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第8回 宮古島|手を繋ぐ
2018.04.12-04.29

東京狩猟日記 / 千木良悠子

宮古島|2018.04.12-04.20

4/12(木)
縄県の宮古島に行く。もともと宮古在住の友人がいたために昨年の冬に初めて旅をして、その時に、平良港の近くで食堂を営んでいるミユキねえねという女性と仲良くなった。「ねえね」というのは、宮古の人が年上の女性を呼ぶときの言い方。優しいニュアンスがあって好きな言葉だ。ねえねは、私が東京に帰ってからもよくLINEでメッセージをくれる。「次はいつ来るの?」と言ってくれる回数がだんだん増えてきたから、思い切って10日間ぐらい休みを取ってまた遊びに行った。

沖縄本島よりさらに遠い宮古島だが、羽田からの直行便に乗れば3、4時間で着いてしまう。宮古空港のゲートを出ると、友人の夫が約束通り車で迎えに来てくれていた。蒸し暑い外気に包まれて、やっと宮古島の気候を思い出した。いつもどんな服を持って行くべきか散々悩むのだ。東京の4月にない湿気が肌にまとわりつく感覚を忘れる。私は東京出身で、南国の気候に慣れているわけでもないのに、なぜかその湿度が懐かしくて安らぐ。

空港からミユキねえねのいるミナト食堂へは車で20分。再会を喜び合うも束の間、なんと数日前に酔っ払って転んで肋骨を折ってしまったというミユキねえね、まだずいぶん痛むらしく、友人総出で明日の仕事の準備を手伝ってあげることになった。ねえねは、島のハーブや野菜や花を使ったお弁当のケータリングの仕事をしていて、明日は九州から結婚式を挙げに島に来ているお客から、オードブルの注文が入っていると言う。

友人夫婦の運転する車に乗って、料理に使う島の野草を採りに行った。オレンジ色の鮮やかなナスタチウムの花、海辺の岩に生える少し塩っぱい味のミルスベリヒユの葉、スパイシーな香りのハマゴウ。どれも食べられるのだ。大型スーパーに寄って肉や魚の買物も済ませ、食堂に戻ったら、ねえねが麩ちゃぷるーや焼豚や素麺の夕食を作って出してくれた。泡盛を飲みながらそれを食べて12時頃に眠った。

4/13(金)
早朝に起床して、大雨の中、車で畑に行った。人参、パクチーの花、ホーリーバジル、ローズマリー等、オードブルに使う野菜を採る。生まれて初めて土に埋まっている人参を引っこ抜いた。全然抜けなくてどうしようかと思った。コロッケを丸めたり野菜をみじん切りしたりして、料理を手伝う。
10品ぐらいのオードブルが完成し、早めにできた! と喜んでいたら電話がかかってきた。ミユキねえね、14時半の約束を4時半と間違えて準備していたらしい。とっくに二次会が始まっていますよと言われ、泡を食って車で結婚式会場のビーチハウスへ。料理を見て、招待客は「きれい〜」と喜んでいたが、花嫁花婿は若干青ざめていた。平謝りして値下げして受け取ってもらった。

聞けば、インスタグラム経由で注文をもらった一見のお客だったようだが、ねえねはスマホの操作が得意なわけではないし、打ち合わせがちゃんとできていなかったらしい。「料金は下がったが、良い料理が作れたから満足だ」と言うねえねに、「結婚式で時間を間違えたらダメだよ。対策立てなきゃ」と諭す私。しかし、地元民で料理の助っ人に来てくれたヒサちゃんは、「仕方ないっさね〜」とニコニコしている。「内地(ないち)ゃー」で東京もんの自分、度量が狭いのかもしれない。ちなみに、ないちゃーとは日本本土の人間という意味。沖縄弁らしいが、宮古では沖縄の人も「本島の人」と呼んでいて、全然違う場所という意識のようだ。

