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第7回 桜|カメラ|ペンタゴン・ペーパーズ
2018.04.01-04.14

東京狩猟日記 / 千木良悠子

桜|2018.04.01(sun)

の色はピンクというには白すぎて、簡単に美しいと言うには淡すぎるようだから、どうにかして距離を縮めたいとみんなあの色に焦がれて、それで日本の人は、桜が咲くと先を争って宴会をするのかもしれない。散る花びらの中に座る。プラスチックの盃に浮いた花びらの一片に唇を押し当て、滑らかな感触を確かめる。そうやって桜に向かって何らかの身振りを示すことで、桜と関係を結んでしまうのだ。もの言わぬ花が花見の客をどう見ているかは知らないが、人間のほうはひと時の関係の記憶を持つことで、ようやく桜を愛でたという実感を得て、やっと4月からの新しい年度を始める気構えになる。

桜というのが、そのような役割を課された春の装置でなかったら、どんなに天気が良かろうと滅多に公園でピクニックなどしない多忙な東京人たちまでもが躍起になって早朝から場所取りをし、昼日中から飲酒するのか、説明がつかない。毎年この季節になると、上野公園や目黒川や新宿御苑や代々木公園に恐ろしい数の人が詰めかける。もはや東京の人は桜が好きと言うよりも、桜に依存していて花見なしでは春を迎えられない危うい心持ちでいるのかもしれない。

あの一枚ならば淡い色の小さな花びらは、重なるほどに圧倒的な華やかさを帯び、ぱっと散るフィナーレのショーまでおまけで付いて、3月末から4月の始めの1、2週間をお祭りにしてしまう。色は曖昧、咲き方も儚い、あの花がもやもやと煙るように咲き誇っているさまは、人が夢で見る光景に近いのかもしれない。夢を筆頭に実体の掴めないものを人はつい追いたくなるもので、そういう私だって、桜の蕾が日に日に膨らんでいくのを見ると、祭りに乗り遅れる気がしてつい焦り出す。だからつい人前で「花見がしたい」と口を滑らせると、なんとなく話が周囲に広がって、今年は私のうちから歩いて5分の公園で花見をすることになった。

日本を象徴すると言われる桜。夢や霞に似て実体が掴めないのもこの国と同じか。

よく晴れた日曜日、花はすでに盛りが過ぎて葉ばかりだった。正午過ぎに約束の公園に行くと、友人が赤いシートを広げて場所取りをしていた。朝起きて作った花見弁当と前の晩に焼いた菓子を並べて人を待った。最初は集まりが悪かったが、2時3時頃には賑やかになって見知った顔が揃った。ひどく風が強く、しじゅう砂埃が巻き起こり、食べ物も皆の荷物も服も靴も真っ白くなった。むずがゆくなった鼻をかむとティッシュは黒くなった。

幼い頃からよく遊んだ近所の公園の桜並木は、数年前に枝を短く刈り揃えられたせいで、少々みすぼらしい。ずばっと行った枝の切り口に区の職員の手が入ったことが意識させられ、となると花見スペースも行政が区民のために用意したお仕着せの遊び場のように思えてきた。狭い敷地にバーベキューセットやビールサーバーやオーディオセットまで運び込んで、肩のぶつかり合う距離で縮こまってお酒を飲んでいる大人たちが、たった100m先に今もある、私の出身小学校の、教室の机に縛りつけられたクラスメイトとだぶって見えた。

私は東京の新宿区矢来町で生まれて、5歳で京都の伏見桃山に移り、10歳のときにこの世田谷区の公園の近くに戻ってきた。唯一の故郷とも言える東京が好きで、桜も好きと言えるけれど、私が想う東京や桜は、どうも今ここのものとは距離を隔てて在るようだ。記憶や、歌の中に在るのかもしれない。もし海外の人に桜の素晴らしさを教えてと言われたら、和歌の中の桜を語るだろう。「花のいろはうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに」だとか「久かたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」だとか、有名すぎる歌に詠まれて漢字一文字となった花、を紹介するだろう。色は曖昧で咲き方も儚く、捕らえようとすると逃れて、手の中に残ったのはたった七画の文字ばかり。だから記憶を総動員してどう美しかったか尾鰭をつけて描写する。私のその身振りによって桜はますます美しさを増して届かなくなってしまう。

