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湯沸かし器が壊れた|母とベルリン観光、パリ
2018.12.01-12.15

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

湯沸かし器が壊れた

12/1(土)
中奈緒子さんが家に遊びに来る。家のキッチンで二人で料理をした。スーパーで売っていた冷凍鴨肉をローストし、栗ご飯を炊く。奈緒子さんはこの日いろいろなお土産をくれた。まずは、ベルリン在住のスター作家、多和田葉子さんの著書『聖女伝説』『雪の練習生』の文庫を貸してくれた。恐れ多いのだが、2019年の2月25日にベルリン文学コロキウムの計らいで、「日本文学の夕べ」的な催しとして多和田葉子さんと朗読会をすることになった。奈緒子さんにもゲスト出演してもらうことが決まり、今から楽しみである。それから、奈緒子さんが自身のインスタレーション作品「SCHATTEN TRILOGIE (影の三部作)」を発表した際に制作したという小冊子を、これはプレゼントしてくれた。小冊子には、多和田葉子さんが奈緒子さんの作品に捧げた詩も収録されている。また、入浴剤もお土産にくれたのだが、これは私が先日自分で買ったのとまったく同じだった。私も奈緒子さんも、入浴剤にかぶせられたクリスマス商戦のサンタ帽に惑わされてうっかり手を伸ばしてしまったのだった。

12/2(日)
の肛門爆発、の件だけれどGoogleマップで探していちばん近いお医者にとうとう予約をした。ドイツのお医者になんて説明したら良いか全然分からないし、保険が効くのかも心許ない。でも痛み止めを飲まないと眠れないぐらい痛むので、覚悟決めました。

12/3(月)
、バスタブに熱いお湯を張っていた。「そろそろ入れるかな?」と思って蛇口を閉め、服を脱いで湯に浸かろうとしたら、台所のほうから「ゴゴゴゴゴ!」という人間の叫び声のような巨大かつ異様な音がした。誰かが廊下で喧嘩でもしているのだろうか。恐怖に駆られて裸のままで風呂場を飛び出たら、台所の湯沸かし器から、油混じりの真っ黒い水がぼたぼたと大量に吹き出していたので心臓が止まりそうになった。湯沸かし器は憤怒の唸り声を立てて振動している。放っておいたらこれ爆発するんじゃないか、と機械の蓋を開けると、全体のスイッチらしきものがあったので切ってみた。するとややあって音も水も止まった。安堵して一気に力が抜けた。

クリストフに電話して相談したら、家主の明石さんに連絡して管理会社の連絡先を聞くしかないだろうという。明石さんにメールをしたが、勿論あちらは日本の時間で動いているのですぐには返事が来ない。ドイツの暖房は各部屋の暖房機にお湯を流すことで機能するので、湯沸かし器を点けなければ部屋は暖まらないし、もちろん台所や洗面所の蛇口からの湯も出ない。かといって、今度こそ機械が爆発するんじゃないかと思うと、スイッチは入れられない。とりあえず溜めた風呂に入って頭と体を洗う。寒さ対策のために服をたくさん着込んで寝ようとしたが、一睡もできなかった。

12/4(火)
け方に明石さんから返事が来た。管理会社から最近来ていた手紙の中に電話番号が書いてあるからそこに電話しろという。全く眠れぬままに学校に行く。授業前に電話をかけたが、担当者不在で、何度かやり取りがあった末に、昼過ぎの休憩時間にようやく管理会社の担当者と話ができる。先方は「明日の朝ならば修理の予約ができる。それ以外の日にちはいずれもダメだ」と言っているみたいだ。だがじつは明日は、今通っているドイツ語コースA2終了の筆記テストの日なのだった。「明日は学校のテストなので、午後か明後日ではダメでしょうか」と聞くが「ダメだ。それ以外のスケジュールは埋まっている」とのこと。さらに「自分は英語はできないからメールで用件をくれ」とも言う。今の季節の寒さで、暖房もお湯も出ない部屋で生活することはできない。困り果てた末に語学学校の担当教師カティヤを捕まえて「湯沸かし器が壊れたから明日のテストに遅れてもいいか」と、ダメもとで尋ねたら「Natürlich!(もちろん!)何時に来ても良いよ」と笑顔で快諾されたので逆に驚いた。日本だったら、普通逆じゃないの? 業者の修理のほうが予定変更が簡単で、テストの時間は変更不可、が普通じゃないの。「でも、リスニングテストはどうしますか? 私だけ後で受けるの?」「明日来た時点で考えましょう。いろんなことが起こり得るのは当然です。そちらの予定に合わせます」。狐につままれたような気持ちで、授業を終えて帰宅。おそらくストレスのせいで、腕の内側に謎の蕁麻疹まで出てきて痒い。

