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2019.02.12

『女中たち』/歌うワークショップ/クリスマスマーケット|オーバーハウゼン/ジルベスターの花火
2018.12.16-12.31

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

『女中たち』/歌うワークショップ/クリスマスマーケット

12/16(日)
近くになってようやく起き、朝食を作る。旅行の後片付けや洗濯をした後、この日記の原稿を一日書いていた。何か芝居を見たいと思って、迷った末に、翌日のドイツ座での公演「女中たち」のチケットを予約する。

12/17(月)
、ドイツ座に『女中たち』を見に行く。パリで見た『禿げの女歌手』と同様、これも2016年の7月に浅草橋の小さなギャラリーで自分で演出して、出演もした。膨大な台詞を一生懸命覚えたので、他のドイツ語の演劇に比べてきっと見やすいはずである。中央駅からバスに乗ってドイツ座まで行き、劇場に入ると、奥行きのある舞台に回転式の鏡のパネルが設置されていた。客電が落ちる前から主演俳優二人が舞台の上を行き来して、部屋を片付けるという所作を行っている。40代ぐらいの男性俳優3名による、男だらけの『女中たち』である。英語字幕で台詞を思い出しながら見進めて行ったのだが、私たちが使った翻訳家の渡邊守章氏による流麗な日本語訳とは全然違って、ドイツ語訳はとにかくシンプルでセリフ回しも早い。女装の俳優たちがちょっとおどけた仕草をするだけで観客はげらげら笑っている。なんて軽いコント芝居に仕立て上げたのかと驚き呆れた。こっちの軽妙洒脱な演出のほうが、本来の戯曲の方向性に近いんだろうか。姉妹二人の愛憎を全面に出した私の演出は少しウェットすぎたんだろうか。

最後に、毒入りのお茶を妹のクレールが飲むところ、クレール役の男優が一瞬、顔を苦悶に引きつらせた後に「冗談よ」とでも言うようにウィンクをしていた。虚実が入り交じって何か本当か分からなくなる、この戯曲の感じがよく出ていた。外国人である私から見た偏見混じりのドイツ人のイメージは、「冗談が好きでシニカルで徹底的に合理的」という感じ。そのイメージに近いと言えば近い演出だったかもしれない。飯の種にもならないような、耽美や退廃を忌み嫌う気持ちはよく分かる。でも、ジュネをやるなら「女装」以外にももう少し退廃が欲しいというのが人情じゃないのか。フランス語で上演するとどうなるんだろう。

後半の畳み掛ける台詞の応酬に懐かしさが溢れ出してきて、またつい泣いてしまったけど、私の演出した華奢で儚い『女中たち』もこれに比べてそう悪くないんじゃないかなと思った(華奢で儚いのは、クレール役をお願いした北村早樹子さんの存在感に依るところが大きいが)。私が2016年に古民家で上演した、各回たった三十人の観客に向けた小さな『女中たち』も、ドイツ座の立派なキャリアある演出家と俳優たちに一度見てもらって意見を聞きたいな、とこちらに来て初めて思った。

 

12/18(火)
稿仕事を少しする。夜、日本人の友人に、プレンツラウアーベルクにあるタパス料理の店に連れて行ってもらった。Kulturebrauereiのクリスマスマーケットに行く。ここは、昔ビールの醸造所であった建物を文化施設に改装した場所で、映画館やイベントスペースなどがある。火の粉が飛ぶストーブに当たりながら、グリューワインを飲んだ。スパイス入りの甘いホットワインだ。別に特別なものが売っているわけでもないのに、クリスマスマーケットは賑わっていた。皆んな人と集まって喋るのを素朴に楽しんでいる感じで良かった。

