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「Die Goldenen Zitronen|連帯と寛容/10時間の芝居|日本から友達が来る 2019.05.01-05.15」

ベルリン狩猟日記 / 千木良悠子

Die Goldenen Zitronen

5/1(水)
前中、合気道を習いにクロイツベルクに行く。合気道の先生であるオメルと昌世さんに「昼すぎから、友達何人かとラントヴェーア運河のほとりでゴミ拾いをするから参加しない?」と誘われた。自転車を押すオメルと一緒に、運河沿いの公園まで歩いて行く。とても天気が良かった。

ラントヴェーア運河は、ベルリン中心部のやや南よりの地区・クロイツベルクを横切っている川で、川面には大きな白鳥が泳ぎ、船が行き交っている。周囲にはカフェやレストランが軒を連ねる。個人的にも好きな場所だが、河畔の芝生を良く見ると、悲しいことに確かにゴミがずいぶん落ちていた。ほとんどはビール瓶のキャップや煙草の吸い殻だ。ベルリンには瓶のリサイクルのシステムがあって、お店で買う瓶の飲み物には、デポジット代が含まれている。瓶を店舗に返すことで、2-30ユーロが返ってくる。そんなわけで、空き瓶はもし道に捨てられても、誰かが持って行ってお金に変えるから、捨てられっ放しということはないのだが、キャップは別だ。誰かが掃除しなければ、川岸の砂の中に埋もれて、未来永劫、拾われることがない。

なんでも、市内の清掃局のサイトでゴミ拾い専用の袋やトングやベストが購入できるのだそうで、私とオメルが川岸にたどり着いたときには、すでに昌世さんやそのお友達の家族が、ベストを着てトングを片手にゴミ拾いを始めていた。

仲間内の、まだ小さい赤ちゃんのいるご家族が、芝生の上にシートを敷き、子どもたちに豪華なお弁当を食べさせている。子どもはご飯を食べたかと思うと、辺りを走り回り、もう大騒ぎである。昌世さんとオメルのご子息の悠真くんは中でも特別元気で、一瞬たりとも立ち止まっていない。大人たちが彼らにもゴミ拾いを手伝わせて教育しようと試みるが、逆に逃げ出して、川にゴミを投げ込もうとする始末。私が子どもたちを制している所へ、通行人にカクテルを販売しているらしい小さい船が近づいてきて、川縁に碇泊した。船の二階にはDJがいてガンガン派手な音楽を流している。驚愕の眼差しで船を眺める子どもたち。シュールな光景だった。

日本人のご家族の作ってきたお弁当をちょっといただきながら、午後3時ぐらいまでゴミ拾いを手伝った。

その後、一度家に帰ってから、この日はクリストフとマヤとライブに行った。Die Goldenen Zitronenという80年代から活躍するパンクバンドを見に行ったのだが、これが最高だった。マヤが「最前列で見よう」と言うので、開場時間より前に会場に行って並んだ。クロイツベルクにある割と新しくて大きなライブハウスだ。

女性2人組による、黒ずくめの格好のユニットの半分パフォーマンスみたいなライブが終わった後、Die Goldenen Zitronenが出てきた。

Die Goldenen Zitronen – Wenn ich ein Turnschuh wär – Live @ Uebel & Gefährlich. Hamburg – 06/2018

「もう私も年取ってきたから、ロックバンドのライブごときで、そうそう浮かれたりしないぜ。体力もないしね」と、タカを括っていたのだが、彼らが音を出し始めた途端に、テンションが爆上がりして自分の意思とは無関係に体が踊りまくっていた。初めてロックバンドを見た男子中学生のような、憧れの眼差しでボーカルのSchorsch kamerunを見つめ、声援を送る。もう30年以上活躍するバンドだから、オリジナルメンバーは60歳近いわけだが、パワフルで一体感のある演奏と、クールで斜に構えたメンバーたちの佇まいはいかにも現役感に満ちていた。

