されている。
ポリーさんとは、お互いに無所属で活動している翻訳家ということにくわえ、齢も近いことから親しくなった。翻訳や小説や詩のことを気軽に話せる相手であり、翻訳家友達のひとりだ。今回は、文芸翻訳家になるまでの道のりや、これまでに手がけた翻訳について話を聞いた。

 

翻訳家を目指してコンクールを受ける

 

小磯洋光(以下HK):ポリーさんは大学を卒業してすぐにJETプログラム(語学指導等を行う外国青年招致事業)で日本にきたんですよね。

ポリー・バートン(以下PB):そうです。佐渡にある中学校で一年間英語を教えました。

HK:日本に来ることにしたのはどうしてですか?

PB:10代のころから日本の美術に惹かれていました。たとえば浮世絵とか。大学時代には大江健三郎や村上春樹を読んでいたので、日本には親しみがありました。でも本当のところ、イギリスからというか、自分の知っている場所から離れてみたかったのかも知れません。日本に行くことで自分を変えようとしたというか。

HK:なるほど。

PB:佐渡にきたときは「はじめまして」しか日本語で言えなかったので、生活が大変でした。でも日本語の勉強は好きでしたよ。午前中に覚えたことを午後に使えるという環境もよかったです。私はヴィジュアルに興味があるので漢字の練習が楽しかったですね。漢字がよく夢に出てきましたよ(笑)。

HK:JETプログラムを終えたあとはどうしてたんですか?

PB:半年くらい東京に住んでからイギリスに帰国して、ロンドンの会社で働きました。そこで初めて翻訳をしたんですが、面白かったのでロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)の大学院で翻訳の勉強をすることにしました。必修の授業で一学期に英語から日本語の英日翻訳、二学期に日本語から英語の日英翻訳をやりました。ほかに選択授業で、日本近代文学の講座をとりました。

HK:SOASで修士課程を終えてから、ドイツのフランクフルトに行ったんですよね。

PB:そうです。日系のゲーム会社で翻訳をしていました。そこに勤めているときに、日本のJLPP(現代日本文学の翻訳・普及事業)が翻訳コンクールを始めると聞いて、応募したんです。

HK:コンクールの課題は何でしたか?

PB:私が応募した第一回は課題が選択式で、私は池澤夏樹の短篇小説「都市生活」と安部公房のエッセイ「ヘビについてⅠ・Ⅱ・Ⅲ」を選びました。安部公房は言葉遊びのようなものがたくさんあって、訳すのに苦労しました。

HK:JLPPのホームページでポリーさんの翻訳は絶賛されていますよ。

「中でも最優秀賞のポリー・バートン氏は、英文の文学的クオリティについても、課題図書の読解についても、ほぼそのまま翻訳者として通用し得る高い成果を達成されました。」(JLPPのHPより)

PB:うれしいです! SOASにいたころから、文芸翻訳者になりたいと思っていました。でも、どうすればなれるのかわかりませんでした。先生に聞いても「さあ」という感じで(笑)。なのでコンクールのことを知ったとき、最優秀賞を獲れたら文芸翻訳家になれるかもしれないって思いました。だから頑張れたんだと思います。

 

サマースクールで出会った作家と翻訳仲間

 

HK:2012年の夏に、イースト・アングリア大学の英国文芸翻訳センター(BCLT)の翻訳サマースクールに参加していますね。

PB:はい。そのときに小磯くんと知り合いましたよね。

HK:僕は参加したわけじゃなくて、大学をうろうろしてたんですけどね(笑)。僕はその年の秋から大学院に進みましたが、夏からノリッジに滞在していたんです。では、サマースクールのことを教えてもらえますか?