12/19(水)
ンサーの手塚夏子さん、富松悠さんが毎週水曜日にスタジオを予約しているから良かったら遊びに来ませんかと誘ってくださったので、Theaterhaus Mitteに行ってきた。ベルリンに来てから、演劇らしいことを全然やれていなかったので少しでも身体を動かせるのがありがたかった。稽古着に着替えて、手塚さんや富松さんと互いの演劇経験などについて話す。その後、スタジオの中を動きながら、それぞれでデタラメな歌を歌う、というワークを行った。それぞれで、ランダムに紙に書き付けた単語を交換し合って、その言葉から発想した歌詞を即興でつけて歌う。歌なんかヘタだし、恥ずかしいのだが、20代の頃から年月だけは長い演劇経験の中で、こんなふうに人前で即興で何かする、という局面に立たされることは多かったので、やれと言われてやれないことはない(人が見て面白いかは別)。デタラメに歌っているうちに楽しくなってきた。最後に、手塚さん、富松さんと身体をぶつけ合いながら歌っていたら面白いシーンを作ることもできた。お二人のご好意で今後も定期的にこのスタジオ稽古にお邪魔させてもらえることになった。稽古場があると思うだけで心の拠り所になるから、本当にありがたい。

12/20(木)
ンもパスタも食べるのを止めて、毎日玄米を食べていたら、少しずつ体調が戻ってきた。手羽先とキャベツでスープを作る。仕事の原稿を書く。翌週から、オーバーハウゼンという西のほうの町に行くことになり、その飛行機のチケットを取った。オーバーハウゼンでは、友人の田中奈緒子さんと振付家のトーマス・レーメンが、地元の住民たちとアートを作る、というプロジェクトを行っているのだ。奈緒子さんが時々話してくれるそのプロジェクトに関するエピソードがどれも面白く、オーバーハウゼンに行ってみたくなった。折しも、文芸誌「文學界」にドイツ滞在についてのエッセイ(「すべてシャンパンの夢ならば–−ドイツ観劇記録」、「文學界」2019年3月号所収)を寄せることになり、奈緒子さんとトーマスの活動についてレポートしたいと奈緒子さんに言ったら、オーバーハウゼンのトーマスの家に泊まっても良いと言う。26日には、アートプロジェクトに参加した住民の皆さんとクリスマスパーティーがあるそうで、それに合わせて遊びに行くことになった。

12/21(金)
塚夏子さん、富松悠さんたちとSpandauのクリスマスマーケットに行く。ベルリンの西の外れにあるSpandau、かつてはベルリンとは別の村であったそうで、ここのクリスマスマーケットにはドイツの田舎の、伝統的な雰囲気が残っているという。冷たい雨がそぼ降るマーケットをそぞろ歩いて、またグリューワインを飲んだり、ソーセージを食べたり、くじを引いたりした。くじ引きで私は小さな虎のぬいぐるみを当てた。愛着が湧きそうなファニーフェイスだ。帰りに家の近くの老舗中華料理屋、Good Friendsで焼鴨を食べた。

12/22(土)
、市場でオレンジ色のバラの花、大根やトマトを買う。日記の原稿を書き終える。その後、去年慶應義塾大学の「メディアとしての身体」という講座で一回講義をやらせてもらったのだが、それが書籍化されるとのことで、原稿の加筆修正に取りかかる。夜は、先月の「ベルリン婦人の会」で出会った日本人の女の子と中華料理を食べに行く約束をしていた。ベルリン最大のデパートKadeweのクリスマス・セールを少し覗いたあと、待ち合わせのレストランへ。海鮮鍋を久しぶりに食べた。

12/23(日)
用の暖かいブーツがほしいと思って、電車に乗ってショッピングモールに行くが、どれも同じような、質実剛健で無骨なデザインの靴がずらりと並ぶ光景に、とりつくしまのない思いになり、何も買わずに帰ってきた。「Transfer Wise」というネットのサービスで、初めて日本の銀行口座から両替して海外送金を行ったら、手数料も安く、簡単に手続きできたのでホッとする。これも全てスマホのアプリで指一本でできてしまうのだから驚く。再び「メディアとしての身体」原稿を書く。夜、塩豚と大根を茹でて食べたら美味しかった。大根はスーパーでは売っていなかったが、市場で見つけて初めて買ったのである。ここしばらく体調が良くなってきたと思ったのに、急に下腹に湿疹ができて痒い。掻いていたら赤黒い跡が残ってしまった。いったい私の身体には何が起こっているんだ。

