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日記百景/川本 直
特別編 革命のその先へ
千木良悠子『戯曲 小鳥女房』書評

日記百景 / 川本 直

女1――「結婚して10年近くなんの疑問も持たずにきたけど、ある日これって変じゃないかって思い始めたら止まらなくなって、違和感が芽生えてきて……別の所に住みたいなと」
男1――「(黙る)」
女1――「ごめん」
男1――「でも夫婦は一緒に住むものじゃん。世の中にはそうじゃない家庭もあるだろうけど、うちは違うだろ、普通だろ」
女1――「普通……ってなに?」


千木良悠子著『戯曲 小鳥女房』(ポット出版プラス/2018)

すべての人間関係は権力構造を持っている。親子、夫婦、兄弟姉妹、恋人、友人、仲間、師弟、上司と部下、先輩と後輩などあらゆる関係には非対称性がある。自分と身近な誰かについて少しでも考えてみたらいい。そこには必ず肉体的、精神的、経済的、政治的な力の不均衡があり、支配、利害、依存が潜んでいることに気づくだろう。この権力構造が露骨な形で現れると暴力や差別になるわけだが、ことは何もそういった目立つ事象だけに限らない。たとえば男性同士にも女性同士にもマイノリティ同士にも支配・被支配の関係は容易に見出だせるし、気のおけない友人や知人との関係にもその構図は確実に存在する。世界中の人間とネットを介して繋がれるようになった今、見知らぬ人間との間に生じるコミュニケーションすら例外ではなく、力と力のせめぎあいがある。

しかし、支配者と被支配者が対立し、互いを否定し合ったところで、不毛な未来が待っているだけだ。すべての人間関係を権力構造で捉えるのは前提であり、抗議は絶対に必要だが、その先のヴィジョンを指し示さなければ希望はない。革命や運動は強者から既得権益を奪う。だが、強者を追い落とした側が権力を握り、新たな支配層となって同様のことを繰り返すのはフランス革命やロシア革命の後に何が起きたかを見ればわかる。革命は成功に終わろうと失敗に終わろうと幻滅がやってくる。抵抗運動が苛烈であれば苛烈であるほど反動による保守化も起こる。

千木良悠子の『戯曲 小鳥女房』(ポット出版プラス/2018)は男女平等を主題とし、女性による男性へのテロを描いた演劇だが、革命のその先のヴィジョンまで指し示している。ストーリーを台本と付属する初演を録画したDVDを手がかりに追ってみよう。

『戯曲 小鳥女房』は早朝、夫婦である田所みちよと中学教師の明良が別居をめぐって軽い諍いを起こすところから始まる。「夫婦は一緒に住むもの」だと言う明良と、「結婚」そのものに疑問を抱くみちよの議論は平行線のまま終わる。主婦として家事をこなしつつ、在宅でWebライターをしているみちよは家の中に閉じ込められている。

明良が出勤すると、同じマンションの住人でゴミ漁りが趣味の主婦、盤城春子が部屋を訪ねてくる。盤城は浮気癖のある大学教授の夫が女子大学生を追っかけ回しているのに寂しさを感じ、ここ最近毎日のようにみちよの部屋に入り浸っていた。孤独を共有するみちよと盤城は同じベッドで一緒に眠りにつく。

帰宅した明良は盤城を毎日部屋に入れているみちよを叱責する。それからふたりは外食に行こうという話になり、明良は先に家を出るが、またしても盤城が現れる。盤城はパソコンに詳しいみちよに中高年向けの出会い系サイトへの登録を手伝わせ、みちよは家を出られなくなる。待ち合わせをすっぽかされた明良は怒り、みちよに暴力を振るう。