PB:BCLTのサマースクールは、フランス語とかドイツ語とかスペイン語とか、いくつかの言語ごとに作家を呼んで、その作家の作品を各言語ごとにワークショップ形式で訳していくというプログラムです。ワークショップは著名な翻訳家がリーダーになって進めます。全部で5日間。最終日には5日間の成果を朗読する公開のプレゼンテーションがあります。

HK:楽しそうですね。

PB:日本語のプログラムは2010年から2013年までありました。2010年の作家は多和田葉子さんで、翻訳家は満谷マーガレットさん。2011年は川上未映子さんとマイケル・エメリックさん。私が参加した2012年は古川日出男さんとマイケル・エメリックさん。2013年は松田青子さんとジェフリー・アングルスさんでした。

HK:豪華な顔ぶれですね。

PB:2012年の参加者は12名でした。文芸翻訳家になるにための道筋のようなものを少し知れたので、参加してよかったです。有名な翻訳家のマイケル・エメリックさんや、辛島デイヴィットさんとエルマー・ルークさんという、日本文学の英訳事業に貢献してきた人と知り合えたのもよかったですね。

HK:古川日出男さんはどんな方でした?

PB:素晴らしい方です。穏やかに喋るし、思いやりのある人。私たちはみんなで『馬たちよ、それでも光は無垢で』を訳しました。古川さんが東日本大震災の直後に被災地に行って見たことや考えたことを書いた、力強くて不可思議な作品です。震災の次の年だったこともあって、ワークショップでは古川さんも参加者も、少し異常なくらい気持ちが入っていました。忘れられない体験です。参加できて本当によかったです。

HK:他の参加者はどんな人がいましたか?

PB:現在翻訳家として活躍している米田雅早さん(吉本ばなな『もしもし下北沢』の英訳者)、ジョナサン・ロイド・デイヴィスさん(横山秀夫『64』の英訳者)、モーガン・ジャイルズさん(柳美里『JR上野駅公園口』の英訳者)もいました。私は参加しなかったけど、2013年は、サマースクールの参加者が一人ずつ短篇を訳して『The Book of Tokyo』としてイギリスのComma Pressから出版したみたいです。

HK:ポリーさんが参加した2012年のメンバーは全員翻訳経験者でしたか?

PB:未経験はいませんでした。文芸以外の翻訳を仕事にしている人はいましたよ。サマースクール最終日のプレゼンテーションでは、ステージに全員で並んで朗読しました。

HK:そのプレゼンテーション、見に行きましたよ。古川さんはステージの端で壁に向かって朗読してましたよね。

PB:その古川さんの声と、私たちの声が重なるように朗読しました。さっき、古川さんのことを穏やかな人って言いましたけど、朗読するときはまるで別人です。もう、エネルギーがすごいんですよ。迫力があります。そんなわけで、私たちは不思議なパフォーマンスをしたんです。そのプレゼンテーションのあと屋外でみんなでお酒を飲んでいたときに、小磯くんと会ったんですよね。

HK:そうです。ところで、ワークショップでの翻訳のプロセスを教えてください。今日は何ページやろう、あしたは何ページやろうと決めて、みんなで相談しながら訳していったんですか?

PB:その予定でしたが、初日は1日かけて1センテンスしか訳せませんでした(笑)。

HK:1センテンスだけですか……?

PB:全員が訳文に賛成しないといけなかったんです。だから全然進まなくて。さすがに非効率だということで、2日目からやり方が変わりました。

HK:譲り合わなかったんですね。

PB:でもすごく翻訳の勉強になりました。みんなの意見は参考になりましたね。小説を翻訳するようになって思ったんですが、一応完成させたけどいまいちだなと感じる部分を人に見てもらうと、新しい視点ができます。直してもらうということだけでなく、文章全体を新しい目で見られるようになるというか。

HK:それ、すごくわかります。意見を言われて「うるさいなあ」と思うのは翻訳者にとって損ですよね。

PB:もちろん信用できる人にしか意見を聞きませんけどね。あと、仕上げた翻訳にアドバイスしてくれる人も大事ですが、原文のわからない箇所を聞いたり相談できる人がいるといいですね。

 

短篇、「Keshiki」、『春の庭』

 

HK:BCLTのサマースクールのあとに、また日本に引っ越しましたね。

PB:三重で英語の先生をしていました。そのころ本の翻訳の依頼が来ました。竹沢尚一郎さんの『被災後を生きる – 吉里吉里・大槌・釜石奮闘記』(中央公論新社、2013)という講談社ノンフィクション賞の候補になった本です。すごい本ですよ。本当にみんなに読んでほしいです。それから、大阪に移って、ほとんど翻訳だけやっていました。

