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オペラ『こうもり』|ゲッティンゲン/舞台『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』|演劇版ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』
2019.1.01–01.15

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

オペラ『こうもり』

1/1(火)
床。おせち料理はないから、蕎麦を食べる。宮古島で食堂をやっている友達「みゆきねえね」から、新年の挨拶のラインがあった。そのあとビデオ通話に切り替えて会話した。宮古とベルリン、遠く離れているのに、互いの顔を見ながら話せるなんてすごい! ねえねから、「ちぎちゃんは正直で優しい」「喧嘩しても自分から人に歩み寄れるところが強さだ」と突然べた褒めされる。なぜ、ねえねの中でそこまで私の評価が高いのか。宮古島の家の片づけを手伝ってあげたから? そんな大した人間じゃないんだけど、と思いながらも、新年の贈り物だと思って何よりありがたく受け止めた。そういうことを他人に言える、ねえねのほうが、正直で優しいのだ。

夜、徒歩五分のオペラ座、Deutsche Operの新年の演目、ヨハン・シュトラウスの『こうもり』を見に行く。これがとても良かった。一幕目の舞台美術は、普通に昔の貴族のお屋敷。二幕目は男爵家の邸宅の場面のはずなのだが、これがナチス時代の高官の家に設定変更してある。三幕目の刑務所は、レトロ・フューチャーな未来に設定変更で、刑務官はAIロボット。ある意味コントのように典型的なダサい美術と演出だったけれども、そこが良かった。演出家は、新年恒例のおめでたい演目『こうもり』に、わざわざユダヤ人がナチスに付け狙われ、捕らえられる数分間のムーブメントを入れたり、AIロボットが「人間にこき使われて絶望している」と嘆く台詞を入れたりせずには、いられなかったというわけだ。その気概と、受け入れるベルリンの観客の成熟度に感じ入った。

キャストたちが客席に出てきて「すべてシャンパンの酔いが見せた夢だ」と歌うクライマックスのシーンにはまた涙が出た。ナチ時代も、大企業の作ったヒューマノイドロボットが人間にこき使われるであろう近未来も、すべてシャンパンの夢ならば良いけれど、動かし難い現実だ(近未来のほうは、まだ変わる可能性もあるが)。つい数ヶ月前に訪れた「ヴァンゼー会議」が行われた貴族の邸宅を思い出し、「歴史博物館」で見た収容所の写真を思い出した。ああいった歴史を踏まえて今のベルリンがあることを実感する。「新年から良い物を見た」としみじみ考えながら、暗い夜道を帰った。

 

1/2(水)
「文學界」用のエッセイ原稿を書き始める。午後、下腹にできた謎の湿疹が消えないので、近所の皮膚科に予約を取って行ってみた。少し待った末、診察室で男女二人の医師に湿疹を見せる。「金属アレルギーはありますか?」などと英語で聞かれた。「アレルギーはない」「ベルリンに来てようやく半年なので、環境の変化によるストレスかもしれない」と伝えると、薬を塗って様子を見ろと言われた。処方箋を貰い、三軒の薬局をはしごしてようやく薬を手に入れる。

夜、クリストフとマヤと食事の約束をしていたので、ノイケルンに行く。彼らの家の近くに新しくできたイタリア料理屋でボロネーゼを食べた。しかし、残念ながらこちらで食べるパスタはたいてい麺が伸びている。アルデンテをありがたがる習慣があまりないみたいだ。マヤとクリストフの可愛らしい「馴れ初め」の話を主に聞いた。

1/3(木)
「文學界」の原稿を書く。夜、UDK(ベルリン芸術大学)内のアトリエで学生達と鍋をやった。数ヶ月前に友人宅で出会った、日本の美術大学の学芸員の方が誘ってくださったのだ。学生の作品や、絵の具が無造作に転がっているアトリエで、普段絵の具を洗ったりする水道を使って野菜を洗い、切っていく。少人数で酒粕入りの鍋を食べた。学芸員の方から、日本からのお土産で「ラーメン茶漬けの素」とか「お好み焼きの素」とか「おたふくソース」とか「あさげ」とか、日本にしかない、こちらのアジアンマーケットにはきっと売っていないような物を大量にいただいて、ちょっと早めに帰宅する。その後また原稿を書いた。