さらにこの日の午後、近所の医者を予約していた。急いで昼食を取り、徒歩10分ぐらいの所にある病院へ。クーダムの近くの高級アパートメントの一室である。受付で保険の書類を渡してどういう手続きをすれば良いのか尋ねるが、受付の人も英語がイマイチ苦手の模様で、意思疎通が難しい。住民登録の書類を家に取りに行かなくてはならないとか、やっぱり行かなくても良いとか、二転三転したが、結局後から分かったことには、私の入っていた保険は、年に150ユーロまでの診察料は自己負担するという契約だったので、この病院に私は後から自分で振込せねばならなかった(オンラインバンクなのでスマホで三分で振込できるのがせめてもの幸い)。

診察室に通されてしばらく待っていると、背の高い眼鏡の医師が入ってきた。問診の後、部屋の隅のカーテンの中にある診察台に上れと促されて患部をチェックされたのだが、冷たい器具で痛い所を広げられて意識が飛びかけた。天井に彫られた、ドイツのアルトバウの美しい花のレリーフを眺めながら必死で耐える。医師は冷静に視診しながらアルファベットや数字を連続して呟いていく。カタカタと音がするので、カーテンの向こうで誰かがその数字をパソコンに記録しているらしい。「頭の良いドイツ人は冷酷無比なまでに合理的」という私の中のステロタイプなイメージがますます助長されてしまいそうなこの態度、痛いけど面白い。視診を終えた医師は、人体図のイラストを私に見せながら「傷は内部までは達していない!」と満足げに教えてくれた。受付で保険証とパスポートを返してもらって、痛みとあらぬ所を広げられたショックでふらふらになりながら、病院を出る。近くの薬局で処方箋を出して薬を買い、ほうほうの体で家に戻った。

それから、テスト勉強をするべく夜中までテキストやプリントを眺めたが、何一つ頭に入っていく気がしない。明日の朝は、湯沸かし器の修理業者も来る。彼は英語を喋れるだろうか。何て言って説明しようかと頭の中で考え出すと止まらなくなる。暖房が点かないので部屋が寒い。風呂に入らずに眠った。

12/5(水)
当に業者が来るのだろうか、と台所の窓から外を眺めていると、9時半ちょうどに道具を抱えた男性がアパートの敷地内に入ってきた。インターホンが鳴ったのでドアを開け、修理工を部屋に招き入れた。彼を台所に案内し、「風呂に入ろうとしたら、大きな音がして、駆けつけたら黒い水が垂れてきて」と英語で懸命に説明した。英語はそこまで分からないようだったが、彼は迅速に湯沸かし器の蓋を開けて中を点検しはじめた。しばらくして、朝ご飯を食べている私に向かって、何やら赤い大きな部品を手に持って「kapput(壊れている)」と言う。重要な部品が完全に壊れてしまっている、と言いたいようだ。「部品の交換が必要だが、一度会社に取りに行かなくてはならない。一時にまた来て良いか」と言う。「一時! これから学校でテストを受けるので、間に合わないかも。二時ではダメですか?」「ダメだ。一時だ」。仕方ないので一時でOKと答えた。

修理工が会社に戻るのを見送ってから、ダッシュで学校に行く。ちょうどリスニングテストが始まろうとしていた。クラスの皆と一緒にリスニングを受けた後、文法や読解、作文の問題をどんどん解いて行く。一時には家に戻っていなくてはならないと思うと焦る。問題数がやたらと多いのに辟易しながら最後までとにかく回答欄を埋めて行く。どうにか12時すぎに答案を提出できた。遅れて来たのに帰るのはクラスで一番だった。

家で修理工を待っていると、彼はきちんと一時に来て迅速に部品の交換をしてくれた。ふくよかな体型で、ジーンズが腰まで下がってお尻が少し見えてしまっていたが、汗を掻きながら懸命に修理をしている彼は天使に見えた。ようやく修理が完了した所で、「温度計のあるメインの書斎の暖房は切ってはならない。つねに全開の『5』にしていないといけない」と注意された。言われた意味が分からず、どうしてかと尋ねたが、彼はドイツ語でしか説明してくれない。謎を残したまま、彼は帰って行った。

修理のことをメールで明石さんに報告し、ついでに修理工の注意事項も伝えたが、明石さんも彼の言葉の意味は分からないようだった。その後、サンフランシスコの友紀子さんとたまたまメールをしていたら、彼女の家の暖房と今の家とは構造が似ているようで、やっと謎が解けた。書斎に暖房の温度調整の機械があるのだが、私はそれを25度ぐらいに設定しっ放しのまま、その部屋の暖房を基本的に切っていたのである。時々、寝室の暖房だけ点けていた。だが、温度計があるのは書斎の部屋だけなので、そこが暖まらない限り、湯沸かし器はいつまでも動き続けてしまう。しかも機械が古くなっているものだから、さらにそこに風呂にお湯を張ろうとして、オーバーワークになって壊れたに違いなかった。友紀子さんのベルリンの家は、大家が一年に一度湯沸かし器の点検をしなくてはならない義務があるそうだが、この家にはそんな契約がないのだろう。明石さんにメールでお伝えすると「なるほど。今までなんとなく使ってきたけど、謎が解けた気分です」とのご返信。

