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2020.05.09

第14話 告白の日の話

〇〇の日の話 / 大前粟生

 出勤停止は長引いた。自宅で業務をこなすひともいたが、私は直接資料室にいかないとほとんどの仕事ができなかった。ビデオ会議に参加して、家にいるのに身だしなみを整えて仕事をしているふりをした。それでも正社員だから給料が出た。派遣さんやバイトさんには出なかった。警備員さんにも出ない。仕事がない間、警備員さんは他のところで働こうとしたが、新規で募集している現場はなかった。多くの職種がそうだった。一度くいぶちを失えば、貯金を切り崩すか借金をするしかなかった。知り合いの飲食店が潰れた。ホテルコンシェルジュになるため専門学校にまで通った友人は勤務先が破産し、どうしたらいいかわからない、とグループチャットに投稿してきた。友人は実家に帰ることもできなかった。私は各種補助金や給付金についてのリンク先を淡々と貼り続けた。なにもいえなかった。オンライン飲み会をしよう、という連絡が同僚からきた。ビデオ通話アプリを開くと、同じ会社のひとや取引先、その取引先など合わせて90人のひとが参加していた。私の画面は90分割されていて、そこにあるのは顔というより蠢く肌の色と髪で、気持ちが悪かった。関係のないひとをミュートしていった。フラフーパーたちを探そうとしていると、画面の対角に警備員さんがいるのを見つけた。
 私たちは言葉を交わさず見つめあった。その状態で何分も過ぎた。私たちしかここにいないみたいに、静かだった。警備員さんからチャットがくる。よろこんでいる猿の絵文字が送られてきた。私も絵文字を返す。しばらくの間、絵文字だけで会話した。言葉よりも早く伝わる。いいたいことに個性なんてひとつもないことで私たちは傷つかないでいられた。傷つけない、傷つけられないだけで、好意が発生してしまう。その間にも、他の88の口と176の目は蠢いて、一千万の髪が揺れていた。気味が悪くて、そのなかに私も警備員さんもいて、他のひとから見ると同じ存在なのだった。手を振る絵文字を送って私は飲み会から抜け出した。
 フラフープを装着して外に出た。気分転換のために時間制限つきの散歩をしている。この頃では、社会的距離を取るために箱を被ったりテントを被って街中を歩くひとも増えてきた。警備員さんからビデオ通話がくる。あとでビデオ通話しよう、と絵文字で約束していたのだ。
 さっきはどうも、と警備員さんはいう。どうも、と私。ひさしぶりに警備員さんの声を聞いた。安心する。ウイルスが流行する以前から、私たちは話す方ではなかった。会話が弾まなくてもよかった。さっきは、なんだか不思議でしたね。ね。外は静かで、静かであるというだけで落ち着いてくる。ウイルスが目に見えないということに頼って、大変な事態なんて起きてないみたいに錯覚したくなる。
 ひゅんひゅんひゅんひゅん、私はフラフープを回しながら歩いていて、警備員さんは自分の家にいる。いま、警備員さんが私の隣にいなくてよかった。私の隣に、いたことがなくてよかった。だれが感染しているかわからない。うつさないということを、つらい目にあわせてしまわないということを、保証できない。
 警備員さんをつらい目にあわせるかもしれないんだったら、私は一生この距離を保っていたい。そう思ったとき、やっぱり私は警備員さんのことが好きなんだとわかった。
 この気持ちを、どうする?
 別にどうもしなくてもいいんじゃない? とも思うんだ。
 それはいまに満足しているからだ。でもいまなんて、いつまでも続かない。
 私は、警備員さんに好きだと伝えようと思った。どうやって?
 どうやったら気持ち悪くない?
 好きと伝えて気持ち悪くないだけの距離を私たちは共有している? 
 これ、見てください、と警備員さんがいう。
 見ると、画面のなかを、びよびよした紫色の流線が走っている。え、なんですか、それ。心霊現象みたいだ。警備員さんが笑うと、紫色の流線は画面から消えた。
 ジャジャーン、と警備員さんがいう。
 警備員さんが手にハイパーヨーヨーを握っている。
 警備員さんがヨーヨーをひゅんひゅん操ると、画面に幽霊みたいな線が現れる。
 あー、ヨーヨー。うん、自分はこれで社会的距離を取ろうかなって思ってて。ははは、私は笑う。いいと思います。めっちゃいいな、とひとりごとのように呟いた。五月の夜がなまあたたかい。ス……。え、なんですか? いえ、なんでもないです。私は笑いながら、ス……、ス……といって、好きといわないいまをめいっぱい楽しんだ。