クリストフいわく、Die Goldenen Zitronenが結成された80年代のハンブルクのパンク・シーンには、「パンクに与する者は皆、政治的な議論を熱く戦わせねばならない」という過度にシリアスな暗黙の掟があったらしい。Die Goldenen Zitronenはそこへ掟破りの派手な花柄シャツの衣装や、楽しいパーティーの雰囲気を持ち込んで、堂々参入し、「ファン・パンク」という流行を作ってしまった。しかし、ファン・パンクの人気が高まって、彼らのライブにパーティー好きの遊び人ばかりが集まるようになると、メンバーたちはそれも嫌い、「Fuck You」という全く今までと違うダークな音楽性の政治的な内容のアルバムを発表して、意思表明したらしい。そうやって、つねに時流を冷静な目で見据えながら、人々の期待を裏切る活動を続けてきたパンクバンド、それがDie Goldenen Zitronenなのである! クリストフは子どものときから、お兄さんの部屋にバンドのポスターが飾ってあってあるのを見て育ったから、久々にライブが見れて感無量だと話していた。

私は自分がどれだけ、こういった(かっこいい)バンドのライブが好きかを普段の生活で完全に忘れていたみたいで、「親の仇」とばかりに体が勝手に踊りまくることに呆れた。普段アパートの階段を上り下りするだけで疲れているのに、どこにこんなパワーが隠れていたのか。「なんだ、お前、元気なんじゃないかよ!」と、自分の体にすっかり騙されていた気分になった。

5/2(木)
がベルリン滞在助成を受けた「ロバート・ボッシュ財団」の担当者Julianさんとスイス料理レストランでランチを食べた。ボッシュの本社はシュトゥットガルトにあるのだが、Julianさんは仕事でベルリンに来るたびに、こうしてミーティングの機会を設け、近況だとか、何か困っていることはないかとか尋ねてくれる。私が貰ったのは短期滞在向けの小規模の助成なのに、一年近くも居る私を気遣ってくれるのが本当に有り難い。日本で「演劇をやっている」と言うとほぼ九割の人に「食えるの?」と聞かれる。大抵は、それしか聞かれなかったりする。別に、ベルリンにいるアーティストだって全然裕福じゃない人ばかりだけれど、こういったマメなヒアリングを受けたりすると、ヨーロッパの芸術に対するリスペクトや懐の深さを感じたりはする。

休止していたドイツ語学校に、週二回だけだが、この日からまた通うことになっていた。受付で名前を言うと、「電話でのスピーキングテストを受けたか」と聞かれる。電話などかかってこなかったと言ったら、「じゃあ申し込みした一つ下のA2レベルのクラスからやり直せ」と言われる。「A2クラスはもう別の学校で受けたから、上のB1コースに行きたい」と言ったら、受付の女性は「うちは会話重視の授業で、他の学校よりも難しい。挑戦しても良いが担当教師と必ず相談しろ」と言われた。

緊張しながら教室で待っていると、トムという名の、やたらと声の通りが良い先生がやってきて、授業を始めた。他の生徒が流暢に文章を喋る中、私だけ単語のみで喋っている気がしないでもない。放課後にトムを捕まえて「私はリスニングとスピーキングが特に苦手なのだが、このクラスに参加していいか」と尋ねると、「あなたを追い出す理由なんて一つもない! 難しくてストレスになるようじゃなかったら、ぜひ参加して!」と言うので、引き続きこのクラスに居座ることにした。

5/3(金)
起きたら、冷蔵庫の下でキュッキュッキュと不思議な音がする。寝ぼけ眼で近づいて行くと黒い小さな影が走った! またネズミだ!

前回ネズミが出たときは、すぐに退去したいと思うほど取り乱した私だった。だがあれから数ヶ月が過ぎた今、強くなったのか、はたまた鈍感になったのか、自分がスーッと冷静になるのを感じた。真っすぐバスルームに向かい、物置からあの忌まわしいネズミ捕りを取り出す。チョコレートのかけらを針金の先に罠として仕掛けて、冷蔵庫の横に置く。待つこと一分。見事にネズミがかかった! 親指ぐらいの小さな生き物、円らな瞳。心なしか前回よりも可愛らしく思える。