理解できた途端、少し気が楽になった。油混じりの黒い水で汚れた台所を掃除する。テストはこの日の筆記で終わりなわけではなくて、翌日はスピーキングテストがあった。担当教師と一対一で、会話をしなければならない。自己紹介だとか趣味だとか、聞かれそうな話題を予想して文章に書き出し、役者の気分でとりあえず暗記した。

別にドイツの大学に入ったり就職したりする予定はないので、良い点を取る必要はないのだが、及第点に達しなければ、次の「B1」クラスには行けないのである。私はこの後、旅行が控えていたりするので、しばらく語学学校は休む予定だったが、あまりにもドイツ語が分からずにドイツにいるのもどうかと思うので、時間の余裕があればまた次のクラスに進みたかった。しかしドイツ語をいざやり始めると、ものすごく時間が取られてしまうことがこの数ヶ月でよく分かった。友紀子さんのように、こちらで大学に通って仕事をしている日本人はすごいなと思う。何はともあれ、この日は湯沸かし器が直って、風呂に入れたことが嬉しかった。

12/6(木)
章の暗記が良かったみたいで、授業では何を聞かれてもあんなに話せなかったのに、スピーキングテストではまあまあ良い点をもらえた。とにかくテストが終了したことで解放感に包まれ、意気揚々とアジアスーパーで米を買って帰る。最近サボっていたこの日記をようやく書き出す。

12/7(金)
校でテストの答え合わせがあった。湯沸かし器修理のせいにするわけじゃないが、焦って解いた筆記テストは散々。最後の作文の問題では、問題文の意味すら取り違えている。それでも一応、及第点は取れた。クラスメイトたちに別れを告げて、学校を出る。

夜、田中奈緒子さんの家で、黙々とクリスマスのクッキーを作った。ドイツ人はクリスマスが近づくと狂ったようにクッキーを焼き出すらしく、奈緒子さんも感化されて毎年焼くようになったとか。クリスマスツリーや雪だるまや星や天使、熊やトナカイや、アレキサンダー広場のテレビ塔のクッキー型まである。生地を型抜きしてオーブンで焼いた後、表面にアイシングを施した。さすが美術大学卒のアーティストの奈緒子さんはアイシングも上手である。私も負けじと、独自センスを駆使してクッキーに色づけ。一瞬たりとも休まずにアイシングに没頭して時を忘れた。

12/8(土)
の日から、母がベルリンに遊びに来ることになっていた。市場でチューリップの花を買って部屋に飾る。午後、クリストフのガールフレンドのマヤと待ち合わせて、彼らの家のすぐ裏で毎年この日に開催される「リックスドルフのクリスマスマーケット」に行こうとしたのだが、休みだった。当日の朝に嵐の天気予報が出たので、急遽中止となったらしい。実際は少し雨がぱらついたぐらいで、嵐など来なかったのだが。少しだけ開いていた出店で、石鹸や菓子を買う。マヤが家でポーランドのハーブティーを出してくれた。

夜、母をテーゲル空港へ迎えに行く。久しぶりに母に会ったらさぞ感慨深いだろうと思っていたのだが、実際会ってみたらなんだか自然で、急にテーゲル空港が日本のお茶の間になってしまったような気分になった。母を連れてアパートメントへ。部屋でスーツケースを開けるなり、日本からのお土産を大量に出してくれた。お茶漬けの素、出汁パック、蕎麦と素麺、お茶っ葉に昆布、靴下やレッグウォーマー。夕食を食べていなかったようなので「何か作る?」と言ったら、「夜遅いから簡単で良い」と言って、日本から持参した「今半」の煮物のレトルトパックと、味噌汁の素とご飯でさっさと食事を用意して済ませてしまったので、「主婦の手際はすごい!」と感心した。今半のレトルトなんて、ドイツには売っていないからなんだか眩しかった。

12/9(日)
は、私がベルリンに行くと決まったときから、語学学校のコースが終わった頃に遊びに来て、その後一緒にパリに観光旅行をしたいと言ってくれていた。今までパリに行ったことがなく、ルーブル美術館を見学するのが憧れだったらしい。わりとよく友人と海外旅行をしているようだが、いつも添乗員付きのパッケージツアーで行くので、自分だけで飛行機の乗り継ぎをしたことはないそうだ。乗り継ぎが楽そうなヘルシンキ空港経由でベルリンまで来たのだが、ネットで拾った乗り継ぎ経路の画像を何度も見て予習し、ひどく緊張しながら飛行機に乗ったらしい。