食堂に戻って泡盛を飲んでいたら、友人の中村夫妻がやって来た。オードブル遅刻事件を話したら大笑いになったが、今後の対策を立てようということになり、手書きの予約票を作って、コピーして使ってもらうことにした。時間や人数や受け渡し場所といった項目に記入して、冷蔵庫にマグネットで貼っておけば、予約の内容を間違えないだろう。

夜が更けるに従って、じょじょにねえねの友達が食堂に集まってきた。現在、食堂はレストランとしては営業していないのだが、約束するでもなく、近所に住む人たちがひょっこり顔を出して泡盛を飲んで帰って行く。サーフィンの達人である「タッちゃん」は、風が吹くだけでどちらが北の方角か分かるそうだ。寒冷前線が来るので、明日からは少し寒くなると言う。冷たい空気と暖かい空気がぶつかるときには雲を見てもうそれと分かるらしい。タッちゃんが自分のスマホで撮ったという雲の写真を見せてくれた。空の低いところに灰色の分厚い雲が押し寄せてきている。いかにも「ぶつかっている!」という写真。実際、翌日からは気温が下がり、南国にいるのにセーターが必要なほどだった。この夜、足を出してお酒を飲んでいたら滅茶苦茶に蚊に刺され、翌日十ヶ所ぐらい腫れ上がってしまった。足が痒いと宮古島の人たちに訴えると、何度も島に来ていると、そのうちなぜか刺されなくなるし、刺されても腫れなくなるのだ、と皆口々に言っていた。不思議だ。

4/14(土)
前日に「海に行きたい」と口走ったら、誰かがいつのまにか電話をして、「パンプキンホールツアー」を予約してくれた。パンプキンホールが何なのかもよく知らずに、朝早く迎えに来てくれたツアーガイドの鈴木ヨッシーさんの車に乗った。

パンプキンホールというのはかぼちゃの形をした鍾乳洞で、最近人気の観光スポットらしかった。他の観光客2人と合流し、言われるがままにウェットスーツを着て、海の中を歩いて鍾乳洞の入口まで行く。地元の人の聖地でもあるそうで、洞窟に入る前にお祈りをしろと言われたのでその通りにした。

海を泳いで洞窟に入ると、かぼちゃ型の巨大な岩が目の前にそびえていた。黄と紫の斑色をした岩から、滝のように水が流れ落ちてくる。鈴木さんが岩の窪みを掴んで登ってこいと言う。無理だろうと思ったが、すごい力で腕を引っ張り上げられて岩の上に立つことができた。渡されたライトで照らすと鍾乳洞は広かった。水が溜まった階段状の岩を注意深く上って、ときどき肩まで水に浸かりながら歩き回った。洞窟のいちばん奥まったところは御嶽(うたき)という神様のいる場所だそうで、一般の人は入ることが禁じられていると言う。入口の巨大な岩の上から思い切って海に飛び込んで、鍾乳洞から泳ぎ出た。

雲間から太陽が顔を出していた。波に光が反射する中をマリンブーツで歩いて行くと、そこかしこに色のついた珊瑚が見える。あれは島珊瑚、花野菜珊瑚、枝珊瑚、とヨッシーさんが名前を教えてくれる。「御嶽の中の鍾乳石、お地蔵さんみたいな形だったね」と言ったら、寡黙で日に焼けた、いかにも海の男という風情のヨッシーさんが少し饒舌になって、「一年のうちの決まった日に儀式をするらしい。洞窟に無数の蝋燭が立っている中で、下着姿のおじいとおばあが祈っているのを見たことがあるよ」と教えてくれた。