ゴム手袋を嵌めてネズミ捕りごとビニール袋に突っ込み、前回と同じく近所の河原に放しに出かけた。心は無の境地である。

帰ってから、一応ネズミが出てきたと思われる柱と床の間の隙間をテープで塞いだ。この家もあと一ヶ月ちょっとで出て行くのだ。そう思うとネズミとの邂逅もまた麗しい思い出の一つである。まだ代わりのアパートは見つかっていないが。

引っ越しのことを考えるととにかく気が重い。ネットでアパートの借り主を捜している人に気休めにメールを書いてみるのだが、返事は全く来ない。ベルリンで縁もゆかりもない日本人に部屋を貸したい人間はなかなかいないんだろうか。それとも私がサイトの使い方を間違えているんだろうか。

友人の麻衣子さんからお誘いを受け、韓国料理屋でサムギョプサルを食べた。楽しく食事をしたあとお会計をしようと思って、鞄を探るが、財布がない! そういえば前日に違うバッグで出かけたから、そこに入っているのだろうと思ったが、さっきまでこのトートバッグは無防備に椅子に引っ掛けておいたから、通りすがりにスられた可能性も否定できない。青ざめて麻衣子さんに平謝りをして食事代と電車賃を借り、家に向かって走った。案の定、財布は家にあった。

心の底から安堵したが、もう全然だめである。外国での一人暮らしでこんなにボンヤリしていたらマジで危ない。自分を戒めねばならない。

5/4(土)
間は家で仕事。夜は田中奈緒子さんとロシア料理の店へ。真っ赤なビーツの入ったボルシチを食べた。その後、プレンツラウアーベルクにあるワインバーに行く。並んだワインボトルの中から、好きなのを選んで試飲をしてよい、というシステムのバーで、調子に乗って飲み過ぎた。しかし、私たちは酔っ払っても真面目にアートの話ばかりしていたので、偉い。

5/5(日)
日酔いで伸びていた。家から3駅ぐらい電車に乗ったところにある、アルコーナープラッツの蚤の市へ行く。安いパールのネックレスを買った。

 

連帯と寛容/10時間の芝居

5/6(月)
中奈緒子さんとVolksbühne劇場に行き、フランスのフェミニズム思想家で小説家であるエレーヌ・シクスー(Hélène Cixous)のトークを聞く。会場は若い女性でいっぱいだった。まず、エレーヌ・シクスー氏の詩の朗読を俳優の女性が行った後、本人が出てきてトークを行った。相変わらずドイツ語が分からないから、話はさっぱり理解できなかったが、見るからにチャーミングな女性であった。通訳の女性とペンの貸し借りのことか何かで私語をして、コロコロと笑っているところが印象的だった。日本では、公共の場で女性どうしでこんなふうに親密げに会話している所を見ることがほとんどなかった気がした。あの感じは「いちゃいちゃ」と言ってもいいと思うのだが、年かさの女性が年下に何か人前でジョークを言って、二人でクスクス笑う。司会である年配の男性の編集者はその雰囲気に入れず、ちょっと汗を掻いている。そういう場を創り出せるエレーヌ・シクスーの知性を、とてもセクシーだと思った。

La Masterclasse d’Hélène Cixous – France Culture

中盤、「最近はフェミニズムと環境問題というのが相性が良くて、『エコ・フェミニズム』という考え方を提唱している人もいる」という話題になった。エレーヌ・シクスーが「ほら、クリトリスとクリマ(気候)、似ているでしょ?」とひどい駄洒落を言ったのは、ドイツ語の分からない私にも分かった。なんというひどい駄洒落を、エレガントな態度で繰り出す人だろう。ゴージャス。

トークの最後に質疑応答の時間があって、一人の若い女性が「フェミニズムを伝えて行くためには何が必要か」と聞いた。あとで奈緒子さんに説明してもらった所によると、エレーヌ・シクスーは「フェミニズムの達成にはあと2万年ぐらいかかるだろう」が、「連帯と寛容さが必須」だと語ったという。