少しでも観光らしいことをしたほうがいいのではないかと思い、この日はジャンダルメンマルクトのクリスマスマーケットに母を連れて行った。ジャンダルメンマルクトは、二つの聖堂が向かい合って立つ広場で、ベルリンで一番美しいと広場とも言われるそうだ。そこのクリスマスマーケットは、入場に1ユーロ必要なのだが、商品の質が高いとか。

広場に設営された立派なクリスマスマーケットの敷地内に入って、グリューワイン(スパイス入りの甘いホットワイン)を飲んだり、ソーセージを食べたりした。クリスマスのクッキーや石鹸やアクセサリーなど、さまざまな物が売られていたが、母は、最近生まれた弟の子どもだとか、弟の奥さんに買うお土産のことばかり気にしている。私は母が欲しい物を欲しいだけ買ったらいいのにと言ったのだが、長年人の世話ばかりしてきたので急にそんな気にはなれないと彼女は言うのだった。それは良いことのようにも聞こえたが、母自身が心から買物を楽しんでいるのかよく分からず、少しやきもきした。母とはこれから3日間ベルリンで過ごした後、4日間パリに旅行する。彼女と二人きりで一週間も生活するなんて初めてだ。家族の中の母の姿はずっと見てきたが、彼女個人の好みや性格について私は大して知らないと改めて思った。

クリストフとマヤから「これから昨日行けなかったリックスドルフのクリスマス・マーケットに行くよ」と連絡が来たので、合流する。リックスドルフは、昔ボヘミアからの新教徒が移住してきて村を作った場所だそうで、駅前の大通りから一本入った、赴きある広場の周りには文化財指定された古い家も立ち並んでいる。一方、駅の周りはトルコ移民のマーケットやケバブ屋が軒を連ねていたりもして、新旧の文化がミックスされている面白い場所なのだ。リックスドルフのクリスマスマーケットは、他とは違って、企業や業者ではなくNPO団体が中心になって出店しており、アットホームな雰囲気で人気だそうだ。

古くからこの地区に伝わる刀鍛冶のデモンストレーションや、ロバのいる小屋の設営、古い馬車の展示なども行われていた。

この日の夜は、母がベルリンに来るとなったらやっぱりフィルハーモニーを一緒に見るべきなのかなあと思って、ベルリンフィルの予約をしていた。夕方にクリストフたちに別れを告げて、ポツダム広場へ。ソニーセンターの中のリンデンブロイという観光客に人気のドイツ料理レストランで夕食を食べる。豚肉料理を頼んだら想像以上に巨大なのが出てきた。開演時間にコンサートホールへ。オーケストラの演奏ってもっと堅苦しいものかと思っていたけれど、ベルリンフィルのメンバーが、和気あいあいとした雰囲気で楽しそうに演奏していたのが印象的だった。私は以前、自分の芝居でも使ってダンスを作ったドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を聴けて嬉しい。母は疲れていたのでちょっとウトウトしていたようだ。一日の中に予定を詰め込みすぎたのかもしれない。

 

母とベルリン観光、パリ

12/10(月)
Zooの駅からベルリン周遊観光バスに乗った。車内のオーディオガイドで解説を聞けて、どこで降りてもまた乗ってもいいというバスである。クーダムやチェックポイントチャーリーやアレキサンダー広場を巡る。夕方ごろにベルリン大聖堂で途中下車する。内部を見学してみようということになり、過酷な量の階段を上ってようやく見晴し台まで到達する。ねぐらに帰るのか、恐ろしいほどのカラスの大群が空を埋め尽くしていた。大聖堂を出てバス停まで行ったが、最終バスの時間が過ぎてしまったようで、そこで観光は終わりになった。

クリストフとマヤが、有名なドイツ料理店「Max & Moritz」を予約してくれていたので、クロイツベルクへ向かう。地下鉄に乗っている途中、勘違いして遠く離れた駅で降りてしまった。Googleマップによると、レストランまで徒歩で30分近くかかるらしい。バスで一本だったので「バスに乗るか」と母に尋ねたが、「歩く」と言う。けれども外は雨が降っていて寒い。最後のほうはもう二人とも意地になって歩いたが、また失敗してしまったと後悔。さっさとバスに乗れば良かったわけで、そういう臨機応変さが自分には欠けている。レストランで、私はドレスデンで食べたザウアーブラーテンという牛肉の煮込みを注文した。母は何を食べたか忘れてしまったけれど、重たいドイツ料理はやっぱり食べきれなかった模様。もてなしたい気持ちはあるのに、どうもうまくいかないものだ。