正午過ぎにミナト食堂に戻り、シャワーを浴びてからねえねに近所の福木カフェまで車で送ってもらってマッサージを受けた。宮古島に遊びに行くきっかけになった、島在住のトンチという友人のミュージシャン(トモカという名前なので、トンチというあだ名)が、プロのマッサージ師でもあって、今回福木カフェで人数限定で仕事するというので予約していた。カフェでねえねとカレーを食べていると、トンチがやってきて、カフェの裏にある部屋に連れて行かれて寝かされた。彼女は数年前より腕をあげていて、私の身体にちょっと触ると、「胃腸が弱っとるね」とか言ってマッサージを始めた。瞬く間に寝てしまう私。「首の後ろ触るとみんなすぐ寝るねん」とトンチ(もともと関西人)は後で言っていた。

マッサージが終わって目が醒めると、なんだか体調がぐっと良くなった気が。夜は、ミナト食堂で、ツアーガイドの鈴木ヨッシーさんのご家族と犬のジョーも招いて、ホットプレートのバーベキューをした。私はお酒を飲むと最近胃が痛くなるので控えていたのだけれど、マッサージのお蔭なのか胃腸がすっきり快適で、調子に乗って、泡盛をすごく飲んだ。

宮古島には「オトーリ」という回し飲みの風習がある。宴会があると、主催の人や年長者が「親」になり、挨拶の口上を述べた後に、泡盛の水割りを杯に注いで飲み干し、隣の人に回す。隣の人は親から泡盛を注いでもらい、口上を述べてまた杯を飲み干す。その調子で、場にいる全員が杯を回す。延々と何周も続く。口上は基本的に、集まった人々の士気が上がるようなポジティブなことを言うのがポイントらしい。

鈴木さんや中村さんは内地出身だが、宮古島に居を定めると決め、地元の人と接する中で、様々な発見を重ねていた。鈴木さんも中村さんも、近所中のご老人のサトウキビ畑の収穫を手伝って(手伝わされて)、腱鞘炎になったりしたらしい。「運動神経には自信があったのに、腰の曲がったお婆にキビ刈りのスピードも精度も全く敵わず、ショックを受けた」などと言う。オトーリは主に、島の年配の男性が集まったときに催されるらしく、鈴木さんや中村さんは何度かそこに呼ばれて付き合わされたことがあるらしいのだが、彼らのやる「見よう見まねのオトーリ」は、地元のおじいたちの細やかな観察に基づいた妙に温かいモノマネだった。私も彼らの口上を見て「オトーリのモノマネのモノマネ」で喋ったら、それで「面白い人」認定を受け、一緒に飲んでいた人々と一気に距離が縮まった。オトーリってすごいね。

4/15(日)
宮古島随一の繁華街、平良の街にあるウエスヤというカフェで仕事の原稿を書く。最近、文章を書く速度が遅くて、全然進まない。炙りソーキそばを食べた。

午後、ミユキねえねの車で「宮古島温泉」という銭湯に連れて行ってもらった。寒くて雨が降っていた。帰宅してから、ミユキねえねの家の階段と風呂場の大掃除をする。

夕方、「ひららや」というゲストハウスのオーナーである、ヒロさんの家へ。この日はボクサーである比嘉大吾の世界王座防衛戦があって、TVで観戦するために五六人が集まっていた。比嘉大吾は宮古工業高校の出身だそうで、宮古島では前々からパブリックビューイングが準備されたりとお祭り騒ぎだったが、前日に減量に失敗したというニュースが流れ、また大きな話題になっていた。(会う人会う人、「ヒガダイゴ」と口走っているので、最初なんのことかと思った。)私と友人夫婦の三人は、この夜はフィッシュ・タベルナ・サンボという魚料理のレストランに行く予定だったので、少し缶ビールとおつまみをいただいてから、試合は見ずに失礼した。

レストランでは、島で獲れた白身魚のカルパッチョや自然派ワインなどお洒落なディナーを食べたが、バランスを取ろうとしたのか、なぜか中学のとき好きだった恥ずかしいバンドの話とかでずっと盛り上がってしまった。