その日、私は桜をちっとも見なかった。ただ酒の入ったコップを握って少し肌寒い風に頬を晒し、日が暮れるまでじっとしていた。桜の下にいるという事実だけで安心して。

辺りが暗くなってだいぶ経ってから、私たちは花見の塵を片付けて駅前の居酒屋に移動し、ワインを飲んだ。けっきょく外ではなく屋根のある店のほうが落ち着いて話ができた。

歌や思い出の中の桜が、東京が、日本が好きだ。実物ももっと上手に愛せると良いのにと思う。まだ傍にあるうちに。

 

カメラ|2018.04.02-04.08

に一眼レフカメラが欲しくなった。きっかけは、地下鉄のホームでカメラを肩から下げた女性が目に留まったこと。本体よりもむしろ茶色い本革のケースが洒落て見えた。そういえば、高校生の時カメラが欲しかったと思い出した。機械は苦手だから始める前に諦めたけれど今なら使いこなせるかもしれない。地下鉄を降りたところにある本屋に立ち寄ると初心者用のカメラの教則本が平積みされているのを発見した。手に取ったらもうその気になっていた。それから3日ぐらいネットでカメラのことばかり検索していた。最新機種の値段を調べ、ヨドバシカメラとビックカメラにも行き、店員にお勧めを聞いたりもした。周りの人に「カメラが欲しくなった」と言いまくっていたら、なんと知人の飯島洋一さんが花見の日にお古を譲ってくれた。これはいわゆる引き寄せの法則? ——いや、追い剥ぎか強盗の類いだろう。「じつはメカマニアで使わないのをたくさん持ってて」「(間髪入れず)一台ください!」、間合いと押しの強さが我ながら効いた。飯島さんは「プレゼントですよ」と笑っていたけども。

もとにやって来たのは古い型のパナソニックのミラーレス一眼とレンズ3台。その日から本体ケース、カメラバッグ、保存用ボックス、レンズフィルターとひとつずつ買い集めていくのがやたらと楽しかった。家電量販店の販売員は辻説法師のように惜しまず知識を与えてくれる。今どき、学者や研究者や宗教家ですらもっと出し惜しみながら教えるだろうに、知は愛であり分け与えることによって無限になるという、ソクラテスやイエス・キリストと近しい思想信条を持って職務に当たっているのが、ヨドバシカメラやビックカメラの店員であることは間違いない。最新のオリンパスカメラの手振れ補正機能の素晴らしさを説きながら、タッチパネルを幾度も指先で叩くことで高速でシャッターを切り続けるヨドバシカメラの女性販売員は凛として美しかった。あの人は休日も写真を撮るのだろうか。それとも販売のための知識を持っているだけ? どういう人生を送っているのだろう。市井の人の聖性に触れることができたのは、カメラを欲しいと思ったおかげ。服や化粧品なんか探して買うより私の場合はずっと精神衛生上良いみたいだ。

4/2(月) 日本橋のCOREDO室町2に新しくできた、能を観ながら食事ができるというレストランに行った。能の研究をしている原瑠璃彦さんが経営を手伝ってるそうで誘ってくれた。抹茶や干菓子やお饅頭のアフタヌーンティをいただきながら「福の神」という狂言を観た。福の神様が人間に酒を催促に来るという春っぽい目出たい演目だった。しかしここはどこだろう、バーカウンターなどもありながら、きちんと松の描かれた能舞台も設えられた不思議な内装のお店にこれからどんな人が集まるというのだろう。日本橋の再開発が進んでいること自体知らなかった。新しい高層ビルやショッピングモールよりも低い建物の間から覗く海や川が恋しい。

 

 