12/11(火)
間、母が家の掃除をしてくれた。ヨーロッパでは家の中にも靴で入るから、キッチンの床なんか、少し擦ると真っ黒になる。日本式の徹底した床掃除をしながら、「悠子さんのためにお掃除をしてあげたことがきっと一番の思い出になるでしょう」と母は言っている。せっかく来たのにそれで良いのかなあと半分呆れたが、彼女はとても満足そうだ。

午後、クリストフとマヤが勧めてくれた、近所のケーキ屋へ行こうとするが、外に出ると冷たい雨が降っている。傘がないから行きたくないと母は尻込み。私が傘を取りに行ってくるから行こうと促して、けっきょくまた15分ぐらい歩いてケーキ屋まで行く。ポーランド出身のオーナーがやっている可愛らしいケーキ屋だった。せっかく来てくれたのだから、私としてはベルリンの街をたくさん見せたかったが、あまりいろいろ連れ回しても疲れてしまうのかもしれない。友達が泊まりに来るのとは違うなあと思う。

12/12(水)
起きをして、テーゲル空港からシャルル・ド・ゴール空港へ。パリには二十代の頃に観光旅行で行ったことがあるぐらいで、勝手がまったく分からない。横を歩く母がまた隣で心配そうにするので余計に落ち着かなくなる。空港から市内へ向かう電車に乗ろうとしたら、ヒジャブをつけた女性が「パリ行きはこちらですよ!」とまるで案内人のように通行人たちに声をかけている。電車がホームを出た後、彼女はお金が必要だと書かれた紙を乗客たちに配り、コインをねだり始めた。

メトロの駅のホームからエスカレータに乗ったら急に故障して停止した。後ろにいた十代の女の子三人組が母の大きなスーツケースを上まで運ぶのを手伝ってくれたのだが、そのとき母のハンドバッグが開いてしまって、中の荷物がエスカレータの上に落ちた。「なんで急に開いたんだろう、あの子たちはスリじゃないのか」と彼女は心配していたが、もともと開きやすそうなデザインのバッグではあった。「手伝ってくれたんだもの。あまり心配しすぎないで」と大人ぶって諌めて、ホテルに向かう。

予約していたサンジェルマン・デ・プレのホテルにチェックインして荷物を置く。ルーブル美術館までは徒歩圏内だ。セーヌ川沿いを歩き、橋を渡ってルーブルにたどり着く。やっと来られた憧れの場所に母は最初喜んでいたが、見学が始まるや否や「広すぎる!」とため息。とりあえず、ガイドブックとパンフレットを頼りに、フェルメールやアングルなどを見て、あとはモナ・リザやミロのヴィーナスといったスーパー有名なアートを押さえておき、美術館を出る。

チュイルリー公園でクリスマスマーケットが行われているのを横目で見ながら、寒い中、オペラ座のほうまで散歩をした。途中、ラデュレでマカロンを食べながらお茶を飲むが、可愛らしいラデュレの店内で、もう覚えてもいないような些細なことで議論をして喧嘩になった気がする。Googleマップで適当に選んで予約をした、ノートルダム大聖堂の近くのレストランで夕食を食べる。ベルリンとは全然違う繊細なフランス料理の味に感激したが、やはり量が多くてメインの肉は最後まで食べられなかった。

12/13(木)
の日はセーヌ川クルーズをすることになっていた。サンジェルマン・デ・プレの駅で切符を買おうとしていたら、切符売り場で待ち構えていた少年が「この機械は壊れてる。こっちで買ったほうがいいよ。やり方を教える」と絡んでくる。いかにも怪しいので追い払おうとするが、券売機にしがみつくようにして執拗に話しかけてくる。横で母が不安に駆られながら「どうしたの? 私がお金を払う」と言って財布を出す。大丈夫、と自分の財布を開けたら50€札しかない。とりあえずそれを券売機に差し込んだら、中に吸い込まれていったように見えたので、機械を操作しようとするが、動かない。よく見たらお札を入れる所に10€と20€札の絵だけが描いてある。すられたのだとすぐ分かったし、少し離れた所にまだ少年は立っているが、怖くて彼に声をかけられない。近くにいた中年女性に「大丈夫?」と英語で声をかけてくれたので「いいえ。たぶんお札を盗まれた」と言ったら、彼女はOhと哀れむように言って顔を曇らせた。

案内係の駅員に「札を入れたのに機械が動かない」と一応報告すると、「それはどうしようもない。Pickpocketだ」と言われた。ボックスを出て他の客に注意喚起していたが、もう少年は姿を消していたし、50€は戻ってこない。最初「切符の買い方を教えてあげる」なんて親切そうに声をかけてきた所が気分が悪かった。50€なんてけっこうな金額だ。きっとカモりやすい相手と思われたに違いない。まんまと札をせしめるとき、彼は裕福でマヌケな観光客に貧しい自分が勝利したような爽快感を味わうのだろう。ベルリンにも物乞いやホームレスはたくさんいるが、別に通行人に親切げな言葉をかけてきたりはせず、道端やガード下でただ分厚い布団にくるまって寒そうに横たわっているのみだ。電車の中では自分がいかに困っているか、金が必要かを朗々と演説したりする。パリでは街が華やかな分だけ、影も濃くなるのかもしれない。お金がない人には住みづらい街だろう。