数週間後、盤城は出会い系サイトで知り合い、肉体関係を持った17歳の少年、高橋崇彦をみちよの部屋に連れてくる。夫が早く帰宅することがわかった盤城はみちよと高橋を置いて去り、高橋はみちよに日記を朗読させる。みちよは日記の中で「私は籠の中の鳥みたいだ」と書いており、自分の父が母に暴力をふるっていたことを回想していた。高橋は「人間は本来自由に生まれついている」、「いつどこでも裸になっても良いし、婚外性交だって、盗みも麻薬も傷害ももちろん殺人だってすれば良い」と過激な思想を熱っぽくまくしたて、みちよに肉体関係を迫り、みちよもそれを受け入れてしまう。

高橋の正体は「美少年活動家」とネットで呼ばれており、男性優位社会、更には家族制度や国家を破壊しようとしているテロリストだった。テロ組織は主に主婦たちで構成され、世界中に同志がいる。高橋たちは既に爆弾製造を始めていた。盤城もテロの一環として行われる銀行強盗に加わる意思を固めている。高橋はみちよに組織の指導者になって欲しい、愛の証として結婚制度を廃止した新しい「国」をプレゼントするというが、みちよは気乗り薄に受け流す。

その後、みちよと明良の部屋はテロ組織のアジトと化し、明良は家事全般を担当させられる羽目になる。明良はみちよに使い走りまで要求され、ふたりの立場は逆転する。高橋が計画するテロは『ピンクのフラミンゴ作戦』と呼称され、「痴漢とレイプ犯罪の厳罰化」、「国会議員と閣僚の半数を今すぐ女性に替えること」、「現行の結婚制度の廃止」を要求するために、大日本印刷に放火、3つの大企業への爆弾テロ、最高裁判所の裁判官の拉致監禁、有名政治家のスキャンダル情報のネットへの拡散、盤城も参加する銀行強盗をほぼ同時に行う大掛かりなものだった。

決行の日、アジトと化した自宅から逃れようとする明良と組織に留まろうとするみちよは遂に離婚を決意する。そこへ高橋が銃を片手に現れ、言い争いの末に明良を撃つ。盤城も銀行強盗から戻り、銃で女をひとり撃ったと言う。3人はマンションの屋上にやってくる仲間のヘリで脱出しようとするが、みちよは負傷した明良を高橋から庇う。怒った高橋は明良を殺そうとするが、盤城によって高橋は射殺される。「一度で良いから、体中穴だらけになって死にたかったんだ、ボニーとクライドみたいに」と言う盤城はマンションに迫る警官たちにマシンガンを乱射し、自分も射殺される。みちよは組織のヘリで逃亡し、怪我を負った明良はひとり取り残されるのだった。

8年後、ラジオのニュースは選択的夫婦別姓制度が可能になり、結婚制度も廃止すべきだという声もあがっていると告げていた。男女格差の是正は進んでいるが、高橋によるテロは政府によって「一時的な暴挙」とされ、「むしろ事件によって議論が停滞し、様々な法改正が遅れた」とさえ有識者はコメントする。テロは失敗に終わったのだ。

明良は撃たれた片足が不自由になり、杖をついている。そこへみちよが生命保険のセールスに訪ねてくる。離婚してしまったふたりに話すことはほとんどなかった。みちよはノベルティグッズのAI犬を置いて去る。AI犬にはみちよが吹き込んだメッセージが録音されていた。みちよはテロの後、7年間東京都の離島で暮らし、去年この街に戻ってきた、ほぼ毎晩鳥になる同じ夢を見る、夢が本物のようで、現実は体の調子が良くない、と語っていた。それを聴いた明良は「青い鳥を探しに行く」とAI犬に言って部屋を出ようとすると、書類を置き忘れたみちよが戻ってくる。AI犬は「青い鳥を探しに行くんだ」という明良の台詞をみちよに繰り返す。舞台は暗転し、暗闇の中でみちよは座り込んでいる明良に手を差し伸べ、腕を回して支える。