4/16日(月)
早朝からミユキねえねのオードブル作りの手伝い。

宮古島の西に位置する伊良部島は2015年に伊良部大橋が開通してアクセスが良くなった影響で、ホテルやゲストハウスなどの建設ラッシュが続いている。島の人の間では賛否両論だが、この日はそんな伊良部島の建設現場から、お昼ご飯の注文があった。今度はちゃんと時間通りに(と言っても10分くらい遅刻して)現場まで持って行く。地元のママ友の集まりと聞いていたので野草と花をあしらって華やかな盛りつけにしたのに、作業服を着た中年男性が受け取りに現れて驚く。よく考えたら建設現場でお昼をするママ友っていうのも変だから、ねえねの聞き間違えなのかもしれない。しかし、この日の華やかオードブルは建設現場の男性たちに非常に評判が良かったらしく、ねえねも大喜びだった。
「島の駅みやこ」というショッピングセンターでソーキそばのお昼を食べ、ミナト食堂に戻る。天気が悪い間、ずっとコツコツ大掃除していたので、家の中にはゴミが大量にあった。宮古クリーンセンターという巨大なゴミ処理場へ行き、70Kgもゴミを捨てる。

その後は保良という内陸の集落にあるトンチの家に泊まりに行ったのだが、なんと運転している途中にミユキねえねの車がパンクした。前日に駐車場の車止めに乗り上げてタイヤが傷ついていたらしい。通りがかったダスキンの車に助けを求めたら、「城辺(ぐすくべ)オートサービス」の自動車整備士の人を連れてきてくれた。あっと言う間にパンクしたタイヤを付け替えてくれて、「タダでええよ」と言うから驚いた。

中村夫妻の家に荷物を置いてから、その近所のゲストハウスをやっているご家族のお招きを受けて、鍋や燻製料理の夕食をいただく。家の子どもたちと「ナンジャモンジャ」という名前のカードゲームをした。カードに描かれた怪獣の絵に名前をつけて、それを覚えるという趣旨のゲームだった。夜中に、保良の集落を歩いてトンチの家まで帰ったが、道に街灯がなく真っ暗で、数メートル先も見えないぐらいだった。

4/17(火)
少し遅く起床。塩フォカッチャに手作りのツナを挟んだサンドイッチを朝ご飯にいただく。トンチの旦那さんが仕事のために先に東京に帰るというので空港まで見送りにいく。そのまま平良の「てぃん」という洋食屋に行ってビフカツを食べた。

仕事をしたかったので、「ブレス」という大きなカフェまで車で送ってもらって数時間原稿を書く。夕方にもう閉店だと言うので、歩いてミナト食堂に戻る。数日間雨が続いていたが、やっと少し晴れてきた。歩いて近くのパイナガマというビーチまで歩いて行き、ジーンズの裾をめくって波に足を浸した。西日が顔を出すと雲間から光が矢のように放たれる。波が黄色や紫に輝く。去年の冬から数えて三回も宮古島に来たのは、やっぱりこの海と空の景色を見たかったからだと思った。翌日からは天気が良くなると聞いていたので、トンチたちと泳ぎに行く約束をしていた。

夜はミユキねえねと平良の街に出て、「ピサラ」というバーで泡盛を飲んだ。ここは古いビルの二階にあるのだが、建物がずいぶん重厚で、テラス席から見上げると屋根はなく梁だけがあって月が照っていたりして、イタリアのローマにいるみたいだ。店を出て歩いていたら、スナックのたくさん入った雑居ビルの前に背広のサラリーマンが倒れていた。「大丈夫ですか」と起こしたら、「まだ飲めるよ。一緒に飲む?」と言われたが、ふらついて全然立てない。心配する私たちを後目に、彼は軟体動物のように歩きながら、スナックビルに吸い込まれていった。「あれは観光客だね」と、ねえね。あんな酔ってる人初めて見た。

4/18日(水)
昼ごろ、トンチが車で迎えに来てくれる。近くでもう一人同行者のミホちゃんを拾い、「あたらす市場」というスーパーでお弁当を買って、宮古島の北側にある小さな島、池間島まで橋を渡って行く。