呆然としたまま、エッフェル塔の近くの港からセーヌ川クルーズに参加した。日本語オーディオガイドを聞きながら、美しいパリの街を眺めるが、晴れた空とは裏腹に気分は落ち込んでいた。

クルーズ船を降りた後、定番の観光地に母を案内すべく、メトロで凱旋門へ。折しも時期は「黄色いベスト運動」の真っ最中であったが、平日はデモはやっていないらしく、凱旋門は観光客で溢れていた。写真を撮ってから、カフェでショコラを飲んで休憩する。

その後、シャンゼリゼ通りからバスに乗り、オルセー美術館に行く。ゴッホとルノワールの特別展をやっていたので、期待もしていなかったあの名画とかこの名画とかとご対面する羽目になる。ルノワールのぶらんこの絵は、中学の美術の授業で模写した。画集から気に入ったのを選んで描いたのが、それだったのだ。ピカソの「青の時代」から「ばら色の時代」にかけての作品を紹介する特別展もやっていた。母は「ピカソっていうのは不思議な絵よね~。お母さんはルノワールが優しそうだから好き。あとはマネが好き。けっこう美術館とか行くのよ」と私の知らなかった一面を開陳してくれた。

ホテルの近くのガレット屋で食事をした後、サンジェルマン・デ・プレを少し散歩する。デパートのボンマルシェに寄ったら、言っちゃ悪いが、ベルリンにはないお洒落な服がたくさん売っているので、吸い込まれるように眺める。ドイツの寒い冬を無事に越せるように分厚いセーターを買った。

母に部屋で休んでいてもらって、その間に芝居に行ってきた。観光も良いが、芝居一本ぐらい見ないとわざわざパリに来た意味がないと思って、昨晩調べておいたのだ。SWANNYで数年前に、下北沢の小さなバーでイヨネスコの『禿げの女歌手』を上演した。不条理演劇の古典で、自分で演出して、出演もした(『Nightingales〜イヨネスコ「禿げの女歌手」より』)。それを1957年以来、ずっと連続上演し続けてギネス記録も持っている「ユシェット座」という劇場があるのだが、ホテルから徒歩十五分だと分かった。Googleマップを頼りに早足でレストランの立ち並ぶパリの路地裏を歩く。ネットの画像で何度も見たユシェット座の前にたどり着いたら、けっこうな人が集まっている。窓口でチケットを買い、いつ劇場が開くのか分からぬまま、とりあえず入口で待っていると、背の高いやたらと美人の女性に「あなたも『禿げの女歌手』を見るの? ここで待ってたらいいのかな?」と話しかけられた。「私も分からない」と答えたが、その後になんとなく話が弾んだ。彼女はダリアという名でウクライナ出身だがパリの大学に通っていること、専門は理系だが演劇ファンでイヨネスコは大好きであること、もうすぐ就職してポーランドに行くことなどが分かった。女優か何かと思ったが、違うのか。私は日本で『禿げの女歌手』を演出したと自己紹介した。「ウクライナ出身なら、アンドレイ・クルコフという小説家を知っている?」と尋ねると、知っていると言う。

やがて劇場の扉が開き、彼女と並んで『禿げの女歌手』を見た。台詞は忘れかけていたが、膨大な量を一度は覚えたので、話の流れはほぼ分かる。舞台上の役者が喋るたびに、日本の俳優仲間たちの姿が思い浮かんでくる。歌手のブリジット・フォンテーヌも若い頃演じたという『禿げの女歌手』を私が一度やってみたかっただけの動機で上演して、俳優たちには何の利益もなかったのに、皆んな、大変覚えづらい不条理な台詞をノリノリでまくしたてて付き合ってくれた。ユシェット座のは初演のままの演出だそうだが、役者の動きも立ち位置も私たちがやった『禿げの女歌手』にけっこう近かった。昔は新奇で衝撃的だったであろう不条理演劇だが、今では本当に長く愛された上質なコントという赴きで、俳優も楽しそうに演じているのが伝わってくる。やっぱりイヨネスコは楽しくて良いんだ。私たちも、とても楽しかったもの。台本の途中に、役者同士がキスをしまくる所があって、「俺は本番では千木良の口にキスするぞ! 覚悟しろ!」と相手役の古澤健さん(映画監督)に言われ、「望むところだ、来い!」と言っていたのだけれど、いざ口にキスされたら台詞が飛んで、間を埋めようとした金子清文さんにパーンと頭をどつかれたなあ。漫画だよ。あの公演が一番、何の気負いも責任もなくやれて楽しかったかもしれない。脈絡のない台詞を覚えるのは大変だったけど、その分言えたときが気持ちよかった。