 

オーバーハウゼン/ジルベスターの花火

12/24(月)
「メディアとしての身体」原稿。エッセイではあるが、大学から出版されるのだからあまり軽い文章になっても良くないだろうと思って、ソンタグだのロベール・ブレッソンだのジャン・ジュネだの取り上げて身体論を書こうとしたら、私の頭脳には見合わない巨大な風呂敷を広げすぎたようで、収集がつかなくなった。もうすぐ旅行もあるし、締切までに書き終わるのかと泣きそうである。

夜は、日本人の友人とプレンツラウアーベルクにある日本風の焼肉のお店に行った。カルビだのロースだのの肉が部位別に出てきて、自分で網に載せて焼く、あの焼肉である! ドイツのスーパーで売られている肉は、脂身が全カットされて赤身だけのことが多いのだが、ここでは脂の乗ったハラミなんかも食べられる。さらにタレに漬けてあったりする! 美味しすぎて脳みそが溶けそう! 周囲のテーブルにはドイツ人の家族などもいるのだが、皆んな「なぜレストランに来て自分で肉を焼かねばいけないのか?」と戸惑うのかもなあとか考えた。

ドイツのクリスマスは、実家で家族と過ごすのが一般的らしいから、首都ベルリンには人がいなくなる。ドイツ人の友達のクリストフやエレナはそれぞれの実家に帰り、両親や親戚と食事したり、プレゼントを交換したりするらしい。店を出ると、大通り沿いのアパートメントの窓には全然明かりが灯っていない。街全体が徹底的に静まり返っており、確かになんだか神聖な気持ちになる。近くで営業していたバーに入って友達と少しお酒を飲んだけれど、店に集っているのは、クリスマスに家族で過ごす習慣がなさそうな、中東やアジアのベルリナーばかりだった。

12/25(火)
24日の夜から26日ぐらいまでがクリスマスの真っ最中であるらしく、店は休みだし外にも全然人が歩いていない。あまりに静かだし、一年でいちばん日が短い時期なので、16時近くなると辺りはもう真っ暗である。家でずっと原稿を書いていた。

12/26(水)
の日から三日間、オーバーハウゼンへ。テーゲル空港から飛行機に乗ってデュッセルドルフ空港へ。そこからモノレールと電車に少し乗り、オーバーハウゼンの駅に降り立った。田中奈緒子さんが駅まで迎えにきてくれて、一緒に「グスタフ通り」のトーマスの家に向かった。(オーバーハウゼンで過ごした3日間のこと、特に振付家のトーマス・レーメンのプロジェクトのことは「文學界」に書いたので、ここでは出来事を時系列順に書いておきたい。)

駅から数分歩いて鬱蒼とした林を抜けると、その先に煙突のある赤い屋根の家々が立ち並ぶ一画があった。ここがトーマスの住む「グスタフ通り」で、これらの家はかつて炭坑街だったオーバーハウゼンの労働者が住んでいた家を改修したものらしい。扉を開けると、トーマスが笑顔で出迎えてくれた。私が宿泊できるように二階の一室がきちんと準備されてあった。その部屋にはオーバーハウゼンの住民たちが作ったアートも飾られていた。