フナクスというビーチでシュノーケリングをした。その日は新月で、「大潮」、つまり潮の干満の差が月間で最も大きい日だそうで、その時間はずいぶんと引き潮だった。浅い海に体を浸して這うようにして進む。まだ冷たい水に思い切って顔をつけると、珊瑚礁の間で遊ぶ鮮やかな熱帯魚たちがすぐ目の前にいる。あー、これだこれだ、と嬉しくなったが、昨日まで雨続きで気温が相当低かったものだから、海は冷たいし流れも速い。私はまだシュノーケリング初心者なので少し怖い。体冷えちゃうねと言い合って、早めに砂浜に上がった。

帰り道に、宮古島名物の「雪塩」という粒の細かいサラサラの塩の販売店で、ソフトクリームやお土産を買った。珊瑚の死骸がたくさん落ちている浜辺にも連れていってもらった。巨大な岩のトンネルを抜けると、誰もいない浜辺があってよく見ると足下がすべて珊瑚や貝殻なのだった。「珊瑚は箸置きに、貝殻は石鹸入れにしたらええねん」というアドバイスに従って、それらしい形状のものを探していたらあっと言う間に日が暮れてきた。夕食は、トンチたちと平良の洋食屋てぃんでハンバーグを食べた。

4/19日(木)
池間島の北側の海に、八重干瀬(やびじ)という大きな珊瑚礁群がある。船でしか行けない。幸運なことに、やっと晴れたこの日、トンチの友人のリュウちゃんというツアーガイドが、八重干瀬ツアーを催行するそうで一緒に船に乗せてもらえた。
伊良部島の佐良浜漁港から小さい船で数時間もかけて八重干瀬まで行く。船がスピードを上げると体中に水飛沫がかかる。晴れているけどやっぱり寒い。リュウちゃんのその日のお客さんとして、同じ船に四人の若者が乗っていたのだが、その中に寒冷アレルギーといって、皮膚が冷やされると蕁麻疹が出て、時には失神までしてしまうという珍しい持病の女の子がいた。リュウちゃんは彼女のために上着やペットボトル何本ものお湯を用意して懸命にケアをしていた。

池間大橋の下あたりの海は、水深が浅いので底の白砂が透けて目が覚めるような鮮やかな水色をしている。海が水色の部分は浅く、青が濃くなると深い、ということも当たり前かもしれないが、宮古島に来て初めて知った。冷たい水色の海で少し泳いでから、寒さに震えながらまた船に乗り、やっと八重干瀬に着いてシュノーケリングをした。リュウちゃん以外にもガイドが三人いて、彼女らの後に付いて珊瑚礁の海を泳いだ。私はシュノーケルの道具を使うのがまだヘタですぐに眼鏡に水が入ってくる。深く海底に潜ろうとしても浮いてしまう。海の水は本当に冷たい。それでも超楽しい。

去年ほとんどシュノーケリングが初めてだった時に、私はミユキねえねの友人に連れていってもらって八重干瀬で泳いだ。それはたぶんものすごくラッキーで、ここは珊瑚礁の海としては世界トップレベルに美しい特別な場所、らしい。人の住む場所から遠く離れた、海の生き物たちの住居である珊瑚礁群。それを少し覗かせてもらう。言ってみれば、お宅訪問的なことだろうか、シュノーケリングって。

数回海に潜って、また寒さに震えながら帰路に着く。帰りに有名な「青の洞窟」にも寄った。出発した港の近くの、伊良部島の海岸が洞窟のようになっていて、夜は鮫の寝床と言われるらしいのだが、洞窟に泳ぎ入って海の中から入口を振り返ると、眩いほど青く光って見えるのだ。

港に帰り着いたらもう午後3時頃だった。まだ営業していた伊良部島のお店でお好み焼きを食べ、トンチの友人のやっているゲストハウスに買物に寄った。途中、伊良部大橋で写真を撮った。風が強くて吹き飛ばされそうだった。