芝居が終わった後、ダリアが「すごく良かったね!」と話しかけてきた。つい一時間前に出会ったばかりだけれど、別れるのが名残惜しい。私が「ポーランドに最近、友達ができたから、来年春に遊びに行くかもしれない」と言うと「もしクラクフに来るなら、一緒に芝居を見ましょう」と言う。Facebookでフレンド申請をして別れた。

不条理演劇とFacebookのお蔭で、可愛いウクライナ人の友達ができてしまった。朝のスリの一件で落ち込んでいた気分が一気に回復した。意気揚々とホテルに戻り、母とホテルの真向かいのフランス料理屋で食事をした。やっぱり量は多すぎて食べきれなかったけれど、デザートのピスタチオのクレームブリュレが美味しかったし、そんなに高くない店なので地元の人が集まって楽しそうにしているのがとても良かった。

12/14(金)
前中、母のリクエストであるサクレクール寺院を訪れる。その後周辺のお土産屋などをぶらつく。母は生まれたばかりの弟の子どもに洋服を買えて嬉しそうにしていた。別に『アメリ』が好きでもないのに、ガイドブックに載っていたというだけで『アメリ』に出てくるカフェで昼食を食べたのだが、他の店でも良かった気がする。その後、母を説得して、私が行きたかったギュスターブ・モロー美術館へ。世界の中二病患者たちが憧れる伝説の奇書、ユイスマンスの『さかしま』を私も高校生のときに読んで、ギュスターブ・モローのサロメの絵に魅了されたものだ。一度は中二病は卒業したと思ったが、今この年齢になって再びあの虚ろな目をしたサロメやユピテルやプロメテウスの絵に心惹かれるとはいかなることか。モローが実際に住んでいたお屋敷が丸ごと美術館になっている。モローの居室や書斎を見学した後、上階のギャラリーへ。高い天井にまで届かんばかりの勢いで何十枚ものモローの絵が飾られている、ファンにとっては夢の空間である。母は、「なんだか怖い……」と入口付近のベンチに座って「ここで待っている」と言う。日本語解説パネルもあったので、見ながらゆっくりと鑑賞した。あの「ユピテルとセメレ」の本物が見られるなんて、パリまで来て良かったと私は満悦である。母の好きなルノワールやマネよりも芸術的価値が高いなんて全然思わないけど、まだインターネットもなかった十代の頃、好きで画集などをじっと眺めていたわけだから私としては思い入れが強い。大量のデッサンを自由に見られる棚があったり、各階に学芸員がいたり、モロー美術館は想像以上に管理が行き届いた立派な美術館だった。十代の私が憧れていた「変な絵」の画家は、この国では数多の画家の師ともなった、尊敬されるべき芸術家だったのだ。

最寄り駅からメトロに乗って、母の次のリクエスト、ノートルダム大聖堂を見学に行った。大聖堂自体には興味はないが、この近くには有名な本屋「Shakespeare & Company」 がある。アメリカ人女性シルヴィア・ビーチが開いた書店で、パリの作家や芸術家たちが集まったエポックメイキングな場所である。ここでは、大学生のときに好きだったガートルード・スタインの詩集« Tender Bottuns »(邦題:『やさしい釦』)のペーパーバックと、書店の名前入りトートバッグを買えて幸せな私。店の二階ではジャズピアノの演奏をやっていた。本屋の中には今でも作家志望の人間が泊まれる部屋があるらしい。本屋の隣には割と最近オープンしたという、Shakespeare & Company のカフェもあった。こんな場所が残されているならパリも良いな。

まだ時間が早かったので、リュクサンブール公園に行こうとしたら、ちょうど閉園したところだった。そこからかなり歩いて、ガイドブックに載っていた鴨料理のレストランを目指したが、ここはオープン前。「小一時間、どこかカフェに入ってオープンを待たないか」と私は提案するが、じつは相当疲れ果てていたらしい母はホテルに戻ると言って、回れ右して無言でどんどん前を歩いて行く。ちゃんと調べなかったことをひたすら後悔する私。母は疲れていても我慢して黙って歩き、怒っても無言になってしまう人だったのだ。昭和の時代に主婦をやって子どもを三人育てあげた人は苦労を表に出さないのである。分かりづらいぞ。