講演後、奈緒子さんが「経済的にも文化的にも、今、欧州で本当に未来を見ている人は、Solidarität(連帯)を意識しているようだ」と説明してくれた。例えば、地球環境を保全できるシステムを早急に構築すること、人々がフェミニズムという言葉を忘れるまで、フェミニズムを達成すること、こういったことは夢物語でも理想論でもなく、人類の存続に関わる大問題である。「キャリアの長い思想家がSolidaritätという言葉を使ったことに感銘を受けた」と奈緒子さんが言う。知性ある人々が、けっして象牙の塔に籠って下々の者を冷笑したりせず、駄洒落を言って連帯と寛容さを説くことの意義に、私も胸を打たれた。

私は日本に戻ったら、たぶん彼女の最も有名な著書である『メデューサの笑い』の邦訳だとか小説を読もうとするだろう。今はまだ言葉が分からなくても、本人が話している場所に居合わせることができて良かったと、後で思うのだろう。

5/7(火)
曜日にクロイツベルクのアパートの内覧に行くことになった。Facebookに演劇関係のアーティスト限定のアパート情報掲示板があって、そこに連絡したらすぐに返事が来た。このアパートはWG(シェアアパート)らしい。一人暮らしに慣れてしまった今、知らない人とルームシェアなんかできるんだろうか。とても不安だ。

5/8(水)
気道に行く。終わってから近くのベトナムレストランで、鶏肉とフレッシュハーブの入ったフォーを食べた。

午後、クリストフの家に行く。彼が日本語でエッセイを書く仕事を請け負っているのを再び手伝った。夜、近所のイエメン料理の店でご馳走してもらった。ここの、羊をスパイスで煮込んだ料理がとても美味しいのだ。

5/9(木)
ロイツベルクの部屋に内覧に行く。部屋の印象は普通だが、悪くないし何より家賃が想像していたより安かった。そして場所が良い。合気道の道場からも近いし、すぐ傍に大きな公園があって、夏は野外で映画上映もやっているという。近くにマルクトハレ・ノインという屋内市場もある。前回の反省から、内覧してすぐに貸し主に「住みたい」と言ったが、住所登録ができるかどうかなど、問題が残っていた。内覧の案内をしてくれた男性は、じつはここの貸し主ではなく、貸し主本人は今、別の都市に住んでいてベルリンに居ないので相談しなくてはならない、ということで内覧は終わりになった。夜はドイツ語学校へ行った。

5/10(金)
りあえず内覧は終えたが、本当にあのシェアアパートの家に住めるのだろうか。貸し主の返事を待つしかない。一人で部屋にいると心配ばかりしてしまうので、アパートのあるクロイツベルクの辺りを散歩してみようと思った。

部屋のドアを開けたら、猫がいたから驚いた。私の部屋は五階の突き当たりで上には何もないのに、何しに上ってきたのだろう。迷い猫かと一瞬思ったが、毛並みが綺麗だし、きっとどこかの家の飼い猫だろう。ちょっと撫でたら離れ難くなったが、振り払って散歩に行くことにした。
U-bahnでMehringdammの駅まで行き、Bergmann通りという、カフェや洋服屋のたくさん並んでいる道を歩いた。そこからラントヴェーア運河沿いを延々、1時間ぐらい歩いていたら、保育園帰りの昌世さんと息子の悠真くんにバッタリ会った。Görlitzer Parkの中にある、ヤギや羊やロバのいる子ども公園に行くというので、去年の夏によく使ったMobikeというシェアリング自転車を道端で拾い、一緒に行って遊んだ。

夜は見たい映画があったので、二人と別れてワルシャワ通りまで歩き、ドイツ歴史博物館の中の映画館に行く。1933年の白黒映画『肉の蝋人形 Das Geheimnis des Wachsfigurenkabinetts』を見た。主人公の詩人は、遊園地の「蠟人形の館」を訪れ、働き始めるのだが、館が所蔵する一つ一つの蠟人形を紹介する物語を作って語る、という仕事を担当することになる。詩人の語るロシアの皇帝やトルコの王様などの三部作の物語がスクリーン上で絵巻物のように展開する。オリエンタルな夢を見ているような気分になる。最後のほうは虚実が混在し、現実の詩人が虚構の物語の人物たちと追いかけっこをし始める。オーソン・ウェルズの『上海から来た女』のラストシーンを思い出した。ウェルズもこの映画を見たのだろうか。