以上が『戯曲 小鳥女房』のあらすじだ。強いメッセージを孕む戯曲だが、トリックスターの役割を果たすテロリストの少年・高橋の台詞以外は平易な日常的な言葉で語られ、堅苦しい政治演劇ではない。高橋の登場で非日常が訪れはするものの、むしろほとんどのシーンが日常を扱っており、すべてはみちよと明良が住むマンションの一室のみで展開する。登場人物たち、特に中年女性ふたりの会話には俗語が充満しており、生々しいとすら言える。それでいて幻想的かつユーモアたっぷりで、リアリズム演劇ではない。『戯曲 小鳥女房』は初期の小説ではアヴァン・ポップのスタイルを用い、ノンフィクションの著作もある千木良悠子のこれまでの作風を統合した総決算だと言っていい。

初演時のキャストの演技も堂々たるものだ。山田キヌヲは流されてばかりだが、チャーミングで魅力ある女性としてみちよを演じている。エキセントリックだが、如何にも近所にいそうなおばさん、盤城を取り憑かれたように演じる小林麻子の演技は見事なものだ。岡部尚は保守的ではあるが優柔不断という、現代的な夫像である明良を手堅くリアリティたっぷりに演じている。テロリストの美少年・高橋をストイックかつ情熱的に演じた、上演当時、17歳だった田中偉登は特筆に値する。

『戯曲 小鳥女房』には「強い抑圧者」も「それに反抗する強い弱者」も登場しない。みちよは受け身でひたすら状況に流されていく。盤城は「恋愛至上主義」と自ら言うように夫に裏切られながらも人に依存しなければ生きられない。明良ですらみちよに暴力はふるうことはあるが、気が弱く、自宅がテロ組織のアジトと化した後は家事を一手に引き受けさせられ、挙げ句の果ては高橋に撃たれて体が不自由になる。千木良が1960年代に学生活動家だった人々に取材して造型した少年テロリスト高橋ですら、父は死に、恋人を作って息子を放置する母を持ち、家族制度に愛憎入り交じった感情を抱く孤独な少年に過ぎない。登場人物たちは誰もが弱く、寂しさと虚しさを抱えている。全員が自分たちを「弱者」であり、「被害者」だと思っているのだ。『戯曲 小鳥女房』は差別を訴える女性たちに一部の男性が「逆差別だ」と応酬する現在の状況を的確に反映している。強者の弱者への抑圧では捉えきれないものが男女関係には横たわっている。千木良はラストシーンでみちよと明良がしたように、共に生き、互いを支え合えあうという、ささやかな解決策を提示している。

千木良悠子は過去にライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの戯曲『ゴミ、都市そして死』を翻訳・演出し、ジャン・ジュネの戯曲『女中たち』も演出、自ら出演までこなした。ファスビンダーとジュネはともに人間関係の権力構造に着眼した作品を多く残した。ジュネの『女中たち』では女中たちが女主人になりかわることを夢想し、殺害を目論む。『女中たち』はジュネの生涯に渡ってのテーマだった支配と被支配の逆転と価値観の転倒を描いた戯曲で、『戯曲 小鳥女房』が影響を受けているのは間違いない。しかし、『女中たち』では立場の逆転の後に悲劇が待っているのに対し、『戯曲 小鳥女房』はその先の共存の模索まで辿り着いている。

千木良悠子は『戯曲 小鳥女房』の幕切れでマリアンヌ・フェイスフルの「ブロークン・イングリッシュ」を流した理由を演出ノートに記している。「ブロークン・イングリッシュ」はドイツでテロを起こし、獄中で死亡したウルリケ・マインホフに、オーストリアの貴族の血を引くイギリス人のフェイスフルが「あなたは何のために戦っているの? ブロークン・イングリッシュで言って」と語りかける歌だ。ドイツ人のテロリストにとって英語は満足に喋れない帝国主義の言語に他ならない。しかし、フェイスフルは歌う。「それでも何か言って」と。「ブロークン・イングリッシュ」は「無理だとわかっていても手を伸ばす」歌だ、と千木良は解釈している。『戯曲 小鳥女房』で描かれたとおり、それこそが男女問題のみならず、すべてのコミュニケーションの可能性を開く。暗闇の中でも手を伸ばすしかないのだ。


千木良悠子著『戯曲 小鳥女房』(ポット出版プラス、二〇一八)