結局、ホテルの近くのレストランで夕食を食べたが、出てきた鶏肉もステーキ肉も巨大で固い。早々に片付けて店を出た後、このまま寝るのは寂しい、とのことで、スーパー「モノプリ」でビールを買うことに。母の一番の好物「アサヒスーパードライ」が売っていたので、一本だけ買ってホテルに戻った。どんな高級ワインよりも疲れたときには慣れてる味が良いという気持ち、すごくよく分かった。

12/15(土)
年以上前にパリに行ったとき、パレ・ロワイヤルの近辺を散歩するのが楽しかった記憶があった。もう他に行きたい所も思いつかなかったので、セーヌ川を渡ってルーブルを超えて歩いて行ったが、入口が閉まっていた。どこからか、パトカーのサイレンの音が聞こえてくる。週末の土曜日だから、近くで「黄色いベスト運動」のデモをもうやっているのかもしれない。しょうがないから、ガイドブックに載っていた古いパッサージュを目指してそのへんを散歩した。途中、若者向けの洋服屋で、母が寒さ対策のために可愛らしいニット帽を買っていたので、やっと自分のための物を買ってくれたと密かに喜んだ。もうその調子であんまり我慢も辛抱もせず、好きなことをして暮らしてほしい。

前日の反省を踏まえて、昼食のレストランを予約していた。土曜でどこも予約が埋まっている中、めげずに何時間もネットで調べた成果あって、美味しい魚料理を食べられたけれど、今度はデザートが巨大だった。満腹でよろけながらホテルに預けていた荷物を取りに行く。メトロと長距離電車で空港へ。

今回、肛門爆発や湯沸かし器事件、テストなどが重なって、パリについては完全にリサーチ不足だった。結果、喧嘩ばかりの旅行になってしまったが、最後に空港で別れるときには、全てをきれいさっぱり忘れたかのように、母は涙目で私を抱きしめてくれた。

「ベルリンに帰ったら、ちゃんとご飯を作るのは面倒くさいだろうから、お土産に持ってきた素麺を茹でて、にゅうめんにして食べなさい……茹でたほうれん草を冷凍しておいたから、入れてね」と最後のアドバイスが。感動的なまでにプラクティカルである。

荷物検査に向かう彼女を手を振って見送った。ベルリン行きの飛行機は別のターミナルである。搭乗口で2時間ぐらいスマホを見て過ごし、やっと乗れた飛行機でテーゲル空港へ。空港から家のあるシャルロッテンブルクまでは約20分である。アパートにたどり着くや否や、母に言われた通りに、素麺を茹でて食べた。一週間ぶりに一人になれたことにホッとしながらも、母がいなくなった部屋は少しがらんとして寂しい。今までで一番忙しい二週間だったかもしれない。

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
*特集上映
フレデリック・ワイズマンの足跡 Part.2 1986年-2014年
第3期:2019年1月22日(火)〜1月26日(土)(5日間)
第4期:2019年2月5日(火)〜2月9日(土)(5日間)
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/wi/wiseman_part2_2018_2019.html
会場:アテネ・フランセ文化センター

日本ヌーヴェルヴァーグとは何だったのか
2019年2月2日(土)~2月22日(金)
http://www.cinemavera.com/preview.php
会場:シネマヴェーラ渋谷

日活ロマンポルノ時代を疾走した、性愛のアナキスト -曽根中生 異端がいく
2019年2月9日(土)~4月26日(金)連日21:00よりレイトショー
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/sonechusei/
会場:ラピュタ阿佐ヶ谷

*封切作品
1/25公開
『サスペリア』ルカ・グァダニーノ監督 https://gaga.ne.jp/suspiria/
『ジュリアン』グザヴィエ・ルグラン監督 https://julien-movie.com/
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』スティーブン・フリアーズ監督 http://www.victoria-abdul.jp/

公開中
『クリード 炎の宿敵』スティーブン・ケイブル・Jr.監督 http://wwws.warnerbros.co.jp/creed/index.html
『マチルド、翼を広げ』ノエミ・ルヴォフスキ監督 http://www.senlis.co.jp/mathilde-tsubasa/
『ひかりの歌』杉田協士監督 http://hikarinouta.jp/

【美術等展示】
第11回恵比寿映像祭
The Art of Transposition トランスポジション 変わる術
2019年2月8日(金)〜2月24日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:東京都写真美術館/日仏会館 / ザ・ガーデンルーム / 恵比寿ガーデンプレイス センター広場、地域連帯各所ほか

【書籍】
スーザン・ソンタグ『ラディカルな意志のスタイルズ[完全版]』(管啓次郎+波戸岡景太訳、河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207629/
ジェームズ・スタネスク、ケビン・カミングス編『侵略者は誰か? 外来種・国境・排外主義』(井上太一訳、以文社) http://www.ibunsha.co.jp/
ネット配信ドラマ研究所編『ネットフリックス大解剖 Beyond Netflix』(DU BOOKS) https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK239