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2020.06.01

第16話 潔癖生活の日の話

〇〇の日の話 / 大前粟生

 肌色のかたまり。グーグルは毎月スマホに保存された写真や動画をスライドショーにした。ずいぶん前のものでも残っていて、私たちは私の部屋でかたまりになっている。「これなみこ~?」と波子がいう。壁に投影された十年前を見ている。
 波子はまだ生まれたばかりだったし、うちにきたばかりだった。みさきちゃんは波子の母親で、そのころ流行していたウイルスに感染して発症した。みさきちゃんは安全のために波子と離れないといけなかった。産んで間もない。頼れるひとはいなかった。高校の同級生だったれいんはそのことを知って、やるせなさで泣きながら波子をうちに引き取った。
 波子は水槽に入れられてやってきた。症状は目に見えなかったし、だれでもが検査を受けられるわけではなかったから、私もれいんも、波子も感染しているかもしれなかった。その可能性を考えて行動していた。それはなにか、想像上の常識みたいで、ずっと私たちは、もしもの世界に、運命とかの分岐を外れた場所にいるようだった。なにかの拍子に、元の世界に戻れるような。変な楽観と、現実的な悲観。波子はやってきた。
 手と、手が触れるあらゆる場所を消毒した。ゴミ袋のなかに、マスクが重なって層になっていった。それが日々だった。ちゃんと世話をしないと他人の子どもを死なせてしまうんじゃないかっていう恐怖で一日が途方もないほど長く感じた。わかってる。ひとは簡単に死なない。でもこわかった。交代で仮眠を取りながら、波子の世話をしているあいだ、いつもホラー映画を流していた。持っているすべての再生機器がホラー映画を映していた。映画たちはぐるぐるにまざりあって、私に届くと光と音の束になり、私の胸を貫こうとした。それでよかった。私は、別のこわさに支配されたかった。なんでもいい。責任感から気を散らしたかった。頻繁にビデオ通話をつないでくるみさきちゃんのことを励ます必要もあった。しんどい気持ちでいるみさきちゃんに、思う存分、私たちに気を遣わせてあげる必要があった。波子を預かっていた期間は一か月もなかった。それでも私とれいんには、一か月が何年にも感じられた。みさきちゃんにとってもそうだった。はじめて生で会ったとき、私たちは、再会した、という気持ちでいっぱいだった。ありがとう、といい合い、涙を流すしかなかった。それから十年経って、私は30代の後半で、れいんとみさきちゃんは20代の後半、でも百年いっしょにいる、百年生きた、みたいな、置物のように肌色のかたまりになって、あのころを見ている。