 

1/4(金)
所のパン屋カフェで原稿を書く。奈緒子さんが、多和田葉子さんの小説「聖女伝説」の文庫版を貸してくれたので読んだ。

1/5(土)
、ドイツ座で芝居を見る。ベルイマンの映画『仮面/ペルソナ』を舞台化した演目だが、映画と全然雰囲気が違った。元の映画『ペルソナ』の静謐なトーンが好きだったから、どうしても比べてしまう。肉体の生々しさが削がれた白黒映画の中で、人間の内面が徹底的に暴き出されていくのがあの映画の良さなのに、ほとんど別物だった。 最初のシーンは一目見て病院と分かる場所だが、しばらくすると舞台セットが主人公の内面世界らしき場所に変わって行き、やがて上空から水が降ってくる。主役の二人の女優は水浸しになって取っ組み合いの喧嘩をしたり、血を流したりする。舞台にかかった薄い幕の向こうに全裸の俳優がいて台詞を言ったりする。それぞれの熱演に感心したけれど、熱い芝居をやりたいなら『ペルソナ』じゃなくても良かったのではないかと少し思った。

1/6(日)
、フォルクスビューネ近くの映画館「Babylon」でフリッツ・ラング監督『メトロポリス』のオーケストラ付き上映があったので見に行った。「メトロポリス」は1920年代、ヴァイマル共和制時代のベルリンで撮影されたSF映画黎明期の超傑作だ。いつかベルリンで「メトロポリス」を見てみたい、という夢を抱いている人は私以外にも多かったようで、チケットを予約しようとしたら危うく売り切れ寸前だった。

友人と映画館で待ち合わせし、売店でビールを買って飲む。劇場は満員で、1920年代のコスプレをしている観客もいた。『メトロポリス』にはいくつものバージョンがあって、今回は約3時間半の「本当の」完全版なので、いくらなんでも飽きるのでは、と心配したけれど、いざ始まってみると、休憩も二回あったし、さすがの名画の迫力で、集中して見られた。私は今まで、DVDで発売されている短いバージョンしか見たことがなかったので、知らないシーンの連続だ。ラスト近くのたたみかけるようなクライマックスに夢中になった。20年代にこれだけの大群衆を雇って撮影するまでにどれだけの苦労があっただろうか。3時間半ぶっ通しで演奏されたオーケストラの演奏は、ときどき音が少し外れているような気がしないでもなかったけれど、当時のオリジナル音楽をライブで聞ける機会が得られたという事実だけで、もう嬉しい。(オリジナルはGottfried Huppertzという作曲家が作ったらしい。)

鑑賞後に、サントラを口ずさみながら、友人と近くのドイツ料理店まで歩いて行って、少し食事した。観光客向けのお店で、ドイツの民族衣装らしき服を着たミュージシャンや歌手が、時代遅れな音楽を大音量で騒がしく演奏していた。夏にベルリンに来たばかりのとき、屋外のカフェで注文したのと同じ、ミュンヘンの白いソーセージを皮を剥いて食べ、ビールを飲んだ。あれからもう半年も過ぎてしまったのかと感慨深い。

 

ゲッティンゲン/舞台『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』

1/7(月)
の日も「文學界」の原稿。スーパーで買った手羽先でスープを作ったら美味しかった。以前も書いたかもしれないけれど、牛も豚も鶏も、こちらのスーパーで売っている肉には全然脂身がないのだ。唯一脂身つきなのは、鶏の手羽先とモモ肉なので、だんだんそればかり買うようになってきた。日本にいるときは、別に脂身なんか好きでもなかったのに、食べられないとなると、欲しくなるものだ。