夜はトンチの友人の山本さんの家で夕食をご馳走になった。そのお家は、ミナト食堂から車で少し行った場所にあったが、外でミユキねえねと煙草を吸っているときに、ねえねがしてくれた話が面白かった。「小学校のとき、学校を脱走して、サトウキビ畑を抜けてこの辺りまで走ってきた。昔は、この辺には何もなくて野と畑ばかりだった。でも畑の脇にグラジオラスだとか、今は少なくなった植物が群れになって生えていた。今も良いけど、あの頃の宮古島をちぎちゃんに見せたい」。

お酒を飲んでしまったので、電話でタクシーの「代行」を呼んで、ねえねの車を運転してもらって食堂に帰った。宮古島の人はよく代行を利用する。タクシー会社の若者は、ねえねの友達のようで「チャーリー」と呼ばれていた。「ちぎちゃんが今回会った中で、もともと宮古の人なのは、4人だけだね。ミユキと、パン屋の「空猫」のおばさんと、鈴木ヨッシーの奥さんと、チャーリー」。そのことが何を意味するのか、私にはよく分からない。でも、ねえねにとっては大きな意味があるらしい。「一人がチャーリーってのがウケる」と、けらけら笑っていた。

4/20日(金)
宮古島から帰る日。起きて朝ご飯を食べた後、ミナト食堂の裏にある「張水御嶽」で少し写真を撮る。そこは昔、平良港を利用する船乗りたちが、海の安全を祈願したという御嶽で、宮古島に来たらとりあえず張水御嶽に「よろしく」と挨拶するんだと、前にねえねか誰かに言われた。猫たちがのんびりご飯を食べていて、写真を撮っていたら寄ってきて離れなくなった。ねえね曰く、観光客が餌をやることが多いから人懐っこいらしい。

あたらす市場で、パッションフルーツやアーサや海ぶどうをお土産に買う。ねえねと少し宮古島をドライブした。ねえねは、車道脇の茂みに生えていた見事な緑のパパイヤの実を目敏く見つけて密猟、「ここをパパイヤストリートと名付けよう」と命名までしていた。

飛行機に乗る前に平良の「和毛(にこげ)」というお洒落な雑貨屋でなんと「手相」の予約をしていた。数日前にこの店に来たとき、全国行脚しているすご腕の占い師がやって来る、と店の人に言われ、「ちぎちゃんも受けたらええやないか」「そうですよ、タイミング、タイミング」とかいう言葉に乗って、ノリで予約したのだが、私はビビっていた。手の皺なんかで未来が分かるわけがないじゃん!——と口では言いつつも、人一倍暗示にかかりやすい性格で、占いの類いはすぐ本気にしてしまうので危険なのだ。恐る恐る約束の時間に行くと、小さな子どもみたいな表情をした、だがたぶん年上の女性に挨拶され、店の奥の小部屋に連れていかれた。女性は、私の手を見てすぐ「天才肌。感性のままに動け」的な景気の良いことを言った。「逆に、一人でじっと考え込んでいると煮詰まる傾向にあるから、どんどん外に出て人と会って」と言うので、「今年の後半、じつはベルリンに数ヶ月住もうと思ってるんですけど、行って大丈夫ですかね」と打ち明けた。前々から、そんなことを考えていたのだった。「すぐ行って!すぐ!」と、けしかける占い師。「お金は後からついてきます!」、ああ、なんて美しい、音楽のように我が胸を震わせるお言葉……。当初のビビリはどこへやら、30分の面談が終わる頃には心も晴れ晴れしてバーンと鑑定料を払い、迎えに来てくれたねえねに「感性のままに生きろって言われちゃった☆」と自慢する始末。「良かったじゃん。でもそれ、ミユキには最初から分かってたけどな」と、あくまでクールなねえね。そこへトンチもやって来て、2人で宮古空港まで送ってくれた。