大阪でまず角田光代さんの「記憶」と松田青子さんの「みがきをかける」を訳しました。「記憶」はとても視覚的なイメージの残る作品で、クールな感じが好きでしたね。「みがきをかける」は、とてもドライなユーモアがあり、独創的で面白いと思いました。あとは、山崎ナオコーラさんの短篇集『論理と感性は相反しない』を訳しました。ありふれた状況設定なのに、次に何がくるかわかない、予測不可能な会話やストーリーが楽しいなと思いました。『論理と感性は相反しない』は一冊全部訳したんですけど、一冊の本として出版することができなくて、オンラインマガジン(CatapultThe Arkansas International)に一部が載りました。角田光代さんの短篇はWords Without Bordersに、松田青子さんの短篇はGrantaに載りました。

HK:他にはどんな作品を訳しましたか?

PB:有吉佐和子さんの『非色』です。マイケル・エメリックさんからアメリカの大学にいる日本人の研究者の方を紹介されました。ジェンダーと人種について本を書いていた方で、その本に『非色』の一部を英訳して収録したいということで翻訳を依頼されました。著者権の関係で、本としてはまだ出版できていないんですけどね。でもその翻訳でKyoko Selden Memorial Translation Prizeを受賞しました。

HK:2017年には「Keshiki」が出版されましたね。

PB:「Keshiki」は英訳のプロジェクトで、日本の現代作家8人を一人ずつ「冊子」というスタイルで紹介するシリーズです。

HK:そのうちの2人の小説をポリーさんが訳しています。窪美澄さんと山崎ナオコーラさんの作品ですね。

PB:窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』の中から「ミクマリ」を訳しました。それが一冊の冊子になっています。山崎ナオコーラさんの場合は、『論理と感性は相反しない』の3つの短篇(「嘘系図」と「アパートにさわれない」と「プライベートをなくせ」)を訳して、「Friendship for Grown-Ups」と題して一冊にまとめました。「Keshiki」ではほかに、多和田葉子さん、池澤夏樹さん、松田青子さん、小野正嗣さん、平野啓一郎さんの短篇と、吉田恭子さんが英語で書いた短篇もあります。

HK:吉田恭子さんは英語で小説を執筆していますね。

PB:普通こういう企画ではアンソロジーとして本を編むみたいなんですが、「Keshiki」はあえてバラバラの8つの冊子にしたそうです。

HK:2017年は「Keshiki」の他に、柴崎友香さんの『春の庭』の翻訳も出版されましたね。

PB:長篇を訳したのは『春の庭』が初めてです。美化したり省略したりせずに人生を描いているところがいいと思います。何一つ大きな出来事が起こらないのにミステリーを読むときと同じように没入してしまいました。(2017年の初めに)イギリスで「Japan Now」という現代の日本の文学や文化を紹介するイベントがあって、私は「Keshiki」と『春の庭』の翻訳のことを話しました。「Japan Now」では前からお会いしたかった人たちに会えたので、私にとってはとても贅沢な時間になりました。

HK:どんな人がいたんですか?

PB:柴崎友香さん、松田青子さん、小野正嗣さん、川上弘美さん、多和田葉子さん、翻訳家のアルフレッド・バーンバウムさん。あと映画監督の安藤モモ子さん。最初はロンドンの大英図書館でトークセッションがあり、次の日からノリッジやシェフィールドに別れて行きました。

HK:そういうイベントに参加すると、色々な人と知り合えるんですね。8月にはトランスレーター・イン・レジデンスでノリッジに滞在しましたね。そのときはどう過ごしましたか?