この日の午後から、町の住民たちを招いてのクリスマスパーティーが開かれるとのことで、キッチンで奈緒子さんの焼きおにぎり作りを手伝っていると、人が続々とやって来た。訳も分からず彼らに挨拶していると、突然楽器演奏が始まった。トーマスがベースを、彼の幼馴染みのハートムットさんがギターを引き始め、それに合わせて、アフリカのベナン出身の移民・チョイスが歌い出す。ものすごく歌が上手い。どうやらオリジナル曲らしい。奈緒子さんが住民の一人一人を紹介してくれた。シリア難民のロザン、アフガニスタンから来たナジム。いつも奈緒子さんにお土産を持ってきてくれる年配の女性ルチアは、パーキンソン病(だったか、あるいはそれに似た症状の病気だったか)で、歩行が困難なのだけれど、大胆な色使いの力強い絵をたくさん描くそうだ。トーマスが2018年末までやっていた「Brauchse Jobb? Wir machen Kunst」は、町の普通の人々に「給料を支払って」一緒にアートを作るというプロジェクトである。トーマスと奈緒子さんは、駅前商店街の一画に事務所を構え、アートを作りたいオーバーハウゼンの住民・難民・移民が訪ねてくると、彼らの個別の相談に乗って作品を完成させる手助けをしてきた。それが無事終了した記念の集りが、このクリスマスパーティーだったのである。2019年の年明けからは、彼らと今度はダンスを作るプロジェクトが始まるらしい。それに参加してみたいと思った。

シリア難民のロザンが、二階に飾られた自分の絵を解説してくれた。町で出会った老人たちの「手」のみを描いた絵が六枚。一枚だけ、シリアの風景画がある。ひび割れた石造りの家の絵だが、中央には真っすぐに正面を見据える女性の顔が描かれている。その周りに彼女の頭を覆うヒジャブの花模様と格子模様が散らばっている。「ISに襲撃された家は荒れ果てて植物も生えない。けれども、女性たちのヒジャブには花が咲いている」とロザンは言った。

また、「ISは女性を恐れている。彼らは『男と戦って殺されると名誉で天国に行けるが、女性に殺されると恥辱で地獄に落ちる』と信じているから」とも言った。(ちなみに、ロザンのこの一言の意味を理解するのに苦労した。彼女のドイツ語もまだそこまで上手じゃないので、奈緒子さんに訳してもらおうとしたが最初分からなくて、何度かロザンに聞き返し、最後にトーマスと話してやっと分かった。「異文化交流」と言うのは簡単だが、本気でやろうとすると、何から何まで苦労の連続に違いなかった。近道はないのだ。)

住民たちが全員帰って片づけを終えた後、1000ピースの世界地図のパズルがキッチンにあったのでちょっと手を出したら止まらなくなった。まだ大して話もせず、打ち解けていないトーマスと、奈緒子さんと一緒になって、ひたすら無言で何時間もパズルをした。夜が更けてトーマスが一人部屋に戻って寝てしまった後、ようやくパズルの手を休めて、奈緒子さんとお喋りを始めたらまた止まらなくなった。私の益体もないお喋りを奈緒子さんは丁寧に夜半過ぎまで聞いてくれた。

12/27(木)
床、コーヒーと朝ご飯をいただく。トーマスに「悠子は何のためにオーバーハウゼンに来た? ここで何をしたい?」と改めて聞かれてドキッとする。オーバーハウゼンの町を見てみたい、と言うと、すぐに案内してくれた。

グスタフ通りには同じような外観の家が幾つも並んでおり、それぞれによく手入れされた庭がついている。これらは先述の通り、オーバーハウゼンが重工業で栄えていた頃の工場労働者の家で、歴史的建築物として文化財登録されていたのだが、トーマスがまだ10代の頃には荒れ果てて廃墟となっていたそうだ。トーマスは仲間たちとここをスクワット(占拠)し、手入れとして棲家にしたりバンドのスタジオとして使ったりしたそうだ。そのうちトーマスはオーバーハウゼンを出て、ベルギーの大学に行き、その後はヨーロッパだけでなく世界各国に移り住んで振付家として活動するのだが、グスタフ通りの家々は仲間たちによって維持され、改修は重ねられて立派な住宅地に生まれ変わった。予算不足でせっかくの文化財を改修できていなかった市は彼らの居住を正式に認め、今後は市から改修予算が下りることも決まっているらしい。