4/3(火) 渋谷円山町のロフト9で行われた、末井昭さん、神蔵美子さん、岡映里さん、高橋源一郎さんのトークイベントを聴きに行った。最近映画制作に邁進しているという神蔵さんの新作短編映画『ガールズトーク』を楽しみにして行ったのだが、予想を超えた傑作だった。本筋と全然関係ない、若い男の子がドラムを叩いているカットが挿入されたとき、画面がとつぜん横長ワイドになったような衝撃があった。たぶん作り手の世界観の広さと、観客が予測してきた作品のスケールとのギャップがあまりに大きいからそんな面白い瞬間が生まれたのだろう。この世の全ての映画がこのくらいスケールが大きく予測不能なら楽しいのにとウキウキした。

4/7(日) 青山ブックセンター本店で行われたトークイベントに行った。岡崎京子さんの漫画『リバーズ・エッジ』についての論考、感想、作文、覚書を何十人もが寄せた書籍『エッジ・オブ・リバーズ・エッジ』(新曜社)の出版記念イベントで、私もその本に短いエッセイを書いたのだ。イベントに出演されていたのは西島大介さん、大島智子さん、長島有里枝さんの3人で、本の編集者である清水檀さんが司会をされていた。長島有里枝さんが回想する90年代の話がすごく興味深かった。『リバーズ・エッジ』が発表された当時、私は東京に住む高校生だったが、その頃の街の記憶は特に強烈だ。まだインターネットは身近ではなく、岡崎京子さんの漫画の掲載されていたようなファッション雑誌の世界に憧れて、放課後には友人たちと渋谷や裏原宿を散歩して過ごした。ただキョロキョロしながら洋服屋など見て歩くだけでめぼしい事件は何も起きなかったけれど、私の想う東京はあの時代に置き去りのままなのかもしれない。

途中、岡崎さんの漫画に登場する男性像の話題になったとき、急に清水さんに「千木良さんいますか!」と呼び出された。私が書いたエッセイが、ちょうどそんな内容だったのだ。緊張したが一気に話した。『リバーズ・エッジ』に登場する観音崎峠くんが、大島弓子の少女漫画のもう一つの金字塔、『バナナブレッドのプディング』に出てくる御茶屋峠さんの90年代版進化系であるということ。90年代初頭にはオタクがまだ市民権を得ておらず、クラスの人気者と言えば必ずスポーツマンであったこと。1989年には宮崎勤事件だってあった。当時、岡崎京子さんはオタクを果たしてどう捉えていたか、etc……。80年代や90年代のこと、皆どれほど覚えているのだろうか。私はやたらと覚えているけれど、それは社会に出る前に本や漫画でたっぷり知識を得ていたせいであって、憧れや妄想の混じった半分嘘の記憶なのかもしれない。トーク終了後、打ち上げにも参加した。(レストランの長テーブルで祖父江慎さんと貴族の母娘ごっこをしたのがとても楽しかった。私がお母ァ様の役。)

 

ペンタゴン・ペーパーズ|2018.04.09-04.14

ピルバーグ監督の『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を観に行った。アメリカがひたすら羨ましくなった。予算をたっぷりかけて、こんな地味な、しかし素晴らしく面白い上にさらに社会批評精神に富んだ傑作を、存命するうちで世界で最も有名な監督の一人が撮るだなんて。まるで小劇場でかかっている室内劇のような映画だった。映画なのに、トム・ハンクスとメリル・ストリープの演技合戦を生で観ているような臨場感があった。2人とも大仰なスター芝居で、演劇ならばいざ知らず、映画だったら噛み合わなすぎて破綻するんじゃないかと思いきや、平気で成立してしまっていた。たぶん破綻はないわけじゃなくて、全てを手品みたいに見事な力技でまとめあげたから観客の目に止まらなかったのではないか。室内劇のようと言っても、決してウェルメイドな映画ではなく、もっと若い破れかぶれのエネルギーに満ちているように思った。