PB:『ふがいない僕は空を見た』を訳していました。あと、「Voices from Japan」というポッドキャストを作成して、レジデンシーの主催者であるライターズ・センター・ノリッジのホームページに載せてもらいました。同じ時期に柴田元幸先生ご夫妻もプライベートで滞在されていたので、柴田先生と、ライター・イン・レジデンスで来ていた松田青子さんにインタービューさせてもらい、ポッドキャストとして配信したんです。韓国人作家のハン・ユジュさんも滞在していました。松田青子さんと、ハン・ユジュさんと3人でシェフィールドに行って、2016年にブッカー国際賞を受賞した韓国文学の翻訳家デボラ・スミスさんが主催した「Women in Translation Month」のイベントに参加しました。すごく充実した一ヶ月でしたよ。

 

ぎこちない訳に面白さがある

 

HK:今までに訳すのにすごく苦労したことはありますか? 例えば、『春の庭』の日本的な家の描写とか、骨壷とか。

PB:なぜかわからないけど、骨壷が登場する作品をよく訳します(笑)。日本語で火葬した状態を「骨」っていいますよね。英語だと「ashes」。日本では、炎の加減で骨のかけらが残ることがありますが、イギリスでは完璧な灰の状態だから、その中から骨が見えるというようなことはありません。だから訳すときはいつも苦労します。

HK:イギリスでは、サラサラの灰になるんですか?

PB:そうです。だから、『春の庭』でお父さんの「骨」が、話の内容からして「ashes」じゃないけど、かと言って「bones」でもない場合(「bones」だと読者はゴツゴツした骨を想像してしまう)、「remains」にしました。去年Grantaに窪美澄さんの「インフルエンザの左岸から」が載ったんですが、その作品でも「骨」を訳しました。

ほかには『春の庭』では、日本人ならパッとイメージが浮かぶ「襖」や「障子」のような簡単な単語をどうしたらいいか悩みました。日本語で読んだときのようにイメージをパッと喚起する簡潔な英語に訳すのが理想ですが、説明を加えないといけないことが多いんです。でも説明を入れすぎるとくどくなる。

HK:その加減は難しそうです。

PB:たとえば、ドアに番号じゃなくて干支が書いてあるという箇所。西さんという主人公が「酉」の部屋に住んでいて、「西」という字と「酉」という字が似てるから分りやすいよね、というやりとりがあります。とてもチャーミングです。でもうまく訳さないと意味がわからなくなると思いましたけど、それでも漢字のことを知らない人にはわかりにくいかもしれません。

わたし、西っていうんですけど、一階に『酉』があるでしょう。漢字が似てるから覚えやすいじゃないですか(『春の庭』より)

My surname’s Nishi, and my kanji looks a lot like the kanji for the Rooster. It would have been easy to remember me that way, right? (『Spring Garden』より)

 

あと、窪美澄さんの「ミクマリ」で「水分神社」の読み方についての会話があるんですが、これも悩みました。「水分」についてある程度説明をしないと、わけがわからなくなります。私はこう翻訳しました。

 

ぽかんと口を開けたまま、「水分神社」と書かれたでかい石柱を見上げていると、おふくろは「すいぶん、じゃないよ。みくまり」とだけ言って、石の階段をたったったっと駆け上がっていった。(「ミクマリ」より)

There were four Chinese characters engraved into the stone pillar. I’d only just learned to read them, and it looked like they meant ‘moisture shrine’. “It doesn’t mean ‘moisture’ here,” my mum said. “The shrine is named after the gods who give us water, and that’s just how you write their name. It’s pronounced mikumari. It’s the Mikumari Shrine.”  Then she set off briskly up the flight of stairs, her feet rapping against the stones.(「Mikumari」より)

 

「ミクマリ」がタイトルじゃなかったら、編集者が「そこは削ろう」って言ったかもしれません。

HK:なるほど。

PB:翻訳は読者にとってしっくりくる文章になってないとダメだって思っていました。でも、読者が文章をどう面白がっているかなんて実はわからない、と思うようになりました。例えば、この「水分神社」の部分は英訳ではぎこちないんですけど、「日本語に触れた」と思う読者もいるんです。斬新ですごく面白いものだ、と。文章がしっくりこないのは、未知な世界に触れている証しだというわけです。考えてみれば、自分も読者として同じような経験を何度もしています。

HK:つまり、訳者的にはイマイチかなと思っても、面白いと思われることがあるということですか?