1/8(火)
、友人のクリストフのライブがあるので、ノイケルン地区の小さなライブハウス「Loophole」に行った。Googleマップを頼りに真っ暗な通りを歩いていき、看板がないのに不安になりながら、住所の建物のドアを開ける。入って右手にバーカウンターがあり、小さなラウンジに映像が流れている。ライブが見られるのは奥の別の部屋で、その入口には天狗のような謎の仮面が架かっている。しばらくクリストフたちと話をしていたら、開演時間になった。

クリストフは日本語の研究者だが、ノイズミュージシャンでもあって、バーベキュー用のフォークや風船を使って演奏する。クリストフが、風船を膨らませた後、フォークでそれを突ついてキュインキュインと変な音を出すのを見ていると、彼の中の発明や発見の道筋を一緒に辿れるみたいで楽しい。音楽が演奏される間ずっと、彼のクリエイティビティは途切れず持続していく。彼のライブを見ると、その度に勇気を貰えるように思う。終了後、ライブハウスのすぐ近くにあるバーで友人と少し飲んでから帰る。お爺さんが一人でやっていて、昔ながらのジュークボックスなんかがある古めかしい店だった。

1/9(水)
「文學界」の原稿を終えて編集者に送った。翌日から、ゲッティンゲンという小さな街に行くことになっていたので準備をした。少し前に、人の紹介でベルリン自由大学に留学をしている明日香さんという院生に出会い、親しくなった。彼女はドイツ映画を研究していて、ファスビンダーの映画『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』で論文を書いたこともある。話がはずんで、1月10日にゲッティンゲンの公立劇場で行われる『ペトラ・フォン・カントの苦い涙』の演劇バージョンを見に行くことになった。

ゲッティンゲンの近くの村出身で、ゲッティンゲンの高校に通っていたというクリストフも、ちょうど実家に帰るタイミングだそうで、街を案内してくれることになった。なんでも、幼馴染みのお母さんが、その週末に誕生日パーティーをやるらしい。こちらでは誕生日がとても大切で、誰も彼もが頻繁に盛大なパーティーを開くのだとか。日本と違うのは、資金も準備も全て誕生日の張本人の仕事になるところで、クリストフの幼馴染みのお母さんはスタジオを借り切って80人ぐらい招くという。なんだか大変そうだが、ドイツにはパーティーやプレゼント交換が好きな人がどうも多いみたいで、何かにかこつけてやっている。

1/10(木)
ルリン中央駅から長距離列車に乗ってゲッティンゲンへ行く。昼過ぎに着いて、駅の近くのホテルにチェック・インした。明日香さんがドイツ語で受付をすべて済ましてくれたので、とても助かった。近くのイタリア料理屋でお昼を食べ終ているとクリストフとマヤがやって来た。

クリストフが街を案内してくれた。ゲッティンゲンは大学が有名で、ドイツで最も多くのノーベル賞受賞者を輩出している。グリム兄弟やショーペンハウアーやフッサール、ハインリヒ・ハイネ、コッホやガウスなどがゲッティンゲン大学出身だそうだ。小雨が降る中、旧市街をクリストフとマヤ、明日香さんと四人で散歩した。今まで私が訪れたドイツの大都市と違って、ゲッティンゲンはほとんど空襲の被害を受けていない。だから、赴きのある古い建物がたくさん残っている。13世紀から15世紀にかけて建築されたという旧市庁舎の中を見学した。その前の広場には、「ガチョウ番の娘リーゼルの像」が立っている。グリム童話に登場する少女なのだが、ゲッティンゲン大学で博士号を受けた者は、像に上って彼女の頬にキスをする、という風習があるらしい。像の写真を撮った後、老舗のカフェで、バームクーヘンを食べた。

夜の演劇の時間まで、さらに街を散歩する。クリストフは明日香さんとドイツ文学の話題でひとしきり盛り上がっていた。旧市街に幾つかある本屋に立ち寄る。クリストフは明日香さんにお勧めのドイツ文学を紹介し、私にも「悠子も一緒に、ドイツ語の本読もう」と言って、「Die Kleine Hexe(小さな魔女)」という本を買ってプレゼントしてくれた。日本でも人気の「大どろぼうホッツェンプロッツ」等の作者、オトフリート・プロイスラーによる児童文学である。私は子どもの頃に「ホッツェンプロッツ」が大好きだった。ドイツの勉強はしばらく中断していたが、「Die Kleine Hexe」で再開するのは良いアイディアかもしれない。