告白すれば私はこのところTwitterばかり見ているのだが、何を気にしているかというと、森友学園加計学園のニュースである。まさか公文書改竄なんていう事件が起こるとは思わなかった。3月の末に佐川元国税庁長官の証人喚問があって、それからも毎日のように何らかの証拠や文書が出てくる。白昼堂々、民主主義国家の破壊が為されている、という声も囁かれる。テレビをあまり見ないので、そちらでどういう報道がなされているかは知らないが、一体どれほどの人が危機感を持ってこのニュースに当たっているのか。これが判然としない。ネットのおかげで世間の声がダイレクトに耳に届くようになった気がしていたが、それは間違いで、じつはネットユーザーとテレビの視聴者と友人知人の輪と実社会、全部がばらばらに解けて、別の集団に属する人の声が聞こえづらくなっただけなのかもしれない。

『ペンタゴン・ペーパーズ』の登場人物たちはみんな社会的地位に関わらず、小さくて弱い個人として描かれている。だが彼らは心のどこかで常に自由と独立を夢みており、ひとたび決意すると連帯して強大な力を発揮する。ラスト近くの巨大な新聞印刷の輪転機がまわる映像、あの『市民ケーン』(1941)を連想させるシーンは、ライフルに銃弾が装填され、送り出される様にとても似ている。アメリカは建国の際に共有された「自由と独立を愛する人々の新しい国」という物語をまだ背負っており、『ペンタゴン・ペーパーズ』は、あの手垢のついた古い物語、21世紀になってもこんなにも有効なのか!? まじか! と私たちを愕然とさせてしまう。

きっと日本にも長らく共有されてきた物語があるはずだ。どこにあるだろう、「冠位十二階」が定められて以来、1500年かけて我々の身体に染み着いてしまった官僚制度の中だろうか。タレントのゴシップの中だろうか。それが見つかったとき、この延々と濃霧を割って進むような道行きから、少し見晴らしの良い場所に出られるのではないか。半分引き笑いで国会答弁など見ていたが、いい加減この状態が続くのにはほとほと疲れた。

 

<編集Tの気になる狩場>
今回より少しだけスタイルを一新した「東京狩猟日記」、千木良さんはこれから東京でどのように「狩り」を続けていくのでしょうか? 狩猟のお供「編集T」から千木良さんへとお伝えしている「気になる狩場」情報を、読者の皆様にもご紹介します。ぜひ皆様もご自身の「狩猟」へと出かけてみてください。

【映画】
1968年ーー転換のとき:抵抗のアクチュアリティについて
映画上映+フィルム・パフォーマンス
昨日からの別れ:日本&ドイツ映画の転換期
2018年5月28日(月)〜6月15日(金) 会場:ドイツ文化センター
https://www.goethe.de/ins/jp/ja/kul/sup/zei/kal.cfm

『女優芹明香伝説』出版記念 叛逆の女神〈ミューズ〉 芹明香パラダイス
2018年5月24日(木)~5月31日(木) 会場:新文芸坐
http://www.shin-bungeiza.com/pdf/20180524.pdf

七〇年代の憂鬱 退廃と情熱の映画史
2018年6月9日(土)~7月6日(金) 会場:神保町シアター
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/70s.html

*封切作品
公開中
『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』ショーン・ベイカー監督 http://floridaproject.net/
『モリーズ・ゲーム』アーロン・ソーキン監督 http://mollysgame.jp/index.php
5/25公開
『ファントム・スレッド』ポール・トーマス・アンダーソン監督 http://www.phantomthread.jp/
『犬が島』ウェス・アンダーソン監督 http://www.foxmovies-jp.com/inugashima/
5/26公開
『ルイ14世の死』アルベール・セラ監督 http://www.moviola.jp/louis14/
6/1公開
『レディ・バード』グレタ・ガーウィグ監督 http://ladybird-movie.jp/

【美術等展示】
五木田智央 PEEKABOO
2018年4月14日(土)~6月24日(日) 会場:東京オペラシティ アートギャラリー
http://www.operacity.jp/ag/exh208/

写真都市展 ―ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち―
2018年2月23日(金)~6月10日(日) 会場:21_21 DESIGN SIGHT
http://www.2121designsight.jp/program/new_planet_photo_city/

アール・デコ・リヴァイヴァル!鹿島茂コレクション フランス絵本の世界
2018年3月21日(水)~6月12日(火) 会場:東京都庭園美術館
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/180321-0612_frenchpicturebooks.html