庭の緑滴る芝生を踏みしめて、トーマスについて歩いて行くと、外壁に絵の描かれた家の中に案内された。ここは昔の労働者の集会所であったそうだが、今ではグスタフ通りの人々が定期的に集まって会議やパーティーをする場所として使われているのだそうだ。さらに場所を移って、数軒先の庭を覗くと、トーマスの友達が飼っている鶏が囲いから出て脱走しようとしていたので、三人で慌てて追いかけて囲いに戻した。その庭には猫や大きなハムスターもいた。数軒先の庭では伝書鳩も飼われているという。

グスタフ通りを出て駅を越え、ダウンタウンに向かう。商店街を通ったが、スーパーも服屋も靴屋もレストランもベルリンで見たことがあるチェーンストアで、個人商店は全然ない。町行く人の顔ぶれは、移民らしき外国人が多く、白人ならば老人ばかり。トーマスは現在、オーバーハウゼン市から文化事業のアドバイザー的な仕事も任されているそうで、閉店したスーパーマーケットをアートスペースにする事業を手伝っていると言ってその場所を見せてくれたが、近隣住民は市が推薦するようなアカデミックな芸術家による高尚なアートに興味が薄く、アートスペースは町に浸透しているとは言い難いのだそうだ。なんだか、日本の地方都市の状況とそっくりな気がした。

この街では珍しく個人経営の、ポーランドのカフェは休業日だったので、チェーンストアのカフェで簡単にお昼を済ませる。途中のショッピングセンターのスーパーで買物をして、家に戻った。帰るやいなや、昨日盛り上がった1000ピースのパズルの続きに三人で没頭し、とうとう完成。最後のほうなど、真っ白なピースを形だけ頼りにただ嵌めていく作業が続き、頭がどうにかなりそうだったから本当に嬉しかった。

夕食には餃子を作った。また、家に買ってあったタコを茹でたら、最初噛み切れないぐらい固くなってしまったのだが、スマホでタコの茹で方を検索して、レシピ通りに煮たら、見事に柔らかくなった。「悠子は料理がうまい」と喜ぶトーマス。「いつでも家に泊まって良い。来月から始まる、ダンスのプロジェクトにもぜひ参加してほしい」と言われる。完全にクックパッドのおかげである。

この夜も、奈緒子さんとお喋りしていたら話が止まらなくなった。この日の話題はほとんどアートのことだったので、なんて真面目な二人だろうかと心の中で自画自賛する。

12/28(金)
床の後、朝ご飯をいただく。トーマスが私に、日本でどんな演劇をやっていたのかと聞くので、SWANNYのホームページなど見せて説明した。「いいね。きみはロザンたちのために台本を書いても良いだろう。次はいつ来る?」。ダンスのプロジェクトは2019年3月2日に公演を行う予定だそうで、1月の半ばから週4日の稽古が始まるとのことだった。とりあえず、1月末にまたオーバーハウゼンを訪れ、稽古に参加させてもらうことになった。

この日の夜、デュッセルドルフ空港を出発する飛行機を取っていたので、昼ごろにトーマスと別れて家を出、奈緒子さんと電車でデュッセルドルフに行く。かつてデュッセルドルフの芸術大学に通っていた奈緒子さんが、町を案内してくれた。ドイツでいちばん日本人が多い都市だそうで、日本食レストランの並ぶ一画もある。新しくできたという有名な蕎麦屋に行き、天ぷら蕎麦を食べた。久しぶりの蕎麦に感激しつつ、ズルズル音を立てて啜っていたら、隣の白人カップルも真似してズルズル音を出し始めた。どうもヨーロッパには麺を啜るという文化がないらしい。麺を啜るのは行儀が悪いことなのかもしれない。ヨーロッパの人、大きな音で鼻をかんだりはするけれど。

店を出て、年末の買物で賑わう人々に紛れて歩く。デュッセルドルフは大きな都市だ。デパートや商業施設の立ち並ぶ新市街を突っ切ってライン川のほうに歩いて行くと、古めかしい建物の連なる旧市街に入る。巨大な観覧車の横を通り抜け、ライン川沿いの遊歩道に出ると、広い空の下を大きな船が行き来しているのが見えた。川向こうには近代的な高層ビルも立っているから、ちょっと横浜の港に来たみたいだ。ライン川近くの大学や博物館の周りを歩きながら、奈緒子さんの大学時代の思い出話など聞いた。