開演時間が近づいてきたので町外れの公立劇場まで行く。偶然なのだが、この日、クリストフのご両親も同じ回を見ることになっており、ご挨拶することができた。さすがジェントルマンのクリストフのご両親で、上品で優しそうなご夫婦である。
劇場脇のラウンジでスタッフによる事前の解説を聞いてから、芝居を観た。まずは女優が全員で歌を歌い、その後はそれぞれ舞台上につねにスタンバイして、シーン毎に役を演じ、突然音楽に合わせて踊り出したりする。最近注目の若手演出家が手がけたらしく、見やすいアレンジが加えられていると思った。けれども、映画の魅力である「えぐい」ぐらいに濃厚な味が削がれているのは、ファスビンダーのファンとしてはやっぱり残念だ。ポップで可愛らしい雰囲気の『ペトラ』は、果たして『ペトラ』と言えるのか。

終演後にクリストフのご両親が車でホテルの近くまで送ってくれた。明日香さんとホテルの数軒隣にあるスペイン料理の店に入って、食事をしながら感想を述べ合った。芝居としては楽しめたし女優も好演していたけれど、あれだとシンプルな「女性同士の心のすれ違いを描く恋愛ドラマ」になってしまう、というのが共通の感想だった。映画の「ペトラ」の美しさと不気味さは、登場人物全員が鏡の中だけを見つめているような、自閉的な世界観から生じるのだと思う。映画を見る度に、主人公ペトラの見ている鏡の中に有無を言わさず引きずり込まれるような快楽がある。多くの観客が共感できる、風通しの良い演劇を作りたいなら、別のストーリーを取り上げればいいのだ。でも、ならばどのように演出すれば良かったかは明日香さんとどんなに話し合っても分からなかった。彼女も、論文を書いたものの、あの映画の魅力についてまだ充分に解き明かせていないと言う。

ホテルに戻り、シャワーを浴びて眠った。明日香さんと会うのはまだ今日で二回目なのに、いきなり小さなツインベッドで添い寝である。うまくやれるかしらとじつは心配していたのだが、明日香さんはだいぶ年下なのになんだか飄々とした雰囲気の人なので大丈夫だった。

1/11(金)
床して朝ご飯を食べた後、ホテルのサウナに行く。温度が高すぎて辟易したが、ずいぶんと血行が良くなった気がした。外は寒く、小雨が降っている。午後からクリストフにゲッティンゲンの街を案内してもらった。まずは、かつて城壁があったという遊歩道を散歩する。途中、ビスマルクが住んでいたという家を見た。クリストフ曰く、若い頃のビスマルクは素行が悪く、町外れのここに住まわされたらしい。

冬の雨に濡れる植物園を歩いてから、ゲッティンゲン大学を少し覗く。若い人たちでキャンパス中が賑わっていた。

歩き疲れたので植物園内のカフェに入って休んだ。トマトのスープを飲んで身体を温めていると、クリストフの高校時代の幼馴染みである、ハーディがやってきた。翌日、盛大な誕生日パーティーを開くのは彼のお母さんなのである。ハーディはじつはファスビンダーの映画のファンで、クリストフに初めてファスビンダーを教えたのも彼らしい。ちなみに「悪魔のやから」という、私も大好きな、ちょっとマイナーでブラックユーモア満載のファスビンダー映画が大好きとのことだった。ハーディーも含む四人で旧市街のバーに入って、黒ビールを飲んだ。それからまた街の中をしばらく散歩した。