毎日遊んでいるか、ねえねの家の掃除をするかどちらかで、全然自分の人生を振り返ったりしない、いい加減な一週間だったが、最後に占い師さんに完全おまかせで自分探しまでやってもらえてさらに最高の旅行となった。重たいスーツケースを引きずって東京の家まで帰った。

手を繋ぐ|2018.04.22-4.29

京に帰るとやはり退屈する。東京にはビーチがないし、泡盛を飲みながらねえねに一日の出来事を報告することもできない。東京人たちは無表情で満員電車に揺られながらスマホばかり見つめていて、風が吹いても、サーファーのタッちゃんのように方角や明日の天気を読んだりはしない。「東京はつまらない」とミユキねえねにLINEで泣き言を送ったら、「町に自分を持って行かれるな。いつも通りで行け」と男前なアドバイスをくれた。

この週は、7月に出版されることになった「小鳥女房」という戯曲の加筆修正をしたり、表紙のイラストを描いたりしていた。家で作業していたら、突然、韓国と北朝鮮の南北首脳会談が行われるというニュースが流れてきた。

4/27(金)
文在寅氏と金正恩氏が、手を繋いで二国の国境を行き来する映像をテレビで見た。2人とも笑顔だ。金正恩が「冷麺を持ってきました」とかユーモア混じりの発言をしている。自分が生きているうちにこんな光景を見ると思わなかったから虚を衝かれたし、ちょっと泣いた。先はどうなるか分からないが、その日は天気も良く、外を歩いているだけで自然と鼻歌が……。日ごろ大して朝鮮半島のことを考えているわけでもない私でも変に浮かれるんだから、韓国や北朝鮮の人の心がどれだけ強く揺さぶられているかは計り知れない。

<編集Tの気になる狩場>
今回の「東京狩猟日記」は本連載第1回目でも話題となった「みゆきねえね」さんとの宮古島での日々をお送りしました。東京に戻られた千木良さんの日々はもちろんこれからも続いていきます。狩猟のお供「編集T」からの「気になる狩場」情報を、前回に続けて掲載いたします。

【映画】
七〇年代の憂鬱 退廃と情熱の映画史
2018年6月9日(土)~7月6日(金)
会場:神保町シアター
http://www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/70s.html

ゴーモン映画 ~映画誕生と共に歩んできた歴史~
2018年6月14日(木)~6月16日(土)、6月29日(金)~7月22日(日)
東京会場:アンスティチュ・フランせ東京
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1806140722/

*封切作品
公開中
『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』ショーン・ベイカー監督 http://floridaproject.net/
『モリーズ・ゲーム』アーロン・ソーキン監督 http://mollysgame.jp/index.php
『ファントム・スレッド』ポール・トーマス・アンダーソン監督 http://www.phantomthread.jp/
『犬が島』ウェス・アンダーソン監督 http://www.foxmovies-jp.com/inugashima/
『ルイ14世の死』アルベール・セラ監督 http://www.moviola.jp/louis14/
『レディ・バード』グレタ・ガーウィグ監督 http://ladybird-movie.jp/
6/8公開
『万引き家族』是枝裕和監督 http://gaga.ne.jp/manbiki-kazoku/
6/9公開
『ザ・ビッグハウス』想田和弘監督 http://thebighouse-movie.com/
『それから』ホン・サンス監督 http://crest-inter.co.jp/sorekara/

【舞台】
地点 CHITEN『山山』&『忘れる日本人』【神奈川公演 2018.6.6-24】
会場:KAAT神奈川芸術劇場〈中スタジオ〉 http://chiten.org/next/archives/52

【美術等展示】
五木田智央 PEEKABOO
2018年4月14日(土)~6月24日(日)
会場:東京オペラシティ アートギャラリー

http://www.operacity.jp/ag/exh208/

【書籍】
内沼晋太郎『これからの本屋読本』http://numabooks.com/honya.html
阿久津隆『読書の日記』http://numabooks.com/dokusho.html