川沿いのカフェで奈緒子さんの友人と待ち合わせをしていた。こちらで芝居の演出をやっている日本人のアーティストだ。三人でお茶を飲みながら、彼がデュッセルドルフで行った公演の話などを聞いた。ライン川の風景に濃紺の夜の帳が下りて行く。

飛行機の時間が近づいてきたので、すっかり暗くなった頃にカフェを出た。トラムと電車を乗り継いで、デュッセルドルフ空港駅まで行き、奈緒子さんと別れる。定刻通りの飛行機に乗って夜遅くにベルリンに到着。パリから帰ってきた日と同じように、また素麺を茹でて、簡単な食事をしてから眠った。

12/29(土)
行の後片付けや洗濯をしてから、再び家で「メディアとしての身体」の原稿を書く。お腹にできてしまった湿疹がいつまでも治らなくて痒い。

12/30(日)
日はもう大晦日(ジルベスター)である。ベルリンのジルベスターは、静かなクリスマスとは打って変わって、友人同士で集まって、打ち上げ花火をしながらパーティーするらしい。特に予定がなかったのでどうしようかと思っていたら、友人が、日本人のミュージシャンのお宅で行われるパーティーに誘ってくれたので行くことにする。

「メディアとしての身体」の原稿が全然進まないので、昼は近所のカフェに行って書く。この翌日が締切日だったが、夜中にやっと書き終わったと思ったら、あろうことか字数を大幅に超過していたことに気づく。慌てて連絡をすると書籍全体の締切が数ヶ月先まで伸びたとのこと。1月末締切に変更してもらった。

12/31(月)
ルリンにいると言っても、一応大晦日なので、部屋の大掃除をする。アジアンマルクトに買物に行って、切れている米やパーティーのお土産用の日本酒を買った。

あまり普段行かないフリードリヒスハイン地区のほうまで電車とトラムを乗り継いで行く。Sバーンで隣の席に座ったおばさんが、下りる時に私に何か喋りかけてくるから、何度もSorry と聞き返していたら、最後に「Happy New year」と言ってくれた。「良いお年を」とドイツ語で声をかけてくれていたのだ。

道すがらもまさか銃声ではないのかと思うような、激しい花火の爆発音が鳴り響き、煙が漂ってくる。はっきり言って怖い。時間通りに指定のお家に行くと一番乗りだった。家の人と喋りながら待っていると、だんだん人が集まってきた。鍋を食べながら日本酒を飲む。そうこうしている間にも外では花火の爆発音が。バルコニーどうしで花火の撃ち合いをすることもあるのだそうで、なぜ好き好んでそんな危険な真似をするのか全然分からない。すっかり鍋を食べ終わり、大晦日であるのを忘れてお喋りに興じていた頃、「そろそろカウントダウンだ」と誰かが言った。見ると窓ぎわに巨大な花火セットがちゃんと用意してある。私たちもやるのか! 零時ちょうどに合わせて小さなバルコニーに五、六人で群がってロケット花火をセットし、火をつける。眼下の四つ角でも、近くの公園でも花火が上がっている。

バンバンという音とともに、辺り一面煙が漂って、戦争ってこんな感じだろうかと思う。新年が明けてめでたいはずなのに、ただただ恐ろしい。日本ではお正月ってのは神聖なものなんだ! 普段なんの信仰心もない人も敬虔な気持ちになって家を掃除したり、神社に初詣に行ったりして新しい年を「お迎え」するんだよ! こんな不真面目なハイテンション年越しでドイツの人たちは本当に新年がやってきてくれると思うのか! と呆れるのも束の間、気がついたら私もキャーキャー叫びながらロケット花火や線香花火に火をつけ、煙がもうもうと上がる中、シャンパンで乾杯していた。

明けましておめでとう! Frohes neues Jahr!