夜、地元で人気のドイツ料理レストランで、Bregenwurstを食べた。これはゲッティンゲンのあるザクセン地方の名物料理で、輪っか状の豚肉ソーセージなのだが、グリュンコールという葉野菜の煮物とジャガイモと一緒に食べるのが決まりらしい。
一目見て絶対に食べきれないと分かる量が出てきて、期待しないで口に運んだのだが、なんだか妙に癖になる味である。完食はできなかったが、Bregenwurst、とても気に入った。

1/12(土)
し遅めに起きて、再び旧市街へ。初日に訪れたバームクーヘンのカフェに明日香さんと二人でもう一度行き、お茶をした。昼頃、クリストフとマヤと待ち合わせて、イタリアンレストランでスパゲッティを食べた。ここでクリストフたちとはお別れ。

街の歴史を知ろう、とゲッティンゲンの歴史博物館を見学する。ゲッティンゲンは歴史の古い街で、館内には相当古い時代のキリスト像やマリア像が展示されていたのだが、それに加えて展示の最後に、ゲッティンゲンの歴史に女性がどのように登場するかだとか、ユダヤやアラブ世界からの影響に言及するコーナーがあったりすることに好感を持つ。博物館には「世界の宗教」等々に関する絵本も置かれていたから、小さな子どももここを訪れるのだろう。多文化が混じり合うドイツで、平和を実現するために教育がどれほど重要かに思いを馳せる。一階の小さな展示場では、20世紀初頭の社会主義運動とナチス政権の誕生までの流れに関連する写真展示が行われていた。

もう相当歩き回ったのでやることがない。仕方なく、明日香さんとホテルの近くのカフェでお喋りをして時間を潰そうとしたら、やたらと話が盛り上がってしまって、みるみるうちに電車の時間がやって来た。電車でもそのままお喋りをし続け、ベルリンに着くまでの3、4時間が一瞬のうちに過ぎた。中央駅で明日香さんとお別れ。充実した二泊三日だった。

1/13(日)
し手直しをした第二稿を「文學界」に送る。午後、Theaterhaus Mitteでダンサーの富松悠さんのダンス稽古を見学した。彼女は数日後の小さな発表に合わせた準備をしており、途中までできあがった動きを見て、あれこれ意見を言わせてもらった。彼女のやりたいことを実現させるためには少しコンセプトの整理が必要だと思ったけれど、これは彼女の作品であって演出をするわけではないから、一緒にどうすればいいか考えるに留めた。富松さんと手塚夏子さんと何度か入った、このTheaterhaus Mitteのオープンスタジオで、手塚さんは「今は完成形を作ることに興味を失っていて、ショーイングではプロセスを提示したい」と言っていた。意見を言う機会が与えられたから、どうしても完成に近づけたくなったけれど、別に大劇場の公演でもあるまいし、この日私が稽古を見学したことも創作のプロセスの一つ、それで良いのかもしれない。帰りに富松さんと二人で、アジアレストランでビールを飲みながら春巻きを食べた。

 

演劇版ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』

1/14(月)
記を書いていた。夜、ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』の演劇版が上演されるというのでVolksbuhneに行く。早く着いてしまったので、近くのラーメン屋でラーメンを食べる。日本のラーメン、久しぶりに食べた。

ウルフのファンなので、どんな『灯台へ』になるか興味津々だったが、Volksbuhneの一番小さいスタジオで行われたそれは、だいぶ奇妙なものだった。女性1名と男性2名、3人の役者が登場して、『灯台へ』の各シーンをダイジェストで演じるのだが、手足を宙に浮かした操り人形のような奇妙な動きをしながらの芝居と、オーソドックスな芝居との二種類が交互になされる。延々これが続くのか、と思いきや、後半で突然、主演の女性がペンキを持って登場する。そして舞台両脇のピンクの壁を、蛍光黄色に塗り替えはじめるのだ。その場面で、正面上方に設置された電光掲示版に(ドイツ語なので自信はないが)近年の女性の社会進出に関する歴史的事項が次々と表示されていく。それが三十分近く、延々と続く。観客は女優が壁を黄色く塗るのをただ見ることになる。ペンキが服にかからないように、前の席に座った観客のためにカバー用のビニールが用意されていた。