5/11(土)
で仕事。領収書の計算や芝居のチケットを買うなどの雑務をする。

5/12(日)
の週末、ベルリンではTheater Treffenという演劇のフェスティバルが開催されていた。人から勧められた「Dionysos Stadt」という芝居のチケットを取っていた。ミュンヘンの劇場が作った芝居で、なんと上演時間は10時間。全編見られる気はしなかったが、とりあえず会場へ行く。スケジュール表によると、10時間のうち、4回ぐらい休憩があり、そのたびに食事が販売されたり、スナックが配られたりするらしい。

始まってすぐ、役者の一人が「前説」をしたのだが、それが素晴らしかった。10時間もあるから、リラックスして見てほしいと言う。煙草を吸くなった人がいたら、なんとステージに上がってきて吸っても良いとのこと。ただし、舞台上にある赤いランプが点いている間だけ。それ以外の時間は暗転があったりして危険だから……等々。やがて開幕した第一場は、ギリシャ神話の中のプロメテウスの物語を芝居にしたものだ。プロメテウス役の俳優は金網の箱に閉じ込められたまま、宙吊りにされ、全身に水を浴びせられる。シリアスな責め苦の場面の合間に、観客が時々ステージに上がって煙草を吸うのがなんとも可笑しい。

第一場の後の、最初の休憩時間には、ナッツやオリーブなどが無料で振る舞われた。晴れた戸外で芝生の上に座って観客が飲み物を飲んだり、談笑している様は、さながら天国みたいだ。10時間の芝居に参加できる、それだけでとても贅沢なことだ。日本でいったら歌舞伎を昼の部と夜の部で続けて観るようなものだろうか。

ただ、続いての第二場、第三場は、ギリシャ神話のトロイ戦争をモチーフにした演劇で、ちょっと冗長に思った。私は子どものとき、ギリシャ神話の本が大好きだったのだが、トロイ戦争以降の章になると登場人物が一気に増えて、ややこしいから苦手だったのだ。(しかも、話の中心が神々ではなく、領土争いをする人間たちに移って、どんどん世知辛くなる。)音楽も、ミュージシャンが単調なドラムを大音量でずっと叩き続けるもので、なんだか聞きづらい。

あまり気分が乗らないまま、芝居をボンヤリ見ていた。役者たちは、ギリシャ神話の世界を随分ラフに、まるで公園で遊ぶように自然に演じているように見えた。衣装は現代的だし、あまり根を詰めた稽古はしていなそうなのに、舞台がちゃんと「成立している」と感じられた。

以前から気づいてはいたが、日本人が西洋演劇をやるのって、やっぱりすごく無理があるんだろう。彼らは骨格のしっかりした肉体を使って、ハッキリした口調で単純明解な台詞を喋っていたが、きっと普段からそういう立ち居振る舞いをしているのだろう。私は中学のとき演劇部で、ハッキリ喋り、堂々と動く練習をしたが、あれは近代演劇に参加するためにマインドを西洋人にする練習だったのかもしれない。未だに私は、舞台で堂々と前を向いてお腹から声を出して演じることには違和感があるのだが、この日ギリシャ悲劇を演じていた、ミュンヘンの劇場の俳優たちに、そんな葛藤は無縁であるように思われた。私のような東アジア人には、その生活様式に沿った、舞台上の居方の可能性が他にあるのかも。古典芸能の形ではなく、現代の生活様式に合わせた、でも西欧の舞台とは違うスタイルが……。

なんだか微妙な気持ちになってきたところで、7時か8時ごろに劇場を抜けた。この日は、友人のバイオリニスト波多野敦子さんが日本からツアーで来ていたので、ライブを見に行った。Auslandというライブハウスで、波多野敦子さんとベルリン在住の音楽家Midori Hiranoさんのセッションライブを見た。二人の演奏はとても息が合っていた。

 

日本から友達が来る

5/13(月)
学院生の明日香さんと一緒に、渋谷哲也先生の家にうかがって、手料理をいただく。豆ご飯とサラダと鮭の煮付け、という家庭的なメニューで、とても美味しかった。とにかくちゃんと次の家に引っ越せるかが心配で、ストレスだという話をずっと聞いていただいた。