PB:そうです。読者は言葉の情報を味わうので、自然な英語じゃなくても気にしないんじゃないかな、と。ぎこちないからこそ「いい」っていう読者もいると思うんですよ。

HK:ポリーさんは、翻訳するときに作者と連絡を取りましたか?

PB:基本的には取りませんでした。PEN/Heim翻訳助成金をもらって窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』を一冊全篇訳したときは、窪さんに何度か質問しました。とても助かりましたよ。だから、もし作者に質問できるなら聞いた方がいいと思います。

竹沢尚一郎さんの本を訳したときは、連絡を取ったというより大阪でよく会っていましたね。竹沢さんは国立民族学博物館の人類学者で、震災が起こってから一年半くらい岩手県に通い続けて、被災者の声を聞いたり、復興の計画にも関わったりしていた方です。私はそのことをまとめた本の英訳を依頼されました。それで、訳し始める前に「岩手県に一緒に行きましょう」って言われて、竹沢さんと彼の奥さんと一緒に岩手県の被災地をまわったんです。

 

今後翻訳したい小説は?

 

HK:イギリスではどれくらい日本文学が読まれていますか? 本屋さんにはありますよね。

PB:もちろん本屋さんで売っていますよ。ただ、私の印象では、本屋さんの棚に日本文学があるとしたら、その二、三割くらいが村上春樹で、二割くらいが三島由紀夫という感じで、話題になる作家は限られています。だから「Keshiki」のように比較的新しい作家を目立つデザインで紹介する企画はとてもいいと思いました。私の親が若いころ、日本文学ブームがあったみたいです。三島由紀夫とか谷崎とか川端とか、すごく人気だったらしいですよ。

HK:ポリーさんのご両親はおいくつですか?

PB:60代半ばです。私の実家では、三島由紀夫などの英訳が結構置いてあります。イギリスでは桐野夏生も人気ありますよ。『OUT』が特に。芭蕉も有名ですね。俳句は有名で、日本の詩といえば俳句。似たように、日本食といえば寿司とか、日本の現代作家といえば村上春樹とか、日本の〇〇といえば△△みたいに、一つが妙に有名なことが多い気がします。文化にある程度馴染んでないと、そうなってしまうのかもしれませんね。日本に住んでいたころ、「イギリス人といえばフィッシュ・アンド・チップスが好き」みたいに思われて、つらかったことがありました(笑)。そういう訳なので、英語圏の人たちに日本文学の多様性を伝えたいと思っています。

HK:最近は何か訳しましたか?

PB:温又柔さんの「ペーパーガイジン」というエッセイを訳しました。重要なテーマを扱う視点が興味深いし、文章が魅力的だと思いました。翻訳はAsia Literary Reviewに最近載りました。

今は、窪美澄さんの『ふがいない僕は空を見た』の翻訳を出版してくれる出版社を探しています。この本からは生きることへの熱がすごく伝わってきます。生まれてよかったと思えるほど。生き生きとした文体も好きです。どうしても出版したいですね。

HK:今後翻訳したい作品はありますか?

PB:松田青子さんの作品をまた訳したいですね。青子さんの作品はどれを読んでも強く共感します。「日本社会を私と同じ目で見ている人がいるんだ!」って叫びたくなるくらい。「暗さ」と「明るさ」のバランスも絶妙だと思います。

あと、津村記久子さんの小説。『この世にたやすい仕事はない』がとても好きです。仕事をひたすら描写しているような小説ですよね。そんな内容で面白い小説になるのかと読む前は思ったけど、読んでみたらすごく楽しくて、驚きました。小説の枠組みから外れている感じがして、こんなのもあるんだと思いました。

町田康さんの小説、『告白』も訳したいです。町田康さんの文体が好きです。いろいろなスタイルが混ざっているような、ものすごくクリエイティブな書き方ですよね。内容の独創性だけじゃなくて、文の作り方がとてもいいなと思いました。

考えてみると、みんな関西人ですね(笑)。

 

With or Without Dictionaries 日本語を翻訳する人たち
第1回:ポリー・バートンさん 了

イラスト 塩川いづみ
http://shiokawaizumi.com/