ウルフの芝居だから最後はフェミニズム、というのはずいぶん乱暴で、短絡的なまとめ方だと呆れ返ったけれど、まるで女性の社会進出によって世の中の有り様が変わることを示すように、壁の色がみるみる塗り替えられていくのを眺めているのはなかなか良い気分だった。こんなに訳の分からない、実験的な芝居であったのに、終演後のカーテンコールで、いつまでも拍手が鳴り止まないのも不思議だ。ベルリンの意識の高い作り手と観客による自己満足、と一蹴されても良いような作品かもしれないけれど、こういった上演が成立していること自体が奇跡のようだ、と眩しく思う。先進国中最悪のジェンダーギャップの国から来た東アジア人の私は、そう思う。

1/15(火)
ヶ月前に亡くなった、歌手の渚ようこさんを「送る会」が東京のライブハウスで行われたという。日本の友人から様子を知らせるメールがあり、電話もかかってきた。友人は天の邪鬼な人だから、「音楽イベントだったから、会場が盛り上がるほどに寂しい気持ちになってしまって、追悼って結局、一人で心の中でやるべきものかもと思った」と言う。私が「でも皆んな、そんなこと分かっていても何かせずにはいられなかったんだろうし、残された人が集まる場も必要なんじゃないの」と言うと、「そうだけどなあ」と言葉が見つからない様子だ。

夜、ノイケルンの小さなライブハウス「Loophole」で、またクリストフのライブを見る。前回よりもさらにパワーアップしていて、楽しめた。二番目のバンドが大変なインパクトだった。ノイズの轟音の中、フロントの女の子が、頭に鍋をかぶって叫んだり、ジーンズの股間に大量の新聞紙を詰め込んで、またそれを引き出してバラまいたりと、やりたい放題なのである。爽快だった。日本で、ここまで意気揚々と明るく股間に新聞紙を詰め込める女性がいるだろうか。本人の資質の問題じゃなくて、日本でやると、もう少し湿っぽい表現になる気がする。面白いパンクバンドのライブを見ていただけなのに、社会の有り様と個人の有り様というのが、どうしようもなく繋がっていることを痛感した。

この夜のイベントは、クリストフの仲良しである音楽家Tatsumi Ryusui さんが主催しているもので、明けて翌日は彼の誕生日だった。三番目に登場したTatsumi さんの演奏が終わった後に、ライブハウスからの振る舞い酒で乾杯した。終電がなくなる前に地下鉄で帰った。

 

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
*特集上映
映画/批評月間 ~フランス映画の現在をめぐって~
2019年3月9日(土)〜4月21日(日)
https://www.institutfrancais.jp/tokyo/agenda/1903090421/
会場:アンスティチュ・フランセ東京

没後50年 名匠・成瀬巳喜男 戦後名作選
2019年3月12日(火)~22日(金)
http://www.shin-bungeiza.com/pdf/20190312.pdf
会場:新文芸坐

*封切作品
3/1(金)公開
『グリーンブック』ピーター・ファレリー監督 https://gaga.ne.jp/greenbook/

3/8(金)公開
『運び屋』クリント・イーストウッド監督 http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/

3/9(土)公開
『月夜釜合戦』佐藤零郎監督 http://tukikama.com/

*公開中
『半世界』阪本順治監督 http://hansekai.jp/
『アクアマン』ジェームズ・ワン監督 http://wwws.warnerbros.co.jp/aquaman/

 

【美術等展示】
国立西洋美術館開館60周年記念 ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代
2019年2月19日(火)~5月19日(日)
https://www.yebizo.com/jp/
会場:国立西洋美術館

【書籍】
『現代思想2019年3月臨時増刊号 総特集=ジュディス・バトラー 『ジェンダー・トラブル』から『アセンブリ』へ』(青土社) http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3263
三浦哲哉『食べたくなる本』(みすず書房) https://www.msz.co.jp/book/detail/08781.html
小泉義之『あたかも壊れた世界 ―批評的、リアリズム的―』(青土社) http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3266
東浩紀『ゆるく考える』(河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027449/