5/14(火)
ラン出身の演出家Mehdiさんの紹介で、アーティストのLinda Havensteinとカフェで会って話をした。彼女は日本滞在経験もあり、日本語がとても上手だった。彼女はモールス信号などの暗号を使ったアートを創っている。色紙やタイルを夥しい数並べて、その配列に暗号を忍ばせるが、暗号の意味する内容は展示場所に吹く風の動きや、鑑賞者の見る角度等によって変化する。ノイケルンの川沿いを散歩しながら、今私たちが見ている木漏れ日にも、暗号が配列されているのかもしれないと話した。彼女の見えないものを見ようとする態度に、共感を覚えた。
夜はドイツ語学校に行った。

5/15(水)
本から来ている、バイオリニストの波多野敦子さんと食事をする。近所のトルコ系のレストランで魚のグリルを食べたが、私のドイツ語も英語もひどいし、レストランの店員も英語は喋らなかったりするので、注文がなかなか通らなくて大変だった。その後、敦子さんを家に招いて夜遅くまで近況など喋った。ここのところ急に寒さがぶり返してきていたので、セーターをあげたら喜んでいた。こちらでもいつも、日本人の友達やクリストフやエレナたちと日本語でばかり喋っているけれど、長年私を知っている日本の友達と会う、というのは、また全然感覚が違う。実家に戻ったみたいな気分になった。

5月には他にも、日本から数人、友人が訪れることになっており、一緒に旅行をする計画もあった。未だ、全然日本に帰りたいとは思わなかったが、立て続けに友人たちに会ったら懐かしくて帰りたくなるだろうか。どんな気持ちになるだろうか。

 

<編集Tの気になる狩場>

【映画】
マルグリット・デュラス特集
2019年7月25日(木)〜27日(土)(3日間)
http://www.athenee.net/culturalcenter/program/du/duras.html
会場:アテネ・フランセ文化センター

*封切作品
7/5(金)公開
『ワイルドライフ』ポール・ダノ監督 http://wildlife-movie.jp/

7/12(金)公開
『さらば愛しきアウトロー』デヴィッド・ロウリー監督 https://longride.jp/saraba/
『トイ・ストーリー4』ジョシュ・クーリー監督 https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html

*公開中
『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』ジョン・ワッツ監督 http://www.spiderman-movie.jp/
『旅のおわり世界のはじまり』黒沢清監督 https://tabisekamovie.com/
『ハウス・ジャック・ビルト』ラース・フォン・トリアー監督 http://housejackbuilt.jp/
『アナと世界の終わり』ジョン・マクフェール監督 http://anaseka-movie.jp/
『7月の物語』ギヨーム・ブラック監督 https://contes-juillet.com/
『慶州(キョンジュ) ヒョンとユニ』チャン・リュル監督 https://apeople.world/gyeongju/
『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』フレデリック・ワイズマン監督 http://moviola.jp/nypl/

【美術等展示】
モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち
2019年06月18日~2019年09月23日
https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2019modernwoman.html
会場:国立西洋美術館

伊庭靖子展 まなざしのあわい Yasuko Iba, A Way of Seeing
2019年7月20日(土)~10月9日(水)
https://www.tobikan.jp/exhibition/2019_yasukoiba.html
会場:東京都美術館

クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime
2019年06月12日~2019年09月02日
https://boltanski2019.exhibit.jp/
会場:国立新美術館

【書籍】
ジュディス・バトラー『欲望の主体 ヘーゲルと二〇世紀フランスにおけるポスト・ヘーゲル主義』(大河内泰樹・岡崎佑香・岡崎龍・野尻英一訳/堀之内出版) https://info1103.stores.jp/items/5cd94b68a894526b2d177198
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『イジェアウェレへ: フェミニスト宣言、15の提案』(くぼたのぞみ訳/河出書房新社) http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207728/
嶽本野ばら『純潔』(新潮社) https://www.shinchosha.co.jp/book/466006/