集まった六、七人の中でドイツ人は一人だけで、後は日本人だったけれど、みんなこちらに長く住んでいる人だ。私がボンヤリ日本で年を取っている間に、彼らはこの国でビザを取り、仕事を得て、自分の居場所を作って立派に生活している。どれほど苦労があったかと頭の下がる思いがした。

花火を打ち上げた後、蝋を水に垂らしてその形で新年の運勢を占う、という遊びをやった。これはドイツの新年の遊びらしいのだが、最近はあまり流行ってないらしく、セットを売っている店がなかなか見つからなかったらしい。水中に飛び散った蝋の形を見て、これはライオンだとか太陽だとか適当に決めると、セットの裏に今年はうまくいくとか金が儲かるとか占いが書いてあるのだった。

書き初めもした。ちゃんと家の人が墨汁と筆を用意してくれていたので、それぞれで習字をする。私はノリで「幸せ」と「檸檬」という字を書いたが、小学校のときに習字教室に通っていた輝かしい過去はどこへやら、墨汁が飛び散って全然上手く書けない。

後片付けを少しして、午後三時頃に失礼することになった。まだ煙の漂う道を、数人で連れ立って駅に向かう。道端には花火の残骸が派手に散らばっている。Warschauer Straßeの駅周辺はものすごい人だかりで、これからさらに遊びに出かける人もいそうだった。ベルリンの遊び人たちは元気だなあ。Sバーンに乗って家に帰った。初詣もおせち料理もない元旦だけど、やっぱり年が明けると気分が全然違う。昼に大掃除をしておいて良かったと思った。

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
*特集上映
城定秀夫監督『恋の豚』単独上映決定&特集上映!!
2019年2月2日(土)~2月15日(金)
https://www.mmjp.or.jp/pole2/
会場:ポレポレ東中野

日本ヌーヴェルヴァーグとは何だったのか
2019年2月2日(土)~2月22日(金)
http://www.cinemavera.com/preview.php
会場:シネマヴェーラ渋谷

日活ロマンポルノ時代を疾走した、性愛のアナキスト -曽根中生 異端がいく
2019年2月9日(土)~4月26日(金)連日21:00よりレイトショー
http://www.laputa-jp.com/laputa/program/sonechusei/
会場:ラピュタ阿佐ヶ谷

*封切作品
2/8公開
『21世紀の女の子』 http://21st-century-girl.com/
『ファースト・マン』デイミアン・チャゼル監督 https://firstman.jp/
『アクアマン』ジェームズ・ワン監督 http://wwws.warnerbros.co.jp/aquaman/

公開中
『メリー・ポピンズ リターンズ』ロブ・マーシャル監督 https://www.disney.co.jp/movie/marypoppins-returns.html
『バーニング』イ・チャンドン監督 http://burning-movie.jp/
『サスペリア』ルカ・グァダニーノ監督 https://gaga.ne.jp/suspiria/
『ジュリアン』グザヴィエ・ルグラン監督 https://julien-movie.com/
『ヴィクトリア女王 最期の秘密』スティーブン・フリアーズ監督 http://www.victoria-abdul.jp/

【美術等展示】
第11回恵比寿映像祭
The Art of Transposition トランスポジション 変わる術
2019年2月8日(金)〜2月24日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:東京都写真美術館/日仏会館 / ザ・ガーデンルーム / 恵比寿ガーデンプレイス センター広場、地域連帯各所ほか

【書籍】
シャルル・ペギー『クリオ: 歴史と異教的魂の対話』(宮林寛訳、河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309619965/
ジャック・ランシエール『哲学者とその貧者たち』(松葉祥一・上尾真道・澤田哲生・箱田徹訳、航思社) http://www.koshisha.co.jp/pub/archives/727
松村正人『前衛音楽入門』(Pヴァイン) http://www.ele-king.net/books/006670/
マーク・フィッシャー『わが人生の幽霊たち──うつ病、憑在論、失われた未来』(五井健太郎訳、Pヴァイン) http://p-vine.jp/music/isbn-978-4-909483-18-8