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2021.05.21

第1回:MMDからVTuberへ
──身体運用の複製・流通・再生

踊るのは新しい体 / 太田充胤

そして人形へ

 本稿では身体とその運用をめぐる現況を論じることを目的とし、その端緒としてMMDからVTuberまでを扱った。VTuberの人数は日に日に増えているようだが、多くのユーザーにとってはいまだ見るものであってなるものではない。仮想空間におけるAR・VR技術もまだ民主化されているとは言い難い。これらの技術がキャズムを超えるまでにはもう少しかかりそうだし、素人が未来予想をしてみたところでさほど面白いとは思えない。ここはひとつ、さらに過去へと遡ってみようかと思う。

 存在しない身体を現前せしめること、そこに生命の息吹を吹き込むこと。こうしてVTuberとMMDを結んだ線を、そのままずっと過去へと伸ばしていけば、いったいどこへ行きつくだろう。素直に考えれば、その線がアニメーションのキャラクター、例えばまさに「初音ミク」のようなキャラクターの立体フィギュアを通らないことはあり得ない。秋葉原とかで立派な箱に入って店頭に並んでいる、あれである。残念ながら筆者は、この分野についてなにひとつ語ることができない。それでは、その線をさらに過去へ向かって伸ばしてみたらどうだろうか。そう、言うまでもなく、立体フィギュアの背景には「人形」という気が遠くなるほど広大な領域が、長い歴史が存在する。
 と、言ってはみたものの、この領域についても筆者はなんら知見を持つものではない。しかし偶然にもまったく別の分野への興味から、この領域を論じようとした人物の著作にたどり着いた。

 2018年に61歳で亡くなったその哲学者は、科学哲学や科学認識論を専門とし、バシュラールからカンギレム、フーコー、ダゴニエの仕事を日本に紹介した第一人者であった。
 どういうわけかこの男が、晩年になって取りつかれるように研究したのが「人形」であった。当該分野に関しては全くの素人であったはずの彼は、2011年にゴーレムについての著作を出版している。ただの土塊が生命を吹き込まれ、ヒトそっくりに動き回るその魔法への憧憬が、人形への興味の端緒となったのか、あるいは初めから人形研究の準備だったのかは定かでないが、とにかくその後、彼は人形についての膨大な資料の収集にとりかかった。
 その後起こった東日本大震災を経て、いまこの時世に人形なんぞについて語ることがアクチュアルであるとは思えない、という葛藤に何度もその筆を止めながら、しかし、それを論じることをどうしても諦められず、2018年になってついに1冊の本をまとめあげた。『人形論』と題されたその書物が、結果として彼の遺作になったのは、偶然ではなくなにかの必然であるような気がする。これが、この時代に、死を目前にしたこの哲学者によって論じられたことには、なにか意味があるような気がする。
 その哲学者の名前は、金森修という。

 

[1]ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」野村修訳、多木浩二『ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』精読』岩波現代文庫、2000年、147頁。

 

(第1回・了)

 

この連載は月1回(第3金曜日)更新でお届けします。
次回2021年6月18日(金)掲載